2-2 Sushi party【寿司パーティー】

 僕は湯呑を掲げたが、ジェシーも愛もそれにならってはくれない。


「乾杯? いただきますじゃなくってですか?」


 未成年しかいないこの寿司パーティーにお酒などあるはずもなく、飲み物はお茶しかない。そういう意味で乾杯はおかしいかなとは思ってはいたが、ジェシーは違う意味で不満そうな表情をする。とにかく、ジェシーは日本らしいことをしたいらしい。


「ええと……、じゃあ、いただきます」


 僕はご丁寧に手を合わせて食事の前の挨拶をした。


「いただきます!」


 まるで純真無垢な子どもがするような、いただきますというにはハイテンションすぎるジェシーの掛け声とともに、寿司パーティーは始まった。


 大きな丸い寿司桶の中には色とりどりのネタが並び、どれから食べようかと日本人である僕ですら悩む。なにしろ、うちでは寿司を頼むこと自体が滅多にないうえに、頼んだとしても宅配寿司チェーン店の「梅」であるが、今日両親が送り付けてきたのは近所の回らない寿司屋からわざわざ宅配してもらった「松」である。見たこともないような旨そうなネタの数々を見れば、どれに手を伸ばそうかと悩んでしまう。


外国人であるジェシーは、僕なんかよりはるかに興奮しているようで、目を輝かせながら、寿司達をじつに楽しそうに眺める。


「なんでも、好きなものを食べていいからね」


 このままだとジェシーは見ているだけで満足してしまいそうだと心配になるくらいであったから、僕は率先して、サーモンを手に取った。


「じゃあ、オレもサーモンから……」


 ジェシーは、僕の動作にならうように恐る恐るといった感じでサーモンを手に取る。


「うーん、ジューシーです。これが本場の寿司 ですか!」


 そのサーモン は、本場の寿司を食べ慣れている僕ですら驚くほど旨かったので、ジェシーの感動はそれ以上のものがあるのだろう。


 その感動はジェシーの表情を見れば明らかだ。ジェシーは文字通りにほっぺたが落ちるという感じで恍惚な表情をしている。


 そのサーモンのジューシーさが、ジェシーの好奇心に火を付けたようで、その後は次々と寿司を食べていく。


「今まで食べていたのと同じマグロとは思えませんね……、おいしいです!」


「このタイも歯ごたえがすごくて、おいしいです!」


「エビもぷりぷりしていて、おいしいです!」


 ジェシーの食べっぷりは、その小柄の体のどこにこれほどの量が入るのかと心配になるほどであったが、余った栄養はその豊満なおっぱいや、あのとんでもないパワーを発揮するエネルギーになるのだと思えば、その食欲にも納得がいく。


「ほんとに、どれもおいしいですね!」


 まるで子どもが夢我夢中で大好物を食べる時と同じようなジェシーの様子を見ていると、こっちまで幸せな気持ちになってくる。


「ジェシーにも喜んでもらえたようでよかったよ。でも、『おいしい』だけじゃなくて『うまい』って表現するといいかもよ」


「『うまい』ですか……。それって、『おいしい』と何が違うのですか?」


「『うまい』のほうが親近感があるんだよね。『おいしい』っていうとちょっと丁寧な感じ。まあ、そんなに変わんないけどね」


ジェシーに聞き返されて改めて考えると、その二つの言葉の間で具体的に何が違うのか上手く説明できない。


「なるほどです……、うん、これもうまいです!」


 それでも、ジェシーにはある程度意味が伝わったのか、それからはうまい、うまい言いながらパクパクと寿司を食べ続けた。


 そんな中でもジェシーが一度も食べないネタが二つだけあったが、その内の一つに手を伸ばした。


「これは、何ですか?」


「ウニだよ」


「ウニ……、なんですか? それ?」


 ジェシーの反応は芳しくない。寿司ネタもわりとわかっているようだったが、さすがにウニは難しかったかな。


「ええっと、貝の一種で、トゲがいっぱい生えているやつだけど知らない?」


「なんとなくわかりますけど、うまいですか?」


 ジェシーが初めて見るらしいそれを恐る恐る見つめる。


「クリーミーでおいしいよ、試してみなよ」


 ジェシーに率先して僕もウニを手に取って食べてみる。


「どうですか?」


 ジェシーは僕の反応が気になるようだ。


「うん、めちゃくちゃうまい」


 最高級のウニは予想以上の味で、僕は素直な感想を言う。


「そうですか……。それでは……」


 ジェシーも僕の言葉を聞いて、意を決し、ウニを一口で口の中に入れた。


「ううん……、不思議な感じでしたけどうまいですね」


  日本人には馴染みの寿司でも、生魚に馴染みのない外国人には受け入れられないこともあると聞いていたから、ちゃんと食べられるか気になっていたのだがいらぬ心配だったようだ。


 考えてみれば、この寿司は両親が勝手に送ってきたものだしジェシーの好みについてはある程度把握していたのかもしれない。


「納豆巻きは食べないの?」


 でも、最後の巻物にだけはジェシーの手は延びなかったので、僕は気になって聞いてみる。


「納豆はダメです。あの、ネバネバはちょっと……、ダメです」


 ジェシーは申し訳なさそうに言うが、やっぱり外国人なのだし、日本人の食事の一つや二つ合わないのが普通だろう。


「日本人にも嫌いな人はいるからね。じゃあ、僕が食べるね」


 ちょっとだけ暗くなった雰囲気を紛らわすように、僕が率先して納豆巻きに手を伸ばす。


 たかが、納豆巻きでも最高級の宅配寿司だけあり、やっぱり絶品であった。


「他に嫌いな食べ物はあるの?」


 納豆以外でもジェシーには思いもよらない苦手なものがあるかもしれない。今更な質問ではあったが、今後生活を共にしていくうえで重要なことであるので、ジェシーに確認する。


「他は特にないです。納豆だけはダメなのです」


「そっか……、じゃあ、気を付けないとな、愛」


 ジェシーの答えを聞いて、今度からは注意しないといけないなと我が家の食卓を守る愛にも確認する。


「うん……」


 ところが、愛から返ってきた返事はこれだけである。愛は食事が始まってからずっと一定のペースで寿司を黙々と食べるのみで会話にほとんど参加しなかった。せっかくだから愛にも会話に入ってほしくて料理の話題をふったわけだが、愛の機嫌の悪さは変わらずであった。


「それにしても、この味噌汁と茶碗蒸しは特に素晴らしいですね。これが、おふくろの味というやつですか?」


 その困っていた時に、ジェシーがちょうどお味噌汁を飲んでくれた。


「ああ、そのお味噌汁と茶碗蒸しは愛が作ってくれたんだよ」


 愛は、ジェシーと出会ってずっと不機嫌であったものの、晩飯が宅配のお寿司だと言うと、ブツブツ言いながらもお寿司に合う味噌汁と、相当手間のかかりそうな茶碗蒸しまで作ってくれた。そして、その味はジェシーの言うようにこの最高級の寿司に勝るほどにいつもと変わらず絶品である。


「別にあなたのために作ったんじゃないんだけど……」


 ジェシーに褒められて、僕も話をふると、さすがに愛も黙ってはいられないようだ。


「これが、日本のツンデレというやつですか?」


 ジェシーが愛のことをなにやら意味ありげな視線で見つめる。


 ツンデレ……。


 確かに今日の愛の様子はおかしいが、普段の愛はとても優しい。同性であるジェシーに対してツンデレになるわけもないし、ジェシー独特の日本語の感性によるちょっと間違った解釈なのだろう。


「とにかく今日の味噌汁も茶碗蒸しもおいしかったよ。ありがとう愛」


 面と向かってこういうのは恥ずかしかったが、普段から家のことをしてくれる愛には感謝しきれなかったし、ジェシーが感情をよく表現するのを見習おうと思って、愛に素直な気持ちを表現する。


「うん……」


 そうすると、やっぱり愛からは短い返事が返ってきた。


「あのね、ジェシー。お袋っていうのは、お母さんのことを言うの。私はお母さんって年じゃないんだけど?」


 ジェシーに指摘する愛だが、なぜかその口調は少しだけやわらかなものになっていた。


「そうですね……。ごめんなさい。でも、本当においしかったですよ」


「いえいえ」


 その後は、愛も少しは会話に参加してくれるようになり、みんなでお腹いっぱいになるまで寿司と味噌汁と茶碗蒸しを満喫し、楽しい一時はあっという間に過ぎた。

 

 最後に、ジェシーからは何かを期待するような視線を投げかけられた為、今度こそ僕はジェシーの期待に応えようとする。


「ごちそうさまでした!」


 手をぴったりと合わせた数年ぶりにやるような丁寧な挨拶と共に寿司パーティーは終わった。

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