Chapter2 モノクロームな世界

2-1 I am I?【私は私?】

 本棚いくつ分になったのかも数え切れないほどのジェシーの荷物の整理が終わり、夏休み最後の昼はあっという間に過ぎてしまった。


 日が暮れたところに、またしても家のチャイムが鳴り、またジェシーの荷物が届いたのかと僕はビクビクしながら家の扉を開けたのだが、届いたものは段ボールではなかった。


 届けられたのは、豪華な桶に入ったこれまた豪華で大量の寿司であった。僕は配達の人に頼んでいないと言ったのだけど、親の名前で買われましたと言われたら、これを受け取らないわけにもいかない。


 支払いも親がやってくれていたようだが、そんな気を遣ってくれるなら、いきなり外国人の女の子をホームステイに寄越すなんてことをしてくれるなと本気で思う。


 そういうわけで、人生で一番じゃないかというほどのドタバタな一日ではあったが、そんな日でもお腹は空くわけで、僕とジェシーはその寿司を囲む食卓に座っている。


 ただ、そこには僕とジェシーだけでなく、もう一人、僕の妹がいた。


「それで、この女はなんでここにいるの?」


 妹は、むすっとした顔でテーブルに着くと、ジェシーのほうをチラッと睨む。


「いや、もう何度も話しただろう! 今日からホームステイで来たジェシーだって」


「私はそんな話は聞いてないんだけど?」


 僕が両親としたのと同じ疑問を僕に投げかける。その気持ちには同じ両親を持つ者として完全に同意する。


「僕も聞いてないんだよ! 父さんと母さんが勝手に決めていたんだって!」


 妹が帰ってきてから、何回繰り返したかも分からない問答を性懲りもなくこの場でも繰り返す。


「大体、おかしいでしょう。両親が海外出張で家を空けているのにホームステイを受け入れるなんてあるわけないじゃん。家庭の状況がきちんとしたところじゃないとそういう審査に通らないでしょう?」


「それを言うなら、息子と娘を置いて、海外に出張しているのもどうかと思うよ。そんな親だからこれくらい破天荒なこともあるんだよ。お前だってよく知っているだろう」


 僕自身、両親に言いたいことはくさるほどあるのだが、今論点とすべき場所はそこではない。


「ちっ」


 妹はあからさまな舌打ちを打つ。いつもは品行方正で明るい妹がここまで不機嫌なのは、家族である僕ですら見たことがない。そもそもが、僕と妹は普段からわりと仲が良くほとんどケンカすらしない。


「でも、それなら今この家にいる人間が一切関わってないじゃない? 別にこの子がいなくてもいいんじゃないの?」


「お前は、外国から一人日本に来たかよわい女の子を路頭に迷わせようとでも言うのか?」


「それは……」


 これには、さすがの強気な妹も言い澱む。ジェシーが見た目のようにか弱くないことは、今日の引っ越し作業で嫌と言うほど分かっているが、どっちにしても異国の地でジェシーを外に追い出すなんてことはできない。


「オレの為に争わないで! オレ、邪魔でしたか?」


 父親と電話したときと同じくケンカ口調の僕と愛の会話がジェシーにどこまで理解できたのかは分からないが、なんかのドラマで聞いたことがありそうなセリフと共に、仲裁に入ってきた。


「いや、そんなことないよ!」


 そういうドラマのような修羅場的意味合いはないのだけど、ジェシーを不安にさせたことは申し訳なく思い、僕は慌てて弁明する。


「ちっ」


 妹は身内である僕には容赦ないが、身内ではないジェシーには強くは言えないのか、軽い舌打ちで済ませる。


「ほら、自己紹介くらいしろよ」


 僕が促すと、妹は渋々とジェシーのほうに向く。


 ‘I am Ai , his sister.’


 それで、妹から出てきた言葉がジェシーには遠く及ばないまでもなかなか流暢な英語であることに驚いた。


 ‘I am I?’


 ジェシーは不思議そうに首を傾げる。一瞬なにがおかしいのかと思ったが、これくらいなら僕でも気づく。妹の名前は愛というのだが、これは英語の一人称の私、アイと同じ。


 私は私。


 聞き様によっては意味不明である。


 ‘Ai is my name. Ai means love in Japanese.’


 僕なんかよりそのことをよく理解しているであろう愛は補足説明する。


「ああ、なるほどです! 愛ですか! 素敵な名前です!」


 そのことに合点したらしいジェシーは笑顔で返す。


「あ、ありがとう……」


 愛はなにか照れくさそうである。


「お前、なんで英語そんなにできるの?」


 愛が英語をしゃべるところを初めて見た僕は、驚いて聞き返す。


「はぁ? 中学生なんだから少しは英語も勉強しています 。それに簡単な英語しか使ってないし、お兄こそなんでそんなことに驚いているの?」


「うぐっ」


 高校生たる僕は中学生である愛よりは英語を勉強しているはずで、愛より英語ができるはずである。それは一般的な話ではあるが、個人の能力次第で逆転しうる関係でもあり、高校生である僕でも愛には負けかねない、というか負ける。


 学業以外でも愛はとにかく優秀で、わりとなんでもできる。ジェシーが来るまでは、僕は実質愛との二人暮らしをしていたわけだが、家事のほとんどできない僕が、こうして平穏無事に生活できてきたのは愛のおかげであると言ってよい。


 しかし、それをはっきりと突きつけられると、兄としてはダメージが大きい。


「ほら、ジェシーも自己紹介して」


 妹に返す言葉もなく、僕は助けを求めてジェシーにも自己紹介を促す。


「ええと、オレはジェシーといいます。一年間、ここでお世話になります。日本語まだまだですが、よろしくお願いします」


「一年!」


 愛が驚きの声をあげる。


「ええと、じゃあ。ウェルカムトューマイホーム! 乾杯!」


 放っておくと、愛はまたうだうだと文句を言い始めるのではないかと思ったので、僕はとっとと寿司パーティーを始めようとする。

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