それはセクハラですよ?


 推理の基本は消去法です。ありとあらゆる可能性を潰していって、最後に残ったものが真実です。


 まずは簡単に考え付くようなものから消していきましょう。

「ししょーが飲んだと考えるのが一番自然です。でも、ししょーは牛乳は嫌いですよね」


「ああ。あんなまずい飲み物を好んで飲む人間の気がしれねえな。もちろん今日だって飲んでねえぞ」


「なのにどうしてそんなに背が高いんですか⁉ 世界中の低身長人間に土下座してください!」


「知らねえよ。そもそも牛乳飲めば身長が伸びるなんてのは嘘だ!」

 ああああああああっ! 私は急いで耳を塞ぎます。ししょー……なんてことを!


「それを言ったらお終いです! 信じる者は救われるのです! プラ……プラ……プラスチック? 効果? ってやつです!」

「それを言うならプラシーボな」


「そう! それなのです!」

 さすがししょーなのです!


 さあ、気を取り直して推理を再開します。ししょーは牛乳を飲んでいない。これは事実として受け取っても良いでしょう。さすがに「実は俺が飲んでた」なんて結末はないはずです。


 もしもミステリー小説でそんなことがあったら、読者は大激怒です。読んでいた本を壁に向かってぶん投げることは確実でしょう。


 では次。そもそも冷蔵庫に牛乳はなかったという仮説。けれども昨日、私が牛乳を飲もうとしたときは、たしかにふたパックありました。これは間違いありません。私の記憶まで疑い出したらきりがありませんからね。


 もしかして、実は牛乳はなくなってなどいなくて、冷蔵庫の奥の方に埋もれているのではないでしょうか。私はたまに抜けているところがあるので、その可能性は大いにあり得ます。


 もう一度、私は冷蔵庫の中を物色します。お肉や野菜、卵などが整理整頓されて冷蔵庫に入っています。


 ししょーはこう見えても料理が得意です。そもそも基本的に器用で、大抵のことは難なくこなすことができるのです。


 外に食べに行くのが面倒だという、私には到底理解できない理由で自炊をしています。


 もちろん、買い物をするのも面倒くさがるので、冷蔵庫にはたくさんのものが保存されています。


 それでも不思議と、賞味期限を過ぎて無駄になることはありません。きっとししょーは、常に一週間分のメニューを想定、把握しているのでしょう。すごいです。


 私もたまにししょーの作る料理をごちそうになるのですが、とても美味しくて大好きです。

 そんなことを考えながら冷蔵庫を漁っていると、とあるものを見つけました。


「んんんん? これは何ですか?」

 白い小さな袋で、半分くらい使った形跡が見られます。ニンジンのような形をしています。


「生クリームだ。クッキーにつけて食べると美味い」

 そう言いながら、いつの間にか私の背後にやって来たししょーはその袋を取り上げると、クッキーにつけてかじり始めました。


 ししょーの口の中で、サクッとした触感と生クリームの甘さが奇跡的な融合を果たしているに違いありません。ずるいです……。


 一応、冷蔵庫の別の場所も確認しましたが、牛乳はどこにもありませんでした。しかし、確認を終えた私は違和感を覚えました。何かが足りない気がするのです。具体的にはわからないのですが……。

 謎は深まるばかりです。


「ししょーは牛乳を飲んでいません。しかし、牛乳はたしかになくなっていました。そうすると、この事務所に訪れた誰かが飲んだ、という線が濃厚になってきます」


「ふむ」

 ししょーはまた元通りソファに座って、生クリームをつけながらクッキーをかじっています。ううう。美味しそうです。


「そこで質問です。昨日、私が帰った後、この事務所に出入りした人はいますか?」

「答えはノーだ。誰もこの事務所には出入りしていない」


「お客さんも来ていないんですね?」

「ああ」


「相談の電話も、依頼のメールも来てないのですか?」

「来てねえよ。ってか、今それは関係ねえだろ。とにかく、昨日から今日にかけてお前のいない間、誰もこの事務所に入ってない」


 ししょーはなぜか偉そうに言いますが、全然威張れることではありません。この探偵事務所、いつか潰れてしまうのではないでしょうか……。心配になります。


「わかりました。ここには誰も来ていない。ししょーはずっと一人だった、ということですね。もしかして、彼女とかいないんですか?」

「お前、わかってて聞いてるだろ。悪意を感じるぞ」


「三十を過ぎて結婚してないどころか、彼女の一人もいないなんて。かわいそうに……」

 私は泣きマネをして言います。


「うるせえ余計なお世話だ! んなこと言ったらお前もだろ! 花の女子高生のくせに彼氏もいねえのか?」


「ししょー、それはセクハラですよ?」

「お前、ブーメランを投げるのが上手いな」

 ししょーが頭を押さえて言いました。


 ブーメラン、というのはちょっとよくわかりませんが、そんなに彼女がいないのが寂しいのでしょうか。


「さて。もう一度状況を整理しましょう。ししょーの言っていることが全て正しいのであれば、誰も私の牛乳を飲んでいないことになります」

「ああ、そうだな」


「あ! 人間は『誰もこの事務所に入っていない』けど『猫なら入って来た』から牛乳をあげた、なんてことはないですか?」


 おっと危ない。可能性は全て潰しておかなくてはなりません。『誰』というのは人間に使われる言葉ですからね。


「そんな叙述トリックはねえよ」

 ししょーは鼻で笑って答えました。


「う~ん……。では牛乳はどこへ消えたのでしょう。誰も飲んでいないのなら、次に考えられるのは捨てられてしまったという可能性です。とすると、それができたのはししょーに限定されます」


 ししょーの座るソファの周りをぐるぐる歩きながら、あごに手を当てて私は喋ります。なんだか探偵っぽくないですか?


「ほう」

 ししょーはようやくクッキーを食べるのを止めて、私の推理に集中し始めました。その証拠に、目が閉じられています。

 あれ、寝ようとしてるわけじゃないですよね? ししょー?


「ししょーが牛乳を捨てたと仮定して、その動機は何でしょうか。賞味期限を過ぎていたから、という理由が真っ先に考えられます」


 ……んんん? 推理を披露しながら、私は引っ掛かりを覚えます。これは、もしかして……。


 このまま推理を続けてしまうと、とても悲しい結末になるのではないでしょうか。

 私はそんな予感を抱きました。


「昨日、牛乳は残り二本でした。そのうちの一本を飲むときに、しっかりと賞味期限を確認しましたが、二本ともまだ余裕があったことを覚えています。つまり……その可能性も否定されます」


 それでも、私は推理を続けます。真実を白日はくじつもとにさらすのが、探偵の役目なのです。


 導かれた答えがどれだけ残酷なものであったとしても、そこから目を逸らすわけにはいきません。


「そうすると、残った可能性は一つだけです。ししょーが牛乳を捨てた理由は——」


 私はゴクリ、と唾を飲み込んで、やってくるであろう悲しみに耐える準備をします。


「私に対する嫌がらせです。……どうですか?」

 泣きそうになりながら、私は言いました。

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