第25話
ドナの見学が終わるまで時間がある。仕方がないので、佑麻は久しぶりに病院のあちこちを歩くことにした。
あらためて見ると、この病院にこんな多くの人が働いていたのかと驚く。
彼らは、さらに多くの外来患者や入院患者に対応しながら、忙しく立ち働いている。病院スタッフのまちまちの動きは、一見なんの統制管理を受けていないようにさえ見える。この人たちは、人命にかかわるというハイリスクで重い責任をどこにしょって働いているのだろう。自分はそれを考えただけでも身動きできなくなってしまうのに。しばらくそんなことを考えていたら、廊下の角の出会いがしらに、入院患者らしき少女とぶつかってしまった。
少女は、よろけて片膝をつく。
「ごめんなさい。大丈夫?」
しかし少女は、手を差し伸べた佑麻に一瞥もくれることなく歩き去っていく。
佑麻は少女の後ろ姿を見送っていたが、しばらくすると関心も失せて飲み物を求めて売店へと進む。他人の命にかかわることを避ける佑麻には、少女が背中から発している『助けて』というサインに気づくことができなかった。
佑麻は、売店で買ったドリンクを持って、中庭に出る。病院内の空気は長く居るとどうも息苦しい。
しばらく外気にあたりながら休んでいると、なにやらあたりが騒がしくなった。周りの人々の視線に誘導されて、病院の上を見ると、ビルの屋上の縁に入院患者らしき人が立っている。小さな人型だったが、どうやら先程ぶつかった少女であることが分かった。
飛び降り自殺。中庭の人々は騒然とした。少女はじりじりと前へ進んでいるようだった。そして、少女の体がゆっくりと揺らぐ。佑麻は息を飲んだ。と、その瞬間新たな腕が伸びてきて、少女の胴に巻きつき、そのまま少女はビルの内側へ引きこまれた。
佑麻は、いやな予感を感じた。
衝動的に病院へ駆け込むと、閉じたエレベーターの扉のボタンを何度も叩く。なかなか開かないエレベーターの扉に業を煮やした佑麻は、階段を駆け上がって屋上へと急いだ。
荒い息で屋上に到着した彼は、病院スタッフに囲まれて立ちすくむ彼の兄と看護師長を目撃する。そして彼らの足元には、泣きじゃくる少女と少女を覆い包むようにして抱きかかえるドナがいた。佑麻は何が起きたか理解できず呆然としていると、やがて少女が落ち着いてきたのを見極めて、兄がふたりを立たせた。
看護師長は、少女を優しく抱きかかえて病室へと連れて行く。ドナは、少女の背中をなぜながら送りだした。その姿が屋内に消えると、ドナはそばに佑麻がいることに気づき、彼の胸の中に逃げ込んだ。彼に自分の震えを止めて欲しかったのだ。
「いったい、何が起きたんです?」
佑麻は、兄を問いただす。
「お前が連れてきた娘が、あの女の子の命を救ったんだ」
兄は、佑麻の胸に収まるドナの姿を見つめながら言葉を続ける。
「あの女の子は、DVに合って今朝入院したんだが、精神的ダメージが大きくて自殺しようとしたらしい。それが、廊下で一瞬すれ違っただけで、その娘にはわかったんだ。それで後をつけて、屋上から飛び降りる直前に女の子に抱きついて命を助けた」
佑麻はあらためて、ドナを抱く腕に力をこめた。
「その娘の目には、心の傷が見えるらしい」
兄は震えるドナを、いつまでも見つめていた。
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