461 婚姻に向けて (2)

 トーヤが起きてきたのは、昼もかなり回った時間だった。

「はよ~~。くわぁ~」

 大欠伸をしながら階段を下りてきたトーヤは、どこかぼーっとしたような表情で椅子に腰を下ろすと、テーブルに身体を預けて突っ伏した。

「だるそうだな、トーヤ」

「あぁ、まだ疲れが取れねぇ。けど、腹が減って目が覚めた。すまん、なんか食い物を~」

 よろよろと、どこかわざとらしく手を伸ばすトーヤに苦笑しながら、ハルカたちが立ち上がる。

「はいはい。すぐに用意するわ。私たちも、お昼はまだだし」

「悪い、待たせたか」

 トーヤはそう言うと、改めて周りを見回して自分以外が揃っていることを確認、少し気まずそうに頭を掻いた。

「――別に起こしてくれても良かったんだぜ?」

「トーヤは昨日、頑張ってたからね。あたしたちも今日は起きるのが少し遅かったし、自分で起きてくるまでは寝かせてあげようって、話してたんだよ」

「でも、体力自慢のトーヤくんがここまで疲れるとは、そんなに手合わせは大変でしたか?」

 ナツキの問いに、トーヤは伸ばしていた手をパタパタと振って否定する。

「どっちかっつーと、精神的疲れ。恋人の家族への挨拶だぜ? それ以外にも、いろんな情報を詰め込まれたし」

「確かに、昨日は濃い一日だったな。――なぜか、俺の方が大変だった気もするが」

 嫁の父親と会って緊張するトーヤを、ただ眺めてニヤニヤするだけの簡単なお仕事だったはずなのに、むしろ俺の方がマーモント侯爵と長く話していたような?

 更には、その後の手合わせにも参加させられたし。

 おかしい。俺たちはただの付き添いだったはずなのに。

「なんといってもナオ、貴族になっちゃったしね~」

「正確には、まだなってないけどな」

「でも、確定だよね?」

 ユキが確認するようにリアを見れば、彼女は『うむ』と頷く。

「父上がお前たちに話した以上、余程のことがない限り変更はないだろうな」

「そうよね、やっぱり。ちなみにだけど、リアは知らなかったの? ナオとトーヤを貴族にするという話は」

「信じられないかもしれないが、私が知ったのも昨日の朝のこと――お前たちが来る直前だ」

「あれ、そうなの? 相談とかは?」

「別になかったな。私は政治的なことからは距離を置くようにしていたからな。事前に知っていれば、教えてやれたんだが……すまないな」

 ユキが不思議そうに問い返すと、リアはゆるゆると首を振って、軽く頭を下げた。

 しかし、貴族となると結婚も政治の範疇か。

 やっぱ面倒くさいな。

「別にリアが謝ることでもねぇよ。聞いていても結果は変わらず、多少の心構えができた程度だったと思うぜ? なぁ、ナオ」

「いや、どうだろうなぁ? 事前に聞いていれば、上手くトーヤに押し付ける方策を考えることもできたかも、な?」

 俺がニヤリと笑って言うと、トーヤは身体を起こして馴れ馴れしくも肩を組んできた。

「そんなつれないことを言うなよ~。オレとお前は唇歯輔車しんしほしゃ刎頸ふんけいの友だろ?」

「そうだ――と、言ってやりたいが、今回は巻き込まれた感が強いからなぁ」

 折角の機会だからと、顔のすぐ近くやってきたトーヤの耳をもしゃもしゃと弄びつつ、俺が「う~ん」と迷うような声を漏らすと、トーヤは「ぐぬぬ」と唸りつつ、俺の手を振り払うように耳を動かす。

 メアリはそんな俺たちを面白そうに見て、笑みを漏らした。

「ふふっ、仲良いですね。――でもナオさんの方は、トーヤさんとは関係なく、貴族になることが決まっていたようにも思えますよ?」

「そうよね。多少は交渉ができたかもしれないけど、結論は変わらなかったでしょうね。ナオがトーヤとの関わりを断つ気がない限り」

「ハルカ……」

 料理を手に台所から戻ってきたハルカがメアリの言葉に頷き、ナツキとユキもまた、テーブルに料理を並べながら同意するように口を開く。

「そもそもマーモント侯爵は、スライヴィーヤ伯爵の話を推し進めただけのようですし」

「それにナオは、トーヤに全部押し付けて、自分は気ままな冒険者生活を選ぶことって、できないよね? 性格的に」

「……まぁ、否定はしない」

 さすがに首はやれないが、幼馴染みが苦労することを知っていながら、『じゃ、一人で頑張って!』と放り出すのは寝覚めが悪い。

 単純にマーモント侯爵家に婿入りするだけなら祝福して送り出すが、貴族になったときにやらされるのは、ダンジョン周辺の開拓である。

 俺でも十分に手を貸せることだけに、無視することは難しい。

 そんな気持ちで俺が言葉を濁すと、リアがトーヤに優しく微笑みかける。

「トーヤ、良い友を持ったな?」

「だろ? 口では色々言うけど、頼りになるんだよ、ナオは」

 そんなことを言いながら、バシバシと俺の肩を叩くトーヤ。

「くっ。えーい、離れろ、トーヤ」

「はっはっは! 照れるなよ~」

「照れてない! はぁ……」

 ちょっとウザいトーヤを押し返しつつ、俺はため息をつく。

「事、ここに至ってはどうしようもないが、本音を言えば貴族はトーヤに任せて、俺は気楽な相談役ぐらいに収まりたかったんだがなぁ。侯爵家と縁続きになるのは、トーヤなわけだし?」

 俺がトーヤを部下にするより、侯爵家の娘であるリアを娶るトーヤが上に立つほうが血統的に妥当だと、そう思ったのだが、そのリアが俺にやや呆れたような視線が向ける。

「何を言っている。このパーティーの支柱はナオだろう? もちろん、お前たちならトーヤが上に立っても上手くやると思うが、どう考えてもナオの方が向いていると思うぞ?」

「それはオレも同感だな。やりたい、やりたくないは措いて、向いているのはお前だろ」

「そうか? 俺、人前に出るのは得意じゃないんだが……」

「ナオくん、慣れですよ。数を熟せば、気にならなくなります」

「ナツキは……まぁ、慣れてるよな」

 俺たちの中で、社交界的なものに縁があったのはナツキだけ。

 世界が違うとはいえ、その経験は決して小さくないだろう。

「そうですね。それなりには慣れてますね。なので、領主夫人なら名代として手助けもできると思いますよ?」

「む……そのときは頼む」

「はい! 任せてください」

 少し沈黙して応えた俺の言葉に、ナツキは嬉しげに微笑む。

 それを見て、ユキが焦ったように手を挙げた。

「あ、あたしも! あたしもそれなりにコミュニケーション力はあるよ! ナツキみたいに上級階級の相手は無理だけど、領地にはいろんな人がいると思うんだ!」

「そんな必死に売り込まなくても、ユキだけ仲間はずれにするつもりはないぞ?」

「…………それは、確約ということで、よろしいでしょうか?」

 上目遣いで、窺うように問うユキに俺は頷く。

「あぁ、現実的にそれが一番良さそうだしな」

 迷いはあったのだが、俺はユキたちを受け入れると決めた。

 ――もちろん、ハルカと相談した上で。

 どうも二人は、俺にアプローチする前にハルカと話を付けていたようだが、それでも俺からハルカに話し、了解を取るのがケジメというものだろう。

 もっともハルカからは、『私のことを考えてくれるのは嬉しいけど、決断が遅い。優柔不断はダメ』と怒られてしまったのだが。

 更に続けて『ただし、浮気は許さない』と言った彼女の表情はかなりマジだったので、調子に乗ったりすれば俺の命は風前の灯火。

 そこにユキとナツキも加われば、一瞬で消え去ることは確実である。

「やたっ! ユキちゃん、大勝利!!」

「良かったわね、ユキ」

 両手を握って、嬉しそうにぴょんと跳びはねるユキにハルカがそう声を掛けると、ユキはハルカにぎゅっと抱きついた。

「ありがとう、ハルカ!」

「ユキ、私も忘れないでくださいね?」

「うんうん、一緒だね、ナツキ!」

 ユキはハルカから身体を離すと、ナツキとハルカの手を取ってブンブンと振った。

 そんな三人を見て、トーヤがニヤニヤと笑いながら俺の肩をポンと叩く。

「ふっふっふ、ナオ――」

「おっとトーヤ、言葉には気を付けろ? 下手なことを言えば、俺の口の滑りも良くなるぞ?」

 何か言いかけたトーヤを遮り、俺はちらりとリアに視線を流す。

 俺はトーヤの御乱行を忘れてはない。

 その意味をしっかりと理解したトーヤは、「うっ」と言葉を呑み、視線を彷徨わせた末にやや媚びるような表情で、俺の手を強く握る。

「良かったな。大事にしてやれよ?」

「当然だ。トーヤも祝福してくれてありがとう」

「親友だろ? 当たり前じゃないか!」

「そうかそうか。よかった! ――俺も友人の家庭崩壊の引き金は、引きたくないしな?」

 俺がウンウンと頷き、小声でそう付け加えると、トーヤはたらりと汗を流す。

「……もしかしてこれ、一生言われるパターン?」

「ふっふっふ、どうなるかは、お前次第だ」

 先ほどのトーヤを真似て、俺は笑う。

 恨むなら、ハルカの忠告を聞かなかった自分を恨むが良い。

 俺は我慢したのに!

 もっとも結婚前の娼館通いぐらい、こちらの世界の常識に照らし合わせると大した問題ではないのだろうが、トーヤとリアの間に小さな争いの火種を作るぐらいは可能。

 後はその火種を上手く煽って、大火に仕上げれば――って、やらないけどな?

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