460 婚姻に向けて (1)
翌朝、俺が起き出したのは、いつもよりだいぶ遅い時間だった。
窓から外を見れば既に日は高く昇り、青い空が広がっている。
「うぐぐぐ……キツい……」
身体を伸ばせば、ピキピキと走る痛み。
それに耐えながら寝床から這い出して隣のベッドを見れば、そこではトーヤが大口を開けて涎を垂らし、幸せそうに眠っていた。
その表情にむくむくと悪戯心が湧き上がるが、トーヤの昨日の頑張りを思い出し、俺はそれをグッと堪えて部屋を出て一階へと向かう。
「ふあぁぁ~、おはよ~」
俺が欠伸をしながら食堂に入ると、そこには既にトーヤ以外の全員、そして昨日からここで暮らし始めたリアが集まっていた。
マーモント侯爵曰く、『結婚はもう確定したようなもんだし、親睦を深めた方が良いだろ』とのこと。
侯爵家と比べれば、明らかに生活レベルは下がるはずだが、リアも最初から理解していたことで、不満はないらしい。
だが、さすがに部屋はハルカと同室。
俺とハルカ、トーヤとリアという部屋割りにする案もあったのだが、『結婚前にそれは……』というリアの言葉であっさり却下された。
その辺りは、さすがに貴族の令嬢というところか。
「おはよう、ナオ。今日は遅かったのね」
「昨日はちょっと大変だったからなぁ……」
「ナオさん、頑張ってましたもんね」
労うようなメアリの言葉に、俺は苦笑を漏らす。
「正確には、頑張らされたというか……」
俺の訓練にもなるし、多少なら問題ないのだが、トーヤほどではないにしろ、とっかえひっかえ挑んでくる兵士たちの相手は非常に骨が折れた。
以前、ネーナス子爵家の兵士たちとも訓練をしたが、はっきり言ってレベルが違う。
個々の技術が高いことは当然として、獣人だからか体力が凄い。
冒険者である俺たちはそれなりに体力もあるつもりだが、午前中から日が落ちるまで、ひたすら模擬戦を繰り返したのは初めてのこと。
昼食時には多少の休憩を取ったにしろ、その程度で疲れが取れるはずもなく、昨日は早めに寝たのに、起きたのはこの時間である。
だが、それなりに技術のある多くの人と戦えたわけで、対人戦の経験を積むという意味では、なかなか得難い機会であったことは間違いない。
「でも、アイツら絶対、俺の実力を測る意図もあったよな?」
「でしょうね。『お嬢様の仲間になるだけの力はあるのか』ぐらいは思っていたんじゃない?」
「申し訳ない。ウチの者たちが……」
「まぁ、アイツらからすれば、俺たちは得体の知れない冒険者。多少は仕方ないだろ。それに気持ちの良いヤツらだったしな。仲良くもなれたと思うし?」
結構容赦なく叩きのめしても恨み言を口にするでもなく、むしろ嬉しそうに挑んでくる。
そんなヤツらばかりだったので、模擬戦の合間にはアドバイスをしたり、されたり、気兼ねなく言葉を交わせるようになっていた。
「そう言ってくれると、ありがたい。気の良い者たちではあるのだが……」
「ま、思った以上に疲労が残ったのは予想外だったが、今日は特に予定もないし、ゆっくり休めば、問題はないだろ」
「えー、若くないなぁ。一晩寝たら、あたしはバッチリ元気だよ?」
「ユキにだけは言われたくねぇよ!?」
呆れたようにヤレヤレと首を振るユキに、俺は思わず声を荒らげる。
主役のトーヤは当然として、巻き込まれてしまった俺、もう機会はないかもしれないと手合わせを挑まれていたリア、そしてハルカとナツキは治療に奔走していた。
それに対しユキはといえば――。
「ミーティアたちと一緒に、剣の手解きを受けていたものね」
「うん。あたしたちも、とっても厳しい指導を受けて――」
「優しく教えてくれたの!」
ユキの言葉を遮るように、ミーティアがニコニコ笑顔で手を上げた。
「だよな?」
「はい。こう言ってはなんですが、いつもの訓練よりずっと……」
俺が確認するようにメアリを見れば、メアリもまた苦笑を浮かべて頷き、ユキが気まずそうに目を逸らした。
「……ま、まぁ、そんなこともあったかな? でも、メアリたちにも付き添いが必要だったしね?」
「いえ、どちらかといえば、二人と一緒に子供枠だったのでは?」
「なぬ!? そ、そんなことないよね?」
ナツキがニコリと微笑めば、ユキは目を剥いて確認するようにリアを見た。
「うむ。兵士たちはどうしても強面が多いからな。子供たちには特に優しく接するように、厳しく指導しているんだ。父上の方針でな」
「そうなんだ? ……あれ? 子供枠は否定はしていない?」
ユキは小首を傾げ、ハルカは『そういえば』と口を開く。
「マーモント侯爵も、イリアス様に優しかったわね」
「父上は子供好きだからな」
「否定して?」
「父上の外見は、普通なら怖がられるからな。あれで結構気を使っているんだ」
「ねぇ、リア?」
さり気なく目を逸らすリアに縋るようにしてユキが言葉を重ねるが、そんなユキの背中をミーティアがポンと叩く。
「ユキお姉ちゃん、現実を見るの」
「ミーティア?」
「お姉ちゃんとユキお姉ちゃん、もうあんまり差がないの」
「ミ、ミーティア~~。うぅ……」
一番年下のミーティアからの厳しい指摘に、ユキは文句も言えずただ嘆く。
だが俺から言わせれば、ミーティアの言葉はまだ優しい。
最初の頃ならともかく、今の二人が並んで立てば『あんまり差がない』どころか、『ほぼ同じ』である。年齢差を考えれば、そこに拘ったところで――。
「どうせ、すぐに抜かれると思うぞ?」
「酷い!? 確かにその通りだとは思うけど……ナオは、気にしない?」
「俺? 体重ならまだしも、身長は努力でどうなるものでもないし、気にしても仕方ないだろ?」
俺だって少しは、トーヤぐらいの身長が欲しいと思わなくもないが、こればっかりは自然の成り行き。どうにもならない。
鍛えれば、ある程度は身に付けられる筋肉とは違うのだ――その筋肉も、トーヤと俺では全然効率が違う気がするが。さすがは獣人?
「う~ん、そっか。じゃ、あたしもあんまり気にしないことにする。メアリが元気に成長してるのは良いことだし」
ユキがそう言って微笑めば、ハルカたちもどこか感慨深げにメアリに目を向けた。
「私たちがメアリたちと会ってから、もう一年も経ったのよね」
「はい。一年と数ヶ月、メアリちゃんも随分と成長しましたね」
「おかげさまで、いつも美味しい物を食べさせてもらってますから……」
「いつもお腹いっぱいなの!」
メアリが嬉しそうにはにかみ、ミーティアも元気に手を上げる。
思い出してみれば、ウチに来た当初、火事で焼け出されたことを差し引いても、メアリとミーティアには明らかに栄養が足りていなかった。
骨が浮くほどではないにしろ、それに近いほど痩せていて、ユキとメアリの身長差も一〇センチはあっただろう。
だが、俺たちと一緒に暮らすようになって以降、すぐに身体には年相応に柔らかい肉が付き、成長期ということもあってか、身長もぐんぐんと伸びた。
結果、僅か一年あまりでユキと並ぶほどに成長したわけである。
俺の感覚では、年齢を考えればやや背が高いようにも思えるが、そこは世界の違い、種族の違いというものだろうか。
「きっとミーも、もうすぐユキお姉ちゃんを抜くの!」
「え? いやいや、さすがにそれは……ないよね?」
「どう……だろうな?」
ふるふると首を振ったユキが窺うように俺たちを見るが、俺は曖昧に言葉を濁す。
この一年のミーティアの成長は、メアリと比べるとさほどでもなく数センチほど。
だが、小学校では背の低かったヤツが、中学校に入って一気に伸びることもあるので、このままユキの優位が続くかは不明である。
「メアリを見ると、伸びそうな気はするわよね」
ハルカがメアリとミーティアを見比べてそう言うと、ユキも同じ結論に達したのか、呻き声を漏らして肩を落とす。
「うぅ~、ミーティアたちが元気に成長しているのは喜ばしいけど……」
「栄養状態に問題がなければ、後は個人差というもの。気にするだけ無駄じゃないですか?」
「気にはしないけど、それでも年齢半分のミーティアに抜かれるのは……せめてあと数年は勝っていたい!」
「大丈夫なの! ミーがユキお姉ちゃんよりおっきくなっても、ユキお姉ちゃんを尊敬していることには変わりないの!!」
「ミーティア! なんて良い子!!」
にぱっと笑ってミーティアがそう宣言、ユキが顔を輝かせると、メアリも少し慌てたように声を上げる。
「あ、あの! 私もユキさんたちを尊敬していますし、感謝しています!」
「メアリも! ぎゅ~」
両手を広げたユキが二人を纏めて抱きしめると、二人はどこか照れくさそうに、でも機嫌良さそうに尻尾を揺らした。
「い、いえ、そんな……本心ですし……」
「むぎゅ。ちょっと苦しいの」
「おっと、ゴメン。うんうん、そうだよね! 身長差なんて、小さいことだよね!」
「そうね、ユキの身長のように」
「そこまで小さくは――あれ? これって小さいと言うべき? 大きいと言うべき?」
混ぜっ返すように差し挟まれたハルカの言葉に、ユキが反論しようとして首を捻る。
問題としては小さいが、肯定すると自分の身長が小さいと認めることになり、大きいと主張すると身長差を気にしていることになる。
「比喩に身長を出された時点で詰んでるな」
ユキとしては、肯定も否定もできないのだから。
「ムムッ、言葉のパラドックス。さすがはハルカ、なんて狡猾な……はっ!? つまり、気にしないのが正解というメッセージ?」
「いえ、そこまでは考えてなかったけど……さて」
ハルカは苦笑して立ち上がると、俺の方へ顔を向けた。
「ナオ、もうお昼は近いけど、軽く何か作りましょうか?」
「そうだな……いや、そのうちトーヤも起きてくるだろうし、もう少し我慢しよう。二度手間だろ?」
「それは気にしなくて良いけど……なら、みんなでお茶にしましょうか」
「手伝います」
「ミーも!」
メアリがすぐに立ち上がり、ミーティアもまたハルカの後を追う。
「ミーはクッキーが食べたいの!」
「はいはい。でも、少しだけね。もうすぐお昼なんだから」
「はーい」
台所から聞こえてくる和やかな会話に、ミーティアたちと共に過ごした時間を感じながら、俺はまた少し痛む身体をグッと伸ばした。
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