437 婚活 (1)
その日、俺を待ち受けていたのは、あまりにも見事な土下座を決めたトーヤであった。
そのあまりにも迷いない姿勢に、俺は絶句し、その場に立ち尽くした。
シャリアたちとの仕事を終え、ハルカたちが見つけていた家に移り住んだのがしばらく前。
以降はボチボチと簡単な仕事をしたり、メアリたちとヴァルム・グレの町で遊んだりと、のんびりとした日々を過ごしていたのだが、トーヤはその間、一日も休まず道場通い。
絶対下心あるだろ、とは思ったものの、軽く聞いても口を濁すだけだったので、敢えて追及もせずにいたのだが……結果がこの状況。
俺の隣には、一緒に帰ってきたメアリとミーティアがいるんだが……。
「……トーヤお兄ちゃん、何してるの?」
「しっ。ミー、見ちゃだめ。あれはきっと……そう、人生を懸けた男の背中……かも?」
絶対そんなものじゃないと思う。
十中八九、くだらないこと。
ありそうなところでは、金がなくなった、とかか?
コイツ、仕事してねーし。
青楼に行って素寒貧になったとか言ったら、ぶん殴ってやる。
俺はそう決意を固め、トーヤの後頭部に言葉を投げ落とす。
「……トーヤ、それは誰に対する土下座だ?」
「もちろんナオ、お前だ!」
メアリやミーティアじゃなくて良かったと言うべきだろうか?
だが、もう少し状況を考える頭を持って欲しかった。
その軽そうな頭を蹴っ飛ばしてやりたいところだが、メアリとミーティアにこれ以上教育に悪いものを見せるわけにはいかない。
「……取りあえず頭を上げろ、トーヤ」
「いや! ナオがうんと言うまで、オレは頭を上げない! 鋼の意志で!」
「何も聞かずに頷けるか! 阿呆!! その鋼、『
「たとえ溶かされようとも、オレはお前に縋り付くぞ! さながら、靴の裏に張り付いたガムの如く!!」
「メッチャしつけぇ!!」
下手すれば、数日鬱になるレベルで!
「オレはそれぐらい本気なんだ! 一生のお願い! マジで!!」
「お前の一生は何度ある!?」
以前も聞いた覚えがあるぞ、その言葉!
「それ、数年前にリセットされたから!」
確かにな! 一回死んだもんな、俺たち!
――って、そういう問題じゃねぇし。
「あの、ナオさん、お話を聞いてみては? トーヤさんがこれだけ真剣なんですから……」
深くため息をつく俺に対し、取り成すようにメアリが言葉を挟み、ミーティアもうんと頷く。
「そうなの。きっと重大な、とんでもなく大切な、すっごく重要なお願いだと思うの。それこそ、トーヤお兄ちゃんが投げ捨てたプライドが塵芥に見えるぐらいの!」
……フォローする
ちょっとやそっとじゃ飛び越せないぞ、これ。
見下ろすトーヤの背中も、微妙に震えてるし。
そんなトーヤが哀れに思え、俺は再度ため息をついて口を開いた。
「はぁ……話は聞いてやる。顔を上げて話せ。できないならここまでだ」
「助かる!」
これでマジに借金の申し込みとかだったら、たとえメアリが止めても容赦しねぇ。
そんな気迫を込めて見下ろす俺に、しかしトーヤは顔に喜色を浮かべて素早く身体を起こすと、床の上に正座したまま斯く斯く
◇ ◇ ◇
翌日、俺が案内されたのは、最近トーヤが通っている道場だった。
そこで待っていたのは、艶やかな黒い尻尾と耳が特徴的な獣人。
その容姿は控えめに言っても美少女であり、メアリとミーティアでは、一部の身体的特徴の問題で、どう頑張ってもあと数年は太刀打ちが難しい。
そんな人物が笑顔でトーヤを出迎えるのを見て、俺は色々と得心がいって深く頷く。
「――なるほどな」
「な、なんだよ……?」
「いや、トーヤの努力の理由が解っただけだ」
これなら俺に対して土下座をすることぐらい、なんでもないだろう。
「こほん。リア、コイツがオレの親友のナオだ」
そんなに『親友』を強調せずとも、俺は昨夜のトーヤの頑張りを、彼女に話したりするつもりはないぞ?
俺にも情けはあるからな。
「ナオだ。よろしく」
「こちらこそよろしく。アルトリアだ。リアと呼んでくれ」
差し出された手を握り返しつつ、俺は思わずまじまじとリアの顔を見る。
……うん、トーヤの好みにマッチしてるなぁ。
トーヤがこちらの世界で獣人になることを選んだ理由を考えれば、俺やヤスエに触発されて、トーヤがこんな行動に出たことも理解できるが……。
「まさか、いきなり嫁取りに協力しろ、とはなぁ」
「ナ、ナオ、嫁取りなどと……」
控えめに否定するリアだったが、その頬は少し緩んでいて、満更でもなさそうである。
クソッ、リア充、爆発しろ!
――と、言いたいところだが、賢明な俺は口を噤む。
そんなことを言ったら、俺の方が先に爆死しかねないので。
「トーヤ、そんなことを言ったのか?」
「いや、オレは奥義の修得に協力してくれって……言ったよな?」
途中で自信がなくなったのか、確認するように尋ねるトーヤに、俺は一応頷きつつ、現実も教えてやる。
「そんな内容も含まれていた気もするな。大半はリアの惚気話で右から左だったが。けど、要約すれば『リアと結婚したい』だったな、間違いなく」
メアリとミーティアは途中で離脱できたが、トーヤの『お願い』の対象だった俺は、否が応でも最後まで聞かされる羽目になったのだ。
そんなものを真面目に覚えているはずもなく、俺の頭の中に記録されているのは、ダイジェスト版である。
それをチラリと披瀝してみれば、リアは顔を真っ赤に染めてトーヤを睨むが、そこに嫌悪感はなく、ただ可愛いだけである。
凜々しさの中にある初々しさが素晴らしい。
――やっぱ爆発しろ。
しかし睨まれたトーヤの方は冷静さを欠いているのか、焦ったように俺の肩を揺さぶった。
「そ、そんなことはない、はずだっ! ナオ、しっかり思い出せ!」
「えっと……リアと結婚するためには、俺の協力が必要。障害となっているのは父親なので、奥義を覚えて打倒する、だったか? ――つまり俺は、魔法で援護すれば良いのか? 正直、犯罪者でもない相手を斃すのは遠慮したいんだが」
「惜しいっ! 概ね正しいが、微妙に違う! 斃す必要はねぇから!!」
惚気の多さに、ダイジェスト機能に不具合が出たか。
「おかしいな? 魔法で攻撃してくれ的なことを言われた覚えがあるんだが……」
「トーヤ、ナオがお前の言っていた秘策であることは理解したが、協力を頼むなら、きちんと説明して連れてくるべきではないか?」
「した! ちゃんとした!! ……ちょっとばかし、主客転倒していたかもしれねぇけど」
「いや、それはダメだろう……」
ため息をつくリアから改めて説明されたのは、奥義を修得するための訓練に魔法使いの存在が必要だということ。
それを道場で用意するのは難しいので、俺に協力して欲しいという単純な内容だった。
「……なんだ、その程度か」
理解すれば簡単な話。
一分で終わる話を一時間ぐらいは聞かされた俺は何だったのか。
それぐらいのお願いなら、他ならぬトーヤの頼み、土下座なんかしなくても聞いてやったんだが。
警戒した俺がバカみたいである。
土下座で出迎えたトーヤの行動が、完全に裏目っている。
――いや、あれだけの惚気を聞かされたことを思えば、土下座ぐらいしてもらっても構わないか。
「オレからしたらマジなお願いだからな。本気で一生ものの」
「確かに人生に影響しそうなお願いではあるな――上手くいけばだが」
「いかせるんだよ! そのために協力してくれ! ナオなら攻撃魔法も治癒魔法も使えるだろ? 訓練相手には最適だ」
「攻撃魔法はまだしも、俺に治癒魔法を期待されても困るんだが……」
今の俺に治せるのは、簡単な切り傷や打ち身程度。
骨折はもちろん、捻挫などにはまったく対応できないレベルでしかない。
短期間で奥義の修得を目指すなら、訓練は必然厳しい物になることは簡単に想像できる。
「どう考えても、ハルカの方が適任だろ、これ」
至極当たり前のことを口にした俺に対して、トーヤは平然とした表情で肩をすくめた。
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