431 サルスハート流 (5)
「働いているに決まっているだろう。私は師範代だから、この道場から小遣い程度は貰っているが、生活していけるほどじゃないからな」
「……おぉ、それもそうか」
至極当たり前のことに気付かされ、トーヤはポンと手を叩く。
ガッドのような特殊な事例を除けば、朝から晩まで道場に入り浸っているトーヤが異常なのであって、普通の大人であれば生活費を稼ぐために働くのは当然である。
「正直、実家暮らしじゃなければここまで剣術には打ち込めていないな。むしろ私はお前が心配なのだが? この町の出身じゃない以上、生活費もそれなりに掛かるだろう? 働かなくて良いのか?」
「いや、今はたまたま休養期間なだけだぜ? 普段のオレは、めっちゃ働き者だぜ? 稼ぎも悪くないからな?」
「それにしても、一切働きに行っていないというのは……」
慌てたように言いつのるトーヤにアルトリアは疑わしげな視線を向けたが、小さく首を振ってため息をついた。
「まぁ、トーヤが働き者だろうと、怠け者だろうと、そして稼ぎがいくらだろうと、私には関係ないのだが」
「いや、そこは気にして欲しいんだが……」
伴侶としては興味ないと言うに等しいアルトリアの言葉に、トーヤは複雑そうな表情になったが、すぐに気を取り直したように表情を笑みに変え、言葉を続けた。
「しかし、つーことは、皆伝を認められれば、食事に行くのは問題ないってことか?」
それを聞いたアルトリアは、キョトンとした表情で目を丸くしたが、すぐに破顔し、笑い声を上げた。
「はははっ、そうだな。もしも私とトーヤ、共に皆伝に至れるようなことがあれば、食事ぐらいはいくらでも付き合ってやろう」
トーヤの本業が冒険者で、この町に長く滞在しないだろうことを知っているアルトリアとしては、軽い気持ちでそう応えたのだが、当然ながらトーヤは本気であった。
言質を取ったとばかりに、満面の笑みを浮かべる。
「よっしゃ! 約束だぜ?」
「あ、あぁ、それは構わないが……本気か?」
「もちろんだ! 困難には挑んでこそだろ? ――それで、あ~っと」
戸惑い聞き返すアルトリアに、胸を張って宣言したトーヤだったが、すぐにばつが悪そうに言葉を濁し、アルトリアの顔を窺う。
「ん? なんだ?」
「……皆伝の基準って何だ?」
「それも知らずに言っていたのか!」
呆れと驚きを混ぜた複雑な表情で声を上げるアルトリアに、トーヤは堂々と宣言する。
「基準が何であれ、目的は変わらないからな!」
「迷いないな!? そう言い切れるのは凄いと思うが……」
少し感心したようなアルトリアだが、トーヤの目的はもちろん、皆伝になることではなく、アルトリアと二人で食事に行くことである。
そして、あわよくばその次を狙っているのも当然である。
「皆伝は、初伝、中伝、奥伝のすべてを得た段階で認められる。トーヤも中伝までは問題ないだろうから、問題となるのは奥伝だろう」
「あぁ。アルトリアのお墨付きだからな!」
「それは今は良い」
グッと親指を立てるトーヤの手を、アルトリアは少し恥ずかしそうにペシンと叩き落とし、言葉を続ける。
「ついでに言っておくが、師範が認めて初めて中伝だからな? 気を抜きすぎるなよ?」
「解っているさ。オレは鍛錬と女性に対しては誠実なんだ。知っているだろ?」
「後者については知らないが、鍛錬に関してはそのようだな」
「後者についても認めて欲しいんだがなぁ……」
「お前のパーティーメンバーに訊いてみても良いか?」
予想外の返しに、トーヤの頭の中をこちらに来てからの行動が
「…………も、もちろんだとも!」
「答えるまでに間があった気がしたが?」
アルトリアのジト目を受け、トーヤは焦った様子を見せないようにゆっくりと首を振る。
「いや、何も問題はないぞ。不誠実なことは一切していないからな」
娼館には通っているが、それ自体は開けっ広げにするようなことではないにしても、冒険者であれば普通のこと、非難されるようなものでもない。
借金をするほど入れあげているなら別だが、今のところトーヤは稼ぎの範囲内。
むしろこちらの常識では、一度も利用していないナオの方が異常なぐらいである。
「ふむ。会う機会があれば、尋ねても?」
「存分に」
悪戯っぽく笑うアルトリアに、トーヤは目を瞑って鷹揚に頷くが、内心『ナオたちに口止め』、『賄賂は何を用意すべき?』という言葉がグルグルしていた。
普通であることと、それに対して嫌悪感を持たないことは別。
一般的には『ふ~ん』で済まされることでも、それを嫌うような潔癖な人もいる。
アルトリアがそのどちらか。
それを判断できるほど、トーヤは未だアルトリアを理解しておらず、目的のために安全策を模索するのは当然のことだった。
そんなトーヤの内心を理解してか、どうか。
アルトリアは笑みを深めて言葉を続けた。
「ふふ。楽しみにしておこう。――さて、話を戻して奥伝だが、認められるためには四つの奥義を修める必要がある」
「奥義! それっぽいな!!」
トーヤは忘れかけていた中二心をくすぐられ、身を乗り出すが、そんなトーヤをアルトリアは不思議そうに見返す。
「それは、奥伝だからな。当然だろう?」
「……そういえば、そうなのか」
奥義を伝授されるから、奥伝。
当たり前と言えば当たり前なのだが、それで奥義の格好良さが薄れるわけではない。
目の輝きを失わないトーヤに、アルトリアは苦笑する。
「言っておくが、奥義と言ってもとんでもなく強い技ってわけじゃないぞ? それに奥義の伝授も、サルスハート流では懇切丁寧に教えてもらえるわけじゃない」
「見て盗め、的な?」
「それに近いな。要点――と言うほどではないな。どういう技かを伝えられ、師範が実演したのを見て、それをどう読み解き、身に付けるか。そこの部分こそがサルスハート流の奥義とも言える」
奥義自体も重要だが、丁寧な指導を受けずとも自らを高めていけるか。
そこを見ることが試験の目的であり、皆伝を認めるかどうかの分岐点でもある。
「サルスハート流は皆伝を得て終わりではない。そこからさらに技を発展させ、より高みを目指すことにこそ本質があるのだからな」
「ってことは、サルスハート流を修めたと最低限認められるラインみたいなものなのか……? それで具体的な奥義の内容は?」
「うむ。一つ目は“剛身”。木剣程度なら、殴られても傷を負わなくなる技だな」
「ほぅ……(それはもしかすると、【鉄壁】スキルか?)」
「二つ目は“破岩”。普通の木剣で以て、岩を砕く技だな」
「(魔力剣みたいなものか? 木剣で実現できるのかは不明だが)」
「三つ目は“瞬動”。トーヤと最初に模擬戦をした時、お前が見せてくれた動きがそれに近い」
「あれか。瞬動と言うほど速くない気もするけどなぁ……」
あれは【韋駄天】スキルを身に付けたことでできるようになった技であり、当然ながらナオなども同じことができる。
速いことは速いのだが、トーヤもナオも互いに対応できているので、奥義になるほど凄い技かと言われると、首を捻ってしまう。
「私はそれに、まったく対処できなかったんだが?」
「いや! リアを貶めるつもりはねぇんだが」
むっと口を曲げたリアにチラリと睨まれ、トーヤは慌てて弁明するが、リアはすぐに破顔して首を振った。
「ふふっ、解っている。ただの愚痴だ。そして最後の四つ目は、“斬魔”。魔法を切り払う技だ」
「魔法を? それは難しそうだなぁ」
普段使っている剣なら可能だが、木剣でそれをやるとなると……と、顎に手を当てて考え込むトーヤと、同意するようにうんうんと頷くアルトリア。
もっとも、アルトリアは木剣とは限定していないのであるが。
「あぁ、どのようにやるのか見当も――ん? それは? トーヤ、もしかして他の三つはなんとかなりそうなのか?」
「あ、いや、それはなんとも言えねぇけど」
実戦で咄嗟に使えるかはともかく、自分が予測したとおりであれば、多少修行すればなんとかなりそうかと思うトーヤであったが、奥義の内容はアルトリアから言葉で説明されただけである。
実際の技は違うかもしれないと言葉を濁す。
「それより、リアはどうなんだ? 昨日今日、中伝になったわけじゃないよな?」
「そうなんだが……難しい。破岩と瞬動は一人でも修行ができるのだが、剛身は学ぼうにも、私を遠慮なく木剣で叩いてくれる相手は少ないし、怪我をする危険性も高い。斬魔に至っては、そもそも魔法を使える者がほとんどいないのだ」
「訓練環境自体がない、ってことか」
「そういうことだ。まれに治癒魔法や攻撃魔法を使える者を雇って訓練しているが、金が掛かるからな」
「そうか。んー……一度、実際の技を見てみてぇな」
トーヤが想像するとおりであれば、パーティーメンバーを連れてくれば、破岩以外は実演することも可能だが、仮に全然別の
誰か使える人は? とトーヤが視線を向けると、アルトリアはうむと頷く。
「それなら問題ない。先ほど言った通り、中伝を認められれば師範が披露してくれる」
「そうなのか?」
「あぁ。もっとも見せてもらえるのは一度だけ。それを目に焼き付け、自身の中で消化し、会得しなければならない」
「厳しいなっ!?」
トーヤは想像以上の難易度に目を剥く。
「たった一度、見ただけで会得しろとか、いくらなんでも無茶すぎるだろ!」
「ははは、そうだな。まぁ、中伝の試験は見学を許されているから、実際には何度か見ることができるのだが……中伝になれる人数が少ないからなぁ」
幼少から道場に通っているアルトリアでも、奥義をその目で見たのは両手で数えるほどである。
しかも修行を始めた頃に見たものに関しては、ただただ理解不能なだけであり、ある程度の術理を解するようになったのは、中伝間近になった頃。
参考にできる経験は片手にも満たないのだ。
「指導はねぇのか? 師範って指導者だろ?」
「少しのアドバイス程度だな。実現できるなら手法は問わない、それが流派を発展させるってことらしい。ただし、他者の力を借りたり、特別なアイテムを使ったりするのはダメだぞ?」
「それはそうだろうな」
トーヤたちの持つインパクト・ハンマーなど、強力な魔道具も存在しているため、金さえあれば木剣で岩を砕くことぐらいなんでもないし、魔法で威力を上げることだってできる。
だがそれが自身の力かと言えば、ちょっと違うだろう。
実戦であれば、それらを揃える力もまた実力と言えるだろうが、いくら実戦主義の流派であっても、免状を与える基準に『金の力』を入れてしまうと、おかしなことになってしまう。
「それで……トーヤは、実際に奥義を見れば習得できそうなのか?」
「まだ判らねぇ。だが、可能性はある、と思っている」
「そうか! 正直、奥義へと至る道筋が見えずに困っていたんだ。なにかきっかけが得られるだけでも助かる!」
アルトリアが中伝を認められて早数年。
その間、かなりの時間を鍛錬に当ててきたアルトリアだったが、未だ奥義の一つも習得するに至ってはいなかった。
それでも年齢からすれば十分に高いレベルにあるため、師範からは焦ることはないと言われているのだが、それでも若い彼女にとって数年は長い。
かといって門下生と共に特訓しようにも、大半の者はアルトリアよりも弱く、彼女が指導する形になってしまうし、数少ない中伝の者も彼女よりも年上で、がむしゃらに剣術に励むと言うよりも、趣味的に続けている者が大半。対等な関係で競い、高めあえる相手はいなかったのだ。
そんな中で現れたトーヤはアルトリアに年齢も近く、それでいて彼女以上の腕前。ある意味、鍛錬の相手としては理想的であった。
「一応確認しておくが、一人で奥義を習得しなければならないってわけじゃねぇよな?」
「共に切磋琢磨することはまったく問題ない。一緒に頑張ろう!」
「あぁ!」
互いに拳をコツンとぶつけ合い、二人はともに相好を崩す。
アルトリアは奥義修得の糸口が掴めそうなことに、トーヤは順調に距離が縮まっていることに。
通じ合っているようで微妙にすれ違っている二人である。
「とはいえ、それもすべてお前が中伝の試験に合格すればこそ。近いうちに時間を取ってもらえるよう、師範にお願いしておく。いつ試験があっても問題ないよう、トーヤも心構えをしておくのだぞ?」
表情を改め、指をピンと立てて念を押すように言ったアルトリアに、トーヤは崩れた表情のまま頷いたのだった。
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