403 花を得る (2)

「くっ!! あたしに構わず、先に行け!」

「いや、そんな場面じゃないから! というか、トーヤならともかく、ユキ一人だけは危険だから!」

 そこまで凶悪な魔物は存在せずとも、もうしばらくすれば日も落ちる。

 こんな場所でユキが一人で野営をするなど、どう考えても危険すぎる。

 当たり前だが、ユキを残して行くことなど、できるはずもなかった。

「大丈夫なの。吊り橋、そんなに簡単に壊れたりはしないの」

 ぴょん、ぴょん。

 腰が引けているユキに吊り橋の丈夫さを示すように、ミーティアが吊り橋の上でジャンプ。

 ユッサユッサと揺れる吊り橋。

「ちょ、ちょーーーーっ! ミーティア、ヤメテ!」

「全然問題ないの。ほら」

 メキ。

「――ぁ」

 大きな音ではないが、確かに聞こえた破壊的な音にミーティアの動きが止まる。

 そしてその音は、ユキの耳にも届いたわけで。

「全然、大丈夫じゃないぃぃーー!!」

「ミー……」

「失敗、失敗、なの」

 叫ぶユキと、困ったような表情のメアリと、てへりと舌を出すミーティア。

 カオスである。

「はぁ。ユキ、あなた、以前蔦で作られた吊り橋を渡ったとか言ってなかった?」

「一緒にするな!! あんなの、単なる飾り! 実体は金属製の丈夫な橋なの!」

 呆れたようなハルカの言葉に、ユキは猛然と抗議する。

 当然と言えば当然だが、観光地にあるような不特定多数が渡る吊り橋なんて、安全性と耐久性を考えれば自然の蔦などで作れるはずもない。

 当然、以前ユキが渡った吊り橋も本体は金属製のワイヤーで作られていて、その上に自然の蔦で化粧を施しただけの物。

 多人数が乗っても大丈夫だし、大して揺れもしない。

「それにしても怯えすぎに見えるけど……。何かやった?」

「………」

 訝しげに見るハルカから、さっと視線を逸らすユキ。

 そのことが既に何かあると物語っている。

「白状しちゃいなさい。ほらほら。メアリとミーティアも気になるって」

「気になるの!」

「え、いえ、私は……」

「ほら、気になるって」

 メアリの言葉をさらりと聞き流し、ハルカが促せば、この状況ではユキも説明しないわけにもいかないと思ったのか、躊躇いがちに口を開いた。

「うぅ、そう? いやね、ハルカに話した場所じゃないけど、吊り橋の板を踏み抜いちゃったことがあってね?」

「落ちたの?」

「落ちてない、落ちてないよ? 胸までしか」

 それはほとんど落ちている。

 落下していないだけで。

 ユキがもう少しスレンダーだったら危険だった。

「なかなかに……スリリングな体験でした」

 ちなみにその時、ユキはスカートを穿いていたものだから、かなりの大惨事だったのだが、幸いなことにそれを知るのはナツキただ一人である。

 そしてトラウマになった大きな要因も、そちらの方にあったりする。

「そんな経験があったら、不安になるのは解るけど……この吊り橋はそんなに高くないでしょ? ダンジョンの崖からダイブしたナオを見習いなさい」

「うっ……」

 底すら見えない渓谷に、ナツキを助けるために飛び込んだナオを引き合いに出され、ユキが言葉に詰まる。

「確かにあれと比べればずっと低いけど。ナオ、よく跳べたよね」

「魔法があったからだとは思うけど……一瞬も躊躇わなかったわよね」

「おやおや? ハルカ、ナツキに嫉妬ですか?」

 僅かに下がったハルカの口元に、ユキがにんまりと笑みを浮かべる。

 だがこの場面でそれは悪手であった。

「……ユキ、調子は戻ったみたいね」


 ドンッ!


 躊躇なく突き出されたハルカの手。

 それがユキの背中を押し出し、彼女の身体が泳ぐ。

 ワタワタと振り回された手が吊り橋の欄干を掴み、ギシリと吊り橋が揺れた。

「あばっ! あばっ! あばない!」

「口が回ってないわよ」

 しがみついて震えるユキに、冷たい視線を向けるハルカ。

「お、落ちたらどーすりゅの!?」

「落ちないわよ、この吊り橋の隙間じゃ。……踏み板が割れたら判らないけど」

「それが怖いの!」

 実際、ミーティアがジャンプしたことで割れるような音がしていたし、ユキは踏み抜いた経験もあるわけで、恐怖に駆られるのもある意味仕方ない。

 もっとも、今のユキたちの身体能力からすれば、吊り橋が切れて落ちるならともかく、踏み板が割れた程度なら十分に対処可能なのだが。

「ユキお姉ちゃん、怖いならミーが手を繋いであげるの。一緒に渡ろう?」

 自分を見上げて手を差し出したミーティアにユキはたじろぎ、ハルカは面白そうな表情になる。

「どうするの? 手を繋いでもらう? ミーティアに」

「い、いや、一人で渡る。逆に危ないし」

「賢明ね」

 吊り橋の幅は二人が並んで歩くにはやや狭く、重量面を考えてもデメリットしかない。

 はっきり言って、一人ずつ素早く渡ってしまうのが一番安全である。

「でも、その代わり、ハルカ、最初に渡って。ハルカの体重が一番重いから」

「……ユキじゃなければ、本気で突き落としていたところね」

 ピクリと眉を撥ね上げ、拳を握るハルカからユキは慌てて距離を取り、言葉を付け足した。

「良い意味で」

「どう聞いたら!? まったく。たぶん私、ユキより軽いわよ? エルフだから。それに装備の重量も合わせて考えたら、大して意味がないけど」

 ちなみに、最も総重量が軽いのがミーティアであることは当然だが、残り三人に関してはほとんど差がなかったりする。

 ユキとハルカ、身長の面では明らかにハルカの方が高いが、胸部装甲の微妙な違いもあり、二人の内どちらの体重が重いかは議論の余地がある。

 メアリの今の身長はユキと同じぐらいだが、使っている武器は重量級だし、今はオッブニアの入った桶も持っているわけで、トータルではおそらく一番重いだろう。

 そのことはユキも理解していたのだが、年齢を考えれば、さすがにメアリに先に渡ってくれとは言えるわけもない。

 もっとも現時点でも十分に情けないのだが。

「まぁ良いわ。渡るから、ユキもすぐに来なさいよ?」

「もちろんだよ!」

 と言いつつも、目が泳いでるユキを見てハルカはため息一つ。

 メアリの方に視線を向けた。

「メアリ、もしユキが躊躇うようなら、容赦なく背中を押してあげて。物理的に。時間がないんだから」

「え、ちょっと――」

「はい、解りました」

「メアリまで!?」

「ユキさん。あまりゆっくりしていては暗くなります。早く渡りましょう?」

「うぅ、正論……」

 ハルカには反駁できても、年下に言われるとそれも難しいようで、ユキは言葉少なに肩を落とした。

「それじゃ私は行くから。ユキ、しっかりね?」

 そう言うなり、躊躇なく吊り橋に足を踏み出したハルカは、ストトトと足早に橋を渡り、僅かな時間で向こう岸まで到達してしまった。

 それなりに橋は揺れたが、ディンドルの木ですら容易に登れる平衡感覚は健在で、その足取りにはまったく危なげがなかった。

 そうしてユキたちの方を振り返り、大きく手を振る。

「うぅ……」

「押しましょうか?」

「いい! 大丈夫! ……よしっ!」

 背後からかけられた声を即座に拒否し、ユキは決死の表情で頷いたのだが、決心した後は早かった。

 元々精神的な問題で、身体能力的にはまったく問題がないのだ。

 ユキはハルカに勝るとも劣らない速度で、しかもハルカよりも橋の揺れも少なく渡りきり、大きく息を吐く。

 そしてそのすぐ後にメアリとミーティアが続き、四人とも無事に吊り橋を渡り終わった。

「な、なんとか渡れたね!」

「なんとかというか、ユキのおかげで時間を食っただけだけど」

「そうなんだけど! うぅ、何も言えない」

「まぁまぁ、ハルカさん。あのまますぐに渡っても、走り続けるのは厳しかったですから、良い休息になったと思えば」

「……そうね。どうせここで野営しないといけないだろうし」

「気持ちは急くけど、安全を考えたら、そうなるよね」

 まだなんとか陽はあるが、あと幾ばくもしないうちに周囲は暗くなるだろう。

 普段から通っている街道ならまだしも、今ハルカたちがいる場所は街道とはとても言えない、吊り橋の大きさに見合った小さな道。

 初めて通るそんな道を暗い中で爆走すれば、ほぼ確実に事故る。

 単に転けるだけならまだしも、桶に入れてあるオッブニアをぶちまけてしまってはすべてが台無しだ。

「急がば回れ、なの。ナツキお姉ちゃんが言ってたの」

「至言ね。この近辺で、どこか野営できそうな場所は――っ! 誰!?」

 探るように周囲を見回していたハルカが、誰何の声を上げた。

 それと同時に、ガサゴソと周囲の木々を掻き分ける音がして――。

「よう! 待ってたぜ!」

「お帰り、ハルカ。ユキたちも」

 そう声を掛けながらハルカたちの元に現れたのは、トーヤとナオの二人だった。

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