402 花を得る (1)

 オッブニアが咲いている場所は岸辺から五メートルほど、深さは三メートルほどだろうか。

 そこまで辿り着いたハルカは、ディオラから聞いていたアドバイス通り、周囲の土ごとオッブニアを数株掘り起こすと、それを桶の底に入れ、そっと蓋を閉めた。

 薬に必要なのは花の部分なのだが、薬効を最大限生かすにはこれが良い、らしい。

 注意事項を教えてくれたディオラによると。

 ハルカたちにその真偽は判断できなかったが、薬を使うことになるのは新生児。

 できることはすべてやるつもりである。

 ハルカはすぐに水底を蹴って水面から顔を出すと、桶をユキへと差し出した。

「ふはっ! ユキ、鑑定してみて」

「オッケー! ……うん、間違いない。オッブニアだよ!」

 じっと桶の中を見つめ、すぐに輝くような笑みを浮かべてユキを見て、メアリたちもまた笑顔になる。

「やりましたね! これなら、明日には届けられそうです」

「えぇ、なんとか間に合う、わよね?」

「きっと大丈夫なの! あっちにはナツキお姉ちゃんがいるの!」

 グッと手を握って力強く言ったミーティアの言葉に、ハルカたちも頷く。

「そうよね。ナツキならきっと……よし。それじゃ早く戻りましょう」

 手早く服を着直したハルカが荷物を背負い、桶の蓋をしっかりと密閉して持ち上げた。

「あ、ハルカさん。私が運びます」

「えっと……そうね、お願いできる?」

 メアリの申し出に少し躊躇ったハルカだったが、実際のところ、今いるメンバーの中で一番体力があるのはメアリである。

 少なくともエルフであるハルカが持つよりも妥当であることは間違いなく、素直に桶を差し出した。

「はい! 任せてください!」

 メアリは真剣な表情ではっきりと返事をすると、桶を両手でしっかりと受け取った。

「それじゃ、急いでサールスタットに戻りましょ!」


    ◇    ◇    ◇


「運休中なの!? 雨は降ってないのに!」

「川を見りゃ判るだろうが、船が出せるような状況じゃねぇよ。少なくとも数日は止まったままだな」

 森から出るなり、街道を西へとひた走ったハルカたちであったが、サールスタットで知らされたのは、絶望的な情報であった。

 ユキが言ったように、今は雨も上がって半日ほどは経ち、青空も広がっているのだが、すぐに元に戻るほどノーリア川はおとなしい川ではない。

 サールスタットから北に続く川は、周囲の山々からの雨水が集まる川であり、一度大きな雨が降れば数日間は増水が続く。

 しかもそれはサールスタット周辺だけのことではなく、離れた場所で雨が降った場合も同様であり、サールスタットでは晴れが続いていたのに渡しは運休、なんてことも時にはあるのだ。

「今回は北で荒れたみたいでな。見てみな。流木も流れているだろう? こんな状態で船を出して万が一転覆でもしてみろ。乗客は助からねぇよ」

「むむむっ……」

 渡し場の船頭が言う通り、ノーリア川の流れはかなり激しい濁流となっていた。

 一見すればさほど速く流れているようには見えない流木も、その質量は決して侮れるものではなく、船にぶつかってしまえば転覆させるだけの威力は十分に秘めている。

 当然、川に落ちたりすれば救助に向かう暇もなく、濁流に呑み込まれてしまうことは確実だ。

「な、何か方法は……あ、そうだ! ハルカ、『水面歩行ウォーク・オン・ウォーター』の魔法があったよね!? あれで渡ろう!」

「それは無理ね」

 ナイスアイディアと表情を輝かせたユキの言葉を、ハルカが言下に否定する。

「なんで!?」

「ユキは、あんなにうねっている地面を転けずに歩ききる自信、ある? 時々丸太なんかも襲ってくるわけだけど。ちなみに転けたら死亡ね。スケキヨになって」

 当然だが、ハルカも『水面歩行ウォーク・オン・ウォーター』のデメリットは知っているし、ナオの失敗も知っている。

 というか、ナオを助けたのがハルカなので、知らないはずもない。

 風呂場ですら失敗した魔法を――正確に言うなら、魔法は成功したが歩くことに失敗した魔法を、こんな危険な川で試すようなこと、慎重なハルカがするわけがない。

「ならどうするの!」

「落ち着きなさい! それを今考えてるんだから! 『空中歩行ウォーク・オン・エア』は……ダメね、私一人だけ渡っても……」

「私がその魔法を試してみても――」

「ダメよ! 危険すぎるわ」

 焦りからか、口調が強くなるハルカたち。

 そんな彼女たちに、船頭が戸惑ったように口を挟んだ。

「な、なんだ、嬢ちゃんたち、そんなに急いでいるのか?」

「えぇ、かなり。船を出してもらえたりは……しないですよね? 多少ならお金も出せますが」

「それは無理だな。命あっての物種だ」

「ですよね」

「もし事故を起こしたりしたら、俺だけの問題じゃ済まねぇしな」

 危険な状態なのに船を出して乗客を溺死させたとなれば、それは殺人にも近く、当然それを為した人物には処罰が下される。

 その上、その責任は本人だけには留まらない。

 サールスタットの渡しは街道の一部でもあり、それは一種の公共交通機関。

 ギルドを作って領主の監督下で運行されているため、そのギルド自体にも領主から処分されることになるのだ。

「だが、方法がないわけじゃないぞ?」

「そうなんですか!? 教えてください!」

 決して脅迫しているわけではないが、ハルカほど整った容姿のエルフが力強い視線と口調で迫れば、それはかなりの凄味を感じさせることになる。

 それに曝された船頭は、気圧されたように身を引きながらすぐに頷く。

「お、おぅ、構わないぞ。この町から下流に向かって進んでいくと……そうだな、冒険者の足なら一日までは掛からないか? それぐらいの所に小さな橋がある。それを渡ればケルグに続く小さな道がある。ラファンに用事があるならチョイと遠回りにはなるが、運行の再開を待つよりは早いかもな」

 川下を指さしながら言った船頭の言葉を聞き、ハルカは愁眉を開いて深く頷く。

「それは逆に好都合です。目的地はケルグですから。ユキ、メアリ、ミーティア、行くわよ!」

「うん!」

「はい!」

「解ったの! あ、でも――」

 最後に返事をしたミーティアが何か言いかけたが、他の三人は既に走り出しており、ミーティアもそれ以上は何も言わず、すぐにその後を追いかけたのだった。


    ◇    ◇    ◇


「聞いてない! あたし、聞いてないよ!? 小さな橋が吊り橋だなんて!」

 ユキのそんな叫び声が辺りに響き渡ったのは、サールスタットを出てから数時間ほど後のことだった。

 徒歩で一日ほどの道のりも、走り続けることができるなら数時間。

 日が落ちる少し前には橋まで辿り着いたハルカたちだったが、そこで立ち往生することになっていた。

 言うまでもなく、前述の台詞を叫んだユキのおかげで。

「そんなに怯えなくても、少し長いけど、あまり高い吊り橋じゃないでしょ? 水の流れは……ちょっと速いけど」

「ちょっと? これがちょっと!? 滅茶苦茶、ゴウゴウいってるよ!」

 吊り橋の下の川は、正に濁流だった。

 茶色く濁った水が凄い勢いで流れ、時折その中に枝や倒木なども交じる。

 サールスタットの渡しが運休しているのは、決して伊達ではないのだ。

 そこに架けられた吊り橋は、両岸の立木を利用して蔦で作られた手作り感溢れる代物。

 この辺りの川幅はサールスタットの辺りよりも狭まってはいるが、それでも五〇メートルは超えている上に、逆にそのことが川の流れを速くしている。

 そんな川の上を、かなり頼りない吊り橋で渡るとか、ユキほどでなくとも躊躇するものがあるのは確かだろう。

 しかも、誰も渡っていない現時点でも風でかなり揺れているともなれば――。

 そんな橋をユキは真剣な表情でじっと見つめると、キリッと表情を引き締めて口を開いた。

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