396 翳る月 (1)

「な、なんで……?」

「新生児は母親から免疫を受け継ぐと聞きます。半年ぐらいは効果が続くようですが――」

 通常、産まれたばかりの新生児は、受け継がれた免疫の効果で病気に罹りづらい。

 その後、母親の免疫の効果が切れるにつれ、少しずつ病気に罹りながら、自分の免疫を獲得していく。

「つまり、私がグレスコ熱に罹ったことがなかったから、アルが……」

 更に血の気が引き、白くすらなっているヤスエに、ナツキは非情にも頷く。

「その可能性はあります。【頑強】スキルの効果、そしてレベルによる差がどのようなものかは判りませんが、病気に対する免疫を獲得するのではなく、なにかしらの不思議な力で病気に罹りづらくなっているなら……」

「オレたちは大丈夫でも、子供は別、ということか」

「えっと、それって、あたしたちも人ごとじゃなくない?」

「はい。レベル差があるので、単純比較はできませんが」

 ヤスエのレベル1に対して、ハルカとユキがレベル3、ナツキに至ってはレベル5に加えて【病気耐性】まで持っている。

 それ故、もしかすると大丈夫かもしれないが、命が懸かっているだけに、予断は避けるべきだろう。

 可能なら、アドヴァストリス様に確認したいところだが……大量にお賽銭を放り込めば、もう一度会えないだろうか?

 だがそれは今後のこと、今はヤスエの子供、アルである。

「ど、どうしよう? どうしたら良いの?」

「ひとまず、『睡眠回復リカバリー・スランバー』で体力の消耗を抑え、回復力を高めましょう。頻繁な授乳が必要でしょうから、大人のように長時間眠らせるわけにはいかないのが難点ですが」

 この魔法、大人であれば丸一日程度は眠らせ、食事も一日一回程度で済むのだが、元々授乳の回数が多い赤ん坊の場合は、そうはいかない。適度な間隔で起こし授乳しなければ、栄養不足で回復もままならなくなるのだ。

 オロオロとアルの手を握るヤスエの後ろからナツキが手を伸ばして魔法を唱えると、アルの呼吸が僅かに穏やかになる。

「あ、ありがとう……」

「いえ。これだけでは、多少生存率が上がるだけですから……」

「それで、ナツキ、どうすれば良いの?」

「一番良いのは、薬を手に入れることです。おそらくチェスターさんたちも、これを探しに行ったのだと思いますが……入手は難しいでしょうね」

「なんで? 誰でも罹るぐらいに一般的な病気なんだよね?」

「はい。ですが、薬は決して安くありませんし、八割は何もしなくても治る病気です。結果的に、この薬を使うのは子供に苦しい思いをさせたくないという金持ちや貴族ぐらいになり、この辺りのお店に在庫があるとは……」

「じゃ、じゃあ、どうすれば!?」

「自分たちで作るのが現実的でしょう」

 冷静に答えるナツキに、ヤスエはハッとしたように中に視線を向けた。

「――っ! 私、【薬学】を持ってた!」

「はい、【薬学】は私も持っています。が、問題はそこではなく、素材にあります」

 一応取っただけで何の勉強もしていないヤスエとは違い、ナツキの【薬学】のレベルは5。プロレベル――いや、プロの中でも上位に入るようなレベルだと思われる。

 だが、魔法と薬学は違う。

 どんな腕も持っていたとしても、素材がなければ薬は作れない。

 大半の素材は問題なく買い集められるような物らしいが、その中で一つ、この薬の要となる素材だけはほぼ確実に、売っていないらしい。

「それが、オッブニアという花です。これがなければ薬を作ることは不可能です」

「つーことは、何か? オレたちはその花を探してくれば良いのか?」

「……協力してくれるの?」

「赤ん坊を見捨てるわけにはいかねぇだろ。なぁ?」

「そうだな。見ず知らずならまだしも、ヤスエの子供を見捨てるのは、なしだな」

「あ、ありがとう。この恩は、必ず……」

「気にしないで。敵対しないのなら、手を差し伸べるぐらいはするわ」

「も、もうっ!」

 ちょっと冗談めかせていったハルカの言葉に、泣きそうな表情だったヤスエは、少しだけ笑みを漏らす。

「それでナツキ、その花はどこに咲いてるの?」

「オッブニアは綺麗な水の中に咲く水中花です。残念ながら、私たちはこの辺りに詳しくありませんし、咲いている場所も判りません。ですから、ナオくんとトーヤくんはギルドで情報を集めてきてください」

「解った」

「可能性は低いですが、ユキはこの町の錬金術関連のお店に売っていないか、回ってみてください。私は薬関連の素材を扱う店を回ってみます。ハルカはここに残って、適宜『睡眠回復リカバリー・スランバー』をかけてください。お乳を飲まないと衰弱しますので、短めに」

「了解。もしものときには、『治療トリートメント』を使った方が良い?」

「……難しい判断ですね。ハルカも知っているとは思いますが、『治療トリートメント』は患者自身の体力を消耗させますから、体力の衰えた老人や子供の場合、良くない結果になることもあり得ますから」

「それって、耐えきれなくて死んじゃうってこと?」

「そうです、ヤスエさん。今しばらくは大丈夫だと思いますが、万が一容態が急変した場合、魔法で治すかの最終的な判断はヤスエさんとチェスターさんがしてください。ハルカには任せずに」

「……解ったわ」

 魔法で治すことを考えるなら、体力があるうちが望ましいが、魔法で治すと免疫は獲得できずに、またグレスコ熱に罹ることになるし、高い確率でその際に俺たちはいない。

 かといって、限界まで引き延ばせば、体力が消耗してしまっていて、魔法で治すこともできなくなる。

 厳しい判断になるだけに、親として判断するようにナツキが言えば、ヤスエはゆっくりと頷くと、掠れた声で応えた。

「もちろん、そんな決断が必要ないよう、頑張るつもりです。急ぎましょう」

 ナツキのその言葉で、俺たちは走り出した。


「オッブニア、ですか? そういえば、グレスコ熱の季節ですね」

 俺とトーヤが冒険者ギルドに赴き訊ねてみれば、ケトラさんはそう言って納得したように頷いた。

「ご存じですか?」

「はい。安静にしているだけで大抵は治るんですが、お金持ちは時々お求めになるようですね。その場合は緊急依頼になるので、ギルドとしては利益も大きく、助かるのですが」

「いえ、今回はちょっと、その……体力的に厳しそうなので。魔法での補助があってもどうなるか……。何か情報はありませんか?」

 過保護なことで、とでも言いたそうな表情で苦笑するケトラさんに、軽く事情を説明すると、ケトラさんはハッとしたように表情を改め、頭を下げた。

「失礼しました。すぐに調べてきますので、少々お待ちください」

 そう言ってカウンターを離れたケトラさんを、じりじりと待つこと三十分ほど。

 戻ってきたケトラさんの表情は曇っていた。

「お待たせ致しました」

「どう、でしたか?」

「残念ながら、調べた範囲では付近で採取されたオッブニアが、ここのギルドに納入された記録はありませんでした」

「そうですか……。つまり、この町の近くでオッブニアが採取できる場所はない、と?」

「不明です」

 にべもない、が、当然といえば当然。

 あることの証明に比べ、ないことの証明は困難なのだから。

 だが、ケトラさんの言葉はそれで終わらなかった。

「オッブニアの生育環境はご存じですか?」

「綺麗な水の中で育つんですよね?」

「はい。その代わりというのもなんですが、この近辺で綺麗な水がある場所は調べてきました」

「おぉ、ありがとうございます。聞かせてもらえますか?」

「もちろんです。一箇所はナオさんたちもご存じのペトラス川。あちらの川は東のノーリア川に比べて水が綺麗なので、オッブニアが自生している可能性はゼロではありません」

 あの川か。

 確かに水は綺麗だったが、あそこってモンスター・イールが生息しているんだよな?

 オッブニアって、水の底に生える草なんだが……潜るのか?

 モンスター・イールがいる川に?

「もう一箇所はペトラス川を越えた先にある森です。本当かどうかは判りませんが、そこに綺麗な泉があったという話を聞いたことがあります。どちらも不確定な情報で申し訳ないのですが……」

 悔しそうに唇を噛むケトラさんに、俺は首を振る。

「いえ、助かります。あまり時間をかけて情報収集をすることもできませんから」

「だな。何日もかかって得られる正確な情報より、今は不正確でも時間が惜しい」

「恐縮です。もしラファンまで足を伸ばすことが可能であれば、ディオラに訊いてみると良いかもしれません。私より多くの情報を持っていますので」

「なるほど……。ありがとうございました」

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