395 月が満ちる (4)
この年齢ならまだはっきり目は見えないと思うのだが、くりくりとした瞳で、じっと俺を見るアル。
両手、両足をモゾモゾと動かし、ムッと口を結ぶ。
その直後――。
「うあぁぁぁぁぁ!」
泣き出した。
「お、おぅ。だ、大丈夫だぞ~?」
手足をバタバタさせて、不満を表明するアルに俺もワタワタ。
背中をポンポンと叩きながら、軽く揺らしてやるが、さっぱり効果なし。
「「「ぷっ」」」
慌てる俺をハルカたちが笑うが、仕方ないだろ?
赤ん坊を面倒見る機会なんてなかったんだから。
「ふふっ。かして、かして」
笑いながら手を差し伸べたヤスエにアルを渡せば、母親が解るのか、アルはすぐに泣き止み、穏やかな表情になる。
何なんだろうか? 抱き方? 匂い? 第六感?
他人の子供だからまだしも、もし自分の子供でこうなったら、かなりヘコみそうだなぁ……。
「ナオ、気にしなくても、旦那も泣かれたから」
マジか。チェスター、哀れ。
お腹にいるうちから話しかけてたりしたら、効果があったりするのだろうか?
「あんたたちは、そろそろ行くのよね? しばらくこの辺りを離れるとか」
「あぁ。お前の出産も無事に終わったからな。数日中には発つことになるだろう」
「そっか。じゃあ、帰ってきた時にはまた寄ってよ。アルの成長具合も見せたいし」
「そうだな。ほとぼりが冷めるころ……一年以内には戻ってくるよな?」
確認するようにハルカたちに視線を向ければ、ハルカたちも頷く。
「そうね。家の管理は頼んであるけど、あまり放置はしたくないし」
「面倒な対応を避けるためだからなぁ。オレもアルの成長は気になるし、その時は寄らせてもらうぜ」
「うん、待ってるわ。今回は、本当にありがとうね」
ヤスエはそう、もう一度お礼を口にし、穏やかに笑った。
◇ ◇ ◇
事態が急変したのはそれから三日、俺たちがケルグを旅立つ日のことだった。
サイラスたちへの挨拶など、町を離れる準備を終えたその日の朝、朝食を食べた俺たちが、そろそろ行くかと話していたその時――。
ドンドンドンッ!
扉を叩く激しい音。
何だか既視感――いや、既聴感?
などと、暢気なことを考えたのも一瞬。
一応はきちんと掛けていた鍵が――高級宿ではないので、大した強度もない物だが――弾け飛び、叩きつけるような勢いで扉が開かれた。
即座に武器に手を伸ばした俺たちだったが、扉の向こうに立っていたのは顔面を蒼白にしたヤスエだった。
それを確認して武器から手を離した俺たちだったが、次に訪れたのは困惑と疑問。
だが、その疑問を口にする前にヤスエが震える声で叫んだ。
「ア、アルが! お、お願い! 助けてっ!!」
「――っ! 病気ですか、怪我ですか」
即座に反応したのはナツキだった。
荷造りしていたバックパックを引き寄せつつ、真剣な表情で、それでいて冷静にヤスエに尋ねる。
「びょ、病気……って言ってた、たぶん。判らない! でもっ!!」
「すぐに行きます。メアリちゃんとミーティアちゃんはここで待機していてください」
「ミーも――」
「二人に感染すると困ります」
「だな。宿の延長、しておいてくれ」
そう言って俺は、メアリに財布を投げ渡す。
俺たちは最低でも【頑強 Lv.3】を持っているが、二人にそんなスキルはない。
俺たちと出会って以降、病気になったことはないので、丈夫であることは間違いないだろうが、不必要なリスクを冒す意味はない。
「ミー、待っていましょ?」
「う、うん……」
心配そうな表情を浮かべる二人を部屋に残し、宿を飛び出す。
すぐさま走り出そうとした俺たちだったが、足をもつれさせたヤスエが転びかけ、咄嗟に俺は手を差し出した。
なんとか支えることには成功したが、それを見たハルカの決断は早かった。
「トーヤ、ヤスエを担いで!」
「おう。ちょっと我慢してくれよ」
「ななっ――」
「急いでるんでしょ。舌を噛まないよう、口を噤んで担がれておきなさい」
一般人よりはちょっと強くとも、そこまで鍛えているわけではないヤスエ。しかもここまで走ってきた直後である。
言うまでもなく、冒険者であり毎日訓練を積み重ねている俺たちとでは、走る速度がまったく違う。
それこそ、オリンピック選手と一般人の差ですら、比較にならないほどに。
一瞬、抗議の声を上げかけたヤスエも、ハルカの言葉でぎゅっと唇を結んで、トーヤにしがみついた。
「急ぐわよ!」
「「おう!」」
「「はい(うん)!」」
応える間もあればこそ。
ちょっと近所迷惑な速度で町を走り抜けた俺たちは、ヤスエの家に駆け込む。
そしてヤスエに指示されるまま部屋に向かえば、そこにいたのはベッドの上で苦しそうな呼吸をしているアルが一人。チェスターたちの姿はない。
「チェスターとおばさんは?」
「見つかるか判らないけど、薬を探してくるって」
ハルカの問いに、ヤスエは不安そうな表情のままベッドに駆け寄りながら答える。
「薬……ってことは、病名が判ってるの?」
「お義母さんは、グレスコ熱って言ってたけど、同時に『産まれてすぐ罹る病気じゃない』とも……」
「グレスコ熱……見た覚えがあります」
ナツキはそう言うなり、バックパックの中から一冊の本を取り出し、凄い勢いで捲り始める。
あれは確か、薬学に関する本だったか。
俺たちにはほぼ必要がない物だけに、活躍する場面はなかったんだが、ナツキは真面目に勉強してたんだよな。
「ありました! 症状は……手のひらと足の裏に赤い発疹に発熱、一致していますね」
アルの額に手を置き、その手足を確認したナツキが頷く。
それだけで判断して良いものかは判らないが、確かにその手足には、赤い発疹がポツポツと見える。
「だが、生後一年から三年ぐらいの間に発症するって書いてあるぞ?」
ナツキの後ろから本を覗き込み、そこにあった気になる文章を指摘すれば、ナツキは沈黙して考え込んだが、そんなナツキを見て、ヤスエは焦れたように叫んだ。
「そんなことより、早くアルを治して! 魔法で治せるんだよねっ!?」
「治せると思いますが、治すべきなのかどうか……」
「なんで! お金!? お金が必要なの!? それなら、頑張って働いて返すから!」
鬼気迫るような形相で詰め寄るヤスエの肩に手を置き、ナツキは静かな声で言う。
「そうではありません。落ち着いてください。この病気を解りやすく言うなら、おたふくかぜみたいなものです」
「………?」
「つまり、子供のうちに罹っておくべき病気ってこと?」
焦りからか頭が働いていない様子のヤスエにハルカが指摘すれば、ナツキはすぐに頷く。
「そういうことです。グレスコ熱はほぼ一〇〇%の子供が罹る病気です。放っておいても八割近くの子供は自然治癒して、二度と罹りません」
「それって残り二割の子は……」
「………」
「そんなっ!?」
直接は口にしづらいからだろう。
沈黙を守ったナツキに、ヤスエが血の気の引いた顔で息を呑む。
だが実際のところ、乳幼児期の死亡率が高いこの世界では、そこまで怖い病気という扱いではないらしい。
俺たちからすれば、死亡率が二割の病気なんてかなりの恐怖だが、こちらの人からすれば『医者などにかからず、安静にしているだけで八割助かるなら……。もしそれで亡くなるのなら、それも神様の定めた運命』という感覚。
死と神が身近にあるからこその諦観なのかもしれないが、俺には、しかもそれが自分の子供だったりすれば、ちょっと受け入れられない考え方である。
「もちろん、魔法で治してしまう方法もあります」
「ならっ!」
「ただそうすると、免疫が付きませんから、ほぼ確実に再度罹患することになります。そしてその際、私たちがいるとは限りません」
「―――っ!」
さすがに俺たちにずっといてくれ、というのが無理なことはヤスエも理解しているのだろう。悔しそうに唇を噛み、目を伏せる。
「そこまで心配しなくても、適切な看病をすれば、助かる確率は上がります。ただ、先ほどナオくんが言った通り、普通はもう少し大きくなってから罹るはずなんですが……」
「それって、体力面で不安があるってこと?」
「そうです。少しは魔法で補助することはできますが、原因が……」
再び考え込んだナツキはヤスエとアルを見比べ、言葉を続ける。
「ヤスエさんは【頑強】スキルを取っていましたよね?」
「え? うん。レベル1だけど」
「もしかすると、それが原因かもしれません」
深刻な顔で言ったナツキの言葉に、ヤスエはポカンと口を開けた。
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