390 お仕事完了 (1)
「それでこれが、その“ペトシー”なの?」
「そうだな。その輪切りだな。ちなみに、命名はトーヤ」
場所はヤスエの家の台所。
この場にいるのは、俺たちのパーティーに加え、今は店には出ていないヤスエの八人。
既に見ている俺たちを除く四人は、テーブルの上に載せられた、厚さ一メートルほどのペトシーの輪切りを見て、どこか呆れたように口を開けていた。
だがこれでも、俺たちが持っている物のごく一部。
サイラスとフレディの取り分、そして討伐の証明となる頭の部分についてはギルドに置いてきたのだが、俺たちの取り分に関しては、ケトラさんに『ちょっと処理が大変なので、できれば……』と頼まれ、取りあえずは全部持ち帰っている。
「ちょっと、ナオ。こんなのがあそこの川にいたの?」
「ヤスエ、知ってるのか? この町からは少し離れているが」
「遠くから見た程度ね。近付かないようにって、旦那に言われてるから。こんなのが泳いでることを考えたら、その注意も納得ね」
これは私には斃せない、と言いながら頷いているヤスエだが――。
「言っておくが、これは普通じゃないからな? 普通のモンスター・イールは大きくても胴回り一メートルほどらしいぞ?」
「それでも十分に大きいわよ! 子供が生まれたら、絶対に近寄らないようにしつけないと!」
「赤ん坊のうちはともかく、外で遊ぶようになった頃は、ちょっと危険よね。通常サイズでも、子供なら一呑みにされそうだし」
危ない場所に柵を付けない行政が悪い、なんて理屈は通用しないこの世界。
そこかしこに危ない場所があり、危ない魔物が存在するのだから、子育てはなかなか大変そうである。
分別が付くまで親がついていられればいいのだろうが、産休、育休も自分次第、休めば休んだだけ収入がなくなるわけで、それがかなり難しいことは考えるまでもない。
「でも、それからしたら、ちょっと大きすぎじゃないかな? 何でこんなに大きいの?」
「不明。突然変異じゃないか、とは言っていたが」
魔物であれば、時折異常な個体が出てくることもあるらしいが、モンスター・イールはあれでも動物の分類で、魔石が存在する魔物ではない。
俺たちが斃したペトシーも一応は調べてはみたが、やはり魔石はなかった。
「過去に記録もねぇって話だから、そうそうあることじゃねぇとは思うが、やっぱりヤスエは近付かない方が良いだろうな」
「行かないわよ。……子供と川遊びもできないのは、ちょっと残念だけど」
「うーむ、確かに川遊びもできないってのは、ちょっと残念だよな」
俺だって子供ができたら、ハルカと一緒にキャッキャウフフと――いや、子供がいたら、ワーワーキャーキャー? そんな感じに遊びたいとか、思ってしまうだろうし。
レジャーが難しいのが、こちらに来た一番の難点かもしれない。
「もし、遊べるような年齢になったとき、私たちがこの辺りにいれば、連れて行ってあげても良いわよ? ノーリア川の方なら、それなりに安全だし」
ハルカも同じようなことを考えたのか、そんな提案をヤスエにすれば、ヤスエは驚いたように目を見開いた。
「マジで? 良いの? 魔物とか、いるんじゃないの?」
「多少はいますが、私たちが泳げるぐらいには、安全ですね」
「だよね。今年も暑くなったら、また行こうか。ミーティアとメアリは、連れて行ってないし」
「川で泳ぐ! 楽しみなの!」
「私も泳げるようになるでしょうか……?」
「大丈夫だろ。二人とも、運動音痴じゃないし」
嬉しそうなミーティアと、少し不安げながらもやはり嬉しそうなメアリ。
そんな二人や俺たちを見るヤスエの目は、呆れや羨ましさなどが混じり合った、どこか複雑な色。
「あんたたち、既に体験済みなんだ? 結構満喫してるわね。――私は苦労してたのに」
「ヤスエがいきなり喧嘩を売ってくるからでしょ? 普通に助けを求められたら、アドバイスぐらいはしてあげたのに。私たちも余裕はなかったから、“面倒を見てあげる”まではできなかったと思うけど」
「うっ……そうなんだけど。そうなんだけどぉ~」
ため息をつくハルカに、ヤスエはパンパンと机を叩いて、釈然としない気持ちを表明するが、ユキの次の言葉を聞いて、「むむ……」と唸る。
「でもヤスエ。それがなかったら、旦那さんは捕まえられていなかったよね? 今は子供もいるリア充じゃん? 食堂もそれなりに成功しているわけだし」
「人間万事塞翁が馬。今が幸せならそれで良い。そう考えた方が建設的ですよ?」
「……そうよね。そう思うことにする」
過去のことを今更どうこう言ってもなんの意味もない。
ヤスエもそう思ったのか、「ふぅ」と一息ついて話を変えた。
「それでナオ、この魚はどうするの? ウチに分けてくれるの?」
「欲しいのか? 一切れぐらいなら、別に構わないぞ」
あの後、ペトシーをこのぐらいのサイズで切り分けたところ、一人あたりの割り当ては四切れほどになった。
つまり俺の取り分だけでも、あと三切れはあるわけで、一切れぐらいなら別に惜しくはない。
そう思って言ったのだが、ヤスエは少し不満そうに口を尖らせる。
「何よ、ケチ臭いわねぇ。せめてウチの家族分ぐらいはよこしなさいよ」
「ん? あぁ、違う、違う。一切れが、コレ」
「え……?」
暫しポカンと、テーブルの上に載っている巨大な切り身と俺の顔を見比べるヤスエ。
そして首を捻り暫し考え、俺の言った意味が理解できたのか、叫んだ。
「デカすぎるわよ! コレは一切れと言わない! 第一、貰っても消費する前に腐る!」
「俺たちがいる間なら、マジックバッグに保存しておいてやれるが」
「……えっ? 何それ。マジックバッグって、たくさん入るだけじゃなく、腐りもしないの? 反則じゃない」
ヤスエはマジックバッグの存在を知らなかったらしく、俺がペトシーの切り身を出した時にも驚いていたのだが、食料の保存ができることを聞き、再び驚きの声を上げた。
「時間が止まるわけじゃないけど、かなりゆっくり流れるようになるから、中に入れておけば気にする必要がないぐらいには、食品が長持ちするのよね」
「うわっ。飲食店には垂涎のアイテムね。――譲ってくれたり、しない?」
更生(?)したこともあって、さすがに高圧的に『くれ』などと言ったりはしないが、ヤスエはかなり物欲しげに俺のマジックバッグを見つめる。
俺たちとしても、だいぶ冒険者ランクも上がったし、ネーナス子爵の後ろ盾もあるので譲ってやっても良いのだが――。
「ダメとは言わないけど、お勧めはできないわよ?」
「……なんでよ?」
不満そうなヤスエに、ハルカが噛んで含めるように話す。
「これって、かなり貴重なアイテムだから」
「そうそう。それこそ、『殺してでも奪い取る!』って感じの。持ってると、危険なことに巻き込まれるかも?」
「私たちはこれでも高ランクの冒険者だから、大抵は武装しているし、町を離れている時間も多いわ」
「その点、ヤスエさんは常に町にいますし、赤ん坊も抱えることになります。一般人よりは戦えるでしょうが……」
「止めておくわ。死んだら……ううん。この子が殺されたりしたら、何の意味もないもの」
ハルカたちの説明を聞き、ヤスエはかなり大きくなったお腹を撫でながら、ゆっくりと首を振った。
「賢明だね。こっそりと使うならともかく、お店で活用したら、絶対バレるからねぇ」
「ま、店で出せば、俺たちがいる間に消費できるだろ」
「じゃないと、食べきれないわよ。でも、どうやって料理したら良いの、これ? 一応は鰻なのよね?」
「そうだな。
「私、鰻料理なんて蒲焼きしか知らないわよ。あっちじゃ高かったから、私なんて、ほとんど食べた記憶がないんだけど。……このサイズじゃ、蒲焼きにはできないわよね」
「形的にはそうなるな」
蒲焼きの語源は、蒲の穂に形が似ているからである。
つまり、丸身を開いて焼くからこそ、蒲焼き。
既にぶつ切りにしている時点で、蒲焼きにはならない。
「そもそも、醤油がないと蒲焼きにしても美味しくなさそうだし」
「ありますよ、お醤油」
あっさりと言ったナツキの言葉に、残念そうな表情を浮かべていたヤスエは、大きく目を瞠った。
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