374 海辺にて (5)

 ほんのりとしか火が入っていない貝柱はプルリとしていて、見た感じはそれなりに美味そう。

 イカの切り身のようにも見えるが、かなり大きく切ってあるのは、丸かじりをしたいと言っていたトーヤに配慮した結果か。

 少し嬉しげにそれを受け取ったトーヤは、大口を開けて一口で口の中に入れる。

「それじゃ、頂きます。むぐむぐ……うん。なんというか……あんまり美味くないホタテの貝柱ぐらい美味い」

 解りづらい。

 美味いのか、美味くないのか。

 ハルカも同じように思ったのか、生っぽい部分を一口サイズに切って食べ、頷く。

「――甘みは少ないわね。繊維が強くてやや歯応えがあるから、舌触りもイマイチ。とろけるような食感はないけど、切り方次第では美味しく食べられるかも?」

 なるほど、トーヤよりも解りやすい。

 大して高価な物を食べていない俺なら、十分に美味しく食べられそうって感じ?

「美味しいの? 美味しいなら、ミーも食べてみたいの!」

「たぶん、焼いた方が美味しいと思うけど、味見してみる?」

「してみる!」

 にぱっと笑って頷くミーティアに、ハルカが一口サイズに切った貝柱をお皿に並べ、醤油をかけて差し出す。

 それを嬉しそうにフォークで突き刺し、早速食べたミーティアだったが、噛むほどに顔が曇っていく。

「なんだか、味気ないの……」

 俺やユキも手を伸ばして食べてみたのだが……。

 ――うん。残念。最初は良いんだが、噛んでいると醤油の味が薄くなり、筋が残る感じなのが、やや微妙。ミーティアの表情の理由がよく解る。

「これはこれで、美味しいですが……」

「火を通した方が、普通に美味しいね」

「もう少し薄く切って、カルパッチョにしたら良いかもしれません」

「でしょ? あとは切って焼くわね。これだけじゃ味気ないし……」

 芳しくない評判に、ハルカは苦笑を浮かべ、残った貝柱を小さく刻むと、追加で取り出した香辛料や野菜なども加え、炒め始める。

 そんな俺たちを一歩引いて見ていたマークスさんが、やや躊躇いがちに口を開いた。

「……お前たちは、生でも食えるんだな?」

 その言葉に、俺たちの動きが止まる。

「えっ……? もしかして、生で食べたらマズいですか? これって」

 ギギギッと視線を向けた俺に、マークスさんは慌てたように首を振った。

「あ、いやいや、それなら止めてる。海辺の町では、これに限らず生で食ってたしな。だが、俺はちょっと、な。――その時のパーティーメンバーの一人は、『美味い! 美味い!』と食ってたんだが、その後でヤバいことになってな……」

 牡蠣で中ると酷いとは聞くが、マークスさんの友人は見事に的中させたらしい。

 治癒魔法を除けば医療が微妙なこの世界、シャレじゃなく死にそうな目にあったようで、それを傍で見ていたマークスさんは、牡蠣も含め、生の海産物の危険性が頭にすり込まれてしまったんだとか。

 一応、俺たちの大半は【頑強】持ちだし、治癒魔法もあるが、そんなものがない人にとってみれば、食中毒も命に関わる病気なのだろう。

「一度中ると、そういうこと、ありますよね」

「あぁ、俺自身が中ったわけじゃないが、傍で死にそうになってるのを見るとな」

「そんなマークスさんにはこちらを。しっかり火を通しましたから安心ですよ」

「お、すまんな。ほぅ、この野菜炒めも美味いな。美味い料理があってこそ、男も家に戻ってくる。ハルカ、お前と結婚するヤツは幸せだ!」

「そんな、褒めすぎですよ。お酒、もう一杯要ります?」

 露骨なお世辞に――いや、ハルカの料理が美味いのは間違いないのだが――ハルカはパタパタと手を振って頬を緩め、マークスさんのコップに、トクトクと酒を注ぐ。

「良いのか? ――っくぅぅ、酒も美味い!!」

「確かにこの野菜炒めも美味いが……他の物も食いたいな」

 酒飲みは上手い酒と肴があれば十分なのかもしれないが、貝柱の味見だけならともかく、食事としてはちょっと物足りない。

 味のバリエーションと量だけはあるが、素材は同じ貝柱。美味くても飽きる。

「肉……って気分でもねぇな。シーフード繋がりで、さっきの蛸でも串焼きにするか? 蛸だし、たぶん美味いだろ」

「おっ、トーヤ、ナイス! ――ちょっと、でかいが」

 蛸って地味に高いし、新鮮な蛸を食べる機会なんて、ほとんどなかった。

 大きさが大きさだけに、大味かもしれないが、深海に住むダイオウイカと違い、浅瀬にいた蛸。臭くて食べられないってこともないだろう。

「え、お前ら、あれを食うつもりか?」

「あれ? マークスさんは、蛸もダメ? ちゃんと焼くよ?」

 ユキが不思議そうな表情を浮かべるが、元の世界でも蛸は食べないという地域もあるし、見てくれもアレな生き物。

 内陸をメインに活動していたマークスさんが、食べられなくても不思議ではない。

「いや、ダメっつーか、それって食って大丈夫な魔物なのか? 俺は知らないんだが。この周辺にいる魔物は大抵食えるが、この世の中には、食えない魔物も多いんだぞ?」

「……あ、そうか。毒の危険性もあるのか」

 根本的なことを言うマークスさんに、俺たちははたと顔を見合わせる。

「考えてみれば、毒を持つ蛸っているわよね」

「有名なところでは、ヒョウモンダコとか、テトロドトキシンを持っていますね。河豚と同じで」

「ダメじゃん!? ちょっと味見、とか危険すぎる!」

「いえ、テトロドトキシンなら即死はしませんし、私たちの『毒治癒キュア・ポイズン』があれば、味見はしやすいという考え方も……?」

「トーヤ、毒味、よろしく!」

 なかなかに無茶を言うナツキと、にこやかにピッと手を上げるユキ。

「トーヤさん……」

「トーヤお兄ちゃん、頑張ってなの!」

 メアリとミーティアに期待したような目を向けられ、やや怯んだトーヤだったが、グッと堪えて首を振った。

「うぅ……、い、いや、そこまでして食いたいとは思ってないから!」

「残念なの……。度胸が足りないの」

「いや、度胸の問題じゃねぇよ!? 生死の問題だからな?」

「ハルカお姉ちゃんとナツキお姉ちゃんがいたら、絶対大丈夫なの!」

「根拠のない凄い信頼感!?」

「お姉ちゃんとミーも治してもらったの!」

「実績もあったか!」

 ミーティアがドヤ顔で胸を張るのも宜なるかな。

 それぐらい、二人の怪我は酷かった。

 もっとも、ユキとナツキの言葉はおそらく冗談。本当にトーヤに毒味をさせようと思っていたのは、ミーティアぐらいだろう……たぶん。

「ま、食べられるにしても、下処理が大変なんだけどね、活き蛸って」

「そうなのか?」

 軽く肩をすくめてそう言ったハルカの言葉に、俺は首を傾げる。

 俺が知っている蛸は、茹でられて赤くなった蛸のみ。

 丸々一匹、活き蛸が売られているのは見たことあるが、ちょっと手が出る値段じゃなかったし、そもそもそんなの買っても食べきれないので、ウチには縁のない代物だった。

「えぇ。まず、大量の塩でぬめりが取れるまで洗う必要があるの。場合によっては何度も繰り返して」

「この辺りだと、塩も安くありませんから、それだけでも結構なコストがかかりますよね」

「その後、柔らかくするために叩くんだっけ?」

「大根おろしで揉んだり、叩いたり、ね。地域によっては、岩場に何度もたたきつけて柔らかくする、って聞いたことがあるわ」

 ちなみに日本の産地だと、洗濯機で洗ったりするらしい。

 もちろん洗剤を入れたりはしないが、お手軽にぬめりが取れて柔らかくなるので、便利とか。ちょっと意外である。

「しかも、この大きさだから……凄く大変そうよね」

「まさか、この蛸を食うために、塩の製造を始めるわけにも――」

「お、やるのか? やるんなら、製塩用の魔道具の手配ぐらいはするぞ? そして、ウチのギルドに卸してくれりゃ、俺としては嬉しい」

「やりませんよ! ……取りあえず、今のところは」

 しかしよく考えると、副業として酒造りなんかを始めるより、製塩業を営む方が簡単で堅実だったかもしれない。

 今日確認した通り、この海辺の近くは思ったより安全だったし、転移魔法を使えば、ここに来るまでの戦闘の大半が回避できる。

 しかも、酒と違って失敗がなく、塩は誰もが消費する物。

 ラファンとダンジョン、その道中の安全さえ確保できるなら、引退後の仕事としては悪くなさそうな気がするのが、またなんとも。

 う~む、検討の余地、あるかもしれない。

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