373 海辺にて (4)


「となると、あとはコイツか。これって、買い取ってもらえるのか?」

 ナツキに簡単に斃されてしまった蛸ではあるが、その死体を砂浜の上で伸ばしてみるとかなりデカい。

 頭の先――いや、胴体の先と言うべきか? そこから足の先まで、一〇メートルぐらいはありそうで、根元部分の触手の太さは俺の腕を軽く超えている。

 食べられるなら、普通の蛸の数百匹分にはなりそうだが、マークスさんは渋い顔で首を振った。

「判らん。すまんが、ウチのギルドでは判定ができん。買い取るにしても、海の魔物が載った魔物事典が手に入ってからになる」

 普通なら、そんなに置いていたら腐るところだが――。

「私たちなら、一応、保存は可能ですね。その頃、またご相談させてください」

「おう。もし買い取れなかったら、すまんな? ――ま、それはそれとして、ビッグ・オイスターを早く食おうぜ! 滅茶苦茶久しぶりなんだよ、俺も」

「この辺りじゃ手に入らないでしょうからね。それじゃ、火を用意しましょうか」

「だな! 超楽しみ!」

「牡蠣って、どんな味がするんでしょう?」

「きっと美味しいの!」

 久しぶりのバーベキュー的イベントに、みんなの足取りも軽く、見る間に集まった枯れ木によって火が熾される。

 それが少し落ち着いたところで適度に炭を均し、その上に牡蠣の殻が五個、並べられた。

「それじゃ、貝柱は切り分けて――」

 まな板と包丁を取り出し、調理を始めようとしたハルカにトーヤが待ったを掛けた。

「えー、切るのか? そのままの方が豪快で、美味そうじゃねぇ?」

「食べにくいだけだと思うけど……じゃあ、トーヤだけはそのままで。はい」

「おう!」

 トーヤは片手では掴みにくいほどの貝柱をハルカから受け取り、そのままドンと殻の上に置く。

 すぐにジュウジュウという音と共に美味しそうな匂いが辺りに広がり始める。

「私たちは、上品にいきましょ。……どうせあの大きさで焼いても、切らないと食べられないし」

 トーヤが焼いている貝柱は、厚み、直径共に二〇センチを超える。

 ハルカの言うことは正に道理なのだが、俺としてはトーヤの気持ちも理解できる。

 それでも俺が何も言わなかったのは、【調理】スキルを持たない俺が手を出せば、確実にハルカが作る物より不味い物になることが解っているからである。

「これぐらいで……良いかな?」

 切り分けた貝柱の大きさは一口サイズよりもやや大きめ。

 ハルカはそれを殻の上に並べると、汲んでおいた海水を少し振りかけた。

「ついでに、醤油と味噌、バターも追加しちゃおう!」

「「「おおぉぉぉ!!!」」」

 立ち上る、凶悪なまでに食欲を誘う香り。

 五個の殻それぞれに、塩味、醤油味、味噌味、バター味、そしてトーヤの野趣溢れる貝柱が並ぶ。

 火を通すことで段々と縮んでいくが、それでも大きめのホタテの貝柱ぐらいはある。

「ごくり。な、なぁ、ハルカ、そろそろ食べても良いか?」

「ん~、もう良いかな? トーヤの以外は」

「うぐっ!」

 手を伸ばしかけたトーヤが動きを止め、それ以外の七人がそれぞれ好きな味の貝柱にフォークを突き刺して口に運ぶ。

「うん、これだよこれ! 懐かしいなぁ!」

「やや歯応えがありますが、美味しい貝柱ですね」

「バターとくれば、醤油も欲しいよね。ちょろっと垂らして……うん、美味しい!」

「醤油、最高! 貝に醤油って、鉄板だよなぁ」

 強い力を発揮するだけに、ホタテの貝柱と比べると少し硬めにも思えるが、ぎゅっと噛むほどに貝の旨味が口の中に溢れ、なんとも言えない。

 海水だけで作る塩味も十分に美味しいのだが、俺からしたら醤油味は、もうワンランク上。再度言うが、醤油最高、である。

「ふぉぉ! なんか、凄く美味しいお汁が、じゅわって、じゅわって!」

「お、美味しさの塊です!」

 初めて食べるだろうメアリたち姉妹も、両手と尻尾をぶんぶん振って、次々に貝柱を口に運んでいる。

「かぁぁ! 俺は何で酒を持ってきてないんだ!?」

「仕事だからでしょう」

 フォークを握りしめ、悔しそうに言うマークスさんに、冷静なハルカの言葉。

「そんな正論は聞きたくねぇ! なぁ、誰か酒を持ってないか? この辺の敵なら、酔ってても問題ないから、分けてくれ!」

「ありませんね。私たち、お酒を飲みませんから」

 嘘ではない。

 まったく飲まないとは言わないが、気を抜けない冒険中に飲むなんてことはあり得ないし、必要もないのにわざわざ持ってくるはずもない。

「オイオイ、マジか? そっちの嬢ちゃんたちはともかく、トーヤ、お前もか?」

「オレも飲まねぇなぁ。そんな美味いと思わないし」

 そんなトーヤの返答に、マークスさんは顔を顰めて、呆れたように言葉を漏らす。

「はぁ? お前たち、新しい酒を造っているとか聞いているぞ? なのに、飲みもせず、持ってもいないのか?」

 確かに、大して酒好きでもないのに酒を造るとか変といえば変だが、目的は将来を見据えたサイドビジネス。

 技術提供と出資だけで、実作業は酒好きがやっているので問題はないのだ。

「あれは販売用ですから。料理用に少しだけなら持ってきてますけど――」

「くれ!」

 即座に手を出したマークスさんに、ナツキが困ったように俺たちの顔を見る。

「えーっと、どうします?」

「一杯だけなら良いんじゃない? 宣伝にもなるし」

「そうですか? なら、一杯だけ」

 現状、かなりの貴重品である米で造った日本酒を、ナツキがコップに注いでマークスさんに差し出すと、彼はそれを受け取り、興味深そうに中を覗き込んだ。

「ディオラから少し話を聞いてはいたが……見慣れない酒だな。匂いも……ちょっと違う」

「少しきつめですから、気を付けてくださいね?」

「大丈夫、大丈夫。一杯ぐらいじゃ、酔わないさ」

 そうマークスさんは言うが、その辺の酒場で飲めるエールは元の世界での一般的なビールよりもアルコール度数が低い。

 俺たちの持つ【頑強】や【毒耐性】の影響もあるのかもしれないが、俺たちの誰もエールを飲んで酔ったことがない程度には。

 だが、現状、俺たちが持っている日本酒は、ナツキ曰く『普通に市販されている日本酒よりも度数が高い』らしい。

 市販されている日本酒は原酒に水を加えて度数の調整を行ったりしているようだが、それを踏まえても、俺たちの造った酒はなお高いようで、ナツキによれば『酵母が違うので、度数の違いが出ることはあり得る』んだとか。

「だが一応、用心して……おぉ、確かに強いな! だが、それが良い! そして、肴が美味い!」

 チビリと飲んで貝柱を食べ、またチビリと飲んで、別の味の貝柱にフォークを延ばし。

 そんな美味そうに飲まれると、俺も飲みたくなってくるから不思議である。

 とはいえ、さすがにダンジョン内で慣れてもいない酒を飲むのは危険すぎるので、俺たちは冷たいお茶。これでも十分に美味い。

 そんな風に貝柱に舌鼓を打つ俺たちに対し、素直にお預けされていたトーヤが、じれたようにハルカの手を引く。

「な、なぁ、ハルカ、オレのはまだ食っちゃダメなのか?」

「その厚み、簡単に火が通るわけないじゃない。素直に切り分けるか、焼けるまで他のを食べながら待つかしたら? それを食べきれるなら、だけど」

 いくら食べ物に余裕があっても、お残しは許されないのが我が家の掟。

 丸かじりをするなら、一人で食い切る必要があるわけで。

 俺ならこんな巨大な貝柱、丸ごと一つ食べることなんてできないが、大食いのトーヤなら……?

「だ、大丈夫なはず! ――美味っ! 何これ! 美味っ!」

 やや自信なげなトーヤだが、美味そうな貝柱には我慢できなかったのか、切り分けられた方を口に運び、嬉しげな声を上げる。

「これは、デカいのも期待できるな!」

「いえ、普通に生焼けになりそうですけど……。新鮮ですから食べられるかもしれませんが、味はどうでしょうね?」

 焼けた貝柱に夢中なトーヤに代わり、面倒見良く貝柱をひっくり返してやっていたナツキが、『うーん?』と小首を傾げた。

「これ、表面しか火が通ってませんよ? 殻を被せて、蒸し焼きにしますか? それなら大丈夫だと思いますが、火加減が少し面倒ですね」

「もう、素直に切っちゃおうよ。丸かじりがしたいなら、今度、家で作ってあげるからさ」

 少し呆れたようなユキに、トーヤもさすがに無理があるのを感じたのか、しぶしぶ頷く。

「むぅ。そうだな、わがままを言う場面でもねぇか。正直、一人じゃ食い切れそうもないし。――でも、半生も食ってみたい。ちょっとカットしてみてくれ」

「解りました。横方向が良いですよね?」

 貝柱の繊維は縦方向に走っていて、ビッグ・オイスターの貝柱は、ホタテの貝柱よりもしっかりしている。

 一口サイズであれば問題ないのだが、これを縦方向にカットしてしまうと、できるのは噛み切れない裂けるチーズもどきである。

 そのことも考えただろうナツキは、貝柱の繊維を断ちきるように、横方向にナイフを入れ、薄くスライスしてトーヤに差し出した。

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