257 子爵領への帰還 (2)
一カ月近い護衛任務を終え、ピニングへと帰り着いたその日、俺たちは出発前に使っていたネーナス子爵家の部屋で一泊していた。
そして、その翌日の午後になって呼ばれたのは、以前、家宝の剣の買い取りで使った部屋。
そこに入ると、ネーナス子爵本人に、執事のビーゼルさん、イリアス様の他、アーリンさんなども顔を揃えていた。
勧められるままにソファーに腰を下ろすと、ネーナス子爵が口を開く。
「まずは護衛任務、ご苦労だった。危険な賊からイリアスの命を守り抜いた事、誠に感謝する」
「いえ、それが護衛の仕事ですので」
賊の危険度は想像以上だったが、だからといって文句を言うのは違うだろう。
ネーナス子爵としても想定外だっただろうし、危険を回避するための護衛なのだから、賊が出てきた事に苦情を言えるはずも無い。
「更に、突発的な依頼にも対応してもらったようだ。これは本来の依頼とは別の物、当然、別の報酬を用意しよう」
「はい、ありがとうございます」
ちなみに、俺とハルカの着た礼服は、報酬の一部として既に受け取っている。
古着として売れないわけでは無いが、それぞれの体型に合わせて作っているため、俺たちに報酬として渡す方が価値があるという事だろう。
「それで、なのだが……もう一つお前たちに依頼したい事と、謝らねばならない事があるのだが……」
歯切れの悪いネーナス子爵の言葉になんとも嫌な予感がする。
イリアス様は……何も聞かされていないのか、いつも通りの表情。
ビーゼルさんは、顔に出すわけないよな。
アーリンさんもまた、俺の視線にニッコリと微笑むのみ。
かといって、聞かないわけにもいかないだろう。
ハルカやナツキたちに視線を向けると、無表情で頷くので、俺はネーナス子爵へ視線を戻す。
「お聞きしましょう」
「もしかすると、お前たちも小耳に挟んだ事があるかもしれないが、ここピニングでは、しばらく前から誘拐事件が発生している」
えっと……あぁ、それって、ずっと前にディオラさんがフラグを立ててくれた奴ですよね?
あの時、折ったと思ったのに、ここで回収ですか?
「人数自体は少ない。恐らく、一〇人には満たないはずだ。それもあって、事件の発覚が遅れ、全貌を掴むのにも苦労しているのだが」
「なるほど」
行方不明になっている人物がどのような人物かは判らないが、冒険者であれば数人いなくなった程度では、ほぼ事件にはならない。
町の外に出掛ければ、そのまま帰ってこない事などそう珍しくも無いし、別の町に行くからといって、それを宣言して町を出るわけでも無い。
それを考えれば、行方不明になっているのは町の住人なのだろうが、それにしても一桁の行方不明者でも領主が動くというのは、かなり勤勉である。
この世界、結構死がありふれているので、少々減ったぐらいでは気にしないのが普通。
もしかすると、行方不明になった人物に、重要な人でも含まれているのだろうか?
「依頼したいのは、その事件の調査、行方不明の人物の発見、可能ならば解決だ」
「それは……領兵の皆さんが調査されているのですよね? 我々はそちらの専門家というわけではありません。手を出したところで、あまり成果は期待できないと思いますが……」
魔物を駆除しろ、というような依頼であればまだしも、調査なんて完全に専門外。
素人探偵も良いところだ。
メアリたちを入れても人数は七人しかいないし、安全面を考えれば、バラバラで行動する事も難しい。はっきり言って、俺たちが調査に参加したところで、焼け石に水だろう。
「うむ。それは理解している。だが、人手不足なのだ。エカートたちが戻って多少はマシになるだろうが、それでも……。それには、もう一つの謝らなければならない事が関係しているのだが……」
かなり言いにくい事なのか、ネーナス子爵は暫し沈黙し、おもむろに口を開いた。
「聖女サトミーに逃げられた」
「「「……っ!」」」
「マジか!?」
トーヤが思わず声を漏らしたのも仕方ないだろう。
声を漏らさなかった俺たちも、息をのんで顔を見合わせる。
「お前たちがせっかく捕まえてくれたのに、すまない。この度のイリアスの護衛で、兵の数が減った隙を狙われた形だ」
「(うわぁ……)」
「(俺たち、確実に目の敵にされるよな)」
「(それ言ったら、オレだろ。いきなり腹パンだぜ?)」
「(あの時、禍根を断っておくべきだったかしら?)」
頭を抱え、小声で会話する俺たち。
そして少し怖い事を言うハルカだが、それもあながち間違いとは言えない現実。
というか、やっぱ、まだ処刑されてなかったのか。
あの時のアーリンさんの反応から、そんな気はしていたが。
「もちろん、即座に手配は行ったが、既にこのピニングからは逃亡している可能性が高い」
ケルグでは逃亡を警戒して、かなりしっかりと町の封鎖を行っていたが、ピニングの門は、逃亡が発覚するまでは通常態勢。
入る場合にはギルドカードを確認するなり、税金を徴収するなり、それなりに門番が対応するのだが、出る時にはよほど怪しくない限りはスルーされる。
サトミーもばれてしまえば町に閉じ込められる事が解っているので、素早く町の外に出たと思われる。
「それの捜索に、領兵が必要という事ですか」
「あぁ。サトミーを捕まえたお前たちではあるが、どちらかと言えば、町の外の捜索より、中の調査の方が向いているだろう?」
どちらが向いているかは微妙なところだが、組織的行動が要求される町の外の捜索に向いていない事は間違いない。
「報酬としては、お前たちに与える事になっているダンジョン。その入口を基点に周囲六キロの土地を与えよう。もちろん、口約束では無く、きっちりと王都に登録する」
日本とは違い、この国で土地を私有するのは、案外難しい。
例えば俺たちが住んでいる家の土地。
そこは俺たちが買った俺たちの土地なのだが、これを認めているのはここの領主、つまりネーナス子爵である。
逆に言えば、ネーナス子爵が『ダメ』といえば、取り上げられる事もありうる。
だが、『王都への登録』は違う。
領主認定の下、一度登録してしまえば、それを覆せるのは所有者本人か、国王のみ。
ネーナス子爵が後から、『やっぱ無しね!』などとは言えなくなるのだ。
なので、ネーナス子爵の申し出は結構破格ではあるのだが……使い道無いからだよな、それって。
俺たちからしても、それだけの土地を貰ったところでどうしようも無い。
敢えて使い道を考えるなら、ダンジョン前に、自由に休憩小屋とか物置とかを作れるようになる事ぐらいだろうか?
だが実際、所有していなくても、作ったところで誰が文句を言いに来るわけでも無い、とも思うのだが。
はっきり言えば、報酬としては微妙である。
「………」
「それから、他の貴族の、色々な干渉からも守るし、当家から面倒な事を言わない事も約束しよう」
いえ、そもそも他の貴族が干渉しそうなのは、依頼で披露宴に出たからですよね?
その上、現在進行形で面倒な事を言われているのですが。
横暴とまでは言えないが、如何にも貴族である。
「……少し、相談させて頂いてもよろしいですか?」
「ああ、もちろん。そうだな、私たちは少し席を外そう。アーリンは彼らにお茶を」
「かしこまりました」
ネーナス子爵たちが立ち上がり、部屋を出て行き、アーリンさんもまた、手早く俺たちにお茶を淹れると、一礼して退出した。
そして暫し後、トーヤが頭を抱えてうめき声を上げた。
「う~あ~、超重要危険人物を逃がすとか、何してくれちゃってるの……」
「危険人物だからこそ、でしょ。いくら領兵の練度が低いといっても、普通なら逃げられないはずだし」
「まさか、牢屋の壁をぶち壊して逃亡した、って訳じゃないだろうしなぁ」
派手な逃亡であれば、即座に町が閉鎖されているはずだ。
ネーナス子爵の話からすれば、逃亡からしばらくの間気付かなかったと思われ、その事を考えれば、何らかのスキルでコッソリと逃げた公算が高い。
「領兵がきっちり捕まえるか、もしくはそのまま処分してくれれば一番良いんだが……」
「少し、難しい気もしますね。そのままどこか遠く、別の国にでも逃げて、私たちに関わってこないのが次善でしょうか」
「……サトミーって、私たちの家が焼ける原因になった人、ですよね?」
「まぁ、遠因ではあるよね。直接的には、大家が火をつけたっぽいけど」
「そうですか……まだ生きていたんですね」
ボソリと呟くメアリの瞳が暗い。
これは、あんまり話を引っ張らない方が良さそうだ。
「そ、それより、依頼の方だが、どうする? 引き受けるか?」
「報酬は、それほど魅力的では無いのよね」
「森の中の土地を貰っても、ってところはありますよね。使い道が無いですし」
「ガッツリ切り開いて、農業するとか? 引退後の生活としてはありかもしれないけど」
「土地を持っているっていうのは、それだけでなんか嬉しいけどな!」
トーヤはともかく、女性陣の反応は芳しくない。
「で、でも、そんな広い土地を貰えるなんて、凄くないですか? 農家の人も、相続できる畑を持ってると安泰って……」
「農家の跡継ぎと結婚できたら、成功者なの!」
ミーティアの発言を聞いていると、二人の父親、その教育方針が気になる。
だが、とても現実的なだけで間違ってはいないし、“食える”事が何より重要なのも事実である。
恋愛だ何だなんて、ある意味、金持ちの贅沢なのだ。シビアなこの世界だと。
「ミーティア、森を農地にするのは大変なんだぞ? 木を切り倒さないといけないし」
「頑張るの!」
「魔物が来るから、それの討伐も必要だぞ?」
「とっても頑張るの!」
ミーティア、土地に何か思い入れでもあるのだろうか?
やはり、“成功者”だからだろうか?
俺のネガティブ発言にもめげる事無く、両手をギュッと握りしめ、鼻息も荒く、主張する。
そんなミーティアの様子に、ハルカたちも苦笑を浮かべ、息をつく。
「……でも実質、断る選択肢は無いわよね。貴族の干渉、その防波堤は必要なんだから」
「ハルカの話を聞くに、披露宴が直接の原因みたいですが、ランクを上げていけば、結局いつかの段階では必要になったでしょうね、貴族の庇護は」
それに同意するようにハルカは頷きつつ、もう一つ付け加える。
「たぶん、あの言い方だと、マジックバッグに関する事も含まれてると思うわよ? 自家消費だけなら問題は無さそうだけど、あって悪い物じゃないわよね、貴族の後ろ盾」
「となると、あとは条件闘争? あんまり交渉できそうにないけど」
おい、そこで俺を見るな、ユキ。
お前だって、貴族相手に交渉なんてできないだろうが。
それに――。
「請けるのは良いけどさ、そろそろディンドルの季節が終わりそうなんだよなぁ」
「そう、それなのよ。ディンドル、重要だからね。ディオラさんへの義理と、私たちの食生活のために」
そのまま食べるのは勿論として、インスピールソースの原料としても欠かせない果物。
それがディンドル。
今となっては売ってお金にする事よりも、自分たちのために採りに行きたい。
しかも去年とは違い、マジックバッグがあるのだから、採取量、そして保存期間共に大幅アップが期待できる。
「ディンドルは是非採ってきて欲しいです。あの時食べたディンドルの美味しさ、忘れられません」
それは恐らく、不味い食生活が続いていたからという原因もあるのだろうが、美味しい事は間違いない。
「うん、それはあたしも。と、なると、しばらく待ってもらうか――」
「一時的に分かれるか、よね。今なら、ナオと二人でも何とかなりそうだし」
「去年は、ハルカとナオ、トーヤの三人で頑張ったんだよね?」
「まぁな。もっとも、オレは待ってただけだけどな。木に登れないから」
「あの時のトーヤは、行き帰りの荷物持ちと戦力として役に立ってたぞ? うん」
「効率を考えると、分かれる方が良いかしら? その期間、トーヤたちには無理をしないようにしてもらって」
「となると、あとは請ける条件か? 追加要求は難しそうなんだが……」
少し便利に使われているような気はするが、報酬に価値がないわけではないところが、難しい。
使い勝手は悪いが、本当の意味で土地を貰える事はかなり大きい。
「金銭面が難しいとなると、あとは現物? 特産品とか……家具?」
「いや、それなら普通にシモンさんに注文する方が良いじゃねぇか」
ユキが小首をかしげて言った言葉をトーヤがあっさりと否定する。
が、それは俺も同感。しかも、必要性が無いのに貰っても邪魔なだけである。
「エール! エールがあるの!」
「あぁ……そういえばそんなのがあったな。飲まないからすっかり忘れていたが。ミーティア、良く覚えていたな」
俺がグリグリとその頭を撫でると、ミーティアが「えへへ」と嬉しそうにはにかむ。
しかしエールか。保存に問題が無いなら、貰っていても良いかもしれない。
地味に人気があるみたいだし、トミーへのお土産や、他の人にも何らかの交渉材料に使えるかもしれない。
「それじゃ、その方向性で行くか? うまくいくかは判らないが」
「そこはナオの交渉力の見せ所? ガンバ♪」
「ユキ、笑顔でプレッシャーを掛けるなよ……」
俺に交渉力なぞ、あるわけないんだから。
「気楽にで良いわよ。ディンドルに関する事だけ認めてもらえれば、それでも十分だから」
苦笑を浮かべてポンポンと俺の肩を叩くハルカに、俺はため息で返事をした。
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