256 子爵領への帰還 (1)
披露宴の翌日、明日の出発に備えて、最後の追い込みとばかりに出かけていくトーヤたちを尻目に、俺とハルカはベッドの上でゴロゴロしていた。
マーモント侯爵のおかげで、たくさんの料理を味わうだけの余裕は得られたのだが、精神的ストレスはやはり大きかった。
何をしたというわけではなく、基本的には立っているだけなのだが、それがしんどい。
下手な事は喋れないし、ごく普通の庶民であった俺には、常に見られている状況というのは、それだけで疲れるのだ。
エルフだからか、最初の頃はラファンでも注目される事は良くあったのだが、普段の行動範囲は決まっているし、そこまで大きな町でもないので、しばらくすればそれも無くなったし、注目のされ方からして違う。
ラファンの方は単なる物珍しさで見ているだけだし、俺が何か変な事をしたところで、『おかしなエルフがいる』と思われるだけの事。
しかし昨日の場面では、事は俺だけの問題では無いのだから、緊張する。
「あ~~、なんか、体中が凝っている感じ」
「ホントよね。私なんて、顔の筋肉がこわばりそうよ」
「ハルカ、表情作ってたもんなぁ……」
別にハルカが無愛想なわけではないのだが、常に穏やかな笑みを浮かべている、というタイプでも無い。
そのため、昨日の披露宴の間の表情は、少し無理をしていたのだろう。
「しかし、貴族も面倒くさいよなぁ。笑いながら、言葉で殴り合ってるようなもんだろ?」
「イリアス様はまだ子供だけど、大人だったらもっと酷いんでしょうね」
既に名前も良く覚えていないが、最初に声を掛けてきた男など、襲われた事をネタに、明らかにイリアス様に対してマウントを取りに来ていた。
より上位の貴族の登場で、あっさりとフェードアウトしたが。
「勉強とかも大変そうだし、自由も少なそうだよな」
「マーモント侯爵は、かなり自由そうだったけどね」
「あの人は、どう考えても特別だろ」
あれだけの貴族がいて、彼だけが異彩を放っていた。
それでいて、顰蹙を買っている様子も無いのだから凄い。
もちろんそれは、彼のキャラクターと、それを許されるだけの爵位があるからこそなのだろうが。
「そんな事を思うと、稼げている冒険者が一番楽かもな」
「おかしな貴族に、手を出されない限りはね」
「……やっぱ、貴族の庇護は必要だよなぁ」
純粋な武力であれば、対抗はできるかもしれない。
だが、撃退してしまうと、それはそれでマズい。
貴族同士であれば、“紛争”として処理されるかもしれないが、一般人が殺せば貴族に対する殺人である。
仮に相手がどんな悪徳貴族であったとしても、当然の様に体制側が敵に回り、俺たちは殺されるだろう。
“正義の味方が悪者を斃してハッピーエンド”などとはならないのだ。
「交通の便が悪いのが、救いと言えば救いよね」
「ちょっと車を飛ばしてやってくる、って訳にはいかないからな」
速度面は当然として、道中の安全面でも結構命懸け。
件のパーノが突然現れる、なんて事は無さそうだが……いざとなればしばらくの間、ダンジョンにでも籠もろうか? さすがに追いかけては来られないだろうし。
「そのへんの面倒事は、ネーナス子爵に放り投げましょ。ネーナス子爵家の依頼で起こった問題なんだし」
「ハルカの美貌が問題を引き起こした、とも言えるけどな」
「あら、美貌だなんて。褒めてくれてるの?」
「美しい事は否定しないぞ?」
同じエルフのアーランディが言っていたように、ハルカの容姿を見て美しくないという人は、よほど美的感覚が一般とズレているのだろう。
「そ、そう。ありがとう」
俺の素直な感想に、ハルカは少し照れたようにベッドに顔を伏せた。
しばらくそのまま突っ伏していたハルカだったが、気を取り直したように身体を起こした。
「……ね、ねぇ、ナオ。マッサージしてあげましょうか? 身体、凝ってるのよね?」
「ん? そりゃ、ありがたいが……」
「よね。ほら、うつ伏せになって」
どちらかと言えば、身体の凝りより精神的な疲れの方が大きいのだが、やる気になっているハルカにそうも言いづらく、素直にうつ伏せになる。
「それじゃ、いくわよ」
ベッドの上に上がると、俺を跨ぐように腰を下ろし、背中に手を当ててゆっくりとマッサージを始めるハルカ。
うむ。正直心地よい。
治療だけなら魔法で一発なんだが、やはりそれとは違う物がある。
「お客さん、凝ってますね~」
「そうか?」
「ううん、言ってみただけ」
「なんじゃ、そりゃ」
俺が軽く笑うと、ハルカも少し笑って、腰、背中とマッサージを進めていく。
「でも、ナオの身体、前に比べると細くなったわよね。引き締まってはいるけど」
「身長も少しだけ伸びている感じだしな。それでいて、筋力は明らかに高いんだが……って、ちょっとくすぐったい」
腕の筋肉をさわさわと撫でるハルカの手から逃れるように、手を動かす。
「あ、ゴメン。でも、それは私も同じなのよね。身体も細くなったし……胸も、ね」
「いや、それはそれで、均整が取れていて良いと思うぞ? うん」
「なら、良いけど……」
「………」
「………」
無言で体重を掛けるように、肩、首筋とハルカの手が揉んでいく。
背中が温かくなり、ハルカの吐息が耳をくすぐる。
「……しかし、どうしたんだ、突然。マッサージとか」
「私たちはパートナーなんでしょ? それっぽい事をしても良いんじゃない? あ、後から私にもしてもらうからね」
披露宴での俺の言葉か。
「そうだな。ハルカも……相手を決めているんだよな」
「えぇ、そうね」
「………」
「………」
再び、互いに無言になる俺たち。
ハルカの手はいつの間にか止まり、その顔が俺のすぐ傍にあった。
近くで見ても、本当に綺麗だな、コイツの顔。
そっと手を伸ばし、顔を近づけていくと、ハルカが
そして――。
「おーい、ナオ。昼飯を食いに――」
突如、ノックも無しに、ガチャリと部屋の扉が開けられた。
そして、入ってきたトーヤと俺の視線がぶつかる。
それはもう、バチーンと音を立てて。
部屋の空気が凍る。
「――食いに行ってくる。しばらく帰ってこねぇから! オレもナツキたちも! そう、具体的には二時間ぐらい。それじゃ!!」
バンッとやや乱暴に扉が閉まり、トーヤの走り去る音が聞こえる。
いや、どうしてくれるよ、この空気。
俺はどうしたら良いの!?
「………」
「……二時間ぐらい帰ってこないんだって」
「そう、らしいな……?」
「どうするの?」
眼を開け、深く澄んだ瞳でじっと俺を見つめるハルカ。
そんな彼女に、俺は再びゆっくりと手を伸ばした。
◇ ◇ ◇
結局、俺とハルカのクレヴィリー最後の昼食は、マジックバッグにストックしてある物で済ます事になった。
本当に二時間あまりして戻ってきたナツキたちは、何も言わず、いつも通りの対応だったのだが……むしろ何も言われない事が微妙ないたたまれなさを感じさせる。
ハルカの方は……ごく普通に話しているな?
「必要そうな物は全部買えたの?」
「はい。米も十分な量、手に入りましたし、香辛料もかなりの種類がありましたので、頑張ればカレーに近い物は作れると思います」
「他にも珍しい物がいっぱいあったから、色々買い込んでおいたよ。もしかすると、香辛料の中には、庭で育てられる物もあるかも?」
「はい。頑張ってみますね! 種の香辛料だけになりますけど」
「美味しい物、いっぱいたべられたの!」
本当にごく普通の会話である。
そして、カレーの話はしっかりと覚えていてくれたらしい。
ミーティアの興味は食べ歩きか。
俺たちも披露宴で色々食べたが、やはり気楽に外で食事をしてみたかった。
俺とハルカは詰め込み教育を受けた関係で、結局、初日に食べただけだったからなぁ。
「その代わり、かなりお金は使っちゃったけど、いいよね?」
「まぁ、ナツキとユキが良いと判断したのなら、構わないけど……うわぁ、本当に使い込んだわね。帰ったら、しばらくの間は仕事を頑張らないと」
「この護衛依頼では、現金は貰えませんからね」
ハルカが共通費が入った革袋を覗き込んで、思わず声を上げている。
トーヤならともかく、ナツキたちが無駄遣いをするとは思わないが、ハルカの言葉からして、かなりの資金を使って食料を買い込んだのだろう。
対して、トーヤと言えば――。
「あー、ナオ、さっきは悪かったな?」
「何のことだ? 俺はハルカに治療してもらってただけだぞ? 昨日の披露宴では体中が凝ったからな。うん、うん」
「いや、即座に追いかけてこなかった時点で、バレバレだから」
「………」
何やら呆れたような表情を浮かべるトーヤだが、俺にはさっぱりである。
「で、うまくいったのか?」
「……何のことを言っているのか、まったく解らないし、心当たりも無いが、ノーコメント」
「男同士、隠す事でもなくねぇ? 別に詳細を訊いてるわけでもねぇのに。……ま、ハルカの様子を見れば、訊くまでもねぇか」
「……判るのか?」
「明らかに機嫌が良いじゃねぇか」
そんな物だろうか?
もちろん、悪いとは思わないが、いつもあんな感じだと思う。
――いや、それが判らないあたり、俺はダメなのかもしれない。
貴公子には程遠い。
「ま、オレは祝福するぜ?」
「何のことかは解らないが、ありがとう」
そう応えた俺に、トーヤは少し呆れたように肩をすくめた。
翌日の早朝、俺たちはネーナス子爵領へと向けて出発した。
来た道を逆に辿るように、クレヴィリーからミジャーラ、ピニングへと。
今度はさすがに賊に襲われるような事も無く、往路で道の補修を行った事もあり、旅はスムーズに進む。
途中、雨に降られるハプニングこそあったものの、日程的にはほぼ予定通りに、ピニングへと帰り着いたのだった。
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