255 貴族の婚礼 (8)
意味の解らない言葉に、俺は思わずそちらを振り返り、即座に後悔した。
そこにいたのは、確実にいろんな意味で“空気の読めない貴族”。
俺が仕立屋で教えてもらったとおり、男の礼服はベストと裏地以外、シンプルでシックな物が主流であり、当然ここにいる人の大半はそういう礼服を身に纏っている。
一部の例外にしても、上着に同系色の糸で控えめな刺繍を入れているぐらい。派手な服を着ている人はいない――その彼以外は。
俺の視線の先に立っていたのは、どう見ても派手な、ど紫の礼服を纏った男。
色からしてあり得ないのだが、その服にはカラフルな色の糸で、これまた派手な刺繍が施されている。
簡単に言えば、不良とかが着ていそうな刺繍入りの服。そんな感じ。
更に宝石か何かは知らないが、妙に表面がキラキラと光っていて、目が痛いほど。
見方によっては高級感を漂わせている、と言えるのかもしれないが、俺の目には安っぽい何かにしか見えない。
髪も一部紫色が混ざっているんだが……それって染めてるんだよな?
地毛じゃないよな?
大阪のオバちゃんかっ!
そんなかなーりズレている人物が、俺たちの方に向かって歩いてくるのだ。
しかも両手を広げて、笑顔を浮かべながら。
思わず、イリアス様とハルカを庇って前に出そうになるが、この場面でそれはできない。
明確な危険が無い限り、マナーとして、イリアス様の後ろに控えていなければいけないのだ。
「お嬢さん、お名前を聞いてもよろしいですか?」
服装で既に空気が読めていない事は明白だが、行動もまた同様だった。
男の視線が向いているのはハルカ。
だが、はっきり言ってこれはマナー違反である。
俺たちは今、イリアス様の従者としてこの場にいる。
にもかかわらず、イリアス様を無視するようにハルカに声を掛けるなど、普通はあり得ない。
当然イリアス様は、それを遮るように前に出た。
「どちら様ですか?」
「僕はアーレ・グノス男爵が長子、パーノ・グノス。以後お見知りおきを」
それでやっとイリアス様に目を向け、大げさなまでな礼をする男に、イリアス様は不快そうな様子を隠さないまま返答する。
「私は、ヨアヒム・ネーナス子爵が娘、イリアス・ネーナスですわ」
「ネーナス子爵……聞いた事があります。北西の辺境を治めているとか?」
「ええ、そうですわ」
「なるほど。ただ、今は関係ないので、お嬢さんはちょっと横に避けておいてくれるかい?」
「……はい?」
その貴族としてはあんまりにもあり得ない言動に、イリアス様が対応できず唖然としている間に、イリアス様を避けてパーノが近づいてくる。
「おぉ、その輝く艶やかな髪と美しい肌、スラリと伸びた手足。とても素晴らしい。君のような宝石が辺境にあるなど世界の損失だ。ぜひ君には当家に――」
寝ぼけた事を言っているパーノを遮るように、俺はハルカの手を取り、俺の背後に隠した。
それを見て、パーノは不愉快そうに眉をひそめる。
「なんだい、君は? 君には用はないよ?」
「これが、見えませんか?」
俺は自分の首に巻いた飾り布と、ハルカの腰の飾り布を視線で示したのだが、その男の方は不思議そうに首を捻った。
「それがどうかしたのかい? あぁ、悪くない布だとは思うよ。もちろん、僕の物に比べれば数段劣るけどネッ!」
いや、そのキラキラで趣味の悪い紫の布と比べないでくれ。
――じゃなく。
え、俺の知識、間違ってないよな?
飾り布の意味、教えてもらったよな?
あまりに相手が堂々としているので、少し不安になってイリアス様に視線を向けるが、イリアス様もまた、信じられない物を見たような目を相手に向けていた。
よし、間違ってない。
「判りやすく言いましょう。彼女は私のパートナーです。近づかないで頂きたい」
「……ほう。貴族である僕にそんな事を言うのかい? たかが従者が?」
パーノが不愉快そうな顔になるが、俺はもっと不愉快である。
その不愉快な気持ちのまま暴言を吐きかけたが、人目とか、立場とかを考えれば、それも難しい。なかなかにストレスが溜まる。
そんな俺の代わりに対応してくれたのは、立ち直ったイリアス様だった。
「貴族であれば、まずマナーを学ばれては? あまり度が過ぎるようであれば、グノス男爵に抗議させて頂く事になりますよ?」
「ふむ。いくら欲しいのですか? 辺境貴族に、このように美しいエルフなど不釣り合いです。パパに言って、いくらか融通しましょう」
かなり明確に不愉快さを表現したイリアス様に対する返答は、なかなかに信じられない物だった。
ピキリとイリアス様の笑顔が引きつる。
「お金の問題ではありませんわ。パーノ・グノス様は少しお勉強が不足しておられるご様子ですね」
「(ちっ、ガキが。) あまり欲張ると、まったく実入りが無くなる事もありますよ? 色々な方法があるのですから」
高性能な俺の耳に、パーノが小声でついた悪態が届く。
最初こそ好青年を装った笑みを浮かべていたが、今の表情は完全にチンピラ寄り。
ふざけた言葉に俺は思わず拳を握りしめるが、逆にイリアス様は余裕そうな表情で、ヤレヤレとばかりに大げさに肩をすくめ、首を振った。
「あなたは、もう少し言動に注意された方がよろしいですね。私と違って、子供のやる事、と見逃してもらえる年齢でも無いでしょう?」
「なにを――」
イリアス様の(貴族としては)かなり明確な罵倒に、怒りの表情を浮かべたパーノだったが――。
「ちょっと聞こえてしまったのだがね。まるで我らが種族を、美術品か何かのように、勘違いしているのかな? グノス男爵家の者は」
そう言いながら話に割り込んできたのは、アーランディ・スライヴィーヤ。スライヴィーヤ伯爵家のエルフ貴族である。
「なんだ、お前は――!?」
相手が優男だったためか、それでも強気に出ようとしたパーノだが、相手の爵位を理解してやっているのか、それとも知りもせずやっているのか。
どちらにしても貴族としては致命的な愚かさである。
詰め込み教育を受けただけの俺たちでも――いや、仮に受けていなかったとしても、その対応が間違っている事は理解できる。
そしてその愚かな行動も、後ろからポンと肩を叩かれる事で中断する事になる。
「少し騒がしいようだな? 落ち着いた方が良いんじゃねぇか? ん?」
「――っ!」
そこに立っていたのは、マーモント侯爵。
爵位は当然として、人間としての迫力が全く違う。
仮にパーノがマーモント侯爵の爵位を知らなかったとしても、彼に凄まれて平然としていられるほどの胆力は持っていないだろう。
どう見ても、チャラいし。
その服装も相まって、今となっては「うぇーーぃ!」とか言っていそうな、チャラいチンピラにしか見えなくなってきた。
「俺はランバー・マーモントだが、お前はグノス男爵家のパーノ、だったか?」
「ん、んっ……少々、空気が悪いようですね。改めるとしましょう。それでは、いずれ」
全く読めていないお前が“空気”とか言うな、って感じではあるが、引き際は悪くなかった。
マーモント侯爵の名前を聞いて、その爵位も思い出したのか、パーノは少し青白くなった顔で足早に俺たちから離れ、会場からも出て行く。
だが最後、ハルカに向けた視線がなんとも粘着質に見えて、かなり気分が悪く、不安も募る。
パーノの親が男爵という事を考えれば、ネーナス子爵領に戻った後で手を出してくる事は無い、と思いたいが……。
何も考えず、スライヴィーヤ伯爵家の人に対して暴言を吐いていた事を考えると……親がまともなら良いのだが、あの息子の親だしなぁ。
「マーモント侯爵、そしてスライヴィーヤ様、ありがとうございます」
「「ありがとうございました」」
今回は明らかな助け船だったので、イリアス様に合わせ、俺たちもまた頭を下げて礼を言う。
あの男が目立ちすぎていただけなのかもしれないが、的確に割り込んできたあたり、地味に俺たちの方を気にかけていたのかもしれない。
イリアス様が小さい頃、マーモント侯爵に抱き上げられた、という過去から考えても、ネーナス子爵家とマーモント侯爵家には何らかの繋がりがあるのだろうか。
「構わねぇよ、あのぐらい。しかし、妙なのがいたもんだな? 俺は初めて見たが……アーランディ、知ってるか?」
「グノス男爵は知っていますが、嫡男を名乗る男に会ったのは初めてですね。グノス男爵自体、大した男でもありませんが……」
「もう一段、いやもう二段は評価を下げるべきだな、こりゃ。いや、下げるべき評価も持ってねぇんだけどな、俺は。はっはっは!」
マーモント侯爵自身はグノス男爵を良く知らないのか、そんな事を言って豪快に笑う。
そう考えれば、グノス男爵は目立つところの無い木っ端貴族なのかもしれない。
それならあまり心配する必要は無さそうだが、服を見ると、金はある程度持っていそうなのが気になる。
趣味は悪かったが、刺繍の多さなどから金は掛かってそうだったからなぁ、あの服。
「私もグノス男爵は良く知りませんので、帰ったらお父様に相談したいと思います」
「それが良いでしょうね。そちらのお二人も、もし困った事があれば、いつでも当家へご相談ください。あぁ、無理に活動場所を移せとは言いませんから。同族の
「俺も手助けするぜ? イリアス嬢が贔屓にしてる冒険者なら。一度ぐらいはうちの領にも来てもらいたいもんだが、ちょっと遠いのがなぁ……」
「我が領もそれは同じですね」
聞けば、マーモント侯爵領とスライヴィーヤ伯爵領は隣り合っているらしいのだが、ネーナス子爵領からだと、ピニングからミジャーラまでよりも四、五倍の時間は掛かるらしい。
当主ではないアーランディはともかく、当主であるマーモント侯爵がそんな長期間、領地を離れても大丈夫なのかと思ったのだが、後で聞いてみると、既に継嗣が成人して立派に仕事を熟しているので、あまり問題が無いのだとか。
更に、マーモント侯爵本人はもちろん、周りに付き従う護衛も全員獣人で精強なため、馬車を使わずに己の足で走ることで、短期間での移動を可能にしているらしい。
普通なら、それが可能だったとしても世間体を気にして馬車を使うのだが、そんなところも型破りなようだ。
「もう、お二人とも。我が領の貴重な冒険者をあまり誘惑しないでください。ただでさえ、高レベルの冒険者が居着いてくれないのですから」
少しだけ頬を膨らませるように苦情を申し立てるイリアス様に、マーモント侯爵たちは子供をあやすような笑みを浮かべる。
「いやいや、そんなつもりは無いんだがな。だが、パーティーには獣人がいるって話だろ? 俺たちの種族は結婚相手を見つけるのも苦労するからな」
婚活旅行的な?
それはそれでありかもしれない。
トーヤにしても、メアリたちにしても、選択の余地無く選ぶより良い気がするし、俺もいろんな獣人が見られてハッピー。
現実的なミーティアは、経済的余裕があるトーヤを狙っている風だが、自身の腕が上がり、冒険者として自立できるようになれば、もう少し視野も広がるかもしれない。
「そうですね。幸い、そちらの二人は問題無さそうですが。しかし、貴女は同族の目から見てもお美しい。お相手がいなければ、私が名乗り出たいぐらいですよ」
全く嫌みの無い、貴公子然とした仕草で、ハルカの容姿を褒めるアーランディ。
外見だけの俺とは全く違う。
褒めているのは先ほどのパーノと同じなのだが、不快に感じさせないところが凄い。
ナンパ嫌いなハルカも、柔らかな笑みを浮かべたまま答えを返す。
「恐れ入ります。ですが、既に決めておりますので」
「解っておりますとも。大変お似合いですよ。結婚される際には是非一報を頂きたいところです。駆けつけさせて頂きます」
断られても、アーランディは爽やかな笑顔で一礼する。
駆けつけるなどはリップサービスなのだろうが、非常に様になっているのが素直にカッコイイ。
これが天然物の貴公子か。
それ以降、披露宴が終わるまで、マーモント侯爵とアーランディは俺たちの傍を離れる事なく、過ごしていた。
マーモント侯爵の食べっぷりは近くで見ると更に見事な物で、それを隠れ蓑に俺も十分に食べられたのは、一つの収穫だろう。
そしてそんな二人のおかげもあったのか、妙な貴族が再び現れるような事も無く、俺たちは無事に披露宴を乗り切ったのだった。
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