254 貴族の婚礼 (7)

「これで後は、ダイアス男爵たちへの応対を上手く熟せば、無事に帰る事ができますね」

「そうなんですか? 新郎新婦への挨拶が終わっても、終了まではまだしばらくありますよね?」

「はい、さすがにその間、食事を続けて、話しかけられないようにする、というのも難しいと思いますが」

 俺的には全然オッケーなのだが、マナー的には最悪である。

 マーモント侯爵が許されているのは、侯爵だからだ。

 ただの従者である俺がやったら、確実にイリアス様の評判が地に落ちる。

「いえ、マーモント侯爵方のおかげで、ナオさんたちを前に押し出す事ができましたから。いまさら“当家の武力が足りない”という方向で話しかけてくる人はいません」

「俺たちは、決してネーナス子爵家の私兵ではないんですけどね」

「もちろん、私は解っています。ですが、外からどう見えるか、どう見せるかが重要なのですよ」

 変に取り込まれても嫌なので、一応一言、小声で釘を刺したのだが、イリアス様はニッコリと微笑むのみ。

 貴族である。

「さて、メインディッシュが来たようですね」

 イリアス様の視線を追えば、そこにはこちらに向かってくる今日の主役が。

 イリアス様は皿やグラスをテーブルに置き、ニッコリと笑ってその二人を迎える。

「ダイアス男爵、そして奥様。この度はご結婚、おめでとうございます」

「イリアス・ネーナス様、丁寧なご挨拶、誠に痛み入ります」

「ありがとうございます」

 イリアス様が丁寧に頭を下げると、ダイアス男爵とその新婦もまたしっかりと頭を下げて、挨拶を返した。

 小さな女の子に、大の大人が頭を下げているのは少し奇妙にも思えるが、イリアス様は子爵の娘なので、爵位としては男爵相当。

 『相当』なので、それだけでは『男爵』よりも下になるが、現在は子爵の名代としてきているので、名目上は子爵と同等。

 つまり、一応はダイアス男爵よりも上になるのだ。

 なかなかに面倒くさいが、このあたりの微妙な違いであれば、互いに丁寧な対応をすれば問題にならないようだ。

 逆に、ちょっと上だからと尊大な対応をすれば、確実に顰蹙を買う。

 まぁ、俺たちの場合、とにかく全員に丁寧に対応していれば良いので、簡単とも言えるのだが。

「いつご結婚なされるのかと思っていたのですが、とても素敵な奥方を見つけられましたね」

「はっはっは、なかなか仕事が忙しかったもので。幸い、アシー男爵と縁あって、妻を迎え入れる事ができました。ありがたい事です」

「当家としましても、ダイアス男爵領とはお隣同士。共に発展して行けたら幸いですわ」

 朗らかに笑うダイアス男爵に合わせて、イリアス様も上品に笑うが、それが本心かどうかは不明である。

 ここまで通ってきた街道の様子を見ると、少々微妙だろうか。

「そう言って頂けると、当家としても心強い。そうそう、ネーナス子爵家からはご祝儀としてとても貴重な物を頂きましたね。御父上にはよろしくお伝え頂きたい」

「ダイアス男爵家の発展の一助になれるのであれば、当家としても僥倖です」

「しかし、あれだけの物、ネーナス子爵家としても、入手にとても困難が伴ったのでは?」

 ご祝儀とはレッド・ストライク・オックスのミルクの事だろう。

 貴重というのも、ダイアス男爵領の様子を見るに、値段よりも入手の困難さを指す物と思われる。

 少し探るような男爵の視線を、イリアス様は軽く受け流し、俺たちの方を示す。

「彼らのおかげですわ。とても助かっております」

「ほう。確か腕の良い冒険者とか?」

 俺と、そしてハルカに向けられる露骨に探るような視線が少々不快だが、それを顔に出さないようにして頭を下げる。

 好色さなどはまったくない、冷徹なビジネスマンのような視線だったが、アーランディ・スライヴィーヤやマーモント侯爵から向けられた視線に比べ、親しみなどは感じられない。

 ある意味で優秀な統治者である事は間違いなさそうだが、もし移住するのであれば、実際には見てもいない、マーモント侯爵たちの領地の方が暮らしやすそうに思える。

「ふむ、羨ましい事ですな。当領地には、残念ながら冒険者が少ないですから」

「簡単にはいかない事ですから。成果がなかなか出なくとも、長い目で見て投資する。当家ではそうしておりますわ」

「なるほど。興味深い話ですね。参考にさせて頂きます。それで、あのような品物が、今後我が領にも流れてくると期待してもよろしいのですかな?」

 それは俺たちに対する問いだったか。

 だが、それにすぐに応えたのはイリアス様だった。

「それは、ピニング、ミジャーラ間の街道次第ではないでしょうか? 品物の運搬に関わる問題ですから」

「……なるほど。――それでは、私たちはそろそろ。この度はご出席頂き、ありがとうございました。この後も楽しんでいってください」

「はい、ありがとうございます」

 軽く頭を下げたダイアス男爵に合わせ、新婦の方もまた頭を下げ、共に離れていく。

 たぶん、こういう場面では、あまり新婦の方は喋らないものなのだろう。

 最初に挨拶をして以降は、ダイアス男爵の隣で、ただ笑顔を浮かべているだけだった。

 もちろん、それを言えば俺たちなんて、ただの一言も喋らず、突っ立っているだけなのだが。

「ほぅ……。なんとか無難にやり過ごせたでしょうか」

 最後まで笑顔で通したイリアス様であったが、ダイアス男爵が他の招待客と話し始めると、まるで表情をほぐすかのように、顔に軽く手を当てて、息を吐いた。

「しっかりと話せていたように思いますよ、私は」

 イリアス様に飲み物とお皿を渡しつつ、ハルカが微笑む。

 そしてそれは俺も同感である。

 あの男と面と向かってやり合うとか、正直遠慮したい。

「……あぁ、先ほどはああ言いましたが、ハルカさんたちがダンジョンで得た物をどこで売っても、問題はありませんからね。もちろん、当家としては領内で売って頂くのがありがたいですが」

「住みやすい限り、俺たちはネーナス子爵領から出て行くつもりは無いですから、わざわざ別の場所に売りに行く予定は無いですよ」

「住みやすい限り、ですか。お父様に伝えておきますね」

 俺の率直な言葉に、イリアス様は頷き、そう応える。

 だが実際、家も建ててしまったし、別の場所に旅行する事はあったとしても、完全に転居するつもりは、今のところ無い。

 ラファンに比べ、クレヴィリーの方が確実に料理は美味いし、その他の物も多く手に入る事は解っているが、安心してのんびりと暮らせるのはラファンだろう。

 それが変わらなければ、自宅として住むのであれば、ラファンに軍配が上がる。

 これでもし、ハルカたち料理上手の同居人がいなければ、別の結論になった可能性はあるが。

「しかしこれで、あとは楽に過ごせそうです。襲撃の件とハルカさんたちの件、その両方を除けば、当家は所詮弱小貴族、敢えて話しかけてくる人もいませんから」

 少し自嘲気味に、しかしどこかホッとしたようにイリアス様が言う。

 自分の家を弱小というのはあまり嬉しくは無いのだろうが、かといって貴族同士の外交の矢面に立たされるのもまた困る。そんなところだろう。

 ここまでに関しては想定の範囲内で、事前のリハーサルも含め、しっかりと対応してきているのだが、いくら貴族とは言え、さすがにイリアス様の年齢で想定外の状況に、アドリブで対応するのは難しい。

 まぁ、一定のルール、マナーに則って行われる貴族のパーティーで想定外の状況など、それこそマーモント侯爵の様な人でもいなければ、そうそう起こったりはしない。

「せっかくですから、しっかり料理を食べて帰りましょうか。勿体ないですからね」

「イリアス様、結構、タフですね?」

 少し苦笑を含んだハルカの言葉に、イリアス様は軽い笑みを浮かべる。

「えぇ。試練は終わりましたから。家に帰れば、また質素な食事になるんですから、これぐらいの余録があっても良いですよね?」

「確かに、美味しい事は間違いないんですよね、ここの料理。せっかくですから、高そうな物を選んで食べましょうか?」

「ハルカさん、ナイスです。ピニングでは手に入りにくい物が良いですね」

「高い物と言えば、果物などでしょうか。あと、海産物も見た事が無いですね」

 俺も二人に混ざり料理を物色。

 今も留守番をしている、そして、俺たちがスパルタ教育を受けている間にも、のんびりと休日を満喫していたトーヤたちのためにも、しっかりと味わって自慢してやらねばなるまい。

 可能なら、ここの料理が再現できるほどの情報を持ち帰りたいところだが、土台俺には無理な話。

 そのあたりはハルカに任せるとしよう。

「海は遠いですから、海産物はどうしても高くなりますからね。手に入るのも塩漬けなどですから、敢えて出すほど美味しい物は少ないですし。財力を誇りたい貴族は出してくる事もありますが」

「あまり詳しくは無いのですが、やはり海は遠いのですか?」

「えぇ。我が国から海に向かうとなると、南と東になると思いますが、南はユピクリスア帝国です。当然、物資の流通もしづらいですし、ユピクリスア帝国自体、海には接していません」

 そこから更に南、もう一つ国を通り過ぎてやっと海に辿り着くらしい。

「東はオースティアニム公国で、こちらは友好国ですが、こちら側ももう一つ国を跨ぐ必要がありますし、距離自体が遠いですからね」

 普通に馬車で運ぶなら、何ヶ月もかかる距離。

 そんなところから運んできていては、当然輸送費もとんでもなく掛かる。

 そこまでして海産物を食べなくても、近くの川で魚が捕れるのだから、普通はそちらを食べるだろう。

 サールスタットの泥臭い魚ならともかく、この町で食べた魚であれば、十分に美味いのだから。

「本当にお金がある貴族は、マジックバッグを使って運んできたりするようですが……ここの料理にあるのかは判りませんね。私は海産物にあまり詳しくないので」

「魚料理でも、違いは判りませんよね」

 イリアス様の後ろから、テーブルの料理を物色するのだが、本当にいろんな料理が並んでいる。

 魚っぽい料理もあるのだが、海魚か川魚かなど、俺に判るはずも無い。

 まぁ、美味そうなので当然取って食べてみるのだが。

 ちなみに、服の値段を聞いた時には超ビビっていた俺だが、よく考えれば俺たちには――正確にはハルカには『浄化』がある。

 その場で一瞬にしてしみ抜きができるのだから、周りに無様な様子を見せない範囲であれば、もし汚してしまっても心配は無いのだ。

 さすがに、マーモント侯爵の様な豪快な食べ方はできないが、ソースが飛ぶのが怖い、と美味しそうな料理を遠慮をする必要も無い。

 面倒な貴族との対話――対話したのはイリアス様だけだが――が終わったとなれば、食事も喉を通るのだ。

「あ、ナオ、貝料理があるわよ? あれって、海の物じゃない?」

 ハルカの示した貝は手のひらの半分ほどはある二枚貝。

 二枚貝というと海の貝というイメージがあるのだが、必ずしもそうじゃないんだよなぁ。

「いや、どうだろ? 川や池にも、下手したら陸生の貝って可能性もあるぞ? タニシやカタツムリとかいるし」

「……そう聞くと、食欲が落ちるんだけど」

「その貝ですか? それは湖の貝ですね。美味しいですよ。ウチの食卓には上がりませんが」

 つまり、高いんですね?

 なら食べておくべきでしょう。

 見た目としてはハマグリのような感じで、片側の殻だけを残し、そのまま調理してある。

 貝の身の上にチーズのような物と香草が置かれ、そのまま網焼きか、オーブンか。

「おー、濃厚。『貝です!』って感じだな」

「えぇ、肉厚だし、泥臭くも無くて、砂も無い」

 その場で調理しているわけではないので冷めてはいるが、貝の旨味が凝縮していて、かなり美味い。

 しかも食べやすいように、貝柱はきちんと切り離してあり、フォークだけで簡単に食べられるのもポイントが高い。

 イリアス様も同じ料理を食べて頬を緩めているから、彼女の口にも合ったのだろう。

 アエラさんの事があったから、多分そうだとは思っていたが、この世界、レベルが高いところはホント高いな。『星三つ!』とか言いたくなるぐらい。

 それでいてめっちゃ不味い料理もあるあたり、なんとも言えないが、コスト的な物もあるだろうから、一概にダメとも言えない。

「さて次は……」

 俺たちは揃って皿を置き、次の料理を選ぼうとしたその時――。

「おぉ! まさかこのようなところで、こんなに美しい宝石と出会えるとはっ! これぞ天佑!」

 突然、そんな声が聞こえてきた。

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