250 貴族の婚礼 (3)

 アーリンさんに連れてこられたのは、大通り沿いにある立派な店構えの服屋だった。

 看板に『庶民お断り!』との文字が見えそうな、そんな店。

 ナツキたちのお供をする関係で、ちょっと高そうなブティック程度なら、あまり気にせずに入れる俺ではあるが、この店は少々入るのに勇気が必要となる。

 今回はアーリンさんがあまりに普通に入っていくので、それに付いてするりと入ってしまったわけだが。

 店の中は一見すると、どこか上流階級の応接間のような印象で、服屋とは思えない。

 服は一切並んでおらず、広めのテーブルとソファーがいくつか置かれているだけ。

 大きな違いと言えば、カーテンで区切れるスペースが何カ所かある事だろうか。

「こんな店、初めて入るな」

「そうなのですか? 皆さん、メアリちゃんたちも含め、しっかりとした仕立ての服を着ておられますが……たまに変わったデザインの物も見かけますが、あれも高いですよね?」

「あれらの服は、私たちの自作なんです。趣味みたいな物ですね」

「……お仕事、間違っておられませんか? あ、いえ、皆さんぐらいなら、冒険者の方が稼げますよね」

 ハルカの言葉に、アーリンさんが一瞬呆れたような表情を浮かべたが、すぐに俺たちが納品したレッド・ストライク・オックスのミルクの値段などを思い出したのか、逆に納得したように頷く。

 ただ確かに、駆け出しの冒険者よりも仕立屋になる方が安全で稼げるのだから、アーリンさんの言う事も間違ってはいない。

 もっとも、それには“仕立屋を開く事ができれば”という前提はあるので、簡単な事ではないのだが。

「いらっしゃいませ。今日はどのような……?」

 店の奥から出てきたのは、少し年配の女性店員。

 笑顔で近づきながら、アーリンさんと俺たち二人に視線を走らせ、一瞬だけ迷い、ターゲットをアーリンさんに定める。

 アーリンさんが言うように、俺たちの服もそれなりに良い仕立てではあるが、貴族が着る物とは違う。

 その点、アーリンさんは貴族の使用人と判るような格好をしているため、彼女に対して話しておけば、間違いは無いとの判断だろう。

「こちらのお二人の服を一揃え、お願いします。ダイアス男爵の婚礼に出席できるように」

「それですと、二日しかございません。追加料金が必要となりますがよろしいですか? それに、あまり複雑な物は……」

「オーソドックスな物で構いません」

「かしこまりました。それではこちらへ」

 俺たちが促されるままソファーに腰を下ろすと、俺の横に素早く年若い男性店員がやって来て、何枚かの絵を見せながら説明を始めた。

「今の主流はこのタイプの礼服です。ズボン、コートの色はお好みで構いませんが、あまり派手な物は好まれません。多くの方は、飾り布で個性を出されますね」

 ズボンにシャツ、ベストと上着。

 俺の知識の中で近いのは、フロックコートだろうか。

 タイの代わりに、細長い飾り布をマフラーのように垂らし、胸の前で結ぶようだが、全体としては、仮に現代で着ていても、あまりおかしくない印象。

 ただし、ベストやコートの裏地には柄物の布を使ったり、細かい刺繍を施したりするのが、今の流行りらしい。

 これは一種の豊かさのアピールで、一時期はコートの表地やズボンにまでそれが広まったらしいが、あまりにうるさすぎると、その流行りは短期間で終息してしまったとか。

 全く俺も同感である。

 華やかなのは女性だけで十分である。

 しかし良かった、この世界の貴族の正装が、カボチャパンツにタイツ、びろびろの首巻き、みたいな物じゃなくて。

 郷に入っては郷に従えとは言うが、周りから見て普通でも、俺自身が恥ずかしい。

 そして、トーヤたちには絶対に爆笑される。

「最近流行りのベストはこのようなタイプで――」

 男性店員の説明は続いていたが、俺はふむふむと聞き流し、最終的には『店員さんが俺に似合うと思う物でお願いします』と完全にお任せにしてしまった。

 ただ『飾り布だけはお好みの物を……』と言われたので、いくつか提示された布の中で、青っぽい物を選んでおいた。

 正直、礼服なんて普段着る物ではないし、見るのは俺ではなく周りの人。

 俺の好みなんて二の次で良い。

 プロが俺に似合うと思ってコーディネートした物なら、大半の人はおかしいとは思わないだろうし、変だと言われたところで、自分で選んでいないので、俺の気持ち的には楽である。

 俺、チキンなので。

 服を決めて(丸投げして)しまえば、後は俺の身体のサイズをちゃっちゃと測って、終了。

 早速作業に取りかかるらしく、男性店員は奥へと引っ込んでしまった。

 俺は他の女性店員が出してくれたお茶を飲みつつ、未だ話し合いが続いているハルカの方を見る。

 ハルカも俺同様、こちらの礼服事情など詳しくは無いはずだが、俺みたいな丸投げはしないようで、アーリンさんも交えて店員さんと議論を重ねているようだ。

「お客様のボディラインであれば、こちらの方が綺麗に見えるかと」

「ハルカさんの髪色であれば、こちらの布の方が映えませんか?」

「首元のラインはこちらの方が好みですね。袖はこれが――」

「お客様は身長がありますから、あまりスカートが広がらないタイプが良いかもしれません」

 俺が見た絵は数枚だったが、ハルカの方は数十枚もの絵がテーブルの上に広げられ、他にも実際に使用する布なのだろう、光沢のある絹のような布も並んでいる。

 …………うん。空気になろう。

 下手に存在感を出して、『ナオはどう思う?』とか訊かれたら、面倒くさい事、この上ない。

 そういう風に訊かれた時、必要なのは“良い物を選ぶ”能力ではない。

 “相手が気に入っている物を選ぶ”能力なのだ。

 選択に失敗した程度で不機嫌になるほど、ハルカと俺の付き合いは浅くないが、失敗した分だけ悩む時間が加算される事は確実。

 逆に的確に選択ができれば、時間が短縮されるのだが……結構難しいんだよなぁ。

 ハルカのセンスが致命的に悪い、とかなら話は別だが、ハルカを含め女性陣のセンスは普通に良い。

 意見を聞かれたところで、もう完全に僅かな好みのレベルでしかない。

 なので、安全なのは、選択を求められない状況にする事。

 相手の気分次第なので、失敗も多いんだけどな。


 結局、ハルカたちの議論が終わったのは、俺が五杯目のお茶を飲み終わり、二杯目のお茶と共に出てきた菓子を堪能し、そろそろトイレでも借りようか、と思い始めた頃だった。

 最後、俺の意見も聞かれたのだが、今回は楽だった。

 ハルカ、アーリンさん、店員さんの三人で話し合っていたので、こちらの世界的にイマイチという物は既に却下されていたし、ハルカの意見もきっちり俺の耳に届いていた。

 なので、それに沿って選べば問題は無い。

 ハルカが自分一人、無言で悩んだ上で、いきなり『どっちが良い?』とか訊かれるのが一番困るのだ。

 そんなわけで、ハルカの着るドレスのデザインは決定。

 俺と同じようにハルカも――明らかに俺よりも長い時間は掛かったが――身体のサイズを計測し、服のできあがる二日後を待つ事になる。


    ◇    ◇    ◇


「あと、申し訳ないのですが、お二人には軽く作法の方を勉強して頂ければ……」

 服屋……いや、正確には仕立屋から宿に戻ってきた俺たちにアーリンさんから告げられたのはそんな言葉だった。

「やはり、単に立っているだけでは済みませんか」

「もし、旦那様であれば的確にフォローして頂けるでしょうから、それで問題は無いのですが、イリアス様ですので……。むしろ、お二人にイリアス様をフォローして頂きたいぐらいでして」

 正直、不服申し立てをしたいところではあるが、一〇歳に満たない子供が頑張っているのだと思うと、口には出しにくい。

「それは、付け焼き刃で何とかなる物なのですか?」

 ハルカの問いに、アーリンさんは静かに頷く。

「付け焼き刃でもなまくらよりはマシです。一日保てば良いのですから」

 なるほど。至言である。

 一日――いや、実際には半日ほども乗り切ればそれで終わり。

 想定される状況も非常に限られた物であり、その範囲だけ学べば何とかなるのだ。

 それに、僅かではあるが、出発前に受けた授業も多少は頭に残っている。

「イリアス様も、そういう訳ですので、頑張りましょう」

 仕立屋から戻った後は、一度部屋に戻った俺たちだったが、トーヤたちに速やかに送り出され、今はイリアス様の部屋。

 初めて入ったのだが、派手さは無くとも、高級感が漂う部屋である。

「はい。ハルカさん、ナオさん、この度は、お手数をおかけしてすみません」

「いえ、お仕事として請けましたから、問題ないですよ」

「少し不安ではありますが、微力を尽くします」

「ありがとうございます」

 問題ないと微笑むハルカに倣い、俺もまた笑顔で軽く頷いておく。

 正直、不安の方が大きいのだが、それをイリアス様に言うわけにもいかない。

「まともな貴族が、お二人にいきなり話しかける事はまずありませんので、イリアス様が上手く対応できれば問題ありません」

「私にできるでしょうか……」

「できるようにするのです。大丈夫です。まだ二日あります」

 不安そうな表情を浮かべたイリアス様を励ますように、アーリンさんは笑顔で力強く応え、イリアス様の傍にかがみ込み、その耳元でごにょごにょと何か話しかけている。

 それに従い、不安そうだったイリアス様の表情が引き締まり、何やら気合いの入った表情へと変わっていく。

 それを満足げに確認したアーリンさんは再び立ち上がり、俺たちの方へと向き直る。

「さて、お二人に話しかける貴族の目的は二つです。まず一つは、優秀な冒険者として、自領へ引き抜きたいという場合」

「俺たち、引き抜きたいと言われるほどでは……」

「大丈夫です。そう思われるように噂を流します。というか、流しています。ケトラが」

 ケトラさん、いないと思ったら、そんな仕事してたのか!

「それは、むしろ大丈夫ではない、というのでは?」

「過大評価だよな……」

「はい。過大評価して頂きたいのです。当家のためには」

 確かに、そんな話ではあったが……う~む。

 イリアス様が、上手くあしらってくれれば良いのだが。

 視線を向ければ、任せてくださいと言わんばかりの笑顔で、深く頷いている。

「こちらはあまり問題は無いでしょう。自領の冒険者の引き抜きを止めるのは、自然な事です。イリアス様の傍から離れなければ、割って入れます」

「お任せください。メアリたちがいなくなるのは、当家の損失です」

 胸を張って言うイリアス様だが、そこは俺とハルカの名前を出して欲しかった。

 まぁ、メアリたちと順調に仲良くなっている事は間違いないようだ。

「もう一つ、こちらが少々面倒なのですが、一人の男性、女性として話しかけられる場合ですね」

「……えっと?」

「簡単に言えば、結婚相手としてです」

「はい? 冒険者として噂を流すんですよね?」

 婚礼の儀式に出席するのは貴族。

 冒険者は結婚相手にならないだろう。

 俺たちのような従者もいるだろうが、それらの人が主人を放置して声を掛けてくるはずもない。

「いえいえ。それが高ランクの冒険者なら、そうでもありません。当家の北から西にかけてのエリアもそうですが、この国の周辺にはまだまだ人の住んでいない土地がありますからね。冒険者から貴族になる事もあるんです」

 領地を広げるため、腕の良い冒険者を貴族に叙して、空白地帯を任せる。

 高ランクであれば金も持っているし、魔物などの討伐もできる。

 国からすれば低コストで領地を広げる事ができ、とてもありがたい。

 失敗すれば、それを理由に爵位を取り上げれば元通り。大した損失も無い。

 そういう事らしい。

「それに、貴族になれなくても、優秀な冒険者を一族に入れておく事は価値がありますし、ハルカさんやナオさんの場合、エルフで外見も良いですからね。とても狙い目です」

 アーリンさんのぶっちゃけた話に、ハルカが顔をしかめる。

 これまではエルフであっても、それが原因でトラブルに巻き込まれる、なんて事は無かったが、今回のこれらはエルフだから、だよなぁ。

 見方によっては悪くないのかもしれないが、打算的に貴族のお嬢さんたちにモテたとしても、正直、嬉しくはない。

 この前、アドヴァストリス様から貰った【ラッキー!】の恩恵、仕事してる?

 全然、効果を実感した事が無いんだけど!!

 ま、それは前々回貰った経験値アップも同じなんだが。

 アリとナシで比較できないし。

「今回の婚礼、金持ちとは言っても所詮は男爵、来ている人の爵位も高くありません。冒険者相手としては、ちょうど良い感じですね」

「ちょうど良いと言われてもね……。少し困るのですが、何とかなりませんか?」

「そうですね……相手がいるなら、さすがに周りの目がある状況で声を掛けたりはしませんが……ハルカさんとナオさん、どうなんですか? 実は結婚していたり?」

「「い、いや、結婚はまだ……」」

 思わず声がハモり、俺とハルカは顔を見合わせてしまう。

 微妙に頬と耳が赤くなっているハルカ。

 そんな彼女の様子に、妙に気恥ずかしくなり、目を逸らしてしまう。

「まぁ、まぁ、まぁ! やっぱりそうなんですね! 素敵です!」

 イリアス様が両手をパンと合わせ、笑顔で瞳を輝かせる。

「お二人は、とてもお似合いだと思いますよ?」

 追い打ちを掛けるように、アーリンさんまで言うが……俺たち、結婚以前に、まともに告白すらしてないんだが……。

 チラリとハルカを見れば、バッチリと目が合う。

 そして更に赤くなる、ハルカの顔。

「なるほど、了解しました」

「どういうことですの、アーリン?」

「互いの好意が解っていても、なかなか一歩踏み出せない、そんな初々しいお二人なんですよ、イリアス様」

「まぁ。これは、背中を押して差し上げるべきでしょうか?」

 アーリンさん、そんな事、本人の前で解説しないでくれ!

 そして、イリアス様、色々台無しだ!

「そんな微妙な関係のお二人には、揃いの飾り布をお勧めします。ナオさんは首に巻く物を選ばれたと思いますが、それと同じ物をハルカさんの腰に巻くのです」

「……それの意味は、やっぱり?」

「恋人同士、婚約相手、そんな感じですね。そんな相手が隣にいる時に声を掛けるのは、非常に無作法です。まともな貴族ならやりません」

「……どうする? ナオ」

「拒否する理由は無い、か」

「だよね」

 アーリンさんとイリアス様のニヨニヨとした笑みを視界の隅に捉えながら、俺たちは頷き合い、その提案を受け入れる事にする。

 そして、翌日からの二日間、付け焼き刃の貴族教育を受ける事になるのだった。

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