243 クレヴィリー (2)

「あいよ! おまたせさん!」

「おっ! 来た来た!」

 おばちゃんがオタルカを持ってきたのを幸いと、俺はその話題は棚の上に放り投げた。

 そんな俺にちょっと不満そうな表情を浮かべたユキだったが、テーブルの上に置かれたオタルカを見ると、驚いたように目を丸くした。

「わぁ、すっごいぐつぐつしてる!」

「おぉ、美味そうな匂い……」

 木の板の上に置かれた、二〇センチあまりの熱々の器。

 その中でぐつぐつと音を立てている赤い液体と、その上に垂らされた白いソース。

 一見すると辛そうにも見えるが、匂いからして間違いなくトマトだろう。

 しかも、たぶんフレッシュトマト。

 ざく切りにした実がゴロゴロと浮かんでいる。

 そして鼻を突くこの特徴的な匂いは、ニンニクか!

 デートでニンニク。

 付き合い始めのカップルとかなら、あり得ない組み合わせだが、俺とユキはそんな事を気にする仲じゃないし、そもそも付き合ってもいない。

 なので、この暴力的なまでに食欲を刺激する香りはただ嬉しいだけである。

 チラリとユキを見れば、目をキラキラと輝かせて、早速スプーンを手に取っている。

「熱いから気を付けて食べるんだよっ!」

 俺たちの様子を見て嬉しそうにニカッと笑ったおばちゃんは、そんな注意を残してテーブルを離れた。

 それを視界の隅で捉えながら、俺もまたスプーンを手に取り、器の中に沈める。

「ほー、もっと重い感じかと思ったら、シチューに近い感じなんだな?」

「うん。最初に聞いたイメージだと、ジャガイモとベーコンの挟み焼きにソースを掛けてる感じかと思ったんだけど」

 器にぎっしりと芋と肉が詰まっているのかと思ったら、そんな事は無かった。

 どちらかと言えばトマト味のポークシチューに近い。

 芋が入っているという話だったが、あまり形は残っておらず、煮溶けてしまっているのか、ソースがややドロッとしている。

 細切り肉の方も、スプーンで一掬いすれば一、二本が載る程度で、がっつりと入っているわけではない。

「なるほどな。確かにこれなら、中サイズでも食べられたかもな」

「だね。でも、あたしはこれぐらいで十分だけど」

「芋が溶けてる分、腹に溜まりそうだもんな。どれ……」

 スプーンで一口。

 最初にガツンとくるのはニンニクの香り。

 そしてトマトの酸味と仄かな甘み。

 僅かに青臭さも感じるが、なるほど、これを消すためのニンニクか。

 肉の方は事前にしっかりと下味を付けているのか、味気なさは全くない。

「へぇ、これ、肉は別に調理してから、後で加えてるね。ソースや芋と一緒に調理したら、もっとパサパサして旨味が抜けちゃうもの」

「ソース自体も結構美味いな?」

「うん。トマトの旨味、タマネギの甘み、塩加減、ローリエっぽい物やローズマリーっぽい物も入ってるかな? そしてニンニクの使い方。絶妙だね」

 さすが【調理】スキル持ち。

 俺よりも的確なコメント。

「事前に作っておいたそれらを混ぜて器に盛り、オーブンで焼く。客には熱々を出せるし、大鍋料理みたいに火を通しすぎる事も無い。燃料代は掛かるけど、オタルカのみ提供して、この客の入りなら上手くいく、と。よく考えられてるよ」

「このチーズ部分も美味いぞ? チーズっぽさは少ないが」

 フレッシュチーズみたいな感じで、それこそクリームシチューにも近く感じるが、これはこれで十分に美味い。

 ただ、トマトとチーズの相性の良さという点では今一歩なので、今度食べる事があれば、単品で頼んでみようか。

 そんな事を考えながら、俺とユキは手を止める事もなく食べ続け、一人前をペロリと平らげた。

 最初はちょっとだけ少ないか、と思っていたのだが、思った以上に芋が多く使われているのか、想像以上にお腹を満たしてくれ、満足感も高い。

「これは、さすがと言わざるを得ないね! ここが特別美味しいのか、それともここレベルの料理が普通にあるのか、ちょっと気になるところ」

「ああ。もっとも、もう食えないけどな」

「あたしも無理。食べられるとしても、デザートぐらいかな? ――さて、出ようか」

 これだけ混んでいる店で長々とテーブルを占拠するわけにもいかず、俺たちは食べ終わると早々に立ち上がり、おばちゃんに礼を言って店を出た。

 代金は二人分で締めて大銀貨三枚。

 アエラさんのお店のランチが大銀貨一枚だから、一・五倍か。

 品数を考えると……。

「少しだけ、物価が高いかな? あたしたちが食べたのが『小』と言う事を考えると」

「あぁ、そうか。普通サイズだと……」

「大銀貨二枚だって。昼食としてはちょっと高いよね」

「だな。単純比較は難しいが……ピニングも結構高かっただろ?」

「あぁ、そういえばそうだったね。味だけ比較すれば、ここのオタルカの方がずっと美味しいし」

「流通の違いもあるとは思うけどな」

 もし先ほど食べた物が、ラファンでも同じ値段で提供されたなら、それはかなり格安だろう。

 だがそれは、素材の入手しやすさを考慮に入れていないから。

 ラファンでは手に入りにくいフレッシュトマトも、こちらでは手に入りやすいのかもしれない。

 そう考えると、物価の比較は難しい。

 サービスであれば少しは比較しやすいが、“同じサービス”というのも、これまた難しい物。

「ま、歩き回っていれば、色々見えてくるよ、たぶん。いこっ!」

 宿には夕食までに帰れば良い。

 そう言って俺の手を引くユキの後を付いて、店を見て回る。

 やはり印象としては、商店が多い。

 飲食店は勿論として、それ以外にも物を売る店が多く道路脇に並んでいる。

 ラファンなどでは、大通り沿いであっても店舗以外があるのだが、ここは基本的にすべて店舗。

 営業していない様子の店舗はあるが、作り自体が住宅ではなく店舗である。

 そして俺たちが歩いてきた道以外にも大通りがあるのだから、ここクレヴィリーは完全な商業都市と言えるかもしれない。

 少なくとも俺たちが入ってきた門の周りには畑が見えなかったので、食料品はすべて他所から運んできていると思われる。

 立地としても、ミジャーラから続く川に加え、北方から流れてくる川、そして、少し東には北西から流れてくる川も有るのだから、水運という面ではかなり有利である。

「あ! ナオ、あそこ。錬金術のお店がある。入っても良い?」

「別に構わないぞ。俺もちょっと興味あるし」

「あぁ、ナオは入った事、無かったっけ? あんまり期待には応えられないと思うけど」

 苦笑しつつ店に入っていくユキを追い、俺も店の中に入ったのだが……む、これはちょっと期待外れ。

 期待していたのは、なんか怪しげな物品が所狭しと並ぶ怪しげな店内。

 だが実際は、怪しげな物など何も無い、ごく普通の店舗。

 目に付くのは、俺の身長ほどもあるでっかい牙と、これまた畳二畳分ぐらいはありそうな、真っ黒な毛皮が壁に掛かっている事ぐらい。

 怪しい品物の代わりにあったのは、壁に大量に掛かった木の板。

「“シャヴァースターのスガスタ”? “ドラドケルスのウロコ”? “メルフィルアの粉末”?」

 そんなよく判らない物が書かれた板がズラズラと。

「大半の物は並んでないんだよ、店頭には。高いからね」

「盗難防止か」

 本屋でも同じだったが、そこまで客を信用できないって事なんだろう。

 あー、でも、日本でも高い物は似たようなものか。

 空き箱だけだったり、商品名を書いたカードだったり、ショーウィンドウの中で手に取れないようになっていたり。

 本だって一〇万円を超える商品と考えれば、手に取れないのも当然かもしれない。

 ただ、不思議な物を期待していた俺としては、少々残念である。

 仕方ないので、飾ってある牙を見てみる。

 長さは俺の身長よりも少し長く、少しだけ湾曲しているものの、象牙のようには曲がっていない。

 根元の太さは俺の両手の指を広げても届かないぐらいで、もう一つ手が必要な感じだから……ユキのウェストぐらいか?

 かなり太い。あ、いや、ユキのウェストじゃなくて、牙が、だぞ?

 こんなのが生えている魔物――まさか普通の動物ではあるまい――がいるのか。

 対峙したくないなぁ。

「……ベヒモスの牙? 本物か?」

 牙の上に掛かっていた説明に、思わず言葉を漏らす俺。

 魔物事典に載っていただろうか、ベヒモスって。

「本物じゃ。一グラムで金貨一〇枚。格安じゃぞ?」

 訝しげな表情を浮かべていただろう俺に答えを返したのは、錬金術という店には似合いの老婆だった。

 ベヒモスが存在した事に驚くべきなのか、一グラム金貨一〇枚という価格に驚くべきなのか。

 純金よりもよっぽど高い。

 これ一本で一体いくらになるのやら……。

「今は必要ないかな~~。でも、品揃えはすごく良いね?」

「ほっほっほ、そうじゃろう? 少なくとも、クレヴィリーでは一番と自負しておる」

 ユキの言葉に、老婆が嬉しそうに笑う。

 格好は怪しげな錬金術師っぽいのに、笑い声は結構陽気そうで、なんだか話しやすそうにも感じる。

「やっぱり、いろんな所から集まってくるの?」

「うん? そうじゃな。この周辺で採取された素材はほとんど無いのう」

「それじゃ、あんまり安くないんじゃ?」

「そりゃ、産地に比べりゃ安くはないの。じゃが、一つずつ、産地に行って買ってくる事はできまい?」

「そうなんだよねー。ん~、でも、今すぐ作りたい物は無いから、保留、かな? 数日は滞在するから、出発までに買いに来るかもしれないけど」

「そうかい? それじゃ、仕方ないね」

「とりあえず、何が売ってるかだけメモって帰らせてもらうね。宿で検討するためにも」

「あぁ、好きにしな」

 ユキが老婆と雑談しながらメモを取る間、俺は店の中を見て回るのだが……やっぱりイマイチ物足りない。

 どんな代物かすら判らない素材名とでっかい毛皮(これはベヒモスの毛皮のらしい)があるだけで、見て面白い物が無いのだから。

 なので途中からは、ぼけーっと二人の会話を聞き流しながら、ユキの作業が終わるのを待ち、彼女が満足したところで店を後にしたのだった。


 それからも俺とユキは、いくつもの店をハシゴしたのだが、それで判るのは総じて商品の種類が豊富な事。

 そして、同種の店が複数ある事。

 例えばラファンでも、複数の鍛冶屋があったりはするのだが、一つの通りを歩いただけで複数ある、なんて事は無い。

 特産品である家具工房に関しては別だが、あれはラファンで売るわけではなく、他所に販売するために作っているのだから、少し違うだろう。

 それだけ商売が盛んであるという証かもしれないが、売る方はなかなかに大変そうである。

 実際、閑古鳥が鳴いている店もあったし、閉店している店舗などは、そう言った店舗のなれの果てなのだろう。

 その結果、どうなるのかが気になるが、総体としてかなり栄えているのは間違いないわけで……自由経済、資本主義社会で暮らしていた俺としては、なんとも否定が難しいところである。

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