242 クレヴィリー (1)
「ところでアーリンさん、何か用事があったのでは?」
暗くなった気持ちを変えるように、ユキがパンと手を叩き、少し明るい声でそう訊ねる。
「え? あぁ、そうでした。これからの予定をお話ししに来たのでした。食事は各部屋に用意されます。ハルカさんとナツキさんは、暇な時間はイリアス様の部屋で待機して頂けると助かります。メアリちゃんとミーティアちゃんは、『自由に遊びに来てください』との事です」
「解りました」
「解ったの!」
「明日の朝、川を渡り、クレヴィリーへと出発します。危険度は下がると思いますが、引き続き、護衛をよろしくお願いします」
◇ ◇ ◇
翌朝、宿を出発した俺たちは、無事に川を渡り、クレヴィリーへの街道を東へと進んでいた。
ミジャーラ、クレヴィリー間の交通は、船を使った運搬が主体なようだが、街道もきちんと整備されていて、ピニング、ミジャーラ間に比べて移動速度はアップ。
盗賊や魔物も現れる事が無く、俺たちは予定通り、三日目にはクレヴィリーの門をくぐっていた。
そうして、これからしばらくの間、厄介になる宿へと腰を落ち着けたのだが、そこまでの道中で見たクレヴィリーの街は、アーリンさんに聞いていたとおり、“綺麗”だった。
スラムなどは一切無く、ラファンで俺たちが住んでいるエリアのような、少し治安の悪そうな場所も見当たらない。
良く言えば、とても整備された発展した町。
だが、ミジャーラのスラムを見た後では、綺麗な街並みが、なんだか醜悪な物にすら感じられてしまう。
もちろん、俺たちが気にしたところでどうしようも無いので、割り切るしか無いのだが。
「とりあえず、仕事の半分は終わったな。予定では五日滞在して、帰還だよな?」
「そうね。四日後に結婚式、翌日が帰還準備で、六日目の朝にこの町を出発する予定ね」
「それまでオレたちは自由時間かぁ。気分を変えて、街に繰り出してみるか?」
「うん。せっかく、他の町に来たんだしね……」
部屋に籠もっていたところで何ら生産的な事も無く、気分もあまり良くない。
俺たちはトーヤの提案を受け入れ、適当に分かれて街の散策に出る。
そうして、クレヴィリーを見て回ったわけだが……。
ダイアス男爵の領民に対する扱いには眉をひそめる物があるが、単純に悪徳領主とか、無能とかいうわけではないらしい。
背後にあるなんやかやを横に置けば、クレヴィリーの町は総じて治安が良く、清潔であり、栄えている。
日が落ちた後でも、女性一人で街中を歩けるぐらいには安全で、商売もしやすく、多くの商人が集まっている。
領民から搾取して領主だけが肥え太っている、そんな解りやすい悪徳領主でもないため、町中から怨嗟の声が、なんてこともない。
ピニングとクレヴィリーを比較すれば、確実にクレヴィリーの方が発展している。
それは間違いない。
間違いないのだが……。
「国王が領主を替えれば解決、とか、そんな簡単な話じゃないよな、やっぱ」
「うん……悪徳領主を成敗してハッピーエンド、なら良いんだけどね」
俺とペアで町を歩いているのはユキ。
住民の明るい表情を見て、複雑そうな表情を浮かべている。
お金が無限に湧いてくる物があるなら簡単……でもないか。
インフレが起きて滅茶苦茶になるだけだな。
“湧いてくる物”を持っている人はまだ良いが、周囲は壊滅、確実に戦争になる。
「とても賛成はできないが、ある意味では、成功はしてるんだよなぁ」
「領民を“人”と考えないなら、正しいのかも? 日本の戦国時代とか、そんな感じだったらしいし」
「『適当に増えるだろ』的な感じか。人権、無いなぁ」
“人権”は生まれながらに持っているとかなんとか言ったところで、結局、それを担保する力が無ければ何の意味も無い。
「結局人権も、普遍的じゃなくて、社会契約的な物だよね……。あ~、気分変えるために出てきたのに、また暗い話になってる。考えても仕方ない事は忘れて、楽しもうよ! ナオと二人で歩く事なんて、あんまり無いんだし」
「そうだな。どこか行きたいところは? ――っても、判らないか」
この町に危険は無いという事で、グー、チョキ、パーで分かれた結果、俺たち以外はトーヤとナツキ、ハルカとメアリ、ミーティアで組になり、適当に歩いてみよう、となっている。
宿を出てからは全員で別々の方向に歩き出したのだが、俺たちが選んだ方向も何かしらの意図があったわけでも無い。
「んー、とりあえず、お昼ご飯、食べようか?」
「だな。今回は、トーヤの鼻は無いわけだが……」
商業が盛んな町らしく、食事処には事欠かない。
俺たちの歩いている道の両側にも、何軒もの店が並んでいるのだが、その割に屋台が無いのが不思議と言えば不思議である。
「あたしはどこでも良いよ? ナオの直感で選んじゃって!」
「そう言われると、責任重大なような……じゃ、あそこで」
俺の直感、ではなく、【鷹の目】が捉えた、ウェイトレスが運んでいる何となく美味そうな料理。
その料理を出している店を指さす。
「あそこ? うん。それなりに盛況みたいだし、良いんじゃないかな? それじゃ入ろ!」
軽い足取りで先を歩くユキを追い、俺も店へと入る。
その途端に香ってくる美味そうな匂い。
これは、アタリかもしれない。
「らっしゃい。お客さん、初めてだよね? ウチはオタルカの専門店だよ。構わないかい?」
俺たちが店に入ると同時に声を掛けてきたのは、典型的食堂のおばちゃん的な、少し……いや、かなりふくよかなおばちゃん。
汗をふきふき言われた聞き慣れない名前の料理に、俺は首を捻り、近くのテーブルで客が食べている料理を指さす。
「オタルカというのは、あれですよね? どんな料理なんですか?」
「オーク肉の細切りと芋の薄切りをソースで絡めてから焼いた料理だね。美味しいから是非食べてっとくれ!」
おばちゃんの言うとおり、近くで見てもやはり美味そう。
ユキを見ると、彼女もまた笑顔で頷いていたので、俺はおばちゃんに了承を伝え、席に着く。
そして、店内を見回せば、専門店と言うだけあってメニューは少ないようで、ソースの種類が三種類だけ書いてある。
「えーっと、トマト、チーズ、塩か……ん? トマト!?」
「ナ、ナオ、トマトがあるよ、トマト!」
「あ、あぁ。トマトだな。うん。生、か?」
客の注文を見ていた時、確かに赤い物があるな、とは思っていたのだが、まさかトマトだったとは。
ラファンでも乾燥トマトは手に入るのだが、少々高いし、あまりメジャーでないのか、食堂などで出てきた事は無い。
もっとも、あまり食堂を利用しないので、俺たちが知らないだけという可能性もあるのだが。
「あたしとしては、トマト&チーズが一番美味しそうな気がするんだけど、単独なんだね?」
「確かに、トマトベースにチーズが載っているのは美味そうだが、ソースって言ってたし、ホワイトソース的な感じじゃないか?」
その場合、混ぜてしまうとちょっと微妙な感じになりそうである。
ややまろやかな、トマトのハヤシライス的に、それはそれで美味いかもしれないが。
「そっかー、それだとちょっとイメージとは違うよね」
少し残念そうにユキが首を振る。
俺は……ここはやはりトマトか? チーズはチーズで美味そうだが……いや、大穴的に塩も美味いのか?
トマト、チーズと来て、塩。
その落差が怪しい。
少なくとも同等ぐらいには美味しくないと、レギュラー落ちするだろ。
つまり、塩という名前からは想像できないほど美味い……?
うむ、なかなかに迷わせるじゃないか。
「注文は決まったかい!」
おっと、おばちゃんがやってきた。
ちょっと急かされる感じではあるが、この世界では普通。
のんびりと席を占有する事は許されない。
「あ~、トマトソースを基本に、その上にちょろっとチーズを掛ける事ってできます?」
「うん? そりゃ構わないけど、美味くなくても知らないよ?」
俺の質問に、あっさりとオーケーしつつ、不思議そうな表情を浮かべるおばちゃん。
俺の想像する味とは違う可能性もあるわけだから、不味くなる可能性もゼロでは無い。
だが、ここは挑戦するべきだろ。
「はい。構いません。できるならそれで」
「じゃ、じゃあ、あたしもそれで」
頷く俺に、ユキも少し慌てたように追従。
コイツもチャレンジャーである。
「あいよ。サイズはどうするんだい?」
「サイズ?」
「大、中、小から選べるよ。普通は中かね。あの大きささ」
おばちゃんが指さした方を見ると、ちょうどウェイトレスがオタルカの入った器を持って運んでいるのだが――。
「デカっ!」
器の大きさは深さ五センチほど。
直径は……二五センチぐらいはあるか?
器の縁、ギリギリまで入っているわけではないが、アレが芋と肉の塊なら、ちょっと食えない。
イメージ的にはMサイズのピザを一人で二、三枚、平らげるようなものである。
「……小でお願いします」
「あ、あたしも……」
「そうかい? やっぱ、エルフは小食なんだねぇ」
少し不思議そうにそんな事を言いつつ、テーブルを離れていくおばちゃんだが……いや、エルフ関係ないだろ。
トーヤなら食えるだろうが、正直、『普通って何?』ってレベルである。
「この辺の人って大食いなのかな?」
「いや、どうだろうな……シェアして食ってる人もいるみたいだが」
おそらく『大』サイズのオタルカ。
直径四〇センチぐらいはありそうな、ウェイトレスが一人で運ぶのに苦労するほどの物を、数人で分けて食べているテーブルもある。
さすがにアレを一人で食べる人はいないだろう。
「それより、同じのにする必要は無かったんじゃないか?」
「えー、せっかく美味しそうなのに?」
「美味しくないかも、と言ってただろ? それに、分けて食べるって方法もあっただろ?」
具体的には、塩も食ってみたかった。
ユキが迷うようなら勧めてみるつもりだったのだが、すぐに決めてしまったので、残念ながら言えなかったが。
「あぁ、そうだよね。一つの料理を分けて食べるのもカップルっぽいよね?」
「いや、カップルじゃねーけど」
悪戯っぽく笑うユキの言葉は、しっかりと否定しておく。
一つの皿から食べたら確かにそれっぽいが、頼めば取り皿ぐらい出してくれるだろ。
ハルカ相手なら、あんまり気にしないんだが。
「つれないなぁ。良いんだよ? ハルカ一人に絞らなくても。この世界なら」
「俺とハルカは別に――」
「いや、そのへんはもう良いから。確定なのは判ってるから。面倒くさいやり取りは無し」
「面倒くさい言うなし!」
「だって、いつ一線を越えるかだけの話でしょ? 日本にいる時は、トーヤにワンチャンあるかと思ってたけど、どうもそんな感じじゃないし?」
「うぐ……うん、まぁ……」
トーヤも幼馴染みではあるんだが、家が近い俺の方が、心的距離も近かったという事なんだろう。
トーヤの方もそんなハルカの気持ちが分かっていたのか、微妙に一線を引いている部分があったようにも感じるし。
「あ、言っとくけど、早く一線越えろ、とかそんなつもりは無いからね? むしろ計画的に? ハルカが産休に入ると困るから」
「ぶっちゃけるなぁ、おい……」
「避妊具があればむしろ背中を押す所なんだけど……。そうすれば、あたしたちもやりやすくなるし」
「……やりやすくって、何だよ?」
「え? ナオへのアプローチ?」
「ぶっちゃけすぎだろ! 俺、ハルカ以外と結婚するつもり無いぞ!?」
『何言ってるの?』とばかりに、平然と応えたユキに、俺は思わず口走る。
「あ、ハルカとはするつもりあるんだね」
「ぐっ……」
……まぁ、したいと思っているのは否定できない。
なんだかんだ言っても、その……好きだし?
「う~ん、男の子って、案外結婚に夢を見てるよね」
「えぇ!? ダメなのか?」
「ダメじゃないけど、現実も重要。安全に、裕福に、心穏やかに生活できるなら、ある程度のことは妥協できるの」
「……妥協してまで結婚するのか?」
妥協が必要なら、結婚しなくても良いと思うのは、俺だけだろうか?
「愛さえあれば貧乏でも、なんて、ナンセンス。お金さえあれば、多少は愛が目減りしても許容できるよ? 結婚に利があるなら」
「“利”で結婚するのかよ……」
「大切だよ? “利”は。家族って結局、最小単位の社会。暗黙も含めた諾成契約に基づく、相互利益を追求する集団。“利”が無ければ契約は成り立たないし、その契約を第三者に示すための一形態として結婚という儀礼があるんだよ。――あたしは普通に好きだしね」
「んん? なんか小難しい事を言ってるが、つまりは?」
「日本ならともかく、ここで一人で生きていくのは辛い! 寄らば大樹の陰。安全に稼げる集団に所属すべき!」
「理解した」
そう言われると、ユキの言っている事は間違っていない気がしてくる。
理解はしたが、それで俺が結婚というのも――。
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