241 遭遇 (3)

 思わず足を止めかけた俺の背を、エカートが小突く。

「おい、立ち止まるなよ? 下手に同情した様子を見せれば、集られるぞ?」

「いや――」

「目の前で倒れ込むぐらい序の口。小銭を貰うために、子供の手足ぐらい切り落とす、そういう連中だ」

 エカートが苦々しい表情で吐き捨てるように言うが、確かに倒れた子供の左腕は半ばから無くなっていた。

 ここの住人に部位欠損が多いのは魔物に襲われて、かと思っていたのだが、実はそうなのだろうか?

 もしかすると傷痍軍人という可能性もあるが……子供だからな。胸くそ悪い。

「商人の馬車なら、平気で馬の前に放り出してくるぞ、子供でも」

 貴族の馬車の前に飛び出さないのは、問答無用で切り捨てられるから。

 商人であれば、子供が轢かれても馬車が止まればそれで良い。

 足を止めさせて施しを願い、場合によっては強引に奪っていく。

 そういう場所らしい。

「ナオ、私たちの仕事は?」

「イリアス様の護衛だな」

「そうね」

 ハルカはそれ以上何も言わないが、そこを見失うな、と言いたいのだろう。

 トーヤの方を見ると、口を真一文字に結んで、手を握りしめている。

 これまで訪れたラファン、サールスタット、ケルグ、ピニングのいずれでもこんなスラムは見かけなかったが、領主によってここまで違うのか?

 それとも何らかの、他の要因でもあるのか?

 やるせない気持ちを抱きつつ、そのまま門まで辿り着き、街の中に入った俺たちだったが、入ってすぐの辺りはこれまた、外のスラムよりは若干マシ、という程度の状態だった。

 衛生状態の悪さもまた同様で、壁があって風が通りにくいからか、先ほどよりも空気がよどみ、酷く吐き気を催すような臭いが漂っている。

「何なんだ、この町は……」

「こっちの、北側の門周辺はこんな感じなんだよ。宿がある辺りは全然違うから、そこまで耐えろ」

 一応、ピニングとは隣接する町だけに、ここには来た経験があるのだろう。

 エカートたち領兵は、ウンザリとした様子は見せているが、驚いたりはしていない。

 向かうべき宿は決まっているらしく、エカートの先導で進んでいくと、段々と街並みが綺麗になっていくのが見て取れる。

「あそこが今日宿泊する宿だ」

 そう言ってエカートが指さしたのは、川辺に立つ大きな石造りの建物。

 このあたりまで来ると周囲の建物は、ピニングの少し良いエリアと同じぐらいの状態になっていた。

「同じ街で差がありすぎだろ……」

 俺の呆れたような言葉に、エカートは肩をすくめる。

「それが特徴なんだよ。――イリアス様、到着しました」

 エカートが声を掛けると、馬車の扉が開いてアーリンたち侍女に続き、イリアス様が降りてくる。

「ご苦労様」

「いえ、イリアス様こそ、お疲れ様でした」

 イリアス様が領兵たちに一声掛けて、宿の中に入り、その後をエカート以下五名が付いていく。

 残りの領兵は馬車を厩の方へと移動させ、俺たちは最後に降りてきたメアリたちと共に、宿の中へ。

 揉み手で現れた宿の従業員に案内されるまま、部屋へと向かう。

 俺たちに宛がわれたのは、パーティー全員で一部屋。

 貴賓室に対してのお付きの部屋なのか、やや狭い間隔でベッドが六個ほど詰め込まれているが、部屋はそれなりに広いので、狭っ苦しいという印象は無い。

 当然、メインの貴賓室がイリアス様と侍女で、兵士たちは俺たち同様、その周囲にある部屋二つを使うようだ。

 ただし、俺たちの中でハルカとナツキは、就寝時には護衛として、イリアス様の部屋に行く事になっている。

 街中なので寝ずの番まではしないが、一応の用心である。

「はぁ……こんな町もあるんだな」

「あぁ。良い場所だったんだな、ラファンって」

 部屋の中、自分たちだけになった事から、俺が思わず漏らした言葉に、トーヤもしみじみと応える。

「町の作りが、えげつないよな」

「そうですね。たぶん、意図的なんでしょうね」

 ここミジャーラの町は、サールスタットの下流に位置する、大きな川の傍に作られた川港の町。

 サールスタット同様、川を挟むように町が作られている。

 港とは言っても、漁はあまり行われておらず、基本的には北西に位置するピニング、そして北東に位置するジャンゴという町から運ばれてくる荷物を集め、下流にある領都クレヴィリーへと運搬するのが主な役割らしい。

 また、ピニングからミジャーラへと延びる街道は、川を越えてクレヴィリーに続いているのだが、そこに橋は架けられていないため、渡しの業務も重要な仕事の一つである。

 ただ、街道の整備状態を見れば判るとおり、現状ではピニングとミジャーラ間の交易は少なく、大半の荷物はジャンゴから運ばれて来ているらしい。

 ピニングからの荷物は川の西側の町、ジャンゴからの荷物は川の東側の町に集まる事になり、必然的に東側の町がより発展する事になるとは思うのだが……。

「それにしたって、綺麗にグラデーションで分かれすぎだよね」

 川に近づくにつれ、見事なまでに滑らかに、周囲の状態が良くなっていく。

 そして部屋から川向こうを望めば、こちらとは比較にならない綺麗な街並みが見えるのだから、どう考えても為政者が敢えてそうしているとしか思えない。

 ここに比べれば騒乱で荒れたケルグなど、何の問題も起きていない町にすら見えてくる。

 窓の反対側、スラムのあった方に目を向けるが、当然、そちらにあるのは壁で何も見えない。

「ナオ、スラムの子供助ける、とか言わないでね?」

「言わないさ。それに……その事は既に話し合っただろ? な、トーヤ」

「だな。メアリとミーティア、そのぐらいがオレたちの器だ」

「そうね。……ここは、想像以上に酷かったけど」

「うん。知識として知っているのと、実際に見るのは……結構違うよね」

 メアリたちを拾った後、『旅をしていれば、同じような光景を頻繁に見るようになる』という話は、既にハルカやユキから聞いていた。

 そして、『助けられないのだから、見捨てる必要がある』という事も。

 もしそれが無ければ、この町で受けた衝撃はもっと大きくなっていた事だろう。

「私たち、幸運ですね。ハルカさんたちに拾ってもらえて」

「まぁ、正直な事言えば、メアリたちを助けるかどうかは結構迷ったんだけどね。トーヤが決めたから、って部分はあるわね」

「それは当然だと思います。実際、町の人は誰も助けてくれませんでしたし、大怪我した子供なんて邪魔なだけ。それが普通ですから」

 この世界、俺たちの感覚からすれば、子供の扱いがかなり粗雑である。

 例えば農家。

 農地を継承する長男は大事に育て、その予備として、次男程度まではそれなりに扱う。

 だが、それ以降は余り物。継がせる土地も無いし、仕事も無い。

 多少の金を与えて家から出されるのならまだマシ、裸一貫で放り出されたり、生活が苦しくなれば幼子は間引かれたり。

 そんな事が普通にある。

 奴隷制があれば奴隷として売られる事もあるのだろうが、この国にはそれが無く、子供が金にならない。

 こうなると、奴隷制が無いのが良い事なのか、悪い事なのか、なんとも判断が難しい。

 そんな扱いなので、見知らぬ――いや、多少親しくても、大怪我をした子供を助けるために、金貨数十枚から数百枚もの治療費を払えるかと言えば、そんな善人はそうそういないだろう。

 女子供だから守られる、そんな優しい世界では無いのだ。

 父親が一人の子供を守って、代わりに死ぬ。

 良い話かもしれないが、現実には大黒柱を失って、残った子供たちも飢えて死ぬ。

 子供一人を見捨てる方が正解。

 まだまだそんな社会情勢である。

「あとは、ケルグだったから、だよね。もしこの町でメアリたちを見かけても、何もしなかったと思うし」

「あの人数は、なぁ。手の出しようがねぇよ……」

 あまりに状況が酷すぎる。

 メアリたちの火傷とどちらが良いとか、比較する物でも無いが、エカートが言うように意図的な物なのか、五体満足な子供の方が少ないほどで、まともな処置もされていない様子すら見受けられた。

「多少の金でどうにかなるとは思えないが、少し多めに、神殿にでも寄付しておくか?」

「それは避けた方がよろしいでしょうね」

「アーリンさん……」

 俺たちの話に割り込んできたのは、突然、扉を開けて入ってきたアーリンさんだった。

「申し訳ありません。無断で入ってしまって。気になるお話が聞こえたものですから」

「いえ、それは構いませんが……なぜですか?」

「恐らく、皆様はスラムの様子を見て、心を痛められたと思うのですが……」

「はい」

「そこに中途半端に――いえ、少しでも介入する事はお勧めできません。ダイアス男爵家が当家よりもかなり裕福な事はお聞き及びと思いますが、その上で、あれなのです」

 必要とあれば、金貨一千枚以上をポンと出せるネーナス子爵家。

 そこをして『かなり裕福』と言わしめるダイアス男爵家……。

「多少の資金ではどうにもできない、もしくはするつもりが無い?」

「後者ですね。現にこの町の神殿には、孤児院もありません」

「普通、併設されているわけじゃないんですか?」

「ないですね。建て前として神殿は独立していますが、領主からの補助金無しに孤児院を運営する事はほぼ不可能ですから」

 領主の方針としてやっている事。

 それを邪魔するような事を一介の冒険者がやってしまうと、目を付けられる。

 しかもそれがネーナス子爵家の護衛であれば、子爵家にも迷惑を掛けてしまう。

 そういう事らしい。

「ここでは、意図して領民に差を付けています。そして、それを見せつけています。知っていますか? クレヴィリーにスラムは無いんですよ? お金のない者たちはすべて放逐していますから」

 ここダイアス男爵領の税金は、ネーナス子爵領などに比べ、大幅に高いらしい。

 それもあってダイアス男爵は裕福なのだが、高い税率は必然的に払えない人も増やしてしまう。

 そうなれば、容赦なく田畑や商店などは没収され、段々と落ちぶれていく。

 そして行き着く先がスラム。

 その最終的な場所が、俺たちが通ってきた門の外らしい。

「それを見せる事で、領民は必死になります。ああはなりたくないと。そのおかげで、税収は良いらしいですが……」

 不満を逸らすため、もしくは締め付けるために階級制度を利用する手法は、ありがちと言えばありがちだが、実際に見ると……。

「神殿も炊き出しなどはしていて、それに対しては多少の補助金を出しているようですが……救済と言うよりは、ギリギリで生かすため、という感じですね」

 ネーナス子爵家に所属するアーリンさんとしては、受け入れがたい事なのだろう。

 苦々しい顔で吐き捨てるように言う。

 そんな相手であっても、高価な贈り物を持って、笑顔でお祝いに出向くのだから、貴族も因果な商売である。

「それって、問題にならないのですか?」

「なりませんね。税額を決めるのは領主の権限です。税が払えないからと奴隷にすれば国法に反しますが、田畑を没収しても、それは正当な権利です。国王でも侵す事はできません」

「貴族でも、いや、国王でも解決できない問題か。オレたちにはどうしようも無いわ、こりゃ」

 トーヤは「はぁ~」と重い息を吐き、上を向いて肩をすくめた。

「厳密に言えば、国王が強権を発動すれば何とかなりますが、難しいでしょうね。領地貴族を簡単に潰せるほどには、力がありませんから」

 アーリンさんはそう言い、「だからこそ、ネーナス子爵家も残ったんですけど」と付け加える。

 アレだな。

 俺たちが探索しているダンジョン、アレに関する不祥事。

 爵位を没収される事もなく、当主の交代だけ、しかも弟が当主になる事が許されているのだから、この国の力関係が何となく想像できる。

「そんなわけですから、申し訳ありませんが、不満はあってもこらえてください。何かあっても、当家では皆さんを庇う事ができませんから。もちろん、国法に反するような、よほど理不尽な事であれば別ですが」

「わかりました。留意しますね」

 アーリンさんを含め、誰もが釈然としない気持ちを抱えているのは同じ。

 だが、どうする事もできないのもまた同じで、ハルカは暗い表情でそう応え、頷いたのだった。

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