181 予想外の出会い (1)

 梅園が再び俺たちの所へ来たのは、昼もだいぶ過ぎ、客席に空席が目立ち始めてからのことだった。

 俺たちの食事が終わっても客席の満席状態は続いていたので、「一度出てから、また来ようか?」とも提案したのだが、「もう落ち着くから」と言われ、結局そのまま。

 実際、梅園がそう言って程なく、1つ、2つと空席が出来始めていたので、そこまで心苦しくなることもなかったのだが。

「お待たせー、あ、これ飲んで飲んで」

 そう言いながら、梅園が持ってきたカップに入っていたのは――。

「これって、ワイン?」

 ハルカがそのカップの匂いを嗅ぎ、少し首をかしげる。

「そ。って言っても、かなり若いから、ほとんど酒精の入ってないブドウジュースだけどね。そっちの方が良いでしょ? あ、それとも酒飲みになった? エールが良ければそっちでも良いけど?」

「いいえ、私たち、ほぼ飲まないから。ありがたく頂くわ。でも良いの? ちょっと高いでしょ?」

「気にしないで。お詫びも兼ねてるから」

 品質にもよるが、この近辺で買うのであれば、一般的にはエールよりもワインの方が高い。

 どちらが好みかは人によるだろうが、俺たちからすれば、ワインの方がまだ飲みやすい。

 それでもあえて飲みたいと思うほどではなく、幸いなことにこのあたりは、井戸水が普通に飲料用として使えるので、水を飲むことの方が多い。

 とは言え、せっかく出してくれたので一口。

「お、結構美味い」

「でしょ? 普通はもうちょっと薄いんだけど、おまけ」

 梅園の言うとおり、ブドウジュースを水で薄めたような味。

 いや、事実薄めているのだろう。安いワインを出すような所では、半分以上水が加えられたような物を出すことすらあるらしいし。

 今回は『お詫び』と言うこともあり、あまり薄めずに出してくれたという所か。

 特別美味いわけでもないが、それでも果物がかなり高いこの世界としては、十分に美味いと言える。

「あ、ちなみに私の事はヤスエって呼んでね。そう名乗ってるから」

「ヤスエ? なんか昔、『年寄りっぽくて嫌!』とか言ってなかったっけ?」

 付け加えるように言った梅園――いや、ヤスエに、ユキが不思議そうに小首をかしげる。

 さすがユキ。地味に交友範囲が広かっただけあり、事情通である。

 ユキのその言葉に、ヤスエは微妙に気まずそうな表情になって目を逸らし、頭を掻いた。

「あー、覚えてた? 日本にいる時はね。うん。ヤスエってなんか、昔の人の名前っぽくない?」

「まぁ、気持ちは解らないでもない。が、別に悪い名前じゃないだろ?」

 俺の印象でしかないが、確かに『ヤスエお婆さん』って感じはある。

 どうしても名前って、流行はやすたりがあるから。

 でも、変に凝りすぎて、初見では絶対に読めない名前やら、『それはちょっとマテ!』とツッコみたくなる名前よりはよほど良いと思う。

「うん、親がくれた名前だしね。こっちに来てホント親の有り難みが解ったし、名前ぐらいは残したいから。早く死んじゃったしね……」

 ヤスエはそう応え、少し照れくさそうな、それでいて寂しそうな表情を浮かべる。

「ま、あたしたち全員、親より先に死んじゃったしねー。自分に責任があることじゃないから、そこはもう、割り切ったけど」

「だよね、割り切るしかないわよね……」

 そのあたりについては、まぁ、グループカウンセリングではないが、俺たちの中で何度か話し合ったことがある。

 俺たちに関して言えば、全員、二親は健在ながら兄弟はおらず、親がかなり気落ちしていることは想像に難くない。

 だが、それに対して俺たちにできることは無く、『両親に頑張ってもらうしかない』という結論に達している。色々と。

 さすがに、年齢が年齢なので、高齢出産になってしまうのだが……うん。

 手紙の1つでも出せれば、と思わなくもないのだが、仮に届いたとしても悪質なオレオレ詐欺だとしか思われないだろう。

「そいえばさ、アンタたちは今、冒険者やってるのよね? パーティー名、なんて名前にしたの?」

「一応、『明鏡止水』にしたわ。あんまり名乗る機会は無いけどね」

 ハルカが少し前に決めた名前を名乗ると、ヤスエは少し意外そうな表情になる。

「へー、あんまりパーティー名らしくないわね? ウチの店だと、『閃光の嚆矢』とか『炎獄の剣』とか、そんな名前のパーティーが来るけど」

「もちろん、理由はあるわよ? 第一はやっぱり、私たち自身が調子に乗ってしまわないように、ね。これでも多少はランクが高いから」

 昔に比べれば強くなった、と思うことが多いだけに、初志貫徹ではないが、その頃の慎重さは決して忘れないようにしたい。

 そんな思いから出てきた言葉の中で、『他の冒険者から侮られない』という観点で選んだのが『明鏡止水』。

 少々方向性は異なるが、自身を戒める為なので、まぁ、問題は無い。

 ちなみに、他に出てきたのは『堅忍不抜』、『沈思黙考』、『熟慮断行』、『悠々自適』など。

 迷走の果て、なぜか4文字熟語から選択することになったのだが……トーヤ発案の『悠々自適』はちょっと違うよな?

 ある意味では俺たちの第一目標なんだが、コンセプトからは外れているので、最初に脱落。

 他の物もコンセプトは合っていても、パーティー名としては、と脱落し、残ったのが『明鏡止水』だったのだ。

「なるほどねぇ。まぁ、この店も、あんまり強そうじゃないのに、態度がデカい冒険者とか来るから、解るかな、それ」

「あと、もう1つの理由としては、クラスメイトへのアピールかな? 明鏡止水のパーティー名と私たちの名前、今後有名になったとき、不遇な状況にあるクラスメイトが助けを求めてくるかもしれないから」

 これは、主にナツキとユキの意見。

 彼女たちのサールスタットでの状況を見れば解るとおり、最初に纏まった資金が無ければ、ギリギリの状況から抜け出すというのはかなり難しい。

 最初の頃であれば、俺たちに援助するような余裕は無かったが、今であれば、装備を一通り調えられるお金を貸す程度なら、難しくない。

 もちろん、相手の態度次第では突き放すつもりなのだが、転移から1年近くも経てば、致命的な地雷は淘汰されているだろう、という思惑もある。

 そんな事を簡単に説明すると、ヤスエは少し呆れたようにため息を吐いた。

「はぁ~~。優しいわねぇ。私なんて、旦那と幸せになる事しか考えてないけど」

「それで良いと思いますよ。私たちは……まぁ、最初にちょっと苦労したことと、今、ある程度お金を持っているので、そう考えただけですから」

「そうそう。本来は、同窓生の就職支援なんて、する必要ないんだから」

「俺たちは、いざとなれば逃げることもできるからな」

 街から出ることすら難しかったあの頃とは違い、今の俺たちであれば他の町に移住するだけの金銭や移動手段も持ち合わせている。

 あえてこちらからクラスメイトを探すつもりは無いが、助けを求められたら手助けするぐらいはしても良いだろう。

 尤も、そう思えるのも、今俺たちに余裕があるからなのだが。

 偽善と言えば偽善だろうが、別にそれで良いと思っている。

 自分が苦しいときに手を差し伸べられるほど、俺たち、人間できてないから。

「なるほどねぇ~。えっと……それで、さ。訊きたいことがあるんだけど……あの、ね……」

 感心したように息を吐きつつ、ヤスエが少し言いづらそうに口ごもる。

 彼女が言いたいことは何となく解るのだが、内容が内容だけに、口にしにくいのだろう。

 俺たち――具体的にはハルカをチラチラと見つつも、言葉が続かない。

「――その前に、あたしから訊いても良い? さっきの男の人は?」

 そんな彼女の様子を見て取ったのか、ユキがにまにまと笑みを浮かべて、逆にそんな質問を投げかけた。

 それはきっと、重い空気を変えて話しやすくするためであり、間違ってもユキの好奇心だけのたまものでは無いだろう。……たぶん。

「あ、あ~、アイツは、その……私の旦那」

「へぇ、旦那……旦那!? えーーっ、結婚したの!? 恋人じゃないの!?」

「う、うん、まぁ、ね? かなりヤバいときに助けてくれて、その後も結構酷いこと言ったのに、優しくしてくれて……うん、その、ね? 告白されたから」

 ほだされたらしい。

「へぇ、落ち着いたのはそのせい?」

「そうなる、かな? アイツなら、守ってくれるし……えへへ」

 そんなヤスエの様子に、ハルカが少し驚いたように聞き返すと、ヤスエは幸せそうに微笑んだ。

 なんか知らんが、ラブロマンス的な何かがあったのだろう。

「はいはーい、ごちそうさま。で、訊きたいことは?」

「あぁ、うん、それね。――ゴメン! マジゴメン。あの時、私、嘘ついてた!」

 場の空気が変わったことで少し話しやすくなったのか、ヤスエは思い切ったようにパシンと両手を合わせ、俺たちを拝むようにして頭を下げた。

「あぁ、スキルのこと?」

「うん、あの時言ったスキル、嘘。ホントは【スキルコピー】持ってた。あとは、病気が怖かったから、【頑強】と【薬学】、それに……【少し魅力的な外見】と【美肌】」

 自分の外見をいじったというのはちょっと言い辛いらしく、最後の部分は少し小声になるヤスエさん。うん、ま、解る。女の子なら仕方ないよな?

 しかし、あの時のハルカは「【スキルコピー】だけ」と言っていたように思うが、案外持ってたなぁ。

 今でこそ【看破】には、結構抜けがある事が判っているので、おかしくは無いと言えば無いのだが。

「でしょうね」

「あー、やっぱ気付いてた? 最後にあんな事言っちゃったら、当たり前かぁ~」

「それもあるけど、事前に【看破】スキルで見えてたし」

「そっかー。バレてたかぁ……私、ただの間抜けじゃん……」

 ヤスエは「はぁ」と深くため息をつき、ガックリと肩を落とす。

 そんなヤスエの様子に、ハルカもまた少し気まずげな表情を浮かべる。

「こっちも試した部分があるから、そこはちょっと申し訳ないんだけどね。生憎あの頃は、私たちもそんな余裕があるわけじゃなかったし、敵になりそうな相手は極力蹴落とすスタンスでいたから」

「それは……うん、解る。超、解る。あの頃の私、自分以外は全部敵、みたいな感じだったから。状況悪いと、めっちゃ心が荒むよね。クラスメイトも、スキルのことがあるから信用して良いかわかんないし……」

 ハルカの言葉にも、ヤスエは特に文句を言うでも無く、納得したように深く頷いた。

 我が身を振り返ったのか、それとも誰か厄介なクラスメイトに会ったのか……。

「それで、今になってそういう話を出してきたのは、【スキルコピー】について訊きたいの?」

「うん。ホント、申し訳ないんだけど、教えてくれない? ちっとも料理が上達しないんだよ。アイツの料理は美味しいけど、私もアイツに作ってやりたいし……。これって多分、【スキルコピー】のせいだよね?」

「まぁ、そうね。うん」

 現在のヤスエ相手であれば特に問題は無いと思ったのか、ハルカが素直に【スキルコピー】の欠点を伝える。

 それを聞き、ヤスエは納得したように頷きつつ、深くため息をついた。

「そんな罠があったのかぁ……。それじゃ上手くいかないよねぇ」

「怒らないのね?」

「あれは私が悪かったしねー。あの状況で、攻撃的な相手に優しくするなんて、なんて聖人って話だし。そんなの、私の旦那ぐらいだよ~。ふふっ、くふくふっ」

 何か良い感じのエピソードでも思い出したのか、緩んだ笑みを浮かべるヤスエ。

 まぁ、幸せならそれで良いんだが。

 変に妬まれるよりも、ずっと。

「それに、現状でもあまり困ってないしねぇ。普段の生活には支障が無いから。あ、でもゴメンけど、【調理】スキルだけは教えてくれない? やっぱ、手料理、食べさせたいよね?」

 ナチュラルに惚気のろけを挟んでくるなぁ。

 そんなヤスエの様子に、ハルカも少し呆れつつ、苦笑を浮かべる。

「なるほどねぇ。まぁ、時間が許す範囲なら、別に良いわよ? 他のも教えても構わないけど、私たちからコピーしてないと、無意味よ?」

「あ、それは大丈夫。大半はあの時、東さんからコピーしてるから」

「ふーん、なら大丈夫ね。あ、それから、私のことはハルカでお願いね。他はナツキ、ユキ、ナオ、トーヤで」

「んー、あれ? 永井――トーヤだけ、名前、変えた?」

 ヤスエはハルカの紹介に、俺たちの顔をそれぞれ見て、トーヤの所で首を捻る。

「良く覚えてたな? オレの本名は知哉だが、まぁ、クラスメイト関係の面倒事を避けるためにな。別に今ならトモヤに戻しても良いんだが、慣れちまったからな」

「あぁ、クラスメイトにも困ったの、居るからねー。自分のことは棚に上げちゃうけど、高松聡美とか」

 ヤスエはトーヤの説明に深く頷きなら、くだんの名前を挙げる。

「あ、やっぱり気付いてたのか?」

「そりゃ、気付くよ。聡美でサトミーとか、安易すぎでしょ。商売のやり方も、ねぇ? 私はここに住んでるから、直接見たこともあるし」

「本人だった?」

 ハルカの確認に、ヤスエは少し考えながらも頷く。

「多分ね。アレはかなり盛ってるね。私も【少し魅力的な外見】とか取っちゃったから、人のこと言えないけどさー。つい、目が惹きつけられるというか……ちょっとヤバい。一緒に居た旦那も……うん、ちょっとボコることになっちゃったね」

 おっと。

 旦那とは上手く行っているように見えても、ユキの言っていた気の強いところは変化無いらしい。

 まぁ、旦那が自分以外の女に目移りしたら仕方ない、のか?

 それに、サトミー聖女教団に関わるとかなりヤバかっただろうし、やや暴力的でも、結果から見れば英断だったのだろう。

「アレのおかげで町は滅茶苦茶になるし、商売あがったりになるし。鎮圧で被害は出たけど、私としては、マジで助かったーって感じだね。むしろ、もっと早くやってくれても良かったよ」

「今は繁盛しているみたいだな?」

 俺たちが入った時の状況から見ても、かなりの繁盛店である事は間違いない。

 店舗の広さも、以前俺たちが定宿にしていた微睡みの熊亭よりも広いし、ヤスエ以外の給仕も2人ほどいたぐらいである。

「旦那の料理、美味しいからね! 常駐している兵士も多いし、まだ営業できていないお店もあるから。書き入れ時だよ、今は」

「でも、サトミーはまだ捕まってないんだよね?」

「そこが問題なのよね。正直、早く捕まって欲しいわ。ホントかどうかは知らないけど、大量のお金を集めて、そのお金で――」

 ヤスエがチラリと俺とトーヤを見て、顔を赤らめ、咳払いをする。

「んっ、んっん、まー、その、風紀的に余り褒められないことをしてたとか? そんな話があるし?」

 風紀的に褒められないこと……?

 ヤスエは言いづらそうにしているが、サトミーは女だし、ホストクラブ的なものだろうか?

 俺は行ったこと無いが、娼館も普通にあるわけだし、女性向けのもやっぱりあるのかもしれない。

「ヤスエさんとしては、高松さんを助けて欲しい、とかは無いんですね?」

「ナツキたちも、同じでしょ? 特に仲が良かったなら、こんなことになる前に止めに行ったかも知れないけど、そうでも無かったし……。第一、犯罪者になっちゃったクラスメイトより、自分……と旦那の生活の方が大事」

「ま、そうよね。私も同感。犯罪者、死すべし。慈悲は無い。それが、クラスメイトでもね」

「だよね。結局、私を助けてくれたのは、こっちの世界の旦那だったし。良い人は良い。悪い人は悪い。それだけだよね……うん、ホント、それだけ」

 俺たちからすれば、サトミーは『アエラさんを騙した可能性が高い人』で、『ケルグに騒乱をもたらして、ラファンに少々混乱を生じさせた』という程度だが、ヤスエはこの町に住んでいるだけあり、自身への直接的な被害の他、被害を受けた人の様子なども見ているのだろう。

 そう考えると、複雑そうな表情を浮かべているのも納得である。

「ま、サトミーの事は兵士に任せれば良いでしょ。あれだけ巡回してるんだから。それより、【スキルコピー】の方だけど、教えるのは構わないわ。そのかわり……(出産したら、いろいろ教えて)」

「はぁ!?」

「(結婚してるなら、やることは、やってるんでしょ?)」

「(えっと……ま、まぁ、そうだけど)」

「(ならお願い)」

「(えぇー、う、うん、まぁ、解った。でも、なんで?)」

「(この世界のそのへんの事情、訊きたいから。両方のことを知っている人から)」

「(ですね。私たちは、その、そのあたりの繋がりが無いですから)」

「(あー、うん、そうよね。アンタたちでくっついたら、そうなるわよね。私の場合、一応、義母とか居るし)」

「(そのへんは、ちょっと安心材料だよねー。でも、不安とか無かった? 結婚に)」

「(それはあったけど……惚れちゃったし……?)」

「(きゃー、乙女、乙女がいるよっ!)」

 ヤスエが声を上げた後、何やら女性陣がコソコソと話し始めたが、こういう時に首を突っ込むのはダメなのだ。俺、知ってる。

 聞こえただけで、こっちに非が無くても文句を言われたりするので、俺とトーヤは極力そちらに意識を向けないだけの分別がある。

 なんだか妙に盛り上がり始めた女性陣から距離を置き、そのおしゃべりが終わるまで、トーヤとのんびり、雑談に興じたのだった。

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