182 予想外の出会い (2)
結局ハルカは、ヤスエにスキルを教えるため、ここに残り、その間、俺たちで宿の確保に向かうことになった。
今回ハルカが教えるのは【裁縫】と【調理】のスキルで、もし俺たちが町を出るまでに時間があれば、トーヤの【剣術】を追加する予定。
それ以外のスキルに関しては、今後俺たちがこの町に来ることがあったときか、ヤスエがラファンに来たときにでも、という事にはなったが、町で生活する範囲ではあまり必要の無いスキルだけに、実際に教えることになるかは微妙なところ。
更に魔法に関しては、素質が無いと使えないため、対象外。
そのことにヤスエはちょっと残念がっていたが、そこは飲み込んでもらうしかない。
◇ ◇ ◇
向かったのは、前回ケルグを訪れたときと同じ宿。
以前泊まったときに、特に不満も無かったので選んだのだが、町の状況があまり良くないためか空室が多く、宿のおばさんには喜ばれた。
ニコニコと機嫌の良さそうなおばさんに、2部屋の確保をお願いし、ついでに本屋の場所も訊ねる。
本屋に行くのは、この町に立ち寄った大きな目的の1つなのだ。
魔物に関する本については、ディオラさんに取り寄せを頼んでいるが、ダンジョンに関する本は1冊しか手に入っていないし、他にも有用な本があるかもしれない。
少なくともラファンよりは多くの本があるはずで、道中にあるのに寄らない理由が無い。
なので、おばさんには「知っているだけ教えて」と頼んだのだが、残念ながら、ケルグにある本屋は1軒のみらしい。
少々残念ではあるが、迷わなくて良いと言えば良い。
教えてもらったその本屋に向かう途中で、食堂でハルカを回収。
宿を確保してきただけなので、俺たちが戻ってくるまでの時間はさほど長くはなかったのだが、予想外なことにその僅かな時間で、すでにヤスエは【調理】と【裁縫】のスキルを習得していた。
ユキの時の経験から考えてもかなり短い時間ではあるが、恐らくこれは、彼女がこれまで努力していたことが功を奏しているのだろう。
食堂は夜も営業しているため、仮に覚えられていなくてもハルカは回収していく予定だったのだが、予想外にスムーズに済んでラッキー、と言ったところか。
ヤスエには俺たちが取った宿の場所を教え、そのまま本屋へと向かう。
やや町外れにあるそこへ向かう途中にも、何カ所か破壊された建物の跡や道の隅で無気力に座り込む人の姿などが目に付く。
思うところが無いでもないが、俺たちは別に正義の味方でもない。
あまりそちらを見ないようにしつつ、足早に通り過ぎると、目的地が見えてきた。
「あ、あれじゃないかな? って、あれ?」
先頭を歩いていたユキが1軒のお店を指さし、何かを見つけて首をかしげる。
「なんだろ?」
駆け寄ったユキが見つめる先には、店の入り口に張られた1枚のチラシ。
そこには大きく『5割引き! 売り出し中!』の文字が。
「えぇぇ!? 本屋で割り引きセール? しかもこの世界で?」
ユキが声を上げたのも仕方が無いだろう。
この世界でセールなんて、これまで聞いた事ないし、そもそも庶民には文字を読める人が多くないので、チラシという物も目にしたことが無い。
しかも大半の本は一点物の高級品。普通、セールで売るような物ではない。
「あ、でも、本屋ならチラシもありなのか」
「そうよね。文字を読めない人は買いに来ないわけだから」
「理由は解りませんが、幸運でしたね」
本が高価なこの世界で、5割引きというのは非常に大きい。
俺たちは幸運に感謝しつつ、扉を開けて本屋の中に入る。
その中の構造はラファンなどの本屋と変わりなかったが、目を惹いたのはカウンターの上に積み上げられた大量の本。
そしてその奥の本棚と、その周りに高く積み上げられた本のタワーがいくつも。
多少の隙間を空けて屹立しているタワーだが、そのスペースは人一人がやっと通れるレベル。
どう考えても置いてある本の数が、店舗の大きさと合っていない。
ラファンに比べれば多少大きな店ではあるのだが、本の量は段違いで、昔訪れた老舗の古本屋を思い起こさせる。もちろん、日本での事だが。
「いらっしゃいませ!」
嬉しそうな声で俺たちを迎えてくれたのは、中年の男性。
揉み手をせんばかりの笑顔である。
理由は言うまでも無く、明らかに過剰在庫の本たちだろう。
「随分とたくさんの本がありますね?」
「はい。先日来から問題になっていた、サトミー聖女教団の影響で……」
疑問を口にしたハルカに、店員が苦笑しながら教えてくれたところによると、サトミー聖女教団に入れあげてしまった人は、聖水――正確にはそれに付いてくる各種の券を買い集めるため、無理して大量のお金を使うようになってしまったらしい。
生活費を注ぎ込むレベルならまだマシで、家財や美術品、本など、金になりそうな物を売り払っては、それを元手に聖水を買いに走るようになる始末。
ついには家屋敷まで手放してしまった人すらいるとか。
普通の庶民は、本を持っていないことを考えれば、サトミー聖女教団の影響は、富裕層や貴族にまで広がっていたのだろう。
ここにある大量の本は、そんな人たちが売りに来た代物らしい。
「うわぁ……想像以上に酷かったのね」
「はい、そんな状況なので、かなり買い叩けたのは良いのですが、ご覧の通りの有様でして……」
「置き場に苦労してそうですね」
「はい。しかも、理由は違いますが、まだ売りに来る人も多くて……」
サトミー聖女教団が無くなって我に返ったところで、聖水に投じた資金が戻ってくるわけではない。
致命的なところまで行っていなかった人の中には、何とか金を工面するため、売れる物は売り払ってしまおうとする人も多くいるのだとか。
だが、応接間にある高価な家具などを売ってしまうと、来客があった際には見栄えが悪いし、貴族や大商人であれば、体面的にも少々マズい。
その点、本は生活必需品ではなく、その数が減ったところで他人には解りづらい。
それ故、必然的に持ち込まれる量も多くなっているようだ。
「それで『売り出し中』、なんですか」
「はい。うちとしても、現金資金が枯渇気味でして。たくさん買って頂けるなら、サービスしますよ?」
「そうですね……それではまず、ダンジョンに関する本を持ってきてもらえますか?」
「わかりました!」
積み重ねられた本も一応分類はされているらしく、店員は迷う事無く、ドン、ドン、ドン、とばかりにカウンターの上に本を積んでいく。
それを俺たち5人がひたすらチェック。
多少でも気になる本は横に積んでいく。
「次は魔法関連の本を……」
そんな感じで、錬金術関連、魔物関連、薬草類やその他の雑学などの本もチェック。
魔法関連は、大半が手持ちの魔道書とほぼ同じ内容で、その多くが脱落。魔物関連もディオラさんに注文している本があるので、一部以外は同様に脱落。
ただそれでも、最終的には50冊以上の本が積み上げられる事になった。
「後は……どんな本がありますか?」
「娯楽物、歴史物……他には自伝的小説――簡単に言えば、貴族が自分の功績を粉飾した小説ですね」
前者2つはともかく最後のは……。
「それって売れるんですか?」
「ほぼ売れませんねぇ。貴族相手に『ゴミは要らない』とは言えないので、一応は買い取りますけど、大抵はそっちのワゴン行きですね。日記もありますがこれも同様ですね」
苦笑しつつ、「このへんが、ほぼそんなのです」と店員が指さした位置には、腰ほどの高さのタワーが2つ。
ワゴンに置いておいても、ほぼ売れ残る代物らしい。
「自伝や日記、ですか……」
考え込むように呟くナツキだが、後世に於いては歴史的資料としての価値が出るとしても、今現在に於いては確かにほぼゴミだろう。
特に日記なんて、そんな物を売る貴族も貴族だが、書いた本人にとっては羞恥プレイか、嫌がらせか。
更級日記とか、日本の古典のように、人に読ませることを前提として書いている可能性も無いでもないが……。
「その娯楽物や歴史物も見せてもらうとして、日記なども多少引き取りましょうか?」
「良いんですか? こちらとしては売れないのに場所は取る物ですから、ありがたいですけど」
予想外の事を言いだしたナツキに、店員は嬉しそうに声を上げた。
物が物だけに、せめてその貴族の目の届かない場所ででもなければ、そのまま廃棄もしづらいらしい。
確かに自分の祖先の自伝がゴミとして捨てられていたり、焼かれていたりすれば、その貴族としては気分が良くないだろう。
かといって、俺たちが引き取る価値があるのかは疑問なのだが。
「(ナツキ、日記なんてどうするんだ?)」
「(常識とかを知るには多少の価値があるかと。それに、読む本が少ないですから、暇つぶしにはなりますよね?)」
「(娯楽として、ね。まぁ、反対はしないけど)」
ナツキは結構な本好きなのだが、この世界、そう簡単には本が手に入らない。
いや、手軽に買える値段ではないと言うべきか。
本屋に行けばある程度は並んでいるのだが、1冊買えば金貨が飛ぶのだから、今の俺たちでも、大した価値がない本を買い集めるだけの無駄遣いはできない。
その点、今回はかなり安く手に入るわけで、良い機会なのかもしれない。
結局その後、俺たちは娯楽物、歴史物から何冊もの本を追加した上で、ゴミ扱いの本もごっそりと引き受けた。
それらの『半ばゴミ』を除いてもトータルは100冊近かったが、最初に店員がサービスすると言った言葉に嘘は無かったようで、支払った金額はまとめて金貨500枚ちょうどだった。
滅茶苦茶大金と言えば大金だったが、本の価値を考えればむしろかなり安く、それでいて店員としても損は無かったようでほくほくなご様子。
互いにウィンウィンな状態で、俺たちは店を後にしたのだった。
◇ ◇ ◇
「いやー、良い買い物をしたな」
実質、5割以上値引きして売ってくれたので、節約できた金額は金貨500枚以上。
銘木2本分ぐらいは得した感じ?
「けど、本を買うのに1度に500万円使ったと考えたら、とんでもないけどね、日本だったら」
「価値が違うから仕方が無いわよ」
金貨500枚。金額的には大きいが、得をしたと考えるべきか、無駄な散財をしたと考えるべきか。
……いや、得をした、で良いはず。
確かに娯楽系も含めて、必要以上の本を買ってしまった気もするが、俺たちは普段、無駄遣いをしないからなぁ。
酒も、タバコも、博打もしないし、当然、色街になんか出かけないし、出かけられない。
冒険に必要な物を除けば、精々食料品に使う金額が多いぐらいか。
そう考えれば、娯楽本にお金を注ぎ込むぐらい、許容範囲だろう。
「今回は、さすがに本棚が必要になりそうだな」
「マジックバッグに入れておけば、劣化はしないけど、探しにくいからねぇ」
「覚えられないよね、あの数は」
今まで買った本は20冊もないので、欲しい本をすぐに取り出す事ができたが、今回はそれぞれが分担して選んでいるし、数も多い。
自分でチェックした物はともかく、他の人が選んだ本に関しては、皆、何があるのか把握できていないだろう。
「ちなみに、なんか特に興味を惹く本はあったか?」
「私は錬金術関連の物ね。今持っている本は作り方がメインなんだけど、もっと原理的な理論、ある意味では応用に使えそうな本があったわ」
解りやすく例えるならば、今持っている『錬金術事典』が料理のレシピ本だとするなら、今回見つけた本は、『なぜその調味料を入れるのか』という解説が載っている本らしい。
これまでも多少は錬金術事典に載っていない物を工夫して作っていたハルカたちだが、それらは基本的に、載っている物を組み合わせて実現していた。
だが、今回の本を読めば、より根本的な設計から魔道具を作れるようになる――かもしれないとのこと。
少し楽しみである。
「私は料理に関する本で興味を惹かれる物が。直接的ではありませんが、レパートリーが広がるかもしれません」
ナツキの挙げた本は、料理に関する本と言ってもレシピなどではなく、食材の産地や特徴などが書かれた本らしい。
今のところ食材は、町の市場で売っている物を買ってくる、という形だが、それもこの世界にある食材を把握していないから。
知らない物は探せないし、注文する事もできない。
だが、その本を読んでこの世界の食材を把握すれば、場合によってはそれを手に入れるため、別の町に足を延ばす、と言う方法も取れる。
たかが食材のために無駄とも思えるが、娯楽の少ないこの世界、観光がてら、そういうのもありかもしれない。
「オレのお勧めは――む?」
トーヤが言葉を途切れさせ、足を止めた。
何事かと思い、トーヤの視線の先を見ると、そこには道の隅で地面に倒れている子供が2人。
破れと汚れが酷い服を申し訳程度に羽織り、うつ伏せのままピクリとも動かない。
これまでも道の脇で無気力に座り込む人は何度も見かけていたが、行き倒れは初めてである。
この世界に来て――いや、元の世界を含めても初めて見る行き倒れ。
それ自体も珍しいのだが、なによりも俺の目を惹いたのは、その2人の頭にある普通の人間とは異なる耳。
「獣人……。騒乱の被害者か……」
そう。その2人の子供は獣人だった。
基本的にこのあたりでは、獣人やエルフなどの亜人に対する差別は無いのだが、それが亜人が多く住んでいることを意味するわけではなく、残念ながら見かける機会は殆ど無い。
すでに1年近く生活しているラファンでも、出会った事は数えるほど。
エルフに至っては、アエラさんしか見た事が無い。
初めて見るこの騒乱の明確な被害者が、そんな珍しい獣人とは何の因果だろうか?
……いや、もしかすると『獣人だから』かもしれない。
俺たちが差別された事はないが、どうこう言っても俺たちは『弱者』ではない。仮にそれが弱者で、状況が悪い時であれば?
「これは……酷いな……」
その子供たちに近寄ったトーヤが、渋い顔で言葉を漏らす。
よく見れば、その2人の子供の身体には酷い火傷の跡があった。
やや小さい方の子供には、破れた服から見えている右腕から肩にかけて。大きい方の子供は顔の左側から首、そして恐らく身体の方にも。
治療された様子も無く、恐らく死因はそれか。
「火事に巻き込まれたのかしら?」
「くそっ! ……せめて埋葬してやろう」
治療されていない理由に、種族が関係があるのかどうかは不明だが、同じ獣人として見過ごせなかったのか、トーヤがマジックバッグから布を取り出し、それを被せようと手を伸ばす。
そして、その布が被さるかと思ったその瞬間、子供の耳がピクリと動いた。
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