151 やっと、お茶?

 自宅まで帰り着いた俺を待っていたのは、案の定、強烈な筋肉痛だった。

 夕方から翌日の朝まで、ベッドの上で呻くハメになった俺に、ハルカたちは何かと世話を焼いてくれたのだが――シモの世話まではしようとしなくて良いからな?

 トイレまで行くのに時間がかかり、ちょっとヤバげな俺に、ユキが土魔法で作り上げた尿瓶を持ってきたときは別の意味で泣きそうになった。が、何とか間に合った。問題は無い。

 と言うか、そんな物を作る暇があるのなら、俺を抱き上げて連れて行ってくれる方がまだありがたい。それはそれでかなり情けないが、今の身体能力なら可能なんだからさ。

 ちなみにこの筋肉痛、光魔法では治癒できない。

 理由はよく解らないが、原因が魔力を無理に流したことに起因しているせいじゃないか、というのがハルカとナツキの見解。

 そもそも筋肉の痛みだけではなく、全身の倦怠感や精神的な疲労も同時に来ているので、仮に筋肉痛だけ治ったとしても、素直に寝ておく以外にないのだが。

 やはりドーピングは所詮ドーピング。

 緊急避難以外では使うべきじゃ無いなぁ……。


    ◇    ◇    ◇


「な、何ですかこれ……」

 庭に置かれたダールズ・ベアーの死体を見上げ、茫然とした表情でそう言葉を漏らしたのはディオラさんである。


 俺を苦しめた筋肉痛から明けて翌日。

 俺たちはダールズ・ベアーを解体しようとして、ふと思ったのだ。

 これ、普通に解体して良い物か、と。

 トーヤの持っている『獣・魔物解体読本』にダールズ・ベアーに関する記述はなく、解体方法は判らない。

 普通の熊と同じように解体することはできるだろうが、それでもし貴重な部位を無駄にしてしまったりしたら、かなり悲しい。苦労して斃しただけに。

 素直に冒険者ギルドに持ち込むという方法も考えはしたのだが、言っちゃ悪いが、所詮はラファンの冒険者ギルドである。このサイズの魔物が入るようなスペースはなく、取り出すことすらできないだろう。

 何より、絶対に目立つことが解っているのに、そんな事はしたくないと全員の意見が一致したのだ。

 そんなわけで、ちょっと無理を言ってディオラさんに来てもらったのだが……意味が無かったか?

 ダールズ・ベアーを見ること自体、初めてみたいだし。

「ダールズ・ベアーって魔物ですが、知りませんか?」

「名前だけは……えっ? これが、居たんですか? 北の森に!?」

「そうですね、出てきましたから」

「まさか、あのエリアに生息していたなんて……。オーガーを狩ってこられた時にも思いましたが……」

 信じられないと言った表情で、ダールズ・ベアーの死体と俺たちを見比べ、言葉尻を濁すディオラさん。どう思われていたのだろう? 微妙に気になるが、ダールズ・ベアーを知らないということは――。

「それじゃ、換金部位とか解らないわよね?」

 無駄足だったかな? とそんな事を口にしたハルカに、ディオラさんは慌てたように手を振った。

「あ、いや、いやいや、待ってください。それはさすがにギルド職員としての沽券に関わります。必ず、必ず調べてきますので、明日まで――いえ、数日待ってください!」

 数日、と言い直すあたり、現実的である。

 まぁ、俺たちにはマジックバッグがあるし、最近作ったマジックバッグなら、『時間遅延スロー・タイム』も付けてあるので数日程度であれば問題は無い。

 最初の頃こそ、大型のマジックバッグには『時間遅延スロー・タイム』を付けていなかったし、銘木を運ぶだけであれば不要だったのだが、マジックバッグの性能に差があると地味に使い分けが面倒なのだ。

 万が一、間違えて『時間遅延スロー・タイム』の無いマジックバッグに生ものを入れて、しかもそれに気付かず日数が経ったりしたら……一人暮らしにありがちな、『封印された炊飯器』になりそうである。

 と言っても、マジックバッグを全部作り直したわけではなく、基本的にはすべて再利用している。

 マジックバッグの作製で面倒なのは魔法陣の刺繍なので、そこに込められている魔力を一度解放し、再度付加をやり直せば、その時点での技量に応じたマジックバッグに更新できるのだ。

 そのため俺たちは、時々マジックバッグの更新を行っていて、これが地味にスキルアップに繋がっている……はずである。たぶん。


    ◇    ◇    ◇


「さて、今日はどうしますか? ナオくんもさすがに今日は、訓練、控えますよね?」

「その方が良いだろうなぁ」

 慌ててギルドへと戻っていくディオラさんを見送り、ダールズ・ベアーの死体をマジックバッグに戻した俺たちは、やや手持ち無沙汰になっていた。

 概ね体調は回復していたが、訓練で無理をする意味も無い。ここは、完全回復するまで休むべき場面だろうし、ハルカたちもそれは同じ思いだったようだ。

「トーヤの防具も無いし、しばらくは休みにしましょ」

「だね。トーヤの防具は、注文?」

「属性鋼を使うならそうなるでしょ。バックラーと篭手、両方買わないといけないわね」

 バックラーは全損で買い換え必須、篭手は左手が半壊。

 右手の篭手に関しては特に問題は無いのだが、あんな敵がいると解った以上、こちらも属性鋼で作り直した方が良いだろう。

 以前からハルカが口を酸っぱくして言っているとおり、部位欠損に関しては治すことができないのだから。

「そいじゃ、オレはガンツさんと打ち合わせしてくるわ」

 足取りも軽く「じゃ!」と手を上げて、そそくさと門を出て行くトーヤを見送る俺たち。

 多分、新しい防具になるのが嬉しいのだろう。

「……トーヤが戻るまでは暇になったわね」

 属性鋼の作成はハルカとユキの仕事になるが、トーヤとガンツさんの打ち合わせが終わり、必要な物が決まるまでは作業にかかれないのだ。

「それでは、茶摘み、しませんか? そろそろ新茶の時期ですから」

「そういえば、植えていたわね、お茶の木」

 ナツキの言葉に、ハルカがポンと手を叩く。

 俺も忘れていたが、随分前に庭の隅に都合5本ほど、お茶の木を移植していた。

 見た目、他の灌木とあまり違いが無いので、気にしていなかったのだが……。

「すっかり忘れてた。ナツキ、手入れしてたの?」

「手入れと言うほどのことはしてませんが……」

 そう言いつつ案内された場所は――

「かなりしっかり手入れしてるよな?」

 きちんと刈り込みが行われ、その一部は桁の上にゴザの様な物が結びつけられ、半日陰になっている。

 思い出してみれば、ナツキは「抹茶が飲みたい」と言っていたし、あれが抹茶用の対策なのだろう。

「簡単にやっただけですよ。例の肥料のおかげか生育も良いですし、私がやったのは剪定と日陰を作ることぐらいです」

「それだけでも十分だと思うけど……ま、摘むことぐらいは手伝うわよ。人手が必要な作業でしょうし」

「うんうん。でも、どこを摘んだら良いのかな?」

「あ、はい。この部分を――」

 ナツキに指導を受けながら、俺たちは全員で茶摘みを行う。

 木の数が少ないので、そこまで大変ではないし、それでいて俺たちが飲む分ぐらいは十分に取れそうなので、これぐらいがちょうど良い量、なのだろう。

 初夏を感じるイベントとして、茶摘みもありかも知れない。

 これより多かったら、きっと面倒になるし。

「何回ぐらい摘めるでしょうか? あの肥料もありますし、きっと四番茶も採れますよね」

 ――おや? 何かおかしな言葉が聞こえたぞ?

「……お茶って、1回だけじゃないのか?」

「え? あ、はい。今摘んでいるのは一番茶、いわゆる新茶ですね。紅茶だとファーストフラッシュと言われる物です。普通は二番、三番、それから秋。4回ぐらいは収穫できます」

「あの肥料を使うと……?」

「かなり成長が早いですから、もしかすると倍ぐらいは収穫できるかも知れませんね」

「ほう、倍……」

 4回の倍だと8回ですね。

 ……結構大変じゃないですか?

「抹茶、煎茶、ほうじ茶……上手くすれば、紅茶や烏龍茶も作れるかも知れません」

 手早くお茶の葉を摘みながら、とても嬉しそうなナツキに、俺が何を言えるだろうか?

 何も言えるわけがない。

 ただ静かに、お茶を摘むのみ。

 ユキとハルカも少し苦笑している気がするが、ナツキの趣味に文句を言うつもりは無いらしい。

「でもナツキ、紅茶の作り方とか知ってるの? 緑茶は知ってそうだけど」

「はい、緑茶は知ってます。作るのを見たこともありますから。紅茶と烏龍茶の方は、知識だけですね。まぁ、何回か実験すれば作れると思います」

「そうなんだ? 手伝いは必要?」

「いえ、それほど量も多くないですし、大丈夫だと思います。大変そうなら、その時はお願いします」

「解ったわ。私たちも飲むお茶だし、遠慮せずに言ってね」

「はい。ありがとうございます」


 茶摘み自体は1時間ほどで終了したのだが、その時点でお役御免となった俺たちとは違い、ナツキはすぐに加工作業へと移行した。

 俺はよく知らなかったのだが、緑茶と他のお茶との大きな違いは、すぐに加熱するかどうかにあるらしい。

 なので、ナツキは摘んだお茶の半分ぐらいを陰干しにして、残りの葉はすぐに蒸して緑茶の作製に取りかかった。

 俺はそれを横で見学していたのだが、ナツキに「暇なら手伝ってくれますか?」と言われ、俺も作業に参加することに。

 と言っても、ナツキが茶葉を揉んだり広げたりしている隣で、『加熱ヒート』や『冷却コールド』の魔法を使って、加熱や冷却の手伝いをしただけなのだが、ナツキ曰く、「凄く便利です!」との事だったので、十分に役に立ったのだろう。

「後は火入れをすれば、煎茶の完成、です」

「何というか……案外簡単……いや、短時間でできるんだな?」

「そうですね、紅茶などとは違って発酵工程が不要ですから。ほうじ茶もこれをしっかりと『焙じる』だけで作れますから、難しくはありません。もちろん、美味しい物を作るためには、職人技が必要となりますけど」

「そのへんはプロと素人の違いだから仕方ないだろ。抹茶は? 途中で分けたのが抹茶の茶葉だよな?」

 半日陰で育てていたお茶の葉は別扱いで処理を行っていた。

 基本的には似た処理をしていたようなのだが……。

「抹茶はしばらくお預けですね。茶葉を挽くための石臼がありませんし、お茶のお道具もありません。茶筅がないのが致命的です」

「……あぁ、あの泡立て器みたいなヤツ?」

「えぇ、そうです。あれがないとお抹茶らしさに欠けますから」

「いや、それって絶望的じゃないか? 入手するのは」

 この世界のどこかにある可能性はゼロでは無いが、入手はかなり難しいだろう。

 そして、説明して作ってもらおうにも、簡単に真似できるような物では無い。

「ですよね。自作……? いや、さすがにあれは……」

 ナツキはそんな事を呟きつつ、眉をひそめる。

 いや、かなり繊細な竹細工だけに、器用なナツキでもさすがに無理だろ。

「えーっと、趣味としてトライするのは別に良いと思うが、あまり無理しないようにな?」

「はい、解っています。所詮、趣味ですから、程々に頑張りますね」

 そう言って微笑むナツキだったが、多分ナツキって、趣味にのめり込むタイプだよなぁ。

 薙刀の腕前とかそのへんを考慮すれば。少なくとも、『身体が弱いから、健康のために』というレベルではなかったわけで。

 多少、気にかけておいた方が良いかもしれない。


 そんな事をしたその日の夕食に出てきたお茶は、久しぶりの緑茶だった。

 その味は、少なくとも俺がたまに飲んでいた緑茶よりも上で、ハルカたちも上出来と褒めていたんだが、ナツキ的には微妙に納得がいっていないらしく、首を捻っていた。

 向上心があるのは良いことだが、さすがに今日初めて作ったお茶を、恐らくナツキが飲んでいただろう、高級茶葉と比べるのは分が悪いと思うぞ?

 だが、そんなナツキであれば、そのうち茶筅すら自作してしまいそうである。

 せめて石臼ぐらいは、土魔法で作ってプレゼントすべきだろうか……?


 ちなみに、しばらく経って完成した紅茶や烏龍茶も含め、ナツキの作ったお茶の評価は想像以上に高く、知り合いに振る舞った際には「是非分けてくれ」と言われるほどの代物になっていた。

 その結果、将来的には贈答品として活躍することになり、必然的に俺たちの作業量も増えることになるのだが……その時の俺たちには知る由もなく、ただ素直に懐かしい味に舌鼓を打つのだった。

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