150 新たな魔物 (5)
「ヤ、ヤバかった……」
「そうですね……予想以上の強さでした」
どちらかと言えば、いつも涼しい顔をしているナツキも、今回は少しキツかったようで、大きく息を吐くと、ハンカチを取り出して額に浮かんだ汗を拭っている。
俺もまた息を吐き、俺は強引に身体強化に回していた魔力を止める。
それと同時に崩れ落ちそうになる膝を槍で支え、俺はトーヤの方へとゆっくりと近づく。
その横ではハルカが魔法による治療を行っていた。
「どうだ?」
「一瞬、死ぬかと思った。――すまん、タンクが崩れちゃマズいよな」
「トーヤがタンクかどうかは議論の余地があるが、ま、気にするな。無事で良かった」
情けない表情で頭を下げるトーヤに、できるだけ軽い口調で応えて笑う。
しょーじきなところを言えば、あの状況で前衛が崩れるとか、勘弁してくれって感じなのだが、反省しているトーヤに追い打ちを掛ける必要も無い。何とか生き残ったわけだし。
「怪我の方は?」
「治療はしたけど、かなり酷かったわ。腕は粉砕骨折状態だったわね」
ダールズ・ベアーの爪が思いっきりヒットしていたのだろう。
見ればトーヤの左腕に装着されていたバックラーは、完全に4分割されて側に転がっていた。
更に革製の篭手と服の腕部分もズタズタになっていて、その下に身につけていた鎖帷子が見えている。
その鎖帷子自体には多少の傷は付いているが、幸い、壊れたりしている様子は無い。
「良かったわね、鎖帷子を更新していて。下手したら、腕が無くなってたわよ?」
少し前、属性鋼を使用して作り替えた鎖帷子は、全員、長袖・長ズボンへと替わっていた。
その前の鎖帷子がベスト型だったことを考えれば、腕が無事だったのは幸運としか言いようが無い。
「ホントだよね。かなーり高かったけど、さすが属性鋼の鎖帷子」
「防御力の高さは実証されましたが……本来はあまり活躍しない方が良いんですけど」
属性鋼を使った鎖帷子は素材持ち込みで金貨数百枚。かなり高価な防具である。
武器と同様、魔力を注ぐことでより強固になるため、今回のトーヤのように、攻撃を食らう前に防御を意識することで、かなりの防御力アップが期待できる。
しかし、実はこれ、微妙に弱点でもある。
普通の戦闘時であれば問題は無いのだが、困るのは不意打ちを食らった場合。
攻撃を食らうと思っていないので強化ができず、どうしても防御力で劣ってしまう。
とは言え、それでも普通の白鉄で作った鎖帷子よりも強固なので十分に価値はあるのだが。
「そっちはどうだったの? 途中から見る余裕が無かったけど」
「何とかですね。怪我はありませんが、一歩間違えば、と言うところですね」
「あのレベルだと、大怪我か無傷かのどっちかだよね。――あたしだと、デッド・オア・アライブな気もするけど」
「俺はちょっと無理したから、明日は筋肉痛だな」
「……あぁ、身体強化? 大丈夫?」
「今のところ。時間も短かったし……だが、即帰宅したいところだな」
以前、身体強化の訓練をしているときに解ったのだが、【鉄壁】、【筋力増強】、【魔法障壁】、【韋駄天】などのスキルは、意識的に魔力を過剰消費することで、現在のレベルプラス1ぐらいの効果を発揮する事ができるようなのだ。
但し副作用として、普通であれば戦闘をしながらでも使える魔法でも、使う余裕が無くなること、そして戦闘後に筋肉痛やだるさに襲われることなどがある。
決して普段使いできるような物では無いため、普通にスキルレベルを上げるのが常道なのは間違いない。
「アレかぁ。オレはできないからなぁ……」
「あんま褒められた方法じゃ無いけどな。後から戦闘不能になるんだから」
現状、ドーピングができるのは、いや、できないのはトーヤのみ。
これは恐らく、魔力の扱いに
最初に実行できたのは俺だったが、魔法を使える面々は比較的すぐにできるようになっていたのだから。
ちなみに、俺はほぼ丸一日、筋肉痛と身体のだるさに苦しむ事になったのだが、その俺の様子を見ていたハルカたちは、ドーピングできるようになってもすぐに解除したため、ほぼ影響なし。
俺が微妙に釈然としない気持ちになったのは、仕方ないよな? 口には出さないけどさ。
「よしっ! 何とかオレも動けるようになったし、アレ、処理しようぜ?」
「そうだな。良い感じに血も抜けたみたいだし」
俺とナツキによって傷つけられた血管から流れ出た血は、身体が大きいだけにその量も多く、地面に大きく池を作っている。
トーヤは立ち上がると、その池を避けてダールズ・ベアーの死体に近づき、それをパンパンと叩いた。
「しっかし、デカい熊だよなぁ」
「ホントにね。これ、何トンあるんだろ?」
斃れた状態でもトーヤの身長ほどはあり、少し小柄なユキであれば、やや見上げるようなレベル。
そう簡単には持ち上がりそうもない。
「そうですね……大きさからすれば、5トンは優に超えそうですよね」
「5トン!? グラム100円のお肉でも、500万円になるじゃん!」
その大きさを目算で測ったナツキが口にした目安に、ユキが声を上げる。
「いや、オーク肉でもグラム100円もしないから。ついでに言えば、肉以外もあるから」
なかなかに美味しいオークの肉で、おおよそ100グラムあたり7レアぐらいで売れるのだが、ヴァイプ・ベアーの肉を売ったときのことを考えると、熊の肉はそれよりも安いだろう。
「かなり大きいですし、お肉自体は5トンぐらいは取れると思いますが……売れるんでしょうか? この魔物って」
「一応、ヴァイプ・ベアーが売れるんだから売れると思いたいが……。ふと思い出したんだが、最近、ヴァイプ・ベアーに出会っていないよな?」
普通は街道近くには出てこないというヴァイプ・ベアー。
それに俺たちが遭遇したのはこちらに来て間もない頃で、少々命の危険を感じさせられた出来事でもある。
それ以降は、キノコ狩りの時に多少遭遇しただけで、森の奥に入ってからはすっかり見かけることがなくなっていた。むしろこのあたりが生息域と聞いていたにもかかわらず、である。
「そういえば、森の奥に生息してるって話だったわよね? さっぱり見かけないけど……もしかして、これのせい?」
ハルカが『これ』と言って指さしたのは、もちろんダールズ・ベアー。
これを熊と言って良いのかやや疑問が残るが、それでも名前的には熊である。
縄張りのことを考えるなら、同じ熊同士、ヴァイプ・ベアーと競合する可能性がないとは言えない。
つまり、あの時遭遇したヴァイプ・ベアーの遠因がこのダールズ・ベアーだったとしたら……。
「オレがコイツに殺されかけるのは、2度目って事か?」
「かな~り、牽強付会な気はするけど、そう言えなくもないわね」
「遭遇した場所とここは結構離れてるぞ? 縄張りの問題だとすれば……玉突き的に追い出された?」
森の奥を縄張りにしていたヴァイプ・ベアーのエリアにダールズ・ベアーが侵入。そこから追い出されたヴァイプ・ベアーたちの縄張りが、森の浅い場所まで広がったのかも知れないが……どうだろうなぁ?
「そんな事より、早くダールズ・ベアーを仕舞おうよ。あんまり余裕は無いでしょ?」
「そうね。トーヤとナオは万全じゃないし、急ぐべきよね」
トーヤの怪我は魔法で治療されているとは言っても、即座に完全回復するほどに魔法は万能ではない。治療された後は少しの間、若干の違和感と疲労感が残るのだ。当然、戦闘の面でも普段より劣ることになる。
俺の方も言うまでも無い。そこまで長い時間では無かったとはいえ、かなり無理をしたので、しばらくしたら筋肉痛がやってくることだろう。
現在は、どこぞの星からやってきた宇宙人みたいに、タイムリミット付きの活動時間である。
「それじゃ、まるごと放り込むか。一番大きいマジックバッグが良いよな」
「巨木用のがあって良かったよな、ホント」
「さすがに、ここで解体作業するのは、かなり怖いもんね」
血の臭いに惹かれて、ダールズ・ベアーのお替わりとか来たら、普通に死ねる。
俺は急いでダールズ・ベアーの隣にマジックバッグを広げ、その上に死体を転がそうとするが――。
「重っ!」
力一杯押しても、多少肉が形を変えるだけで、ピクリとも動かない。
「いや、無理だろ。何トンもあるんだから」
「転がすぐらいなら、と思ったんだが……」
「丸太ならともかく、肉の塊じゃ無理よ。全員でやるわよ」
「ですね」
「せーのっ!」
5人全員で力を合わせ、ダールズ・ベアーの死体を押すと、何とかゴロリと転がり、そのままマジックバッグの中へ、ドプンと沈み込むように飲み込まれていく。いつ見ても不思議な光景。
後はマジックバッグを畳み、バックパックへ片付ければ作業は完了である。
「それじゃ、急いで帰りましょ。ナオ、基本的には戦闘は避けて。単体のオークぐらいまでなら、距離優先で良いけど」
「了解」
簡単に倒せる敵を避けて無理に遠回りしたら、より強い敵に遭遇する危険もあるわけで、妥当な判断だろう。あまり時間が経つと俺がヤバいし。
しかし、オーク程度と判断できるようになるとか、俺たちも成長したよなぁ……。
ちょっと感慨深い物を感じつつ、俺は【索敵】を全開にして先頭に立ち歩き出す。
そして俺たちは、途中で遭遇したスケルトンをハルカたちの魔法で一瞬で蹴散らしたりしつつ、無事にラファンまで帰還したのだった。
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