008 街に着きました (5)

「さて、そろそろ夕食を食べに行かない?」

 そうハルカに提案されて、俺とトーヤは顔を見合わせて渋い顔をした。

 宿に帰ってきてから3人で色々話しているうちに、階下からは賑やかな声が聞こえ始めている。

 宿のオヤジからは、食堂が開いている時間であれば、いつでも食べに来て良いと言われていて、本来なら楽しい食事の時間なのだが……。

「うぁ~、またあの黒パンなのか?」

 そう、俺たちの表情の理由はそれである。

 大分腹も減ってきて、多少美味しくない程度なら我慢できそうだが、アレはなぁ……。

「2食で80レアだし、可能性はあるわね」

「マジか~。あんまり好き嫌いはない方だが、俺もあのパンはちょっと苦手だなぁ」

「ま、運が良ければ白パン、もしくはマッシュポテト的な物が出てくるかもね」

「ポテト的な物?」

「芋っぽい物も主食として食べられてるから。そんなに美味しくは無いと思うけど」

「大して美味くなくても、食べやすければそれでいいや。酸っぱいパンってちょっと厳しい……」

「なぁ、ハルカ、作ってくれないか?」

 元の世界と勝手は違うだろうが、ハルカなら何とか食べられる食事を作ってくれるかもという希望がある。

 少なくとも、味覚は俺たちと同じなのだから。

「それなら、まずは台所付きの部屋を借りられるくらい稼がないとね」

「確かに。宿暮らしじゃ無理だよな」

「ある意味、仕事をやるモチベーションが上がるな!」

「モチベーションと言っても、何か微妙だがな」

 そんな話をしながら1階に降りてテーブルに着くと、何も言わずとも、くだんの無口なオヤジが3人分の食事を持ってきて、テーブルに並べていく。

「追加の料理、酒は別料金だ」

 それだけ言ってきびすを返す。

 ブレないオヤジだ。

 そして、看板娘はやっぱりいない。

 各自の前に置かれたのは、大皿1枚にスープ、それに1杯の飲み物。

 スープは薄茶色の透き通った色で、野菜が何種類か入っている。

 メインの大皿にはレタスみたいな葉っぱが数枚敷かれ、その上にこんもりとマッシュポテト的な物が盛られている。

 さらに、手のひら大で1センチ以上の厚みのある肉が2枚、どーんと乗っていて、肉汁をしたたらせている。

「これは……美味そう?」

 見た目だけならステーキ専門店の料理にも負けていない。

 難点は何の肉なのか判らないことだが……。

「うまっ! めっちゃ美味うまっ!!」

「あっ! もう食ってやがる!」

 俺が料理を吟味している間に、トーヤはすでに肉に齧り付いていた。

「いや、お前も食えって! めっちゃ美味いぞ! つーか、こんな美味い肉、初めて食った!」

 肉にフォークをぶっ刺し、齧り付きながら興奮したように言うトーヤ。

 正直、行儀は悪いが、付いている食器はフォーク一本なのである程度は仕方ないとも言える。

 俺とハルカはちょっと顔を見合わし、同じようにフォークを使って肉に齧り付く。

 その途端、肉汁が溢れる。

 スッと切れると言うほどには柔らかくないが、噛み切るのに苦労するような堅さでもない。

 和牛のような濃厚な脂と旨味はないが、赤身のロースステーキのような旨さ。

 仮に朝食がどんなに粗末でも、80レアでこの味ならめちゃくちゃ安い。近所にあったら週1、いや週2、3回は通うレベル。

「ふーん、何の肉なのかしら、これ。肉自体も悪くないけど、下ごしらえをちゃんとしてるのか、結構柔らかいわね」

 口に詰め込むというような調子で食べているトーヤに比べ、ハルカは冷静に吟味するように味わっている。

 それを見て俺も少し落ち着いて味わってみる。

「そうだな。味付けは塩とハーブ類か? 胡椒は使ってないな。だが、それでもけっこう美味いな」

 続いてマッシュポテト的な物をすくって口に入れる。

 うん……淡泊な味。ややしっとりしていて、さっぱり。

 ジャガイモのような芋自体の味はあまり感じられない。

 だが、灰汁あくやクセもないので、食べやすくはある。

 ちょっと濃いめの味付けの肉と良く合う。

 スープの方も、コンソメほどの出来ではないが、昼に食べたスープもどきの薄い塩水に比べれば雲泥の差で、十分美味い。

 美味いのだが――う~む……冷静になってみると、そこまででも無い?

 よく考えれば、マッシュポテトは普通のパン以下、スープも粉末のコンソメスープの方が美味い。

 肉自体は悪くないけど、味付けがシンプルだから、ソースの美味さの点でファミレスの方が勝っている。

 前言撤回。

 期待値が最低にまで落ちていたから美味く感じたが、この味だとワンコインじゃ無ければ週1では通わないな。

 ボリュームだけは十二分にあるけど。

「でも、たぶんここはアタリね、この世界では。昼の屋台のおじさん、マズい物売りつけて正直許せなかったけど、別の宿を紹介しなかったことだけはグッジョブね」

 最初に紹介してくれたのは門番だけどな。

 微妙にハルカに色目を使っていたのも、この食事で許せてしまうかもしれない。普通に食べられるのだから!

「しかし、あの食事のおかげで、この食事のうまさがより実感できるな」

「それは良いことなのか? というか、一般的食事の味はどんな感じなんだ?」

「【異世界の常識】で個々の味が分かったりするわけじゃ無いけど、『黒パンは一般的』、『味付けは塩が基本』とかの知識から考えると、あの屋台の味の方が一般寄りかも……」

「うげー。オレ、もう肉を主食にしようかな。獣人だし、いけるんじゃね?」

 トーヤが顔をしかめてそんなことを言う。

 というか、このレベルの肉で『初めて食った』とか言っているあたり、獣人になった影響か? それとも昼の飯が不味すぎた反動か。

 しかし、肉食動物が肉だけで健康なのは、草食動物の内臓も含めて食べているからじゃなかったか? 調理した肉とはまた違うだろ。

「生肉を食べて血を飲むのならいけるかもね? やる?」

「ああ、母乳ってヘモグロビンを含まない血液っていうもんな。血を飲めば栄養価的にはいけるのか? 牛乳だけで生きた民族が云々、って話をどこかで聞いたような」

「いや、それはさすがに……」

 生肉に血と聞いて、トーヤがうっとした表情になって首を振る。

 俺もレアの肉程度ならともかく、極限状態でも無ければ血は飲みたくない。

 そもそも寄生虫とかを考えれば、しっかり火を通さずに食べること自体危険そうだよな。

 もちろん、生卵や刺身なんかは絶対ダメだろう。

「そうそう、飲み物と言えば、これは何だと思う?」

 話を逸らそうとしたのか、トーヤが指さしたのは、食事に一緒に付いてきた飲み物。

 木製のカップに入っているのは茶色っぽい液体?

 匂いをかいでみると、ちょっと酸っぱいような香りが。

「これはエールね」

「ほう、これがあの有名な」

 ファンタジーの定番である。

 トーヤなら喜んで飲みそうなものだが、黒パンのことがあって慎重になっているのか、いきなり口は付けず、鼻に近づけて匂いを確かめている。

「アルコール、だよな?」

「一応そうだけど、たぶんビールよりも度数は低いわよ? コップ1杯ぐらいなら酔わないと思うけど……あなたたち、お酒、極端に弱いとかないわよね?」

「それは……どうなんだ? 身体変わってるよな?」

「そういえばそうね。体質も変わってるか」

 未成年だったので、正月とかにちょろっと飲むことがあった程度だが、少なくともその時にどうこうなることはなかった。

 問題は、この身体がどうかだが……。

「ま、注意して飲みましょ」

「了解」

 そう言ってカップを手に取り、俺とハルカは顔を見合わせ、そのまま視線をトーヤにやる。

 トーヤの方はそんなオレたちの様子に気付かず、恐る恐るカップに口を付けた。

 そしてすごく微妙な顔になる。

「……うん、何というか。超、質の悪いビール風飲料みたいな……あっ! お前たち飲んでねーし!」

「なるほど、飲めないことは無いのね」

「サンキュ、トーヤ」

 トーヤの毒味に感謝しつつ、俺も飲んでみる。

 ……う~ん、これは。酒って感じではないな。

 ぬるいし、ちょっと酸味があるし、美味くはない。これなら水の方が良い。

 それはハルカも同じ感想だったようで、顔をしかめている。

「……これにお金を払うなら、井戸水の方が良いわね」

「水は安全に飲めるのか?」

「井戸水なら大丈夫だと思うわよ。私たちもこっちの世界の身体になっているし、全員【頑強】持ちだしね」

「そういえば、そうだな」

 ホント、持ってて良かった。

 水も安心して飲めないとか、元日本人としては暮らしにくすぎる。

「オレ、水もらってくるわ」

「あ、私たちのもお願い」

 幸い、水で追加料金を取られることは無かった。

 日本ほど手軽では無いにしろ、ヨーロッパなどに比べると、多少は安全な水が手に入りやすいのだろうか。

「しかし、エールがここまでマズいとは。ホント、黒パン共々、ファンタジーの夢を潰してくれる」

 こんなので酒盛りとか、逆に罰ゲームだろ。

「いや、待て。ファンタジーなら葡萄酒も――」

「そっちも期待薄じゃない? 元の世界の方が美味しいと思うわよ? そもそも、ワイン、好きなの?」

 俺たちの希望をハルカがバッサリと切り捨てる。

 確かに、高い赤ワイン飲ませてもらっても、大して美味いと思わなかったけどさ。

 そしてそれはトーヤも同じだったらしく、ぐっと言葉に詰まる。

「――いや、普通に渋いだけだったけど」

「なら無理にお酒なんて飲む必要ないのよ。そもそも、酔っ払って前後不覚になって安全な世界だと思ってるの?」

おっしゃるとおりです」

 泥酔して道路で寝ていても、大して危険が無い日本とは異なるのだ。

「少なくとも、この世界に慣れて安全が確保できるまで、お酒は禁止。解った?」

「「ハイ」」

 そういう事になった。

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