ウィンダム編2・11章


【11】



「霧が深い。互いの位置を見失うな」

「了解」


 三人、背を向ける姿勢となる。


 敵の位置も分からない。

 飛刃が向かってきた方向にも何の気配も感じなかった。

 霧が風にかき混ぜられる。ゆっくりと円を描くように動く。


 深い霧だ。


 ナーバルは剣を抜いたまま耳を澄ます。

 前方――音。


 霧の向こうに人の姿が見えた。

 一歩、踏み込む。ライデンもケンも背後。ならば、前方は違う。

 踏み込み、ロングソードを突きつける。


 予想以上に強い力で弾かれた。


「――何を?」


 不満そうな声に驚いた。


「……ライデン?」

「そうだ」


 ロングソードの刃を弾いたのはライデンのカタナ。

 流石に痺れたのだろう。軽くカタナを握り直す。


「突然斬りかかって来るとは……どうした? またバーサークか?」

「え、あ、いや――」


 困惑。

 ライデンは自分の背後にいた。

 どうして、目の前にいるんだ?


「……お前、いつ俺の前に回ったんだ?」

「お前が私の方を向いているだけだが?」

「あれ?」


 背を向けていた筈だ。

 死角が無いように、と。


 何だか、気持ち悪い。


「ケン」

「おう」

「お前の相手は、このような芸当が出来たか?」

「いや――見てないな」


 会話の間。

 再び、微かな音。

 ナーバルは剣を構える。身を、引いた。

 足元、金属が落ちる音が響いた。

 飛刃か?

 向けた視線の先には、ひし形の刃。


「……あぁ?」


 変な声を出したのはケンだ。

 足元に落ちた刃と同じものを、ケンの手が持っていた。

 気付けば、ナーバルとケンは向かい合っている。


 二人、気持ち悪さしか感じない。


 これは、何だ?




 空を切る音。


 後ろか?

 前か?


「ナーバル!」


 名を呼ばれ、咄嗟に動いた。

 どちらが正解かも分からない。

 勘と、それから、半ば自棄だ。

 霧はますます深くなる。


 何かが身体を掠めた。

 熱。

 続く痛みに傷を負ったのを理解する。

 かすり傷だ。

 刃が飛んできた方向へと踏み込む。

 切りかかろうとして――紫の色が見えた気がした。


 カタナを今にも抜こうとしているライデンの手。


 僅かに覗いたそれで切りかからずに澄んだ。



「――何かの呪文か」

「人払いの呪文ってのは貰った事があるがよ……何だ、こりゃあ」


 ケンが呻く。


「敵だと思って切りかかろうと思えばあんたらって、何やってんだよ?」

「それはこっちの台詞だ」


 ナーバルはまだ周囲を探る。

 分からない。

 声で仲間の位置を確認しつつ、それ以外のものを探す。


 耳鳴りがするほど集中している。

 高い、音。


「ナーバル」

「……んだよ?」

「何だ、この音は?」

「耳鳴り?」

「……何故お前の耳鳴りが私に聞こえる?」


 言われてみれば、高い音は自分の身体からしている。

 ナーバルは身体を探る。

 上着のポケットから枝が出てきた。


 出かけにシーザーから渡された、彼の片割れの鱗――の変化した枝。

 それが細かく振動し、高い音を響かせている。


 枝を手に持つ。

 軽く、握り締めた。

 音を封じる為の行動だったが、同時に、頭にそれが飛び込んできた。



――ナーバルさん、ナーバルさん、聞こえますか?


 すっかり聞き慣れた、シーザーの声だ。


「あぁ……聞こえてる」

「ナーバル?」

「シーザーからの伝言、来てる」


 情報伝達系の呪文を得意とするシーザーは、遠方に言葉を運ぶ事も可能だ。

 片割れの鱗を介してならばそれはもっと確実。



――先ほど気にかかった事をやはりお伝えしておこうと思いまして。


「何だよ?」


――気のせいかもしれませんが……。


「だから、何だって?」


――本当に間違いだったら申し訳ないのですが……。


 ナーバルは身体を動かす。

 咄嗟に動かしたその身体の横を、刃が抜ける。


 思わずひやりとするほどの近距離だ。


「早く言え、この馬鹿!! 今戦闘中なんだよ! 急がない用なら回線切れっ!!」


――では。


 シーザーの声はいまだ迷いを含んでいる。

 情報伝達系の呪文で、感情まで伝えるのは余程の熟練者だと言うのを聞いた事はあるが、今は本当にウザい。



――あのですね……竜の気配がずっとするのです。


 その言葉に、ウザいと言うのも忘れたが。


「……竜?」


 横でライデンの身体が動いた。

 カタナで何かを切り返す動き。返しを行いながらも、紫の瞳がナーバルを見た。

 漏らした言葉の意味を尋ねている。


――気のせいかと思ったのです。私はパーラバナの加護を受けている身。人よりも気配には敏感な筈なのですが……。



 正しくは緑竜の片割れだから周囲の気配に敏感なのだが今は突っ込むのも面倒くさい。


――その私も、レタスも分からないように気配を隠す竜など在り得ないと思うのですが、万が一の事もあるのでお伝えしておこうと。


「分かった」


――それだけです。戦闘中失礼致しました。


「待て」


――はい?


「俺たちの現在位置は?」


――少々お待ちを……ええと……まもなく自由騎士団本部へ到達するような場所で止まっていらっしゃいますね。


「分かった」


――では。


 シーザーからの通話が途切れる。


 ナーバルは小さく呻いた。


「くそ、早く言えよな、あのハゲっ!!」

「何だ?」

「緑竜乗りにも気付かれないように気配を消せる竜がいるか?」

「……いる」


 視線が動く。

 目の前。


 漂う、霧。


「白竜ならば」

「……だよなぁ」



 ならば、この違和感は幻か。

 既に、幻の中に踏み込んでいる。



「しかし、白竜か」


 ならば簡単だ。


 ライデンが瞳を細める。

 紫の目が、何かを見ていた。


「簡単、って、手があるのかよ?」


 ナーバルの問いにライデンは答えない。

 音。

 霧の中、何かが飛んでくる。

 ライデンは右手に持ったままだった鞘をそちらに突きつける。

 空気を裂く音。


 鞘に、何かが絡まる。


 何、が?


「……糸?」


 微かな、本当に微かな光が、見えた。



「――聞こえるか」



 ライデンの声。

 誰に向けているのか分からない。だが、誰かに向けた声。



「風をくれ」



 確かに――確かに、だ。


 ナーバルは笑い声を聞いた。

 誰かが笑った。

 ライデンの願いに応じ、誰かが笑った。

 それは風に等しい声だった。

 風としか認識出来なかった。

 だが、確かにそれは笑い声だった。


 笑い声が響くと同時に、それは起こる。


 風が、吹き抜けた。

 身体が揺らぐほどの風。


 周囲を包んでいた霧が瞬時に晴れるほどの風だ。



 そして、すべては夜なお明るい灯りに照らされる。




 周囲に人影は無い。

 だが遠くに声がする。賑やかな声。夜だと言え、ウィンダムの街は賑やかなのだ。

 慣れた音。



 高く、ケンが口笛を吹いた。


「見事だな」


 ライデンに向かって笑いかける。


「なんだ、風の上位精霊とでも仲良くしてるのか?」

「違う」

「ふぅん」

 

 それ以上ケンは問わなかった。

 ライデンが短くしか言葉を発しないのを、隠しているのだと思ったらしい。


 ナーバルは周囲を見回し、腰に剣を戻した。

 気配は無い。

 逃げたか。


 ライデンは鞘に結ばれた糸を引っ張る。

 糸の端に結び付けられていた金属の刃が地面を擦った。


「証拠を置いて逃げたか?」

「まさか霧が解かれるなんて思ってなかったんだろ」


 ナーバルは言う。


「でも、あの風は何だよ?」

「風だが?」

「……いや、どうしてああいう事が出来るのか、って質問」

「私が出来る訳ではない」

「じゃあ、誰が?」

「…………」


 そうだな、と、ライデンが少し顔を顰めた。


「王様、と言っておいてやる」

「王様? 何処の?」

「ウィンダムだ」

「……え? おい、ウィンダムに王なんて存在は無いぞ」


 子供だって知っている事だ。



「オイオイ、おめぇらよ」


 ケンの呆れたような声。


「そろそろ行くんじゃないのか?」

「あぁ」


 頷いた。


「……後で聞かせて貰うからな」

「隠している訳ではない。時間があれば話す」

「忘れるなよ」


 こちらが動き出すのを確認し、ケンも歩き出す。


 数歩前。

 逃げ出すつもりはないようだ。


 頭を、掻く。


「あー、なんだ」

「どうしたんだよ?」

「いや――まぁ、正直言うと助かった」

「……?」

「あちこち連絡付かなくなってな。このままだとあの氷竜を故郷に返すのも無理だったかもしれねぇ」


 ありがと。


 短い礼の言葉に、ナーバルは思わずケンの後ろ頭をまじまじと見つめる。

 ケンはこちらを振り返りもしない。


 何かを言おうと思ってナーバルは口を開く。

 ライデンが動いたのが見えた。

 カタナを抜いている。


 短い距離。ケンまで数歩の距離。

 それを、ライデンは踏み込んだ。

 踏み込みの音が、はっきりと響く。


 ライデンの左手が大きく動いた。

 抜いたカタナをケンの前で振るう。


 高い音がひとつ。


 弾かれたのは、刃。

 月の形をした刃だ。


 が、もうひとつの刃が見えた。

 緩く、円を描く動き。

 ケンの喉に刺さる――


 ケンも動いた。

 目で見えていた訳ではないだろう。

 本能に近い動き。

 僅かに、身体をずらす。

 致命傷になりうる場所から、外す。


 それでも、刃は間違いなく肉に刺さり――悲鳴が聞こえた。


 咄嗟、周囲を見る。

 刃は何処から来た?

 ナーバルには探せなかった。


「任せた」


 ライデンは言うなり動き出す。

 追う動き。ナーバルには認識出来なかった誰かを追うつもりか。


 ナーバルは地面に屈みこんだケンの身体に手を伸ばした。ケンは呻きながらも鎖骨辺りに刺さった刃を抜いた。


「お前、刺さったのは抜くなよ!」

「毒が塗ってある可能性もあるだろ……そういうの好きだから、コウ国の奴ら」

「動くなよ」


 癒しの呪文を詠唱する。

 傷はかなり深いが――癒せない程ではない。


「へぇ、意外だな。回復出来るのか」

「黙れ」


 呪文が終わる頃、ライデンは戻ってきた。

 軽く肩で息をしている。


 手にはカタナと――


「何持ってんだよっ?!」

「腕」


 右手に持っているのはどう見ても切り落としたばかりの人の腕だ。


「止まれと言ったが止まらなかったので、先ほど奪った飛刃で攻撃した」

「……あぁ、鞘に絡めて取ったヤツ……って、使えたのか、あの武器」

「まさか、初めて使った。だから首を狙ったのに腕など切り落としたのだろうが。しかも逃げられた。完全に見失った」

「……首を狙うな。本当」


 ナーバルとライデンの会話の間。

 ケンは信じられないようなものを見るような顔でライデンを見ている。


「……俺、酒瓶をぶつけられたのぐらい可愛い方だったんだな……」

「あぁ、多分な。――ちなみに最悪は雷竜のブレス直撃だ」

「そんなの喰らって生きてるヤツいるのか?」

「俺」

「…………」


 化け物を見る目で見られた。


 

 気付けば周囲に人の流れが出来ている。

 いまだ血の滴る腕を持ったライデンの横は、まるで魔法のように人の流れが乱れていた。


 それさえも気付かぬように、ライデンは腕を見ている。


「男の顔は見た。後で似顔絵でも描かせる」

「……あぁ、まぁ、そうしてくれ」


 しかし、まず。


「それ持ってると本気で目立つんで、さっさと本部に戻ろうぜ?」

「分かった」


 切り落とした腕を手に、ずんずんと歩き出すライデン。それにあわせて更に魔法のように人の流れが割れていく。


「……なぁ、ナーバルとか言ったか、お前?」

「あぁ」

「大変なヤツを同僚に持ってるな……」

「……だろ?」


 ケンの心底哀れむ声に、思わずナーバルはそう答えていた。

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