ウィンダム編2・8章


【8】



 目撃者から情報を再確認してみれば、それはかなりあやふやなものだった。


「どういう聞き込みをしているのだか」


 ライデンは独り言と言うには大きな声で言う。

 ウェイトレスも、娼館の客呼びもまったく顔を見ていない。少し長めの髪型――しかも店も外も薄暗い。髪の色さえもはっきりしない――の男だった、と言う程度だ。

 ナーバルは確かに長身だが、あれぐらいの背丈ならばいくらでもいる。現に、ライデンもほぼ変わらぬ背丈だ。


「聞き込みをされたのは第一部隊の方々ですね。どなたがされたのかも調べられますが?」

「結構」


 シーザーは比較的大人しかった。

 温厚な笑顔はいいものの、禿頭に刺青と言う外見は聞き込みには不釣合い。

 が、謎の神の名前を出されて騒がれるよりは、背後でにこにこしていて貰った方が助かる。


 相方がナーバルの場合は彼に殆どの聞き込みを任せ、ライデンは必要な事を補足するだけで良かった。

 ナーバルは人当たりが良い。


「もう少し裏を当たってみませんか、ライデンさん」

「裏は少々苦手だ」

「はて?」

「……昔、トラブルを起こした事がある」

「トラブル……ですか」


 シーザーは少し考え込む。


「では噂は本当だと?」

「噂?」

「裏の……盗賊ギルドの暗殺部門メンバーの半数を戦闘不能状態にしたと」

「半数ではない。8割強だ」

「情報の修正有り難うございます。把握しました」


 特に気にした様子は無く笑顔。


「よく今も生きていらっしゃいますね。――嫌味でも何でもありませんよ。本当にそう思うのです」

「ギルドマスターに気に入られた」

「それは幸運な事です。これもパーラバナのご加護でしょう」

「…………」


 それ以上は何も言わずに手元のメモに視線を落とす。

 周囲の番地を確認し、まったく一致しないのに呆れたように息を漏らした。


「……メモの目撃者の住所が存在しないのだが」

「拝見出来ますか」


 差し出されたシーザーの手にメモを渡す。

 シーザーはメモを一瞥しただけで「あぁ」と納得の声を出した。


「旧住所で書かれておりますね」

「旧住所?」

「15年ぐらい前までの住所です。区間整理がありましたので」

「……本部に問い合わせをするか」

「地図なら頭に入ってますのでご案内しますが?」


 思わずシーザーの笑顔を見た。

 シーザーは刺青をなぞるように頭を指で示した。


「必要ですので、過去500年のウィンダム近郊の地図ならばすべて覚えています」


 500年と言えばウィンダムが建国された時からになる。


 しかし、何の必要なのだろうか?

 現在、そして少し過去の地図ならば必要になる可能性もあるが……。


「この住所ならばこちらの通りです」


 歩き出す。

 迷いながらもライデンもその後に従った。


「ライデンさんはこちらの出身ではありませんでしたか?」

「竜で数日の距離にある村の出身だ」

「ならば旧住所をご存じなくても納得できます。いまだ旧住所を使う方もいらっしゃいますので、ウィンダム出身の方なら把握している事が多いのです」


 何故、とシーザーの言葉が続いた。


「……?」

「何故、ウィンダムの騎士団をお選びになられたのですか?」

「実家に一番近い」

「それだけの理由で?」

「私は長男だ。最終的には実家に帰る。ならば近くの街の方が都合が良い」

「家族を思うのは良い事です。家族はもっとも基本的な生活の単位ですから。基本を蔑ろにする者は何もかも守れないものです」


 そういう……と言いかけて口を閉ざす。

 シーザーがライデンを見る。

 相変わらず、何が楽しいのか分からないほど笑っていた。


「そういう私はどうしてウィンダムを選んだのか、と?」

「あぁ」

「パーラバナのお導きです。それ以外はありませんでしょう」


 シーザーが過去に何処にいたのかは知らなかった。

 エルフは寿命が長い。過去に何処かの竜騎士団に所属していた可能性がある。


 尋ねたとしてもはぐらかされるだろうが。


「――おや、住所はこの家ですね」

「この裏手が現場に当たる筈だ」

「ではどちらを先に」

「まずは声を聞いたと言う老人に会う」

「分かりました」


 珍しいほどシーザーが普通の状態だ。

 このままで続いてくれればいいが。

 後姿を見つつ、そんな事を祈った。





 集合住宅の2階が老人の家だった。

 片方の目が白く濁った老人は、何故か大歓迎で二人を部屋に迎え入れてくれた。


 示された軋む椅子に座ると同時に、肘掛付きの古い椅子に腰掛けた老人はにやりと笑った。


「――お前たち二人とも竜騎士だろう」


 少し、驚いた。

 何故と問う前にシーザーが不思議そうに声を出す。


「はて、私の証は表には見えておりませんが?」

「正解か」


 老人は楽しそうに笑った。


「こう見えても昔は冒険者をやっていた。仲間に竜騎士がいた。そいつと同じニオイがする。――なんで、あてずっぽうで言ってみた」


 ライデンの手を示す。


「それが契約の証か」

「はい」


 手袋で隠した右手。

 見せてみろとは言われなかった。

 老人は満足そうに頷く。


「――で、昨夜の話をまた聞きに来たのか?」

「他の騎士にも話したと思いますが、もう一度確認させて頂きたい。お願い出来ますか」

「どうせ暇な老人だ。構わんよ」




 目が覚めたのは怒鳴り声だった。

 この辺りは酒場が近い。喧嘩は日常茶飯事。老人はベッドの中でその喧嘩の言葉を夢うつつに聞いていた。

 

 普段ならば内容など何ひとつ覚えていない。

 が、聞き覚えのある言葉が耳に飛び込んできた。


 竜騎士、と。


 老人は思わず耳を澄ます。

 ベッドから起き出してそちらを見ようとは思わなかったが、音の情報は得ようと思った。

 

 老人の耳はひとつの言葉を聞き取る。

 若い男の声だった。

 竜がいなければただの人間だ、と。




「――馬鹿な若造だな。そいつが死んだのか?」

「まだ分かりません」

「だが、竜がいなければ竜騎士はただの人間……と、そんな風に考え、竜騎士と戦おうとする愚か者は長生き出来る訳が無い」


 老人は何処か嬉しそうだった。


 老人の言葉通り、竜を片割れとした人間は、普通の人間よりも優れた能力を得る事が多い。

 契約の証で竜の能力を手に入れる事もあるが、それ以外にも少しずつ身体能力が上昇する。


「ご老人。声の主の姿はまったく見ていない、と?」

「あぁ、見ていない。その直後には静かになったからな。――他の目撃者はいないのか?」

「この近隣は夜勤めの者が多いらしく、生憎」

「それもそうだ」


 老人は頷いた。


「いや、こんな事件になると分かっていたら外に出てみるべきだった。なんせ、昨夜は妙に寒くてね。年寄りには堪えた。ベッドから出る気にはなれなかったんだよ」

「そんなに寒かったでしょうか?」

「湖から霧が上がってきていた。寒い夜だったよ」

「……はぁ、昨夜の瞑想最中には気付きませんでしたが……」


 シーザーは首を傾げている。

 が、瞑想最中なら地震が起きても気付かないだろう。

 思ったが突っ込みはしなかった。


 しかし寒さに気付かなかったのはライデンも同じだ。

 夜勤でずっと本部に詰めていたが、特に寒さは感じなかった。

 湖から霧が上がってくるのはよくある事。

 この一帯だけ霧が出て冷えたのだろうか。

 ならばナーバルが体調を崩さなかったのは幸いだ。





 老人に別れを告げて集合住宅の裏手、殺人現場へと向かう。


 丁度路地を出てきた男とすれ違った。


「おや、こんにちは」


 シーザーが親しげな声を出す。

 男はぎょっとしたようだ。

 不明瞭な声を返し、足早に動き出す。


「誰だ?」


 挨拶とは言えない返答を不審に思い、問い掛ける。


「えぇ、先日夜の公園でお会いした方です」


 右目を示す。「ほら、この――」



 最後まで聞かず、ライデンは身を翻した。

 男の姿は既に遠い。


 人の姿は少ない。

 走る事は可能。

 足に力を込め、走り出す。


「そこの男! 止まれっ!」


 怒声と言って差し支えの無いライデンの声に、複数の男たちが慌てた様子で立ち止まる。

 が、目標の男はこちらをちらっと見ただけで足を速めた。


 むしろ全速力。


 くそ、と舌打ちさえしなかった。

 ライデンは顔を顰め、更に足を速める。こちらも全速力。

 

 こちらの身体能力は竜の力を得て、人を超えている。

 だが男も速い。

 引き離されてはいないが、距離はさほど縮まらない。

 飛び道具など持っていない。魔法もこの距離では効かないだろうし、攻撃的な呪文は覚えていなかった。


 走って追いかけるしかない。


 

 走る男の前に、横の路地から出てきた台車を引いた男が現れる。

 ぶつかるかと思ったが、男は多少速度を殺したものの、寸前で避けた。荷物運びの男からの怒声を無視し、更に走り続ける。


 まだ怒鳴り続ける荷物運びの横を通り過ぎようとして、それに気付いた。


「失礼。借りるぞ」

「は、はぁ?!」


 男の返答を待たずに落ちた荷物を拾い上げる。


 酒瓶。


 それを全力で逃げる男に向かって投げつけた。

 人の腕力ならば届かないかもしれない。

 が、投げたのは竜の右手。

 届く。


 ごぃん! と凄まじい音がした。


 一瞬の間を置いて男が倒れる。

 酒瓶が割れる音も響いた。


「すまん、返せなくなった」


 荷物運びの男を見ると、何だか怯えたような顔で左右に激しく頭を振っている。

 どうやら賠償しなくても済みそうだ。


「助かった」


 礼を述べて、いまだ倒れる男の元へ急いだ。


 






「痛テテテテ……」



 ライデンが駆け寄った頃、男は頭を撫で摩りながら立ち上がった所だった。



「仕留め損ねたか」


 思わず漏れた呟きを男は聞き止め、睨み付けてくる。

 チンピラとしてはなかなかの迫力だが、この程度に動じていては自由騎士団になどいられない。


「おお、兄ちゃん、何考えてるんだ。酒瓶、投げるか、普通? しかも頭狙うか、オイ?」

「待てと言う声が聞こえただろう。あの時点で止まれば命まで狙わなかった」

「オイオイ、命を狙ったのか」


 男の手が動いた。

 何気ない動き。


 咄嗟に顔を動かす。

 耳のすぐ横を何かが抜けていった。


「何だ、見えたか」

「見えてはいない」

「ならこっちの方が早いか」


 男は言葉の間もじりじりと下がっていく。


「その服は自由騎士団だろう。あんな国の奴隷に捕まる訳にはいかないんでね。――逃げる」

「どうやって?」


 たいした自信だ。


「そりゃあ、なぁ」


 笑う。


 男の手が再度動いた。

 動きを追うのが精一杯。


 小さなナイフが幾つも飛んだ。

 ライデンの身体を掠りもしない、それ。


 しかし男は満足そうに背を向けた。


「おい――」



 追いかけようとして身体が動かないのに気付いた。

 足元を見る。

 影に、黒いひし形の刃が刺さっている。


 呪具か。


 男はこちらを再度振り返り、にやりと笑った。

 そして走り出す。

 やはり速い。


 男の姿が見えなくなった頃、ようやくシーザーが追いついてきた。

 動けぬライデン。

 何度か周囲を行く人にこの刃をどうにかしてくれと頼んだが、近付いてもくれなかった。

 人通りは少なかったとは言え、これほど冷たい人間ばかりだとは思わなかった。



「ライデンさん、足が速いですね――」

「この刃を抜け」

「はぁ、変わった短剣ですねぇ」


 袖の余り部分で手を守り、屈んだシーザーがナイフを抜いた。

 抜かれたナイフは三本。

 ライデンの影に見事に刺さっていた。


「これは?」

「……コウ国の投げナイフだ」


 受け取ったナイフを地面に投げつけたい衝動に駆られたが、寸前で思いとどまる。

 これは立派な証拠品だ。


 黒く塗られた刃。

 ひし形の刃に紐を巻かれた握りが付いている。

 これに呪を込めて相手の影に投げつけ――動きを封じる。


 ライデンは顔を顰める。

 怒りの表情。


 あの男にではない。

 自分に対して、だ。


 祖父からこのような呪文や道具があるのは聞いていた。

 それを失念していた己の愚かさが腹立たしい。


「あの男は誰だ?」

「ご存知ではなくて追いかけたのですか?」

「……その痕を付けた男か?」

「はい、間違いありません」

「……ケン、と言ったか」

「お名前もご存知でしたか。お知り合いでしょうか?」

「…………」


 シーザーとの会話は何となく水相手に一生懸命戦っている気がしてくる。いくらこちらが必殺の一撃を繰り出しても相手には攻撃がまったく通じない。そんな気がする。


「先ほどの現場に戻るぞ」

「はい、分かりました」


 素直に頷いたシーザーが、突然顔を動かした。

 また脳内に神様が現れたのかと思ったのだが、違うようだ。

 シーザーは少し困ったような表情で周囲を見回した。


「どうした?」

「……あぁ、いえ」


 曖昧な声。


「きっと気のせいです」

「……?」

「いえ、何でもありません。失礼致しました。――さぁ、現場に戻りましょう」

「あぁ」


 シーザーの行動に妙な気はしたがあえて問わなかった。

 ただ彼の視線を真似るように周囲を見た。


 ライデンの、雷竜と同じ能力を持つその目は、何も映さなかった。






 先ほどの路地に戻る。


 死体が見つかった場所にそれが置かれていた。



「……花」



 白を中心とした花束がひとつ、壁に立てかけられるように置いてある。

 真新しい花。

 置かれてからさほど時間は過ぎていない。


 ならば、あの男が?


 死者に花を手向けるのは何処の国でも行われる行為だ。


「――……」


 竜を探していた可能性のある男たち。

 その男たちの何人かが殺された。

 男たちを殺した武器はコウ国の特殊武器。

 そして、男たちのリーダー格と思われる男――ケンとやらが用いていた武器も、コウ国の武器だ。


 仲間割れ?


 ならば花を手向ける理由がない。

 この花は別人のものか?

 それにしては新しい。


 花束を拾い上げる。

 ごく普通の花だ。そこらの花屋で購入してきたものだろうか。いや、花を売っているのは花屋だけとは限らない。飲み屋の前には、店の女に送る花を売っている店さえもある。


 何の特徴も無い。

 安っぽい紙に包まれた、何処にでもある花束。

 花の種類も、一般的なもの。


「持っていくのですか?」

「念の為だ」

「それが良いでしょう。念の為は大切です。我が神――」

「行くぞ」


 最後まで言わせなかった。

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