ウィンダム編2・7章


【7】



 ばん、といい音が響いた。

 叩かれた机が大きく悲鳴を上げる。

 今にも壊れそうな様子に見えた。


 机を叩かれたゴードンは、誰が見ても可哀想になるぐらいの哀しげな表情を浮かべる。

 それでも彼の手や身体はまったく動いておらず、叩かれた机にも大して動じていないのは判断出来た。


 ゴードンの机を叩いたのは小柄なポニーテールの少女――ヴァイオラだ。

 オレンジに近い茶色の瞳に精一杯の力を込めて、彼女は上司に食ってかかる。


「ナーバルがそんな事をする訳ないですっ!」

「悪いねぇ、ヴァイオラ君。君の言いたい事はよく分かる、分かるから、ね、少し落ち着いて」


 ゆっくりとしたゴードンの声。


「ただ、ねぇ……目撃者なんてのが出てきちゃったんだよ。しかも複数」

「それが犯人の作戦なんですよ! ナーバルに罪を着せようと――」

「うん、そっち方向からもちゃんと情報収集してるよ。だから、悪いけど、ヴァイオラ君、落ち着いて」


 ね? と微笑みかけられ、ヴァイオラは身体を引いた。

 それでも納得し切れていない表情。


「……ナーバルは人殺しなんてしません……」


 彼女は背後のライデンを見上げる。


「ね、ライデンも信じてるよね」

「信じる信じないで行動すべきではない」


 答え、上司に向き直る。


「ナーバルが犯人だとするのなら奇妙な点が幾つかあります」

「その話を聞く前に、目撃者の証言を伝えておいた方が良いかな」

「助かります」


 うん、とゴードンが笑う。

 机に肘を付き、指を絡めた。穏やかな笑顔のまま、彼は絵本を読み聞かせする先生のように話し出す。


「ひとつは、近くの酒場のウェイトレス。殺された男たち――その辺りを根城にしているチンピラなのだけどね――が酒を飲んでいる所に、ナーバルらしき男が近付き、外へ誘ったのを見た、と。ただし店は非常に混んでいた。ウェイトレスもナーバルの顔を直接見た訳ではない。長身で髪の長めの……と、その程度だ」

「それなら誰だって変装出来ますっ!」

「ヴァイオラ」


 ライデンに名を呼ばれ、ヴァイオラは黙る。


「同じく、近くの娼館の客呼び。男三人に声を掛けたが、一人が知り合いだったので会話をしたとの証言だ。少し離れた位置に見覚えの無い男がいた。顔を隠すようにしていたのでよく分からない……が、外見特徴はナーバルと一致する」


 最後、と、ゴードンは言う。


「これは声だけ。近くに住む老人が、夜中に争う声を聞いている。怒鳴る声がこう叫んだそうだ。――『竜がいなきゃただの人間だ』。なので、その場に竜騎士がいた可能性がある……と言う訳だ」



 さて。

 ゴードンはライデンを見る。


「奇妙な点について話を聞こうか。それとももう少し後がいいかな?」

「大丈夫です」


 ライデンは話し出す。


「まずナーバルが被害者を殺す動機が見当たらない。証言が真実とするのなら、知り合いに思えますが、ナーバルの交友関係に被害者たちが一切出て来ない。衝動的な犯行とも思えない」


 続いて、と。


「ナーバルが人を殺すのならば剣を使った筈です。使い慣れない、コウ国の武器など用いない。しかも、一撃で喉に当てて殺すなど熟練者に違いない」


 最後。


「ナーバルが犯人なら幾らでも犯行を隠せた。それが死体の傍で朝まで高鼾とは……愚か過ぎる」


 うん、とゴードンが笑った。

 生徒が宿題をちゃんとやってきたのを褒める教師のような顔。


「そうだねぇ、確かに妙だ。――じゃあ、そっち方面で調べて貰おうか……と思ったが、悪いけど、無理かもねぇ……」

「何故?」

「今、第二で手が空いている人がいないんだよ、悪いけど」


 二人一組で動く。

 それが規則だ。


「私!」


 ヴァイオラが手を上げる。


「私がライデンと――」

「ヴァイオラ君は今、ハル君と動いていたよね? そっちを優先させて貰えるかな?」

「……は、はい」


 あからさまに落胆した様子を見せるヴァイオラにひとつ微笑みかけ、ゴードンはライデンを見上げる。


「さて、どうしようか。ナーバルはまだ一日ぐらいは出られないだろう。少しでも動いておきたいからねぇ……。第一から応援をお願いしようか――」



「――私で良ければご一緒致しますが?」


 背後からの声にライデンも驚いた。

 ヴァイオラなど軽く飛び上がっている。


 背後、笑顔で立っていたのは――


「……シーザー」

「はい」


 両手で書類を抱いた彼は、ライデンに名を呼ばれ、少しばかり笑みを強める。

 進み出て、ゴードンに書類を渡した。

 封筒に入ったそれは中身は確認出来ない。


「こちらを。例のものです」

「悪いねぇ、シーザー君」

「いえいえ」


 短い会話。


 笑顔のまま、ゴードンは言う。


「シーザー君、本当にライデン君と動けるのかな?」

「ええ。優先事項の件はすべて処理済です。他部署からの依頼も現在ありませんし、大きな指示を飛ばす必要があるような事件もありません。大丈夫です」

「なら、悪いけどお願いしようかな。――ライデン君、いいかな?」

「はい」


 ヴァイオラは物凄く気の毒そうな顔をしている。

 シーザーの奇行は有名だ。


「ライデンさん、どうぞ、宜しく」


 笑顔でシーザーが両手を差し出す。


「……?」


 本来なら握手だろう。

 どちらの手と握手すべきなのか。

 少々の戸惑いの後、ライデンは右手を差し出した。


 竜の右手。竜騎士ならば不快に思う事もない。

 

 シーザーは笑顔を少しも崩さず、差し出されたライデンの右手を自分の手で上下から挟んだ。

 ぽんぽんと軽く叩く。


「宜しくお願い致します」

「……あぁ」


 握手、なのだろうか?



「仲良くね」


 ゴードンは笑顔でそう言った。






 準備のためにシーザーが第一部隊に戻った後、ヴァイオラはそっとライデンの袖を引いた。


「ねぇ、大丈夫?」

「何がだ?」

「シーザーさん。……私の友達が、真夜中に大通りを奇声発しながら何往復もしていたの見たって言うし……」

「……」

「この前も、階段の踊り場で回ってたよ。パヤパヤ言いながら」

「そういう所以外は……大丈夫だろう」

「そういう所ばかりの気がするの」

「…………」


 ライデンは反論しなかった。


 シーザーが戻ってくる。

 相変わらずの笑顔。


「さて、では参りましょうか、ライデンさん」

「あぁ」


 まだ気の毒そうな顔をしているヴァイオラに大丈夫だと伝え動き出す。


「所でお話は伺いましたが――ナーバルさんは本当に殺しはしていないと?」

「本人はそう言っている」

「そうでしょう。我が守護神、パーラバナもナーバルさんは無実だと伝えてくれました」

「…………」


 何だかナーバルの無実が微妙に思えてきた。


「それに、気になる点もありますし」

「気になる点?」

「ライデンさんならお分かりではないのですか? パーラバナもそこまで伝えてくれませんでしたが、考えられる範囲の疑問です」


 パーラバナが伝えたのはナーバルが無実だと言う事。


 ならば。


「――ナーバルが無実だとすると、何故にナーバルが飛刃が関わる事件の犯人に仕立て上げられたのか、と?」

「はい、そうです」


 シーザーと本部の中を歩く。

 ライデンは次の目的地を考えていた。目撃者を当たる。ゴードンから目撃者の住所と名前は聞きだしていた。


 シーザーは何処へ行くのかとも聞かない。

 笑顔で話しながら横を付いてくる。


「ライデンさんとナーバルさんがこの件を担当していると知っているのは、第一の一部と第二の方々……ぐらいです。ごく一部、と言っても差し支えないぐらいです」

「……」

「どうやってナーバルさんを犯人に仕立てると決めたのでしょう? それに、ナーバルさんの偽者を出すとなれば準備がいる……と言っても、幻術使いが一人いれば簡単ですか」

「いや、準備はいる。ナーバルの姿を知らなければならない」


 もしくは証言者たちに嘘を吐くように指示をする準備がいる。



「犯人は、どうしてナーバルさんに罪を被せようとするのでしょうか?」

「……」


 一般的に考えるなら、ナーバルに恨みがある、ナーバルを邪魔に思う……等になるのだが。


 何故にナーバルと飛刃を結び付けた?


 思い付かない。


「――ライデン!」


 名を呼ばれ、足を止めた。

 背後から駆け寄ってきたのだ第三部隊の知人だ。彼は手に何枚かの書類を持っている。


 差し出された書類。

 ちらりと眺め納得した。


「ほら、頼まれていたやつだよ」

「助かる」

「ネッドとか言うチンピラなんだが、最近、何処に所属していたのかは不明。調査に使うだろ、似顔絵も用意した」

「あぁ」

「じゃあ、また何か分かったら知らせる」


 ライデンは知人と別れ、歩き出した。

 書類を眺める。


 その一枚がするりと抜かれた。

 ネッドと言う若者の似顔絵。


「…………」


 シーザーが真剣な顔でそれを見ている。

 

 彼は首を傾げた。


「この少年を私は知っています」

「どういう関係だ」

「この」

 右目を示した。「痣を付けて下さった男性と一緒にいた少年です。ケンさんと親しげに呼んでいました」


 氷竜を思い出した。

 竜の関係者?



「シーザー」

「はい?」

「行くぞ」


 シーザーの腕を引っ張り、ライデンは走り出す。


「どちらへ行かれるのでしょうか、ライデンさん」

「第五だ。死体がまだ解剖中でそこにある」

「はて――」


 何か言いかけたシーザーが突然黙る。


「パ――パパパ……」


 短いパ音。

 どうやら神様が脳内に現れたようだ。

 しかし、無視。

 今日は暴れだす様子は無い。声だけだ。ならば被害は無い。



 ただ、物凄いスピードで走るライデンに腕を引っ張られ、激しく仰け反りながらパ音を発し続けるエルフと言う奇妙なものを目撃した職員たちは、本気で恐怖していたようだが。





「――アレックス!」

「のわっ!!」


 第五部隊のアレックスは、扉を蹴りあける勢いで登場したライデンと、彼が引きずっている奇妙な生き物に本気で驚いた。


 思わず壁に張り付く。


 同じ室内の同僚たちも本気で驚いている。調査中の品物を取り落としても拾いさえ出来ないものもいた。


 ライデンはそれを気にしてないようだ。

 アレックスを見る。


「本日解剖予定の死体は何処だ」

「か、解剖は終了したんで書類なら第二に送ったが――」

「死体が見たい」

「そ、それなら安置所に」


 二人の会話の合間にも、「パラパパパパヤパパパ」と謎の言葉が響き続ける。


 恐る恐る、アレックスは謎の言葉を吐き出し続ける生き物を指差した。

 

「なぁライデン、それはなんだ?」

「シーザー。第一所属の緑竜乗りだ」

「あ、あぁ、あの噂の神がかりエルフ」

「エルフではありません、パーラバナの最後の生き残りです。パーラバナは始祖を神とすると一族であり――」


 急に人語を話し出したエルフを見下ろし、ライデンが鼻を鳴らした。


「戻ってきたか。丁度いい。死体の顔を確認して貰う」

「折角の機会です。此処で偉大なるパーラバナの伝説をお話しましょう。まずはパーラバナの誕生ですが――」


 ライデンはシーザーを引きずって歩き出す。

 声がどんどんと遠くなっていく。


 アレックスは安堵の息を吐いた。






 安置所。


 パーラバナの伝説をいまだ語るシーザーを無視し、死体を覆う布を剥ぐ。


「見覚えは?」

「パーラバナの聖戦は全部で108回行われ、特に99回目の聖戦は――」

「見覚えがあるのか、無いのか?」

「敵は邪神カンパラッタ。偉大なるパーラバナも苦戦を強いられ、此処で聖なる血も絶えるのかと覚悟されたほどだと語られています。しかし、逆境に力を現してこそ我等がパーラバナ――」


 ライデンは死体を見た。


 解剖済み。後は身内が引き取りに来るのを待つ。身内が引き取りに来ないのなら、共同墓地に葬られて終わりだ。場所に限りがあるので、バーンホーン風に炎で焼く事にしている。


「失礼。これも調査の為だ」


 死体に謝罪。


「聖なる飲み物ジョールジョールを一息に飲み干し、偉大なるパーラバナは……」


 ライデンは死体の肩を持つ。

 そして、遠慮なくシーザーに放り投げた。


 熱く語り続けていたシーザーに死体がぶつかる。

 死体とシーザーは絡み合うように壁にその場に倒れた。


「…………」

「見覚えは?」


 死体に抱きつかれ、演説も中断。


「はぁ……ええと」


 シーザーは死体を見た。


「自信はありませんが――」

「が?」

「先ほどの少年と一緒に、ケンと名乗る男性の傍にいた方と似ている気がします」

「そうか」


 妙な所が繋がってきた。


「……しかし、ナーバルが狙われた理由がいまだ分からないな……」

「あの……ライデンさん、この死体は何処から? それより此処は何処でしょう。第五に向かっていたのではなかったのですか? 此処はまるで……安置所のように見えますが」

「安置所だ。死体があってもおかしくはない」


 死体を持ち上げる。

 もう一度謝罪を述べてから、丁寧にベッドに戻す。


「もうひとつの死体も見てくれ」

「はぁ、私はいつの間に安置所に」

「パーラバナとやらの導きだろう」

「そ、そうでしょうか。いや、そうですね。偉大なるパーラバナのお考えです。私にまったく覚えが無くとも、何の間違いも無いのですから」


 シーザーはひとり納得し、もうひとつの死体も確認する。



 迷いながらも、シーザーはその死体にも見覚えが有るような気がする、と答えた。



 こういう男ではあるが、記憶力はなかなかに良い。

 そうでなければ、情報収集や整理の仕事には就けないだろう。



「…………」


 パーラバナ風の死者への祈りを捧げているシーザーを無視し、ライデンは考える。


 いまだ疑問は解けない。

 何故、ナーバルが?

 何処からナーバルの存在が相手に知られた?


 考えても答えは出ない。


「……動くか」


 当初の予定通り、ナーバルと殺された男たちが一緒にいるのを見たと言う目撃者たちに会う。


「し――」


 シーザーを見る。


 これから空でも飛ぼうと言うのか。両足を交互に上げながら激しく両手を羽ばたかせる同僚を見て――本気で一人で行動したくなってきたライデンだった。

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