ウィンダム編2・6章


【6】




 夜。

 アリスと仔竜たちと少し遊んでから、ナーバルは夜の街へと出かけていった。

 腰に剣を帯びているが、冒険者の多いウィンダムならこの程度で注意を受ける事も無い。


 明るい表通りから一本外れ、少々暗い路地へと踏み込む。

 ライデンにああ言った手前、裏側まで入り込む気は無かった。その手前で遊ぶ事にしよう。

 なに、元々そんな悪い遊びはしない。


 空気がどんどん変わっていく。

 何だか自然と足取りが変わった。

 用心するような動きではない。楽しむ、様子。


 懐かしいとさえ思える。


 行きつけの店はすぐそこ。


 ナーバルは口笛を吹きつつ、店のドアを開いた。



 ドアに付けられた鈴が鳴り、カウンターから明るい笑顔の女が声を掛けてきた。


「あー、ナーバルだぁ」

「久しぶり」

「だねぇ」


 へらりと言う感じで笑い、彼女は手招いた。

 手招きのまま、カウンター席に寄る。


「久しぶりにサリアの顔が見たくなってさ」

「毎日だって会いに来てよ」


 明るい笑い声を響かせて女――サリアが笑う。


 その彼女の横で、不機嫌そうな痩せた男がグラスを磨いていた。


「マルクス、相変わらず流行ってないみたいだなぁ、この店」

「いいんだよ、うちは固定客が付いてるから。――いつものか?」

「うん」


 ナーバルは笑い、頷いた。

 

 夫婦なのか恋人同士なのか。流石に親子と言う事は無いだろうが、よく分からない二人組がやっている酒場。

 カウンターにテーブルが幾つか。小さな店だ。

 偶然見つけたこの店に、故郷――と言っても孤児院のあった場所なのだが――で作られている酒が置かれているのに気付き、通うようになった。


 一ヶ月に一度、二度。その程度だが。



 頬杖を付くナーバルの顔を、つん、とサリアの指がつつく。


「どーしたのぉ? 暗い顔しちゃって。折角のイイ男が台無し」

「色々と悩みがあるんだよ、俺も」

「おねーさんに相談してごらんなさい、うりうり」

「……おねーさんって、サリア、いくつ?」

「…………」

「痛たたたたたたたっ!」


 無言のサリアに拳で頭をぐりぐりされた。


 マルクスがそれを見て笑う。

 サリアに謝罪を述べつつ、差し出された酒を受け取った。


「珍しいのを飲みたがるな。そんな泥水みたいな酒」

「逆に聞くけど、何でそんな泥水みたいな酒を仕入れてるんだよ?」


 マルクスは器用に眉を片方だけ上げた。


「お前みたいな物好きがいるからだろう」

「はいはい」


 グラスを振る。


「しかし、まぁ――戦争で滅ぼされた国の酒なんて、よくもまぁ仕入れるよな」

「他国に亡命した人間が細々と作ってる。知り合いでね。そのツテだ」

「ふぅん」


 頷いた。


「その人に、有り難うって言ってる奴がいたって、伝えてくれよ」

「あぁ、伝えておく」


 マルクスが満更でもない顔で頷いた。


 ナーバルは笑い、グラスに口を付ける。

 相変わらず不味い、アルコール度数ばかり高い酒だった。






 その店で結構飲んで、次の店でも飲んだ。

 静かな店が二件続いたので、次は賑やかな酒場に行った。

 ミニスカートの店員をからかっていると誰かが横に座った気がする。若い男だった気がした。ナーバルと同年代の。

 

 何だかすっかり盛り上がって色んな話をした。

 男は聞き上手だった。

 しかし、何でそんなにその男に気を許したのか。

 ナーバルはその時、分からなかった。


 本当に色んな話をした。


 流石に自由騎士団所属とは言わなかったが、竜騎士だとは話した。片割れはアリスと言って可愛いメス火竜だとも話した。


 アルコールでどんどん口が軽くなる。


 過去の事も話した。


 物心付いた時には親がいなくて、散々悪さをして育った。

 孤児院に引き取られて真面目になろうと思ったが、結局はバーサークと言う性癖の為に巧くやれなかった。

 孤児院のあった小国が戦争で滅ぼされてしまい、行き場所を無くした時に片割れと出会った。

 竜騎士と言うのを生かして傭兵をやったが、そこでもバーサークの為に巧くやれなかった。


 それから――それから。


 『彼女』の、事も、話した。


 男は何も話さなかった。

 ただナーバルの話を聞いてくれた。

 普段だったら話さない事まで口にするナーバルに対し、嫌がる様子も無く。


 男に促され、別の店に移った。

 こちらも賑やかで良い店だった。

 更にもう1件……か、2件。

 もう覚えてない。

 この辺りでは血液の代わりにアルコールが流れているような状態になっていたのだし。





 だから、目が覚めて、周囲を見回しても、何があったかは瞬時に判断出来なかった。






 何処かの裏路地。

 ゴミの袋や空っぽの箱が詰まれた場所。

 その隙間に、ナーバルは座っていた。

 

 世界が明るい。


 まずい、と、彼は考える。

 遅刻する。

 まず此処は何処だ。


 立ち上がろうと地面に手を付く。

 そこでナーバルはにおいに気付いた。

 慣れたにおい。


 血のにおい。



 視線を上げる。

 少し前に死体が転がっていた。

 若い男の死体がふたつ。

 首がぱっくりと裂けている。

 既に絶命しているのは、血が抜けた顔色で分かった。


 何だ、これは。

 まだアルコールの残る身体で立ち上がる。



 しゃらん、と、妙に澄んだ音がした。

 自分の手首から。


「…………?」


 視線を向ける。

 見た事の無い、皮製の手袋を嵌めている。

 そして、手首に絡まるように黒い糸が伸びていた。

 音の発生源は糸の先。

 三日月形の刃がふたつ、地面を擦った。



「……飛刃」



 どういう事だ?

 混乱する。


「ええと……」


 これじゃあ、まるで。


「俺がコイツを使って殺しをやったみたいじゃねぇか」


 まずはその刃を腕から外そうとしたらかなりきつく絡んでいる。無理だと判断し、そのまま転がる死体に近付いた。

 

 若い男。

 二十代前半。喉を裂かれている。その他の外傷は見当たらず、出血量もかなり多い。この一撃で死亡したと推測して間違いないだろう。


 此処は何処だろうか。

 ナーバルは顔を上げて周囲を見回す。

 近くの分署に連絡を取らないと――


 そこで路地の入り口に立ち尽くしている若い女を見つけた。

 あぁ、とナーバルは彼女に笑いかける。


「すみません、近くに――」


 分署ありませんか、の問い掛けは彼女の悲鳴によって掻き消された。


「人殺しぃーっ!!」


 凄い声量。

 思わず耳を塞ぐ。

 彼女の目にもナーバルの手に繋がる刃が見えたのかもしれない。光る、三日月形。


 悲鳴は更に凄くなった。

 人が集まってくる気配。


 腰を抜かしている女を助け起こす人間も見えた。


「……あー」


 誰か自由騎士団を、と言い掛け、まぁ放っておいても来るだろうと考える。

 ナーバルは黙って待つ事にした。



 やがて見覚えの有る紋章の鎧の二人組みがやってきた。

 ナーバルは両手を上げ、口を開く。


「ウィンダム自由騎士団第二部隊所属、火竜乗り、ナーバル・ランパール」

「――あれぇ、ナーバルさんですかぁ?」


 二人組みの若く小柄な方が、駆け寄ってきた。


 まだ鎧に慣れてない、十代前半にも見えるぐらいの少年。

 せめて大人っぽく見せようと言うのか、髪型をオールバックにしているのだが、それが逆効果。更に子供っぽく見える。濃い茶色の髪とよく動く大きな瞳。まるでリスのように見えた。


「おお、ジェイ」


 よく第二部隊にも遊びに来る少年騎士だ。

 親しい顔を見て少し安心した。


「何やってるんですかぁ、ついにバーサークして人殺しですか?」

「それならうっすら覚えてるだろ。まったく覚えがねぇよ」


 もう一人の中年騎士――こっちは顔にも覚えがない――は、ジェイを慌てて引き止める。


「おい、そいつ武器を――」

「大丈夫ですよー」


 にこにこ笑って死体に近付く。

 膝に手を当てて、死体を覗き込んだ。


「うわぁ、一撃ばっさりですねぇ。これじゃあナーバルさんじゃないやぁ」

「だろ? 俺だったらもっとぼろぼろにしてる」

「ですよねぇ。鑑識さんが泣くような死体になるでしょうし」


 ナーバルを見上げる瞳がくりくりと動く。


「でも、ナーバルさん血塗れですし、凶器も持ってるんで一応、身柄を拘束させて貰いますよ」

「手錠でもするか?」

「面倒だからそのまま一緒に行きましょう」


 ジェイは身体を起こし、路地を覗き込む男に叫んだ。


「すいませーん、近くの分署まで応援頼むように言って貰えませんかぁ!?」


 現場保存の為だ。


 中年騎士はおろおろとしてる。

 勤務一年未満のジェイの方が先輩のように落ち着いている。


「お、おい、ジェイ、そいつを縛るべきなんじゃないか……?」

「ナーバルさんを? この人、バーサークのクセがあって、しかも竜騎士ですよ? 竜の防御力持ってるような竜騎士。そういう人をうっかり痛い目合わせて暴れさせちゃあ、僕たちが束になっても無理ですよ。ここは穏便に協力お願いしましょうよー、先輩」


 中年騎士はナーバルを化け物でも見るような目で見た。

 ナーバルは中年騎士に笑いかけた。

 大丈夫、と言うつもりだったのだが、なんだか一歩逃げられた。



 ジェイは周囲を見回してる。


「どういう状況なんですかぁ、これ?」

「分かんねぇよ。昨日、正体不明になるほど酔っ払って記憶なし」

「これだから大人ってダメですねぇ。僕、大人になっても酒も煙草もクスリもやりませんよぉ」

「クスリは大人でも絶対禁止だって」

「酒も煙草も、ある意味、クスリ以上に悪質ですよぉ」


 くすくすとジェイが笑う。

 笑うと更に子供っぽく見える。


 確かまだ15歳の筈だ。

 が、度胸はピカイチ。飛竜に対しても物怖じしない。

 シグマにさえ「わぁ大きい!」と抱きついたツワモノだ。


「あ、応援来たみたいですねー。――おーい!」


 両腕をぶんぶん振り回し、場所を教える。

 駆けて来た二人組みは見覚えが無い。第一部隊は人が多い。特に分署勤めになると顔が分からないのも多かった。




 そして、ナーバルはジェイに連れられて、本部へと向かった。



 で。


 牢屋に入れられた。







 鉄格子越しに夜勤明けのライデンと向かい合う。



「何をしてる?」

「……牢屋に入ってる」

「見れば分かる」


 だろうなぁ、と、ため息。


「第五の方にお前の服や持っていた凶器、死体も回っている。夜には何か情報が得られるだろう」

「少なくともそれまでは俺は灰色扱いでここ、って訳か」


 ため息。

 ライデンが顔を顰める。


「……酒臭いな」

「浴びるほど飲んだ」


 笑い、鉄格子から離れて備え付けのベッドに腰掛ける。

 これでも充分会話は可能だ。


「昨夜何があった?」

「行きつけの店に行って……それから、知らない男と店を梯子」


 言ってから膝を叩く。


「そっか、そいつだ」

「絶対とは言い切れんが、可能性は否定出来ん。――どんな男だ?」

「どんな……って、よく覚えてねぇなぁ」


 アルコールの抜け切れてない頭を抱える。


「なんであんなに話をしたんだろう? 酒を奢ってもらったような気もするけど、それだけじゃなくて――」


 何かが引っかかる。


 顔を上げる。


 鉄格子の向こうに難しい顔をしたライデンが見えた。


「あ」


 ライデンの顔を指差す。


「私がどうした」

「黒髪だ」

「黒髪?」

「そう。お前と同じ色だ、とか思って、何となくこう、親近感が……」


 もごもごと。


「人を見た目で判断するな」

「はいはい。俺が悪かった」


 降参のポーズ。


「しかし黒髪か……」

「……コウ国の人間か?」

「飛刃の件もある」


 否定はされなかった。


「こういう時、ウィンダムに入国審査がないのが辛いな」

「無いものを嘆いても仕方ない。――もう少し、調べてみよう」

「あぁ――って、ライデン。お前、夜勤明けで帰るんだろ?」

「残業を入れた」

 

 顎でナーバルを示す。


「仕事を持ってきてくれた輩がいるしな」

「……すまん、今度、何か奢る」

「結構だ」


 ライデンは動き出す。


「何か思い出したら呼んでくれ。第五の調べが終わるまではいる」

「あぁ」


 手を振った。


「休んでいろ。そこを出たのならすぐに動いて貰う」

「あぁ」


 ライデンの靴音を聞きながら、ごろりとそこに転がった。






 うつらうつらとしたのかもしれない。

 二人分の靴音で目を覚ます。


 身体を起こせば、一般騎士の男と――


「……クラリス?」


 考えもしなかった人物の姿に、ナーバルは動くのも忘れた。

 一般騎士に連れられたクラリスは、今にも泣きそうな顔でナーバルを見ている。


「ナーバルさん」


 駆け寄ろうとして一般騎士に止められる。

 一定の距離。


「な――なんで、此処に」

「今日……お買い物行ったら、自由騎士団の竜騎士が殺人罪で逮捕されたって聞いて……」


 クラリスは胸元の布地を掴んで、必死の様子で言葉を繋ぐ。


「私……竜騎士って聞いたら、もうナーバルさんしか思い出せなくて……だから、心配で……あの、私……」


 例えどんな罪で捕まろうとも、金さえ積めば面会は可能。

 それは分かっているが、何故、クラリスが?


 心配?

 それで、此処に?

 そんな泣きそうな顔で?


 何だかよく動かない脳みそがそんな事を考える。


 ナーバルは立ち上がり、鉄格子に寄った。

 二人の距離。

 鉄格子を挟んでも、まだ、少し。


「……その、クラリス」



 何と言っていいものか。


 クラリスを見る。

 じっとこちらを見ている、女。

 今にも泣きそうな瞳の色。



 ブラックウィドウ?

 夫を殺し続ける毒殺魔?

 麻薬王の娘でその後継者?



 綺麗な目に涙を浮かべて見ている女は、そんな邪悪な存在には見えなかった。



「……有り難う、クラリス」


 クラリスはもう言葉も無い。

 頭を左右に振って、何かを伝えようと必死になっている。

 ナーバルは頷く。

 こちらも言葉が出なかった。


 間に挟まれた一般騎士が、一歩、引いた。

 クラリスの背を軽く押してくれる。


 間が鉄格子だけになる。


 クラリスが隙間から手を入れた。

 あまり綺麗な手ではなかった。植物を育てるので荒れてしまったのだろうか。

 だが、働き者の良い手だとナーバルは思う。


 その手を、握り締める。


「――大丈夫」


 笑いかける。


「ちょっとした誤解さ。俺は殺してない」

「……はい、はい」


 両手でナーバルの手を握り締めるクラリス。

 何度も頷く。

 嗚咽交じりの声で、信じてます、と、彼女は繰り返す。



「――そろそろ」


 一般騎士が声を出した。

 ナーバルは頷き、クラリスを促す。

 名残惜しげに彼女は離れた。

 ナーバルは一般騎士にも頭を下げる。騎士は同情するような瞳の色でクラリスを連れて立ち去った。



 その後姿が見える範囲で見送り――ナーバルは大きくため息を付いた。



「……まずいなぁ……」



 こういう展開は非常にまずい。


 でも、もうどうしようも無い気が、した。

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