ウィンダム編2・5章
【5】
「――氷竜、ねぇ」
ゴードンは机に肘を付き、指先をゆるく絡めていた。
眼鏡の奥の瞳は相変わらず優しい。
ゴードンを見ているとナーバルは孤児院の院長先生を思い出す。ゴードンよりもずっと年上だった院長先生だが、瞳はよく似ている。あの瞳で真っ直ぐ見つめられると、どんな嘘も誤魔化しも出来なかった。
机の前に立つ、ライデンとナーバルをゆっくりと見上げる瞳。
細められる。
優しい笑み。
「いやぁまったく気付かなかったよ。よく気付いたね、ライデン君、ナーバル君」
「しかしまだ確信は持てません」
「ならば、知り合いの竜の研究者に手配しよう。彼はもう数十年研究を続けているからね。氷竜も見た事あるだろう」
「お願いします」
ライデンが軽く頭を下げる。
「氷竜絡みの調査も行う。悪いけど、第三に依頼を送ってもいいかな」
「はい」
情報収集を専門とする第三部隊ならば、ライデンとナーバルが動くよりもずっと早い。
ゴードンは嬉しそうに笑った。
「何か分かったらすぐに知らせよう。それまでは、悪いんだけど、アリスに預かって貰っても大丈夫かな?」
「アリスなら大喜びですよ」
「あの子は本当に気の良い子だね」
「いや……」
火竜のメスが性格を褒められる事など滅多にない。
ナーバルは思わず照れて、日に焼けてすっかり色の抜けてきた髪を掻いた。
「所で……第一から回ってきた話があるんだけど、悪いけど……いいかな、二人とも」
「はい」
ナーバルは思わず背筋を伸ばす。
少しばかり、ゴードンの様子が変わった気がした。
本題、だ。
「今朝方、殺人事件があってね。――ただの殺人事件なら、軽犯罪担当の第一担当なんだけど……犯人が殺されてねぇ」
チンピラ同士の小競り合い。それの延長線上の殺人。犯人も即逮捕となれば、確かに第一部隊の仕事だ。
第二部隊が扱う犯罪は、もっと大規模で危険度の高いもの。もしくは飛竜が絡むような事件である。
ナーバルはそんな事を考えつつ、ゴードンの話を聞いていた。
「逮捕した一般騎士が連絡の為に1、2分らしいが……その場を離れて、戻ってきた時には、犯人は死んでいた」
「調査は基本二人一組で動くようになっているかと思いますが」
「勿論守っていたさ。もう一人の一般騎士は重傷。現在入院中だ。――幸い意識はあるので話は聞けた」
「……どのような?」
「う、ん」
ゴードンは少し笑みを消す。
困ったような表情。
「闇に斬られた、と。剣を抜く間も無く斬られた、らしい。――恐らくプロだね」
裏社会の人間か。
「殺されたのはただのチンピラ。何度か逮捕歴があるけれど、そんな大きな事件には関わってないねぇ」
ゴードンが引き出しから封筒を取り出し、更にその中から書類を引っ張り出した。
机の上に、こちらが読めるように置かれる。
失礼、と謝罪を述べて、ライデンがそれを手に取った。
「騎士の前で暗殺者を動かして殺すほどではないと思うんだよねぇ……。でも事実そういう事があった。だからまぁ、一応、誰か動かしておこうと思うんだ。――悪いんだけど……二人で動いて貰えるかな?」
「竜騎士二人で、ですか?」
ナーバルは思わず疑問符。
余程の凶悪犯相手でなければ、普通は竜騎士一人に一般騎士一人で動かす。
ライデンもそれは思ったようだ。書類に目を通すのを止めて、ゴードンの返事を待っている。
ゴードンは二人の視線を受け止めても笑う。
相変わらず穏やかな笑み。
「一般騎士に重症を負わせ、かつ、被害者を切り殺した刃は、恐らくコウ国の特殊武器だ。細い針金と刃を組み合わせて、自由自在に操ると言う、ね。――そんなものを扱う人間が動いているようじゃあ、用心した方がいいかもしれない」
「分かりました」
ナーバルは素直に頷いた。
「悪いねぇ、宜しく頼むよ、ライデン君、ナーバル君」
ゴードンは最後まで穏やかな笑みのままだった。
自分たちの席に戻る。
ライデンはこれでも第二部隊の副隊長の立場だ。それでも机は平と同じ位置。隊長であるゴードンだけが、部屋全体を見渡せる位置に机を置いてあるものの、その机も立派なものではない。
ウィンダムらしいと言えばウィンダムらしいが。
ライデンは受け取った書類を眺めている。
ナーバルはそれに話しかけようとして口を閉ざした。
そう言えば、仔竜の書類を書いてない。
ペンを引っ張り出し、書き出す。
拾った人間は正しく言うとシーザーなのだが奴のサインなんかを貰うのは面倒だ。
ナーバルは自分の名前を書いておく。これで自由騎士団経由で仔竜を探そうとなれば、ナーバルに連絡が届くようになる筈だ。
通りかかったヴァイオラに「これ、提出頼む」と言えば彼女は笑顔で引き受けてくれた。
ヴァイオラに手を振って見送った後、ナーバルはいまだ書類を見ているライデンに声を掛ける。
紫色の瞳だけがこちらを見た。
「あの仔竜の事は迷子報告出して、と。連絡があるまで放置でいいだろ。流石にアリスや、その他飛竜たちの目を盗んで仔竜盗む怖いもの知らずもいねぇだろ」
「そうだな」
「じゃあ、そっちの方に専念するか。――特殊武器って何だ?」
「刃の形状と目撃情報から推測は出来ている。――飛刃」
「ひじん?」
「そう」
ライデンは手身近のメモの裏側に絵を描いた。
三日月型の刃。その一端から紐が伸びている。伸びた先にもまた三日月型の刃が付いてた。
「特殊な手袋を装着して、糸――正しくは針金、だな……。その部分を持って操る。針金は通常は黒く塗られている。昼間に使うなら針金ではなく透明な特殊糸を用いる」
「へぇ」
「円の動きで予想外の方向から刃が来る。飛び道具としても用いる事がある」
「詳しいなぁ」
「祖父にコウ国の武器の知識なら叩き込まれた」
ふぅんとひとつ頷く。
ライデンの口から家族の話題が出ると少し羨ましい気持ちになる。
自分が家族を羨ましいと思う資格など無いと分かっているが……それでも、だ。
「さ――さて」
思わず変に上ずった声が出た。
こういう時、特に何の質問もしてこないライデンは助かる。
「どう動くか」
「被害者ルートか加害者ルートか」
「だな」
チンピラの周辺を探るか、飛刃なんて特殊武器を探るか。
ライデンはまだ書類を見ている。
首を伸ばし、覗き込んだ。
チンピラの経歴。
「ネッド、ね。――ちゃちい経歴だなぁ、窃盗、暴力、恐喝……って本当、こんなヤツを殺す為に殺し屋が出てくるとは思えんなぁ」
「16歳……まだ子供の年齢だな……」
「裏に行けば一桁年齢のガキだって犯罪してるさ」
「……あぁ」
分かっている、とライデンは言う。
だがその表情は理解仕切れていないようだ。
書類に視線を落とすライデンの表情は、硬い。
「――違法品の売買でも一度検挙されているな」
「麻薬……だけど、こんな安物麻薬、裏路地行きゃあ誰でも買えるレベルで売人いるぜ?」
あぁ、とナーバルは頷いた。
「この前の、竜の麻薬を心配している訳だ」
「結局、何の情報も得られないまま進んでいるしな」
先日の麻薬取引の逮捕者は、使い捨ての下っ端のようだった。
裏路地に面した辺りでぶらぶらしているとバイトをしないかと見知らぬ男に声を掛けられた、と言い張る。
かなり取調べを行ったが、それ以上の情報は得られなかった。
「下手をするとあれは囮で、裏で別の大型取引が動いていたかもしれない」
「妙な心配すんなよ、ライデン」
「心配で済むのならば良いのだが」
ライデンは書類を置いて立ち上がった。
「まずは無事な方の一般騎士に話を聞く」
「了解」
ナーバルも立ち上がった。
「重態の方はどうする?」
「この後で」
「分かった」
一般騎士から得た情報は書類以上のものは無かった。
裏路地で喧嘩がある、と通報を受け、二人の騎士は分署から向かった。
そこで見つけたのは倒れた男――こちらの死因は犯人と思われる男の持つ長剣による刺殺だった――と、剣を持って驚くようにこちらを見る若い男。
若い男は殺人を認め、抗う事なく捕縛された。
そこで騎士は二手に分かれた。
死体を運びながら犯人を分署へと連れて行くのは難しい。ならば犯人だけでも先に、現場を保存するように手配せねば、と。
そう考えた騎士は、近くの酒場へと向かった。
争いごとに慣れている酒場の店主も、殺人となれば驚いたものの、分署への通報を快く引き受けてくれた。
酒場の主人への依頼を終えて、騎士はすぐさま現場へと戻る。
ほんの数分。五分はかからなかった、が彼の話だ。
だが、戻った先で、先ほどの死体に加えて、犯人の男の死体と、動けぬほどの重症の同僚を見つけた。
重症の傷を負った騎士の話はこうだ。
本来ならば取り調べ前に犯人から話を聞くのは許されない。
だが、犯人の男の顔色が悪い。手にたいした血は付いてないのだが、何度も壁や服に手を擦り付けている。
様子から、殺人は初めてなのだろうと思った騎士は、犯人の男に声を掛けた。
大丈夫か、と、聞けば間抜けな言葉だ。
だが犯人はその言葉に何を思ったのか、長々と言い訳をしだした。
襲ってきたのは相手で、自分は殺すつもりは無かった。剣なんて飾りのつもりだった。相手に剣を奪われて、奪い返して揉み合っているうちに殺してしまった、と。
襲われた理由を尋ねると、男は沈黙した。
何か知っているように見えた。
詳しい事情を聞こうとした騎士は、闇が動くのが見えた。
何だ、と思う前に、目の前の男の首が裂けた。
凄まじい量の血に思わず飛び退る。
飛び退ったのが良かったのだろう。
風が鳴り――よく分からない衝撃が身体に走る。
刃で刺されたのだ、と分かったのは倒れてから。
皮製の鎧を貫いて、何かが胸に刺さっている。
手で触れようとしても身体が動かなかった。
ずるり、と、胸から刃が引き抜かれる。
大きく湾曲した刃が、一瞬だけ路地から漏れる明かりに照らされた。
それを最後に、騎士は気絶した。
「――何ひとつ分からねぇって事だよな?」
第三部隊の前でナーバルはライデンに愚痴る。
申請書類を出し、何かの情報を出しているライデンは答えもしない。
「何の情報だ?」
「被害者の身元は分からない。外見特徴を過去の犯罪者登録と一致するのを探して貰っている。それと、ネッドの過去の調査。特に最近は何処に属しているかの調査を依頼した」
「裏行って調べてくるか?」
ライデンは裏側の世界が苦手だ。
本人もそれが分かっているらしく、裏側への調査は基本自分では行わない。第三部隊を使うのが常だった。
ナーバルはそれを考えて自分の顔を示し、申し出た。
ライデンは呆れたようにナーバルを見る。
「単独行動で裏を探る気か?」
「……了解。一人では動かない」
そう考えつつも、ナーバルは今夜の事を考える。
間もなく勤務時間は終了する。このままだと残業してまで調査は行わないだろう。
ならば、夜は自由。
裏に遊びに行くのも悪くない。
遊びのついでに調査。
可愛い女の子と美味い酒。昔懐かしい空気をたっぷり吸うのも、気分転換に良い筈だ。
「ナーバル」
「ん? んん?」
「……何を考えている?」
「いーや、何も」
笑顔。
「妙な事を考えるなよ」
「分かってる、分かってる」
更に笑顔。
「明日まで待てよ」
「何でそんなに心配するのかね? 大丈夫だって。変な事しない」
「……分かった」
ライデンはまだ納得しきれない顔でも頷いてくれた。
「じゃあ、ライデン、俺は今日残業入れないで帰るから」
「分かった。くれぐれも――」
「分かってる、分かってる」
情報収集はしない――けど、裏で遊ぶつもりだった。
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