ウィンダム編2・4章
【4】
氷竜。
北の小国ラース。その更に北に位置する、万年雪を抱いた山地にのみ生息した飛竜だ。
二種類の氷のブレスを使い分けたこの飛竜は、直接の戦闘能力こそ低いものの、非常に強力であると言われていた。
ひとつのブレスは氷を生み出すもの。目標を凍らせ、防御の為の氷の壁を生み出すなど行えた。
もうひとつのブレスは、肉体的なダメージは何も無い。
その代わり、心を凍らせる。
氷竜のブレスを受けたものは、その者が心に持つ歪みが現れてくる。
勇敢で有名だった将軍が突然争いを恐れるようになり、慈悲の心で満ちていた聖者が残虐行為を行うようになった。
それが氷竜のブレスの力。
氷竜乗りたちは、戦いに赴く前に自ら氷のブレスを身に受けたとも聞く。
己の弱き心、優しき心を封じ、戦う為だけの存在になる為に、と……語られていた。
……すべての氷竜の情報を過去形で語ったのには理由がある。
この飛竜は既に大陸で滅んでいるのだ。
ラースは冥王によって滅ぼされている。たった一晩で氷竜を中心とした竜騎士団は壊滅。山に住んでいた氷竜たちもすべてが殺されたと聞く。
冥王がラースに現れて以来、大陸の人間は誰も氷竜を目撃していない。
ナーバルは改めて目の前の仔竜を見た。
細身の白い身体。
特徴的なのは翼だ。
骨組みにごく薄い膜が付いている。膜は薄く、これで空を飛べるのかと不安になるほどだった。
角度を変えると虹のように輝くそれは、まるで芸術作品のようにも見えた。
「なんで、そんな飛竜が此処にいるんだ?」
「分からん」
ライデンの答えは短く明快。
右手に手袋を嵌めつつ、彼は続けた。
「だが、これで満足だろう」
「正体が分かったから、な」
「それだけではない」
「……?」
何だと言うのだろう?
「ラース国内へ踏み入る事は大陸法で禁じられている」
冥王の残した城がそのまま建つ土地。
ラース国内はあちらこちらに冥王戦争時代の砦や、施設が残っている。中には誰が手に入れても争いの種になりそうなものまであった。
結局、『誰かの手に渡るぐらいなら、誰にも渡らない方法を選ぼう』とラース国内への立ち入りは禁じられた。
「……それが?」
「氷竜を捕獲したのならば、ラースへ立ち入った事になる。大陸法に触れるような罪を犯した輩に飛竜は渡す必要は無い」
「……あぁ」
納得した。
ライデンはまだ話を続ける。
「他の大陸から連れてきたとしても同じく罪だ。恐らく連れてくるのならば、定期船があるコウ国だ。――が」
「コウ国は飛竜の捕獲は一切禁止されている、と」
「そういう事だ」
ナーバルは自分の顔に思わず笑みが浮かぶのを感じた。
「そうか――そうか」
良かった。
「法に触れない範囲で仔竜をウィンダムに連れ込んだ可能性もある。調査は行うべきだとは思うがな」
「法に触れない範囲なんてあるのかよ? 絶滅した飛竜だろ?」
「誰かの片割れと言う可能性もある」
「……こんなちび竜を片割れにするかねぇ」
騎竜するまでに子育てする必要がある。
下手をすると死ぬまで竜に乗れないかもしれない。
……本当に片割れとなれば、そんな事も気にならないのだろうか。
「それなら分署に書類届けてもらう。迷子のペットか落し物のように登録しておけば、誰でも問い合わせたなら分かるだろ? 拾い主を俺の所にしておけば、まっすぐ俺に問い合わせくるだろうし」
「そうだな」
ライデンは頷き、続けた。
「竜を拾ったのはシーザーだったな?」
「あぁ」
「分かった」
言うなりライデンは動き出す。
もう調べる気満々だ。
「おーい、ライデン!」
その背に叫ぶ。
「お前、今日夜勤だろ。仮眠取らなくてもいいのかよ?」
仮眠中の彼を叩き起こした人間の台詞とは思えないが一応言っておく。
ライデンからの答えはない。
ナーバルは軽く肩を竦め、アリスを見た。
「ま、ライデンだったら三日ぐらい寝なくても普通に動けそうだけどな」
アリスは小さく鳴いて同意を示した。
鳴き声の小さい理由はすぐに判明。
気付けば、仔竜たちは眠り始めている。
ナーバルは微笑。
アリスも愛しげに仔竜たちに視線を注ぐ。
優しいその表情を見て、ナーバルは片割れに声を掛けた。
「アリス……お前も子供が欲しいか?」
片割れはナーバルを見た。
小さく、首を傾げた。
……ナーバルとの?
「いや、流石に色々無理」
竜と人で子供を作るのは無理だ。
いくら深く思い合っていても。
アリスも冗談で言ったのだろう。
目を細めて笑う。
なら要らない、と言うのが彼女の答え。
ナーバルは片割れの顔を軽く撫でて笑い返す。
「じゃあな」
アリスは目を細める。笑みで見送ってくれる気らしい。
ナーバルの見ている前で、彼女は仔竜を抱くように身体を丸めた。
これ以上無いぐらいの、母と子の姿。
少しだけそれを眺めて――ナーバルはライデンを追う為に動き出した。
第一部隊の前でライデンと会う。
「シーザーは出ているそうだ」
「何処に?」
「食事」
昼休みだったのを半ば忘れていた。
「あ、俺昼飯まだなんだよなぁ。喰ってきてもいいか?」
「勝手にしろ」
「そういうライデンもまだだろ。食わねぇの?」
「急ぐ用事があると言うのに?」
「いやぁ、仔竜が恐らく無事だろうと分かったら急に安心したさ。――あ」
通りすがりの知り合いに声を掛ける。
「悪い、遺失物拾得手続きの書類、くれる?」
「一枚でいい?」
「おお」
知人はいったん引っ込み、すぐに戻ってきた。
差し出された書類を礼を言って受け取る。
それを右手でひらひらさせながらナーバルは笑った。
「食堂でこれを書く、って事で。シーザーを見つけたらヤツに書かせてもいいし」
「仔竜を拾った件か? まだ提出してないのか?」
「午前中はバタバタしてたんだよ。細かい書類ばかり書かされて。あれぐらいだったら、凶悪テロリストと命がけでバトルってた方が楽だ」
「それは同意見だがな」
「だろ?」
ライデンの肩を抱く。
「さぁ、メシ行こう、メシ」
「…………」
「巧く行けば食堂にシーザーもいるって」
それが決定打だったようだ。
ライデンはおとなしく頷いた。
面倒そうな手つきで肩のナーバルの手を払うと、さっさと歩き出す。
相変わらず脚が早い。
ナーバルはぎりぎり見失わない速度で、ライデンの後を追った。
食堂に入った途端、テーブル上で両手を左右に広げ、怪音を出しつつ、ぐるぐる回っている目標の姿を見た途端、正直、回れ右して帰りたくなったが。
ライデンに腕力で引き摺り下ろされ、テーブルを掃除させられた後、ようやくシーザーから話を聞く事が出来た。
「あの仔竜を拾った時?」
シーザーは相変わらず温厚そうな笑みで言う。
鮮やかな緑の瞳。エルフ族に多い目の色だが、シーザーの場合、それが特に鮮やかに見える。
「恐れ入りますが、レタスが拾ったので私は詳しい事は何も。付け加えるのなら、レタスも気付いたら後ろ足に縋り付いていたと言う事なので、たいした情報は――」
「……そうか」
ライデンとシーザーを見つつ、昼食を貪っていたナーバルはふと思い付く。
なぁ、とフォークを振りつつ、尋ねる。
「シーザー、その顔のアザ、男に殴られたって言ってたよな?」
「えぇ、公園の中で怒鳴っていらっしゃる男性がいたので」
「……怒鳴っていた? なんと?」
ライデンの問い掛け。
えぇ、とシーザーは頷き、瞳を閉じた。
「ええと……複数の部下のような方を連れてまして、『あれが見つからないと命は無いと思え』や『ガキの事だ、そんな遠くまで行っちゃいない』とか……」
「…………」
「…………」
思わず、ライデンとナーバルは顔を見合わせる。
目を閉じたままのシーザーはそれに気付かない。
「いやはや、物騒な世の中になったものです。これもパーラバナの教えが世に広まってない故。さらに精進を重ね、パーラバナの教えを世に広め、人々の荒んだ心を救わなくては――」
「いや、それはどうでもいいから」
ツッコミ。
「おい、シーザー、よく考えろ」
「はい?」
「どう考えても怪しいだろう、それ」
「……??」
シーザーはよく考えている。
「はぁ、何が怪しいのでしょうか?」
「…………」
どうしようかコイツ。
ライデンは既に諦めているようだ。
シーザーに新たな話題を振る。
「その怒鳴っていた男で何か情報は無いか?」
「名を呼ばれていました」
「その名は?」
「ケン、と。――略称なのか通称なのかまでは分かりませんが、部下らしい若者からそう呼びかけられていたので、男の名に間違いありませんでしょう」
ライデンは顎に手を当てて軽く空中を睨んでいる。
「……知っている限りにその名はいないな」
この男の頭には、ウィンダムが調査対象にいれている人間の名前とデータが一通り入っている。
それだけの記憶力があるくせに、いまだ同僚の名前をたまに忘れるのだからよく分からない。
「まったくノーマークの人間か」
「所でライデン。そのAランチ食わねぇならくれよ」
「食べるに決まっている」
トレイに乗っている食事を庇うような仕草と、強い視線。
結構本気でむっとしてる。
「悪い悪い」
子供みたいに食事の前の礼をして食べ始めるライデンを横目に、ナーバルは立ち上がる。こっちは食事終了。
空っぽのトレイを手に、同じく食事を終えたシーザーを呼ぶ。
「珈琲でも飲むか? 買って来るぜ」
「いえ、私はジョールジョールを飲みますので」
水筒を取り出し、笑顔のシーザー。
「どうですか、一杯」
「……いえ、遠慮します」
絶対手作り。何が原材料なのかまったくもって不明。
どんな毒物を飲むのより恐ろしい。
毒物、で、またもやクラリスを思い出した。
食券売り場で珈琲の食券を買いつつ、ナーバルは自分の女々しさにため息をひとつ落とした。
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