ウィンダム編2・2章



【2】



「――シーザー」


 ナーバルは出勤してきた同僚の顔を見て変な声を出した。


「新しい刺青をしたのか?」


 シーザーと呼ばれたのは、国立公園で殴られ、吹っ飛ばされた禿頭のエルフだ。

 彼は両手に書類を抱えたまま、温和な笑みで言う。


「いえいえいえいえ。新しい刺青は脚に彫る予定です。パーラバナの第78回目の偉大なる聖戦をモチーフにしたものを現在、デザイン中です」

「じゃあ、その顔は?」


 右目の周囲をぐるっと囲む青あざ。

 殴られたような痕に見えた。


「昨夜、公園内で大声を出されている男性を注意した後から記憶がなく。パーラバナの啓示が訪れて瞑想中に殴られたようです」

「……目の前の男が急にパパパ言い出したから、化け物かと思われて殴られたんだろう」

「パーラバナの素晴らしい教えを人々が理解出来ないのはとても残念です」

「俺は本当にそれで良かったと思っている」


 このエルフだけで厄介なのに、信者が増えたら嫌になる。



 シーザーはウィンダム自由騎士団第一部隊所属、緑竜乗りだ。

 外見はどう見てもエルフなのだが、本人は『パーラバナの最後の生き残り』と言い張ってる。ちなみに大陸の歴史をどれだけ調べても、パーラバナと言う神様も種族もいない。シーザーの脳内にだけ存在する神様のようだ。


 普段は温厚で礼儀正しい男なのだが、突然、脳内の神様が啓示を始めると訳の分からない行動をする。


 ナーバルは慣れた。

 慣れたが、初対面の人間はだいたいが引く。

 もしくは、怯えて逃げ出す。

 もしくは、からかわれていると思って怒り出す。



 目の前でにこにこ笑っているシーザーを見つつ、自分の事を棚に上げて、「どうしてこんなヤツが自由騎士団にいるんだろうなぁ」とナーバルは考えた。



「まぁ、お大事にな」

「有り難うございます。ナーバル、貴方にパーラバナの加護がありますように」

「どうも」


 苦笑しつつ、職場へ向かう。

 同じ自由騎士団勤務でも、ナーバルとシーザーは部署が違う。

 シーザーは軽犯罪担当の第一部隊だ。対して、ナーバルは凶悪犯罪を主に担当する第二部隊。

 

 ただ、シーザーはその才能を見込まれて、第一と第二、両方に深く関わっていたが。


 シーザーは最後まで笑みでナーバルを見送り、自分の職場へと向かって歩き出した。




 職場へ入り、近くの席の一般騎士たちと朝の挨拶を交わしていると、のんびりと上司のゴードンが出勤してきた。

 猫背の彼は同僚たちを見て笑い、穏やかな声で挨拶をしてくる。


 それから、ナーバルを見た。


「あぁ、ナーバル君、ちょっといいかな」

「はい」

「悪いね」


 ずり落ちかけた眼鏡の奥で目が優しげに笑う。


 人の良い中年男性(細身)の見本のような男は、これでも対凶悪犯罪の部隊である自由騎士団第二部隊の代表だ。

 更に付け加えると、これでも風竜乗り。

 生真面目で気の弱い性格を思うと、他の飛竜に乗った方が似合いそうなのに、と思う。


「ナーバル君、悪いのだけどひとつ頼まれてくれないかな」

「はい」


 何だろうか?


「実は今日、セトを連れてきてるんだ」

「息子さんですか」

「そう」


 苦笑のような笑み。


「ローザが今日ちょっと動かなきゃならないらしくてね。子守が出来ないからって私に預けて行った」


 それで、と、非常に申し訳なさそうな顔になる。

 思わず見ているだけで何もかも許したくなるような気弱そうな表情。


「良かったらアリスに預かって貰えないかと思ってね」

「あぁ、アリスだったらどうぞ」


 ナーバルは笑顔で快諾する。

 アリスはあれでも母性本能が強い。子供にはとても優しい。


「良かった。実は、セトはもうアリスの所に預けてあるんだよ。アリスの気配を感じたのか、来るなりにそっちに行きたがってね」

「構いませんよ」


 ちなみにセトはゴードンの息子ではない。

 ゴードンの片割れである、風竜の息子だ。まだころころとした仔竜である。母親である雷竜、ローザの血を強く引いたらしく、見た目は完全に雷竜。

 

 が。雷竜にしては可愛い顔をしているし、人懐こい。

 この辺りが風竜の性格が出ているのかもしれない。


 ナーバルはセトが好きだった。

 抱っこ、と甘えてくる様も可愛い。

 腹を見せて眠っている姿を思い出し、自然と笑みが浮かぶ。



「しかし、アリスはすっかり人気者だね」

「……?」


 ゴードンは笑う。

 穏やかな、笑み。


「私の他にも仔竜を預けていく竜騎士がいるんだね。誰の仔竜だい?」

「……はぁ?」

 

 そんな話は聞いてない。

 今日は寝坊気味だったので、アリスには顔を合わさず出勤してきたのだ。

 

 少なくとも、昨夜、おやすみの挨拶をしに竜舎に行った際はアリスは一匹だった。


 ナーバルの表情の変化はゴードンもすぐに分かったらしい。


「……仔竜がいたよ。アリスの腹を枕に眠っていた。真っ白の、細い身体の仔だった」

「……知りません」

「それは……妙だな」

「すみません、見に行ってきても良いですか」

「あぁ、行っておいで」

「はい」


 ナーバルは一礼し、身を翻す。



 自由騎士団本部に並ぶように作られている幾つかの竜舎。

 一番奥の竜舎はシグマ専用になっていた。他の飛竜が竦んでしまい、一緒に入れておけないのだ。

 それを一瞬だけ見て、ナーバルは一番手前の竜舎に飛び込む。


 アリスは奥。

 他の火竜や風竜を横目で見ながら、一番奥のアリスの元へ駆け寄った。


 ナーバルの足音を聞きつけたらしく、アリスは身体を起こした。腹に寄りかかっている仔竜たちを気遣うように、いつもよりも動きはゆっくりだ。


 ぅるる、と、甘えた可愛い声がナーバルに向けられる。


 アリスの真紅の身体に仔竜が寄りかかっている。

 濃い紫色の体躯は間違いなくセトだ。気持ち良さそうに目を閉じていた。

 そのセトの横。

 細身の、薄いブルーが掛かったような白い身体の仔竜が一匹、腹を見せて眠っていた。

 夢でも見ているらしい。もぐもぐと口が動く。


 アリスはその仔竜を軽く鼻面でつつき、ひっくり返す。腹を見せて眠るのは少々危険だ。なので、うつ伏せの姿勢に直す。

 背中に色の薄い一対の翼が緩やかに伸びていた。


 見た事の無い飛竜。



 ナーバルの困惑など分かってないように、アリスは再度甘えた声で鳴き出した。



 ちゃんと子守をしている、と。

 褒めて、と言うのだ。



 ナーバルに褒めてもらうのが目的の子守ではないが、褒めて貰えるならば嬉しい。そういう心なのだろうが。


 ナーバルはその白い仔竜を示した。



「……誰の仔だ?」



 アリスはきょとんとしている。

 白い仔竜に視線を向けて、それからナーバルを見た。

 首を傾げている。

 誰の仔かは分からないらしい。


「分かった。質問を変える。誰から預かった?」


 アリスが鳴く。

 竜語。

 片割れであるナーバルは理解出来る。

 言葉自体はよく分からなくとも、意味は伝わってくる。


「レタスの片割れ、から?」


 レタスはシーザーの片割れの緑竜だ。

 つまり、この仔竜はシーザーから預かった、と。



「朝に顔を合わせてるのに何も言われなかったぞ……」


 呟き、シーザーに確認するのを決める。


「分かった、有り難う、アリス――」


 甘えた声が呼び止める。

 まだ褒めて貰ってない、と。


「あぁ」


 ナーバルは笑い、アリスに近寄った。

 寄せられる顔に軽く口付ける。


「有り難う、アリス。お前は本当にイイ女だよ」


 ぅるる、と、喉の奥で鳴る声。

 可愛い片割れの顔を撫でてからナーバルは身体を離す。


「また後でな」


 同意の声が返って来た。

 それを聞いてからナーバルは動き出す。

 シーザーを探す。

 自然を脚が早くなった。


 本部の何処かにいるだろう。

 

 見覚えの無い仔竜。

 何となく、嫌な予感がした。

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