ウィンダム編2・1章



【1】



 ウィンダムの南側。

 国と同じ名前の湖が存在し、その周囲には自然の風景を生かした公園が存在する。

 

 最大のものは国立公園と呼ばれるもので、ウィンダムの風習により、真夜中でも門は開かれていた。

 しかしこの真夜中に公園の中をうろつく人間も少ない。いるとしたら酔っ払いと、随分と熱心な恋人たちぐらいだ。

 

 ただ、正体を無くした酔っ払いも、恋に盲目な恋人たちも、その風景を見たら回れ右をして公園内から逃げ出しただろう。



 道のど真ん中。

 淡い桃色の花を咲かせる巨木が突っ立っている。

 勿論、普段、この場所に木は無い。

 突然に現れた、謎の、巨木。


 その巨木の前、長身の男が片足立ちで両手を万歳の形に上げ、立ち尽くしている。


 極めてふざけた格好だが、表情は真剣なもの。何かを考え込むように両目を閉じている。


 線の細い端正な顔立ち。尖り、長く伸びた耳。手足の長い長身。

 男はどう見てもエルフだった。



 ただ、その頭を月光にさえ光るほどに剃り上げている。

 剃り上げた頭部には奇怪な刺青が満遍なく彫りこまれていた。

 よく見れば、露出している腕や首筋にも同じような刺青。もしかすると全身に彫りこまれているのかもしれない。


 頬にも刺青は触手のような模様を伸ばしていた。


 男は動かない。

 片足立ちの不安定な姿勢。上げた両腕も揺るがない。

 風にそよぐ背後の巨木の葉と花だけが、時間の流れている証に思えた。


 ゆっくりと。


 男の口が動いた。

 ゆっくり、酷くゆっくりと、口が動く。


「――パ」



 短い、音。



「パパラパパヤパパパパパパパパパヤパパパパ」



 謎の言葉が口から溢れる。

 声の調子は変わらない。

 延々と同じ調子で『パ』をメインとした音が流れ続ける。


 その音が不意にやんだ。


 男が瞳を開く。

 エルフに多い、鮮やかなグリーンアイだ。


 その瞳がぐるぐると動く。


 尖った耳も動いた。


「……はて」


 人語が漏れた。


 片足立ちを止め、上げていた腕も下げる。

 男はその場でぐるぐると回りだした。


 やがてひとつ頷き、最初から自分が向いていた方向に向き直る。


 そして非常に良い姿勢で歩き出した。

 男が向かったのは此処より幾分離れた、ベンチなどが設けられた休憩スペース。

 そこに複数の男がうろついていた。


 あまり柄の良さそうではない男たち。

 エルフの動きは足音がしない。

 しかも、柄の悪い男たち――チンピラだろう――の背後から近付いたものだから、エルフに気付かない。


 エルフは本当に間際――偉そうに命令をしている男の、背後30センチほど――に立った。



「おい、てめぇらあれを見つけられないと命は無いと思えよ!」


 ハイ! と強張った声があちらこちらから上がる。


「ガキの事だ。そんな遠くまで行っちゃいねぇ! よく探せ!」


 怒鳴り声に、再度、強張った悲鳴が幾つも。



 エルフの男は両腕を上げた。



「パパヤパァ!!!」

「どわっ!?」


 偉そうなチンピラが前方に大きく飛んだ。

 振り返ろうとしてそのまま腰を抜かす。


 両腕を持ち上げたまま、エルフの男はにっこりと人懐こそうな笑みを浮かべた。


「な、ななななななななな」

「パ、パパパパパパパパパ」


 チンピラはお化けでも見たような凄まじい顔をしている。



「け、ケンさん……?」


 下っ端が偉そうなチンピラを呼んだ。

 偉そうなチンピラ――ケンが慌てたように襟元を正し、立ち上がる。

 精一杯迫力を持たせ、エルフの男に詰め寄る。


「兄さん、あんた何の用だ。悪い事は言わねぇ、さっさと消えうせやがれ」

「真夜中に大声は周辺住民の安眠妨害となる恐れがあります。声は小さめにお願い致します」

「あぁ?」


 更に、瞳に力。


「兄さん、ご忠告どうもな。終わったらとっとと失せやがれ」

「何をされているのでしょうか」

「関係ねぇだろ、あぁ?」

「そちらの男性」

 ケンを呼んだチンピラを目で示す。「推定年齢十代半ばと思います。ウィンダム国法では未成年者の真夜中の外出は推奨されるものではありません。至急、家に戻られ、明日の為の睡眠を取られる事をお勧めします」


 チンピラたちは気持ち悪そうな表情で顔を見合わせる。


 今この会話をしている間も、エルフの両腕は上がったまま。

 襲い掛かる獣のような姿勢で、人懐こい笑み、丁寧な口調で常識を諭すエルフ。

 理解に苦しむ生き物が、今、目の前にいる。


「あのな、兄さん――」


 ケンが口を開く。

 普段はチンピラたちの兄貴分と言われている彼も気持ち悪そうだ。


「分かった、分かったから。俺たち、ちょっと探しものしてんだ。それが終わったらすぐ帰る。大声ももう出さねぇ。な、だから、ちょっと向こういってくれ」

「しか――」


 しかしと言い掛けたエルフの表情が固まる。


「……来ます」

「な、何が来るんだよ」


 エルフは両目を閉じた。

 静かな表情。


「我が守護神、パーラバナの啓示が……!!」


 かっと緑の両眼が見開かれた。


 チンピラたちは再度顔を見合わせる。

 怯えの色。中には泣きそうになっている者もいた。



「パパパパパパパパパ――」


 謎の言葉を連続で吐き出し続けるエルフを前に、怯えまくっている部下を見て、ケンは舌を打った。

 拳を握る。


「黙れ、この……」


 何者なのだろう。


 一瞬の静寂。

 パ音だけが響く。



「何でもいいから、黙りやがれっ!!」


 ケンはエルフの右目に拳を叩き込んだ。


 綺麗な放物線を描いて宙に飛ぶエルフ。

 凄まじい音がして地面に激突するエルフを見るケンの顔は、これ以上ないって程強張っていた。


 殴られてもあのエルフは目を閉じなかった。

 迫ってくるケンの拳を前に、ずっと「パパパパ」と言い続けていたのだ。


「……け、ケンさん」

「夜明けまでもう少しだ。てめぇら徹底的に探せ!」

「「「「はい!」」」」


 返事は揃って元気が良かった。







 そして、時間が流れて――夜が明ける。



 道の真ん中の巨木。

 そのシルエットがゆらりと溶けて、一匹の飛竜が現れた。

 鮮やかな緑の身体。腹部や手足、よく地面に触れる場所は僅かに茶色が混じっていた。

 大柄な胴体には、複雑に絡み合った刺青が広い面積で彫りこまれていた。


 気持ち良さそうに、少しずつ明るくなっていく空を見上げ、翼を広げる。


 緑竜だ。

 大柄な身体は恐らくオス。

 


 木に化けて眠っていたようだ。

 緑竜はきょとんとした顔で周囲を見回した。

 眠りに落ちる寸前まで傍にいた片割れがいない。

 何処へ行ったのだろう。

 今日の瞑想は傍でする予定だった筈なのに。


 神の言葉を聞いて、以前のようにその辺りの木に登って逆立ちしているのだろうか。


 木を見る。

 いない。


 それとも、近くの湖に大の字になって浮いてるのだろうか。


 湖の方を見に行こうか。



 そう考えた緑竜はのっそりと動き出した。

 が、翼を広げた所で動きを止めて、長い首を下に向けた。


 後ろ足に仔竜がすがり付いている。

 真っ白な身体。

 子供はころころと丸い身体をしているのだが、この仔竜はほっそりとした身体付きをしていた。

 しゃふ、と、鳴き慣れない声を出す。


 迷子? と緑竜は問い掛ける。

 しゃふ、と、仔竜が答える。

 

 迷子かどうかの問い掛けに対して明瞭な答えではない。

 しかし此処で放っておくのも迷惑になる。一般住民は飛竜に対して恐怖を抱くものもある。

 だが、片割れを探しに行かねばなるまい。

 前のように、燃える焚き火の上に台を組み立て、腕立て伏せをしていたのなら、台が崩れて火傷を負う可能性がある。

 傍で見ていてやらないと。


 さて、どうしたらいいものか。



 暫く緑竜は考え、そのふたつを一度に解決する方法を思いついた。

 

 仔竜に向けて長い首を曲げる。

 顔を寄せて甘えさせてくれると思ったのか。きゅいきゅい鳴いて仔竜が寄ってくる。

 その首の後ろを甘く噛む。


 そして、緑竜は翼を広げた。



 仔竜を運びつつ、片割れを探す。

 これぞ名案。


 

 仔竜はきゅいきゅいと可愛い声を出している。

 嫌ではないようだ。短い手足をぶらぶらさせつつ、空中から地面を見下ろしていた。



 片割れはすぐに見つかった。


 地面の上で大の字になっている。

 今日はそういう瞑想なのだろうか。


 近くに下りても片割れは起き出さなかった。

 顔を覗き込む。

 眠っているように見えた。


 …………?



 緑竜は首を傾げる。

 片割れは顔面にも刺青を施していた。


 が、今日は新しい刺青が顔に登場していた。



 右目の周りにまん丸に、どす黒い刺青が。




 緑竜は、後ほど、それが殴られた痕だと理解した。

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