ウィンダム編1・6章


【6】




 クラリスの家に報告に行く前に、一度竜を竜舎に戻さなければならない。

 真っ直ぐに自由騎士団本部へと向かう。


 まだ一緒にいたいと強請るアリスを宥めてから、ライデンの元へ向かう。

 ナーバルは少しだけ顔を顰めた。

 別れ際、「第五部隊本部へ」と言われたのだ。

 早くクラリスの家に報告に行けばよいものを。


 何を考えているのやら。


 相変わらず説明は無い。


 まぁこれからクラリスの家に向かえば夜になってしまうだろう。

 一人暮らしの女性の家に行くには、迷う時間。




 第五部隊用の建物前でライデンに会えた。


「おい」


 こちらをちらりと見ただけで動き出す。

 説明する気は無いようだ。

 さほど広くない建物に入り、真っ直ぐ向かうのは熊男の場所だった。


「――アレックス」


 ああ熊男の本名はそれだったか。

 ナーバルはようやく思い出した。


 机に座って何か書き物をしていた熊男は、呼ばれた名に顔を上げた。

 おお、と嬉しそうに笑って立ち上がる。


「どうしたぁ、珍しいな」

「調べて欲しいものがある」


 ライデンが差し出したのは、あの花畑で手折った枝。


「レナード・キッドマンのものと思われる薬草畑で採取した。恐らくイーターの若木だ」


 その言葉にナーバルはぽかんとライデンの顔を見る。

 レナード・キッドマン?

 誰だ、それは?


 ただ続く言葉の意味は分かった。

 イーター。“喰らうもの”。

 高級麻薬の一種だ。

 強い習慣性を持つこの麻薬は、同時に強い催眠効果を持っている。イーターの中毒になったものは、他の薬物と合わせて与えると、投与者の忠実な奴隷になる。

 ゆえに、“喰らうもの”。

 魂を、心を、自由を喰らうもの。


 そう呼ばれる、危険度の高い薬物だ。



 熊男は慌てて枝を奪い去ろうとし、いったん机に戻った。

 手袋を嵌めて戻ってくる。


「竜騎士ならともかく、一般の人間がそんな危険物を素手で触っちゃ大変だからな」


 うんうんと頷きつつ、枝を受け取る。


「葉が萎れてるなぁ……」

「分からないか」

「いや、間違いないだろう。この特徴はある葉脈は間違いなくイーターだ。――こんなものが、ウィンダム近くに?」

「人の足でも一日強で往復できる。多少魔力で隠蔽されていたが、場所が分かっている人間なら容易く到着出来る」

「……まずいなぁ。キッドマンの後継者はまだ生きてるだろう?」

「あぁ――娘が生きている」

「――お、おい!」


 ナーバルは思わず叫んでいた。


「な、何を話しているんだよ? 俺、訳が分からないんだが……」

「レナード・キッドマン。医師。人間、男性、死亡時41歳」


 ライデンの紫色の目がナーバルを見る。


「裏では違法麻薬の総元をしていた」

「育てるのから売るのまで、全部纏めてやってた、って言う男だ。しかも薬物治療まで病院で行ってな。――自分が調合した新作麻薬の効果がどう出るかをデータ集めしてたって話だ」

「……しかし、残念な話だが、10年ほど前に死亡した。事故だと言われているが謎は多い。おそらく仲間割れで殺された。証拠も足りず、死亡後の調査も打ち切りだ」


 ライデンと熊男の顔を交互に見る。

 何の話だ?


「な――なんで、そいつの花畑をクラリスが知って――」

「クラリス? クラリス・キッドマンか? ブラックウィドウの?」

「…………」


 熊男の顔をまじまじと見る。

 熊男は本気で驚いているようだ。


「……何だよ、それ?」

「レナードの一人娘だ。20……幾つだったかな」

「資料では26歳になっている」


 ライデンの声。


「初婚は19歳。7年間の結婚回数四回。結婚相手の男性は全員死亡。――謎の病気で、な」

「恐らく毒だ。が、こっちも証拠が無い。巧くやっているんだ。身元の無い男ばかりを狙っている。それで付いたあざながこれだ。黒後家蜘蛛、ってな」


 熊男の軽口にライデンは鼻を鳴らす。


「巧くはやっているが……やり過ぎたな。同じ場所に住んで7年で四人は多過ぎる。幾ら死に方がそれぞれ異なるとは言え、噂にはなる」


 ライデンがナーバルを見ている。

 その瞳には同情は無い。

 こいつは、こういう男だ。


「恐らく、父親を殺したのは娘だ。目立ってきた父親を邪魔に思ったのだろう」

「――ライデン」

「何だ?」

「殴らせろ」

「面倒な輩だな」


 呆れたような声を最後まで聞かず、拳でライデンの顔を殴りつけた。

 全力での一撃だったが、それでもよろめく程度と言うのが信じられない。


 それでも感情が収まらない。

 拳を握り締めたまま、ライデンを睨み付ける。


「あの――なぁ、ライデン……言っていい事と悪い事があるぜ……」

「第一部隊の調査対象に何年も前から入っている。――調査対象の把握ぐらいしておけ」

「俺たちは第二部隊だろうが! そんな、第一部隊の調査対象なんか普通頭に入ってねぇよ!!」


 叫びながら思い出した。

 クラリスに対してのライデンの行動。家の位置を、名を、すべてを確認していた。

 あの時点でライデンはクラリスの事を分かっていた。


 ナーバルの怒りを受け止めても、ライデンは嫌になるほど普通の顔だ。


「部隊が違うとは言え、調査対象ならばすべて把握しおくべきだ」


 平然とした顔で言うライデンを睨み付ける。


「証拠は何も無いんだな」

「無い」

「なら、俺は信じない」

「勝手にしろ」


 ただ、とライデンは続けた。


「あの女は我々に嘘を言った」

「……嘘?」

「『花畑が危険な場所だと後で気付いた』と言っていたな。……あれは嘘だ。最初からあそこが危険な場所だと知っていた。知って――チンピラどもを送り込んだ」

「どうしてそれが嘘だと分かるんだよっ?!」


 ライデンは右手で目元に触れた。

 今は白い手袋に包まれた異形の右手。それが示すのは、竜の色にも似た紫色の瞳。


「法の番人である雷竜の目を騙すような事が人の身で出来る訳も無い」

「……竜眼だってのか?」

「使いこなせるようになったのはつい最近だがな」



 ライデンを睨み付ける。

 最近、鮮やかになったと思っていた紫の目。


「……信じないぞ」

「勝手にしろ。何度も言わせるな」


 ナーバルは最後、もう一度強くライデンを睨み付け、その場に背を向けた。







 ――アレックスはナーバルが駆け出していくのを見送り、動き出した。

 ため息混じりに茶を用意する。


「なぁ、ライデン。あれで良かったのか? 勝手にその女に情報流したりしないか、ナーバル」

「そこまで愚かではない」


 適当な椅子を引き、ライデンが腰掛ける。

 難しい顔をしていた。

 その頬が、片方だけ、赤い。


「冷やすものは」

「不要だ」


 用意した茶が入ったマグカップをライデンに差し出す。

 礼を言い、受け取ったライデンに話しかけた。


「ナーバル、どうも女には甘いな」

「それがあいつの悪い癖だ。――ナーバルは、女には悪人はいないと思っている。現実には犯罪者の半分は女だと言うのにな」


 アレックスは少しだけ迷った。

 手身近の椅子を引いて座る。

 軋む椅子。


「やっぱり……その、過去のトラウマがあるんだろう」

「…………」

「あいつ、自分の嫁さんを――」

「過去の事だ」


 ライデンはカップに口を付ける。


「本人も乗り越えようと努力をしている。我々がどうこう言う問題ではない」

「捜査の影響になるようだったら問題じゃないか?」

「その場合はナーバルには今回の件から手を引いて貰う」


 ライデンはあくまでも冷静だ。

 怖くなるほど。


 だけど、言葉を終えてライデンは少しだけ笑う。

 口元に僅かな笑み。


「が――ナーバルならば大丈夫だ。ああ見えて、正義感は強い」


 今のナーバルを信じている声。

 ナーバルが抱えるものを乗り越えられると、信じている声。

 だからこそ、アレックスは不安になる。


「……なぁ、ライデン」

「……?」

「俺たちはな、その……だいたいのヤツが、何処にも行き場所無くて此処に流れてきてるんだ。他の国を追い出されたりして、な」


 俺だって、と、アレックスは笑う。

 巨体を縮め、マグカップの中を眺めた。


「忘れようって乗り越えようってみんな頑張ってるさ。――でもなぁ、それって無理なんだよ。もう俺たちの根っこになってるんだ。自分を考えた時点でそれも含まれてる。どうやっても無理なんだ」

「だから?」

「他の竜騎士団の誘いを蹴って此処に来たようなお前には、俺たちは理解しきれないかもしれない」


 ライデンを見た。


「みんな、お前みたいに強く生きられないんだよ」


 ライデンはこちらを見返す。


「私が強いと言うのならば否定はしないが」


 ライデンらしい物言いに、アレックスは思わず微笑。


「誰もが過去を乗り越えられない、と言うのは否定させて貰おう」


 マグカップがテーブルの上に置かれた。


「世のすべては変わっていく。常に、常に。一瞬たりとも留まらぬ。――それが、風の教えだろうが。人がそれの例外だとは思えない」

「…………」

「茶を有り難う。――明日も早いので、失礼」


 イーターの枝を示す。


「そちらの調査を引き続き頼む。過去に押収したものとの比較を」

「あ――あぁ」

「では」



 ライデンが立ち去ったのを見送る。



「……参ったなぁ」


 と、アレックスは呟いた。

 

 苦笑するその顔は、何となく嬉しそうなものだった。

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