ウィンダム編1・4章


【4】



 先ほどの部屋も明るかったが、此処はそれ以上だ。

 見上げれば天井はきらきらと光っている。魔法の灯りでも灯されているのかと思えば、全面ガラス張りだ。

 ただのガラスでは無いだろう。光を集めるように作られているのか。


 その明るい光に照らされるのは、熱帯の森と見間違うほどの緑、また緑。

 植物に詳しくないナーバルには分からないが、季節、土地を問わず、様々な木々が、そして花が溢れている。

 眩しいほどの光の下、息が苦しくなるほどの緑を、思わず呆然と眺める。


 ふん、と、ライデンが鼻を鳴らし、手身近の木に触れた。

 

 ぱきん。

 そんな乾いた音がひとつ。

 ライデンが遠慮なく小枝をへし折ったのだ。


「おい! 人の家のものだろうが」

「人の気配は無いな。そのチンピラどもは何処へ行ったのか」

「だから人の話聞けって! 都合の悪い所だけ聞こえないふりしてんじゃねぇよなぁ、お前!」


 ライデンは折った枝を制服のポケットに突っ込むとそのまま歩き出した。


「ライデンっ!」


 追いかける。

 ライデンはこんな場所でも迷い無く動く。足に木やら花やら絡み付いて歩き難い筈なのに、ナーバルだけが置いていかれる。


「待てよ、おい!!」


 緑を掻き分け進むナーバルは、ようやくライデンの背中を見つける。

 ほっと息を吐いた彼はライデンの向こうに気付いた。

 巨木がある。

 流石に天井に届くほどとは言わないが、大人の腕が回りきらないほどの幹を持つ、広葉樹。

 

 その広葉樹の根。地面にのたうつような太い根に、女が座っていた。

 ライデンを見上げ、にこにこ笑っている女。

 長い髪の毛が身体を包むように伸びているが、女は――裸に見えた。


「……?」


 何だ、あれ?

 こんな所で裸の女って?

 何かの犯罪に巻き込まれたとしても異様な場所だ。


 ナーバルは最後の茂みを越えてライデンの後ろの立った。



「おい、ライデン――」


 その女は、と問いかけてナーバルもようやく気付く。


 女はナーバルにも笑いかけてきた。

 線の細い綺麗な顔立ちに尖った耳。顔立ちだけを見るならエルフの女だ。

 が。

 女の肌は茶色だ。

 小麦色や褐色ではなく、茶色。木の、幹と同じ色だ。身体を包む長い髪の毛は鮮やかな緑。よく見れば髪の毛に紛れて葉や蔦まで見える。


 エルフではない。


 記憶を探る。


「――ドリアード」


 木の精霊の名前を口にした。

 大木に宿ると言う、精霊。


 正解、と言わんばかりに女が笑った。

 素足で土を踏み、立ち上がる。

 踏んだ土の下に石が見えた。――いや、石ではなく……髑髏。

 此処に埋め込まれた、誰かの死体。

 この巨木の栄養となった誰か、だ。


「また新しいお客様……」


 甲高い少女の声。

 ドリアードが笑う。


「おい、ライデン」


 振り向きもしないライデンに問い掛ける。


「これが危険な魔物か?」

「恐らく」

「……ドリアードって何が出来た? 植物でも操るのか?」

「それも可能な筈だが」


 ようやく、ライデンがこちらを見た。


「……ヴァイオラを連れてくるべきだったか」

「は?」


 同僚の地竜乗りの少女を思い出す。

 何故、彼女?


「男と言うのがまずい」

「…………??」


 どういう意味だ?


 ドリアードはこちらを交互に見ている。

 何だかとても嬉しそうだ。


「素敵」


 とろりとした声が漏れる。


「どちらも若くて素敵な男性。どちらを恋人にしようか、私、迷っちゃうわ」

「……恋人?」


 もう疑問符しか浮かばない。

 ライデンは説明するつもりは無いようだ。

 ただ右手に持ったカタナをいつでも抜けるように構えている。


 ナーバルは剣を抜くべきか迷う。

 正直に言えば、見た目は小柄なエルフにしか見えないこのドリアードがどれだけ危険なものか、判断出来ない。


 元々女性の姿をしたものには弱い。


 ドリアードの目がライデンの手元を見た。


「そうね、そうね――戦って貰うのが良いかしら。強い方が私の恋人。そうね、そうね、それが素敵」


 ねぇ。


 甘ったるい声。


 緑一色――白目も黒目も何もなく、ただ緑一色――の瞳が、ナーバルを見た。


「ねぇ――私の為に戦って……。戦って、私を貴方のものにして」




 緑色の、目。




 剣を抜くのに迷いは無かった。

 ロングソードをそのまま抜いて、目前、踏み込むと同時に斬りかかる。

 相手は避け、振り返った。


「ナーバル、それは“魅了”の呪文だ。この精霊はその呪文をもっとも得意とする。目を覚ませ」


 何を言ってるんだ。

 俺たちの邪魔をするな。


「ドリアードが言う恋人は巨木の栄養だ。その髑髏が見えるだろう。勝っても負けても、最後にはその姿だ」


 ドリアード――可愛い女――が笑う。

 両腕をナーバルに差し出して。


「だめ、だめ。その人にはもう貴方の声は届かない。私の声でいっぱいよ」

「止して貰えないか」


 ナーバルを見たまま、男が言う。


「この男は精神を病んで治療中だ。下手に心に影響を与える魔力を貰うと発狂する恐れがある」

「狂っても愛してあげる」

「……やれやれ」


 呆れた声。


 男はようやく剣を抜いた。

 波の模様が入った美しい刃。

 銀と言うよりも白に見えた。


 右手に鞘。左手に刃を持って、構える。


「ナーバル、悪いが少々手荒な真似をさせて貰うぞ」


 悪いとは思ってない声だった。


 さて、相手はどう来る――



 考えると同時に、男が消えた。



 一瞬、何が起こったのか分からなかった。

 何が起きたのか理解するより先に、ナーバルは胸元に衝撃を感じ、後方に吹っ飛ばされた。


 下手に勢いに逆らわず、飛び、ダメージを減らす。

 それでも胸が痛かった。


 先ほどまでナーバルが立っていた位置に男がいた。

 低い姿勢。


 どうやら姿勢を低くし、その姿勢のままナーバルの直前まで突っ込んできたようだ。

 信じられないほどの速度で。

 そして、男を見失ったナーバルは、思い切り吹っ飛ばされた。


 しかも、刃ではなく、鞘で。



 胸が痛い。

 骨が折れているかもしれない。

 胸の奥が熱い。

 痛みに、歯が鳴る。

 痛みは死に通じる。

 熱は、死を齎す。

 痛い。熱い。痛い。熱い。


 怖い。


「――しまった」


 男が小さく呟いた。


「意識がまだあるか」


 胸元を押さえ、握り締める。

 布地が裂ける音がした。

 それに重なるように高い音。

 エルフたちが精霊に呼びかける時に似た音。

 それは、丸く開いたナーバル自身の口から出ていた。


 怖い。



 怖いならば――消せばいい。



 単純な解に心が揺れた。

 喜びに、揺れる。

 ナーバルは剣を握り締める。

 胸の奥の熱に急かされるように、駆けた。


 不自然な姿勢からそのまま、手さえも使って真っ直ぐに男に。


 低い姿勢のまま、無理やり腕を振るう。本来なら両手で動かすべき動きを右手一本。腕から嫌な音がする。自分の身体が壊れる音。熱が更に響く。大きくなる。


 大丈夫。まだ死なない。

 大丈夫。もう怖くない。


 『彼女』は違う。

 『彼女』はもっと熱くて、もっと怖くて、もっと死んだ。


「ナーバルっ!」


 防戦になった男が叫んだ。


「落ち着け! 狂うなっ!」


 男の怒鳴り声に重なるのは乾いた拍手の音。

 可愛い女が両手を打ち合わせている。


「素敵、素敵! その人、バーサーカーなのね!」


 バーサーカーと言う単語に刹那、考える。

 狂戦士。

 本来ならば勇ましい戦士たちに送られる称号ではあるが、狂うと言う言葉を冠した彼らの名から、ナーバルのような人間にもその名は送られた。


 戦闘以外のすべてを切り捨て、発狂状態のまま戦う、ナーバルのような人間にも。


 よく分からない。


 ただ目の前の男を壊したかった。


 男は一歩ずつ後ずさりながらナーバルの攻撃を防いでいる。

 血が舞う。

 男が傷を負った訳ではない。通常では出せない力を振るっているナーバルの身体が壊れつつある。

 身体のあちこちから音がする。

 己が壊れる音。


 が。


 これは怖くなかった。


 男の顔が歪んだ。

 仕方ない、と、呟いた声が聞こえた気がした。


 大きく男は刃を振るう。

 流石にこれを喰らえば身体がふたつに裂ける。

 ナーバルは軽く後方に飛んだ。壊れた身体でも普段よりずっと遠くに飛べた。


 男との距離。

 短い。



 再び襲い掛かろうと身を縮めるより先、男が、口を開いた。



「――シグマ、やれ」



 命じる声。

 シグマ――?



 応じたのは雷鳴。

 咄嗟に空を見上げる。

 ガラス越しに鮮やかな紫色の巨体が見えた。

 飛竜――


 飛竜の身体がガラスにぶつかる。

 凄まじい音。

 ガラスが割れる高い、悲鳴にも似た音にドリアードの悲鳴が重なった。


「やめて、やめてっ! 何するのよ、やめてってたらっ!!」


 甲高い悲鳴。

 きらきらとガラスの雨が降る。


 綺麗だ、と、ナーバルは壊れた思考でも思った。


 飛竜は割れたガラスの間からこちらを覗く。

 ナーバルを見た。

 口元に雷。


 一度空を見上げ、一息、溜めて。



 そして、紫色の飛竜は、雷のブレスをナーバルに叩き付けた。

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