ウィンダム編1・3章


【3】



 目の前にいるのは火竜のメスだ。

 鮮やかな紅の身体。目の縁をまるで化粧のように黒い縁取りが付いている。さらに気が強そうに見えるが、同時にこの火竜の可愛らしさが引き立つと、ナーバルは考えている。



「アリス」



 片割れの名を呼んで手を伸ばす。

 火竜――アリスは目を細め、顔に伸ばされたナーバルの両手の間に入れてきた。

 撫でて、と言うらしい。

 甘える仕草が可愛くて、思わず抱きしめる。

 唸るような声が聞こえた。

 猫で言えば喉を鳴らしているようなもの。かなり機嫌が良い。


 片割れは選べないに決まっているが、もしも選べるとしたら、メスの方が良い。性格は人間の恋人と同じ、気の強い方が良い。気の強い子は一度心を許すと本当に可愛い。


「アリス、ちょっと悪いが一緒に行って欲しい所があるんだ」


 片割れは黒い瞳でナーバルの顔を覗き込んだ。

 じっとこちらの話を聞く様子。


 その瞳を見返しながら、先ほどの事を思い出していた。


 結局。



 花畑の位置を確認してみれば、人の足で一日弱。

 そんな所に行っていたら仕事に遅れてしまう。

 ならば、竜騎士らしい移動方法を取るしかない。



「ちょっと遠出しような、アリス」


 いや、の言葉は無い。

 自分の片割れをまるで恋人のように思っているこのメス火竜は、ナーバルと共に在れればそれでいいようだ。


 緩やかに翼が広げられる。

 翼にも黒のライン。これがこの火竜の目印だ。


 素直に喜びを表現する片割れの首筋を撫でて、ナーバルは空を見上げた。

 青空に一際濃い色がひとつ。

 鮮やかな紫。

 ライデンの片割れ、雷竜のシグマだ。

 空中で緩やかに旋回。早く来い、と言う訳だ。


 アリスの首をひとつ撫でて、ナーバルはその黒い瞳を覗き込んだ。


「じゃあ、行くか?」


 答えたのは摺り寄せられた身体だった。





 風が心地良い日だ。

 先を行くシグマを視界に入れながら、最高速度で空を飛ぶ。これだけ気持ちの良い風ならば、もう少しのんびり空を飛びたい所なのだが、それではシグマに置いてけぼりを食らう。


 アリスの翼ではシグマの速度に叶わない。

 向こうは本気で飛んではいない筈だが、こちらは本気。



 雷竜は洒落にならないほど強い。


 シグマに会うまではただの噂だと思っていたが、実際に会って傍にいてみれば、その強さがよく分かる。

 


「……まぁ、洒落にならないって言うのならライデンもだけどな」


 ぐる、と、アリスが鳴いた。

 同意の声だった。

 素直な片割れの首を撫でてやる。

 

 前を行くシグマの動きが変わった。

 旋回。

 ナーバルは地図を思い出す。

 周囲の地形から判断して、目的地に付いたようだ。

 

 緩やかな旋回を数回繰り返し、シグマが地上に降りていく。


「アリス」


 片割れの名を呼んで、ナーバルもそこへ降りるようにと指示を出す。


 アリスは高く鳴いて頭をそちらに向けた。




 山裾に広がった森の中、ぽっかりと開けているのは遺跡の入り口だ。

 ライデンは門に彫られたレリーフを眺め一人で頷く。


「ガルバ公の治世の時代のものか」

「誰だよ、ガルバって?」

「300年ほど前にウィンダム周辺を領地とした貴族だ」

「へぇ、彫り物で分かるのか」

「あぁ――」

「詳しい話はパス。この角度がどうとか、彫りの深さが何たらよりも繊細と言われても分からねぇや」


 果物やら動物が彫りこまれているとようやく分かる程度のレリーフを眺めながら、ナーバルは呟く。


「俺はどっちかって言うとこういうの壊すの専門だったからなぁ」


 ナーバルは数年前まで傭兵として生活していた。

 主に行っていたのは、竜を用いての壊滅戦。

 目標を徹底的に破壊する行為だ。


 これならば単独で行える。

 ナーバルの病気が出たとしても危険は無い。


 ライデンは既にナーバルを見ていなかった。

 クラリスから受け取った地図を広げ、眺めている。

 花畑と言われても、温室に近いものらしい。古代の遺跡の空調施設を利用し、植物を育てられる状態にしてある、と。


 遺跡内部の地図。

 クラリスの父が書いたものだと言われた。

 随分と古ぼけ、半分ほど読み取れない場所もあるが、まぁ何とかなるだろう。


 ライデンが地図を確認している間、ナーバルはアリスの首を撫でていた。

 片割れは黙って目を細めている。

 つい、と、アリスがナーバルをつついた。


「ん?」


 つつかれた先は腰の剣。

 ロングソードを身に付けている。

 戦いに行くのか、と問われた。


「まぁ魔物がいるって言うしな」


 アリスは遺跡を見た。

 入り口は狭い。

 飛竜が入れる訳が無い。

 ナーバルと遺跡の入り口を交互に見る事しばし。

 

 今にも遺跡に突撃をしそうな片割れを撫でて宥めながら、片割れの顔に額をくっつけた。


「大丈夫だって。すぐに戻ってくる」


 ぅる、と甘えた声で鳴かれた。

 


「ナーバル」

「じゃあ、行って来る」


 軽くアリスの顔に口付けた。

 ぅるる、と更に甘えた声。


 ライデンの横に立つと、彼は少し離れた位置でおとなしく蹲っているシグマに声を掛けていた。


「先ほどの事を頼むぞ」


 雷竜は雷鳴のような声で吼えた。

 アリスがむっとしたようにシグマを見ているが、彼は気にしない。


 ナーバルは満足そうに頷いて前を向いたライデンの横顔に話しかける。


「……何を頼むって?」

「遺跡の構造は大部屋に小部屋が付属しているタイプのようだな。目標の部屋は最奥。一気に突っ切るぞ」

「人の話を聞けって」


 毎度の事ではあるが、げんなりとライデンの横顔を見る。

 呆れている間にも彼は大股で歩き出していた。

 置いていかれる。


 先行させるってのも悪くないがなぁ、と内心考えつつ、その後を追う。


 珍しくライデンは右手で武器を持っていた。

 鞘に入ったままの、軽く湾曲した長剣。

 見た事の無い剣だ。

 何度も同じ事を言うが、自由騎士団の給金は安い。ライデンが右手に持つ剣は鞘の飾りを見る限りは高級品だ。手が込んだ細工もの。安月給で買える訳が無い。


 門を潜りつつ、考えた。

 思わず、指で示し、問い掛ける。


「その剣、どうした?」

「剣?」

「それ」


 自分の剣を示されているとようやく気付いたようだ。

 一瞬だけ自分の右手に視線を落とす。

 ああ、と短い返答。


「祖父の形見だ」

「……爺さん、死んだのか?」


 ライデンの祖父とは一度だけ会った。

 変わった衣類を着た――聞けばコウ国の民族衣装らしい――、高齢とは思えぬほどしっかりとした老人だったのを覚えている。

 そうか、あの人が死んだのか。



「いや、生きている」

「…………………………」


 ナーバルは完全に言葉を失った。


「先日、里帰りした際の手合わせで祖父に勝てた。昔から、一本でも勝てたら家宝のカタナをやると言われていたので遠慮なく持ってきた」

「…………それは形見とは言わねぇだろ」

「これぐらいしか形見になるようなものはない。前払いで貰った」


 小さくライデンが笑った。


「手紙が来る。サムライの魂を失う訳には行かないから返せと」

「……返してやれよ」

「男が一度した誓いを破ると? そのような男が血縁だとは思いたくない」

「……俺は爺さんから家宝のカタナを奪うような孫を血縁だとは思いたくねぇけどなぁ」


 改めて、剣――カタナを見る。


「コウ国の剣だろ、それ。馬鹿高いんじゃねぇか?」

「さぁな。値段は知らん」

「ハルが欲しがってたろ。安物のカタナでも、給料半年注ぎ込んでようやくだって」


 ハル――ハルシオンは自由騎士団の同僚で、コウ国マニアの女だ。

 彼女が今一番欲しがっているのは、コウ国の武器。ライデンのカタナを見せてやれば目の色を変えるに違いない。


 歩く感触が変わった。

 石畳。

 遺跡の入り口。


「…………」


 足を止め、見上げる。

 レリーフ。

 門と似たようなレリーフが彫られている。

 動物かと思ったが、違った。

 不自然な角。不自然な翼。複数の頭。複数の手足。歪んだ牙。歪んだ爪。


「……キメラ、か?」

「さぁな」


 ライデンはちらりと見ただけで興味を失ったように遺跡の入り口に入った。


 ナーバルはそれを追う。

 遺跡の中は明るかった。

 天井を見上げる。

 頭上が開いていた。

 竜が降り立つには狭すぎるが、どうやら陽光を取り込むように出来ているらしい。


 視線を下に戻す。

 石畳。隙間から草が伸び、まるで外と変わらない。

 足跡を探してみるが石畳の上では痕跡は残らず、雑草たちは一日もあれば復活する。何の痕跡も無い。


 ナーバルが周囲を警戒している間にもライデンはどんどん進んでいく。


「おい!」


 ライデンは罠があったら踏み潰していくタイプだ。

 分かってはいるが一応警戒して欲しい。罠を動かした者だけじゃなく、他人にまで被害が及ぶ罠もあるのだから。


 しかし話を聞いてくれるタイプではない。

 相変わらず、と、ナーバルはひとつため息を付いた。


 ライデンは奥の扉に行き着いていた。

 腕を組んで扉を見上げる。

 ライデンもナーバルも長身なのだが、この扉は彼らの上背よりも遥かに高い。首が痛くなるほど上を見上げる。

 

 扉にもレリーフが彫られていた。

 こちらは外よりもはっきりと分かる。

 異形の姿をした魔物――と、女の姿が彫られていた。


 長い髪がうねり、まるで蛇のようだ。

 目元は細い線。だが口元だけはくっきりと笑みを刻んでいた。その端から鋭い牙。


 女は牙を剥いた蛇が絡み付く杖を手に、異形の魔物に寄り添っていた。


 何だか見覚えが有る。


「何だっけ、この女?」

「――死の女王」

「不死の民の守り神か」


 死の門を守る、死者と生者を区切る存在である女神。

 この女神はデュラハやその周辺の国で崇められている。

 人間たちは殆ど崇めない。むしろ恐るべき神と考えている。


 ただ、人間でも彼女を崇める人々がいる。


「――毒、転じて薬。医学者、そして錬金術師たちの守護神」


 ナーバルの考えを読んだようにライデンが呟いた。


 薬の言葉に「あぁ」と頷く。


「薬……なぁ、俺もお世話になってるし、イイ神様かもな」

「真面目に通院しているのか」

「真面目、真面目。ちゃんと週一通院してるって。午前中にもちゃんと投薬して貰って来たぜ」


 ライデンは一瞬だけナーバルを見た。

 その紫の目に笑いかける。

 ライデンは小さく頷き、前を見た。


 扉に手を掛ける。

 軽くなぞり、それから視線を横に向けた。

 石の隙間に石製のレバーが覗いている。位置から考えて開閉の為のものだろうが、万が一と言う事も考えて――


「おい、ライデ――」


 名をすべて呼ぶ間も無く、ライデンは力いっぱいレバーを引いた。

 ナーバルはもう諦めた。


 扉から大きな音がする。

 何かがすりあわされる音。石がぶつかり合う音。それが延々と響く。


 やがて――扉が左右にゆっくり開いた。

 彫られた女神も左右に分かれていく。

 細いだけの瞳はやはり笑っていなかった。



 扉の隙間から光が漏れる。

 眩しい。


 ナーバルは思わず手を翳し、目を庇った。

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