ウィンダム編1 1章



【1】


 ウィンダム自由騎士団本部の裏手にある騎士団寮は、嫌な意味で有名だ。

 古くて狭くて汚い、と。勿論建て直す予定は無い。加えて言うと、建て直す金も無い。

 

 自由騎士団に対して予算がそんなに回っては来ない。それでも半年に一度の予算会議では、他の部門と比べて、そこそこの金額を貰っている筈なのだが。


 結論。

 その予算自体が、他国の騎士団と比べると、圧倒的に少ない。


 まぁ嘆いても仕方ない。

 しみのついた壁を眺めながら、左右に狭い廊下を歩きつつ、ナーバルは考える。


 そう、仕方ない。


 給料が他国の竜騎士団の半額以下だろうが、此処しか行き場所の無いような人や竜騎士ばかりが集まっている騎士団だ。仕方ない。本当に、仕方ない。


 そうは思いながらも、ナーバルはひとつばかり息を吐いた。


 思わず俯いた視線が動く。

 右目が緑、左目が蒼と言うオッドアイの彼は、目的の部屋の前に辿り着いたのに気付き、一歩進みかけた足を戻した。


 ドアに張られたプレートが目的の名前だと確認してから、ナーバルは遠慮なくドアを開いた。

 ノックなどする気も無い。

 どうせ足音がよく響く。部屋の前で誰かが止まったぐらい、主には筒抜けだ。



 廊下と同じぐらい古い、狭い部屋。

 それでも汚いと言うイメージが無いだけ幸いか。

 備え付けのベッドに、これまた備え付けの物入れ。あとは机と椅子を入れてしまえば、それだけでいっぱいの部屋。


「――毎度思うんだがな、俺たちの部屋より独房の方が広くねぇか?」

「ドアを開いて第一声がそれか?」


 椅子に座り、こちらに背を向けていた男から、振り返りもせずに声。

 ナーバルは軽く笑って部屋の中に入り、扉を閉めた。その扉に背を預ける。


「なぁ、ちょっと頼まれてくれないか――ライデン」

「珍しいな」


 男がようやく振り返る。


 大陸では珍しい黒髪に、片割れに合わせたような紫色の瞳の男。顔立ちはちょっと近寄りがたいほど真面目そう。女には到底もてないタイプに見える。


 俺の方がイイ男だよな、とナーバルは一人で納得した。


 ただ、ライデンの戦闘能力とその片割れには、逆立ちしても勝てない。

 ナーバルの片割れは戦闘が大得意な火竜――しかもメス――だが、ライデンの片割れは雷竜だ。

 戦闘なんてするものじゃない。



「頼み、とは?」

「俺の知人がちょっと厄介ごとに巻き込まれてるみたいなんだよ。相談に乗ってくれないか?」

「厄介ごと?」

「ウィンダム郊外に土地屋敷持っている人でさ。どうやら地上げのチンピラに絡まれているらしい」

「それならお前一人で解決出来るだろう」

「まぁ確かにチンピラの一人二人には負ける気しないけど」


 ナーバルは自分の顔を撫でた。

 蒼い目を包むように、紅い鱗が生えている。片割れとの証。これはナーバルに竜の防御力を与えていた。人に殴られた程度では怪我は無い。


「そういう恐喝とかって、被害者に話聞いたら、後で面倒くせぇ書類書かなきゃならないだろ? 俺、そういうの、パス」

「……私に書かせる気か?」

「得意だろ、書類、いっつも書いてるだろう?」

「私が主に書くのは始末書だ」


 冗談かと思って笑いかけたナーバルは、ライデンがどうやら本気で言っているのに笑いを引っ込めた。


 ライデンが立ち上がる。

 立ち上がった拍子に机の上に置かれたものが目に入った。閉じられた本。


「悪い、読書中だったか?」

「丁度読み終わった」

「そうか。なら、今からそこに行かないか? ちょっと距離があるから、今から行っても午後になるな」

「あと五分待て」

「五分? トイレか?」

「人が来る」


 人って誰だよ。


 そう尋ねかけたナーバルは突然開いた扉に、壁に押し付けられた。


「おお、ライデン、悪い悪い! 遅くなったな!」


 随分と賑やかな声が聞こえた。


「ん? このドア、動きが鈍いぞ? 開ききらん」

「ナーバルが挟まっている」


 ライデンの指摘に、熊のような髭面の大男がドアと壁の間に挟まっているナーバルを見た。

 意外とつぶらな瞳がきょとんとナーバルを見ていた。


「ナーバル、何やってんだ?」

「……人を挟んでおいてよく言う……」


 ドアを押し返し、サンドイッチから開放された。

 軽く身体を伸ばすと関節が鳴った。竜の防御力を持つナーバルの身体にも僅かにダメージ。どれだけの腕力だ、この熊男。


 熊男は大柄な身体に似合わない白衣を着ていた。

 手に、何枚かの紙を束ねたものを持っている。


「ほら、分析結果だ」

「助かる」


 差し出された紙をライデンが受け取る。

 それを横目に、熊男はベッドに腰掛けた。ベッドは、スプリングが壊れるかと言うほどの悲鳴を上げる。


 ナーバルはぐしゃぐしゃになった髪を手で直しながら、再度、ドアに寄りかかった。

 熊男を見る。


「何の分析結果だよ?」

「昨日、麻薬の取引現場を押さえただろ。そこで押収された麻薬の分析結果だ」

「あぁ……」


 かなりの大規模な検挙があったのを思い出す。

 ナーバルは別件に当たっていたが、殆どの人員がそちらに裂かれていた。

 結果的には逮捕者が数人と、押収物に麻薬の現物。

 怪我人らしい怪我人もいないとなれば、殉職率が大陸一番の自由騎士団としてはかなり良い部類の勝ちだ。


 しかし、昨日の今日とは。


「早いな。何処の錬金術師に頼んだ?」

「俺がやったに決まってるだろう」


 熊男が分厚い胸を張った。

 この男はそれなりに魔法が使える。

 ……が、得意なのは回復系の魔法じゃなかったか?


「お前、調査用の魔法使えたか?」

「使える訳が無い」

「……じゃあ、どうやって」

「舐めた」

「…………死ぬぞ」

「あぁ、死ぬかと思うような天国を味わった」


 そりゃあ麻薬だしなぁ。


「舐めて候補を絞ってだな、それでようやく魔術検査だ。錬金術師に頼むのも高いからな、経費削減、経費削減」

「経費削減で死ぬ気か?」

「ふはははは」


 冗談を言ったつもりはない。

 大爆笑する熊男を手で止めて、ナーバルは話の続きを促した。



「何の麻薬だ? またいつもの魔術草系か?」

「いや――」


 そこで熊男は軽く迷った。


 何故かナーバルを見て、次にライデンを見る。


「それが主成分で間違いないんだが――その……」

「何だよ、はっきりしないな」

「……竜の成分が出た」

「竜?」


 ぱん、と、乾いた音。

 書類に目を通し終わったライデンが、紙を軽く指で叩いた音だ。


「白竜だ」

「……」


 ナーバルも竜騎士だ。

 白竜がどんな飛竜で、どんな力を持っているかぐらいは知っている。

 そして、内臓に幻を見せる霧を蓄える為の器官を有しているのも知っていた。

 その霧は、巧く使えばどんな麻薬よりもリアルな幻を見せてくれる。


「その、竜騎士を前に言い難いんだが……よくある質の悪い麻薬に竜の霧を粉末化したものを混ぜている」

「…………」


 何処かでバラされた白竜がいると言う事だ。


 一瞬、部屋の中が完全に静かになる。

 慌てて、熊男が口を開いた。


「そ、そのな、何と言うか」

「大丈夫だ」

「……そ、そうか」


 熊男が安堵のような声を漏らす。

 その彼に、ライデンが言葉を続けた。


「昨日捕らえた輩ならクリスタルが尋問を行っている。明日までは持たん。情報を引き出せる」


 同僚の名前を聞いてまぁ任せておいて大丈夫か、と言う気になった。

 あのサディストの女なら、喜んで犯罪者をいたぶっているだろう。今頃ウィンダム自由騎士団本部の地下室が大活躍だ。


「昨夜の捕り物を思えば、大きな組織が動いている可能性もある」


 ライデンが掌に拳を打ちつけた。

 表情にはあからさまに怒りが見えた。


「捕らえたのは所詮末端だろう――が、此処からすべてを引きずり出す」

「……ライデンなら本気で出来そうな気がするなぁ」


 熊男がしみじみと呟いた。


 そして立ち上がる。


「じゃあ俺は戻る」

「あぁ、わざわざすまん」

「いいって。研究室に閉じこもっていると嫌になる。気分転換になった」

「第五部隊も忙しくなるな」

「なぁに、お前たちと比べたらまだまだ暇だ」


 熊男はそう言って笑い、立ち去った。


 直接戦闘能力は無いが、事件に対する捜査、調査能力に長けたものが集まる第五部隊。麻薬絡みの事件となれば、恐らく忙しくなる。人員も多くない部隊だ。代表の彼は大忙しの筈だ。


 ナーバルはそんな事を考える。

 考え、必死に意識をずらしていた。

 

 頭の中でちかちかと単語が動く。

 竜が殺された、と言う単語。

 唇を噛む。


「――ナーバル」


 呼ばれて、ようやく顔を上げる。


 紫色。


 最近、色が濃くなったように見える紫色の瞳が、ナーバルを見ている。


 嫌になるほど、普段と同じ色の瞳。


「行くのだろう?」

「……あ、あぁ」


 自分の声が出た。

 それに、安堵する。

 握り締めていた手をゆっくり解いた。


「また発作か?」


 ライデンの問い掛けに頷く。

 感覚の無くなった手を振りながら口を開いた。


「竜を殺されて怒らねぇ竜騎士はいないだろう?」

「間違いは無い。――だが、その怒りは別方向に向けるべきだ」

「あぁ、犯人にたっぷり向けてやる」



 竜を殺して麻薬に仕込んだヤツ。

 それを売り飛ばしたヤツ。

 そして、それを作るように命じたヤツもいるなら、そいつもだ。

 全部纏めて――潰す。


「明日は通常勤だ。それまでに帰れるな?」

「俺だって明日は日勤だっての。話聞くだけだから、移動時間もあわせて5時間ぐらいで帰ってこれるって」

「ならいい」


 言うなりライデンは歩き出す。

 大股で速度も速い。

 置いていかれる。


「おいおい! 何処へ行くのか分かってるのか?」

「早く来い」

「……はいはい」


 ナーバルは苦笑しつつ、既に廊下に出ているライデンを追いかけた。

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