復讐者 4章


【4】




 降り続いていた雨も止み、男は月が出ている空を見上げた。


「――あなた?」


 背後からの妻の声にあぁと頷き窓を閉め、振り返る。

 

 こんな夜は思い出す。

 遥かな昔。

 仲間だった男を殺した夜の事を。


 あの財宝を得て、男は冒険者を辞めて商売を始めた。

 商売は成功した。

 その結果、貴族の娘である妻の婿となり、今は成功者として知れ渡る存在となった。


 罪。


 だが罪悪感は幸福感で消し去れる。

 あの男が愚かだったのだ。

 すべてをばらすなどと言わなければ、殺される事も無かった。



「あなた、どうなさったの?」

「いや、何でもない」


 妻の言葉に答え、男は寝台へと歩み寄った。



 風が部屋に吹き込んだ。

 灯りが揺らめき、消え去る。

 月明かりだけが部屋を照らした。



 窓は閉めた筈なのに。

 男は振り返る。

 

 ひ、と妻の喉が鳴った。


 窓は大きく開かれ、そこに誰かが立っていた。

 巨大な長方形の刃を持つ人影。

 細身だ。

 まるで女のように細身な姿。


 月光に照らされる反面が醜い火傷で覆われていた。

 逆側が美しい人の顔であるからこそ、その醜さが際立った。


 火傷で覆われた顔の中、金色の爬虫類じみた瞳が笑った。



「だ、誰だ!」


 咄嗟に寝台近くにおいてある剣を掴む。


 誰何の声に火傷顔の若者が声を出して笑った。

 低い、男女とも付かぬ声だった。


「私は忘れられたのか? ――私は、お前を……お前たちを忘れた事など一度も無かったのに。……なぁ、リーニック」


 名を呼ばれ、そして言葉の意味を考える。


 火傷。


 炎に包まれ、崖から落ちていった子供を思い出した。



「……シナ?」

「ふふ」


 嬉しそうに笑う声。


 剣が構えられる。

 頭の右側で柄を両手で持つ構え。


 その特殊な形状の剣に見覚えが有った。

 だが、リーニックはそれを思い出せない。

 妻が細い悲鳴を上げた。

 その悲鳴が消える。

 剣を構える侵入者を見て、失神したのだ。


 


「ようやく会えた――ようやく、ようやく……」

「亡霊か」


 炎に包まれ、あの崖から突き落とされたのだ。

 生きている訳が無い。


 それにどうやって此処へ侵入したと言うのだ。

 魔法による防御は塀に施してある。

 それ以上の魔力を持たねば、侵入など不可能だ。


「亡霊ではない。――私は生きている。生きて、復讐に来た」


 リーニックは立ち上がる。

 剣を構えた。


 シナが笑う。

 端正な顔がうっとりとするような微笑を。

 そして醜い顔がぞっとするような冷笑を。


 同時に浮かべた。



「このっ!」


 リーニックは吼えて動いた。

 恐怖から。

 心の底から恐怖で動いた。


 切りかかった剣がシナの大剣で防がれる。

 高い音。

 己の剣を受け止めたシナの剣。そのしっかりとした感触に驚いた。

 女の腕力とは思えない。

 

 生活するには広いとは言え、室内。

 剣を振るうには狭過ぎる。

 それでもシナの剣は迷いが無い。

 こちらの首を狙ってくる。

 迷い無く、殺す為の剣。


 誰にこのような剣術を習った?

 冒険者たちの後を付いて来るだけの荷物持ちの奴隷娘。

 誰が、この娘に剣を教えた?


 

 シナの剣が壁を削った。

 家具さえも破壊する。

 これだけ大きな音を立てているのに、使用人たちは起きてこない。

 何故だ?


 リーニックは追い詰められている自分を感じていた。

 シナは強い。

 特に速度と腕力が凄まじい。女の身体で繰り出される攻撃とは到底思えない。


 窓を見た。

 

 庭に逃げる。

 庭に逃げて、助けを求める。

 犬も放されている。犬が吼えれば、誰かがさすがに気付くだろう。


 シナの剣を大きく弾き、それからリーニックは窓へ向かって駆け出した。

 此処は二階。下は芝生。飛び降りても死にはしない。


 勢い良く飛び降り、両足で着地する。


 すぐさま駆け出そうとして、庭にたたずむ巨体に気付いた。


 足元に飼い犬たちがびくびくと痙攣していた。

 身体に金色の光が走る。雷で動けなくなっているのだ。


 そして、巨体の主。


 月明かりにも鮮やかな紫色の身体。

 雷竜。


 法の守り手。罪人の裁き手。死刑の執行人。

 そのようなふたつ名で呼ばれる、雷と共に舞い降りる、正義の守護者。


 そこで――リーニックはシナの持つ剣の名を思い出した。



 背後で飛び降りる音。

 シナが来る。

 リーニックは逃げ出した。

 シナと飛竜。その間を、逆方向に。

 もう外に逃げるとも思いつかなかった。

 ただ、この恐ろしい者たちから少しでも遠くへ。


 翼が広げられる音がした。



 飛竜が飛び立ったのだ。



 人の足で精一杯逃げた距離も、飛竜の翼なら一飛び。

 上から、鋭い鉤爪が降りてきた。



 リーニックはそれを見上げ、全力で悲鳴を上げた。









 鉤爪はリーニックを殺さなかった。

 胴体部分を地面に押さえ込んだのみ。

 地面にうつ伏せに押し付けられ、逃げる事は叶わない。処刑を待つだけの罪人の姿。


 雷竜が吼えた。

 足音。

 シナが寄ってくる。


 許される範囲で顔を上げ、シナを見た。

 頭上に満月。

 見下ろしてくるシナは笑っていた。

 醜さと美しさが共存する顔で、リーニックを見下ろしていた。



「――ひとつ、聞きたい」

「な、何だ? 何でも話す、だから、頼む殺さないでくれっ!」

「他の二人は何処へ?」

「………」


 あぁ、と。

 その質問で悟る。 

 此処で全てを話しても、殺される。

 復讐だ。

 この娘の目的は復讐だ。


 だが、と、リーニックは少しだけ笑った。


 一人で堕ちる地獄よりも、仲間と共に堕ちる地獄の方がまだましな気がした。

 此処で何も話さずとも、やがて彼らにも正義の雷が落ちるのだろうし。



 リーニックは話し出す。

 残り二人の居場所。

 シナは黙って聞いていた。


 やがて、その顔が再度笑う。

 剣を構える。


 長方形の刃を持つ、特殊な大剣。

 それは処刑人の剣だ。

 死刑執行人が罪人の首を刈り取る為に持つもの。


 何故そのような似合いのものを持つのか。

 リーニックには分からないし、分かる方法も無かった。


 雷竜の爪に地面に縫いとめられ、笑いながら、己の首が断ち切られる音を、リーニックは聞いた。


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