エルフの森にて。(終)


 まだ朝早く。

 霧が漂う森の中を歩くのは、マルアの森の長、エルヴィンだ。

 片手に小型の弓を持っている。


 切り落とされた後遺症でいまだ自由に動かせない両腕を一日も早く元に戻そうと、毎日のように鍛錬を欠かさない。

 ただそれを人に見られるのも癪だ。

 故に、他のエルフたちがまだ動き出さないこんな早朝になってしまう。



 朝の森は心地良い。

 静かだが命の存在をしっかりと感じる空気。

 エルフならばこの時間を嫌う訳が無い。


 瞳を閉じ大きく息を吸ったエルヴィンは。



 思い切り何かに躓いた。



 両腕がまだ上手く使えないので顔面から転ぶ羽目になる。



「――く、くそっ」



 毒づき、自分が足を引っ掛けた随分と硬いものを確認する為に振り返る。

 



 くぷぅ、と。




 何だか気の抜けた音がした。

 エルヴィンに蹴飛ばされ、不満そうに金色の瞳を開いたのは丸々とした幼い飛竜だ。

 鮮やかな緑の体躯は緑竜の証。

 ただ随分と幼い。

 地面に下半身を埋めて短い前足を伸ばしているが、大人ならば余裕で抱き上げられるサイズだ。

 本来ならばまだ親の保護下で守られている年齢。赤子の年齢である。


 

 小さな翼が背で動いている。


 くぷぅ、と、鳴き声と言うには間抜けな音が漏れる。


 仔竜は半眼。

 飛竜の首には革紐で結ばれた金属のメダルが下げられていた。エルヴィンには分かる訳もないが、大木と飛竜を図案化したそれはスタッドの竜騎士団の紋章だ。



「こ、この馬鹿竜が……! またこんな所で……!!」


 緑竜は地面に埋まる習性があるらしいが、この仔竜は所構わず埋まりたがる。

 しかもその姿勢のまま何時間でも寝ている。

 何度足を引っ掛けたのか。


 エルヴィンは服に付いた土を払って立ち上がる。

 見上げてくる仔竜を見下ろした。

 一人と一匹の視線が向かい合う。


 くぷぅ、と。


 飽きたように飛竜は目を閉じた。

 うつらうつらと舟を漕いでいる。


「……」


 他のエルフたちのこの仔竜に対する行動は分かっていた。

 誰もはっきりとは言わないが、この仔竜を可愛がっている。他の者の目が無い所で撫でたり、抱き上げたりしているのは知っていた。

 もちろん、それを禁止した覚えもないし、罰するつもりもない。


 森のエルフを片割れに選び、この森で生きる事を決めたのなら、この緑竜は立派な森の一員だ。



「……」


 まだ上手く動かない手を、そっと、伸ばす。

 身体を屈め、緑竜の頭へと。

 いつか誰かがしていたように、触れさせる。


 緑竜が片方の目を開く。

 じっと、エルヴィンを見る。


 あが、と口が開いた。


「………???」



 鳴くのかと思ったが違った。

 



 ぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷ。



「痛たたたたたたたっ!!」



 口から吐き出されたのは小さな種。

 緑竜のブレス。本来ならば飲み込んだ土の塊を吐き出すのだが、これだけ幼いと飲み込むものにも限度がある。故に、種。


 しかし緑竜が吐き出す種は痛い。

 顔やら腕やら露出している部分を確実に狙ってくる。


「止めろっ! 止めろと言っているのが聞こえないのかっ!!」



 ぴたり、と。



 仔竜はブレスを止めた。



 ほっと息を吐く。




 ぷぅ。



 最後にひとつ、大きな種がエルヴィンの額に激突した。



「……こ、このっ……!!!」




 この馬鹿竜を地面から引っこ抜いて尻を叩いてやる。

 そう考えた時に、エルヴィンは笑い声に気付く。


 緑竜の頭に手を掛けて、あぐあぐと噛まれながら顔を上げると、クルスが必死に笑いを噛み殺していた。


「……い、いつから」

「種ブレスを喰らったあたりから、かなぁ」


 笑う。


「止めようと思ったんだけど、面白くて」

「………」


 あぐあぐと手首を噛んでいる仔竜を見る。


 クルス。

 この仔竜の片割れ。

 剥き出しの左腕に絡まる葉の刺青が見える。しかしその緑は自然そのものの色。刺青で出せる色ではない。

 木へと変化する緑竜。その片割れは身に緑を宿した。


「……」


 エルヴィンは無言で腕を振るう。

 仔竜の口が外れる。

 がちがちと、まだ歯を鳴らしていた。噛み足りないらしい。



「片割れなら仔竜の教育をちゃんとしておけ」

「うん、分かった」

「まったく」


 エルヴィンは落ちた弓を拾い上げ、歩き出す。








 怒っているような後姿を見送り、クルスは小さな緑竜の元へ寄る。

 くぷぅ、と、鳴く緑竜を両腕を伸ばして抱き上げる。最近少し重くなってきた。クルスの腕力では抱っこは近々無理になるかもしれない。



「駄目だよ、エルヴィン、撫でてくれようとしたじゃないか。ああいう時はおとなしく撫でられてるんだよ?」


 ねぇ。


「リトルアメリア。――ねぇ、アメリア、聞いてる?」


 クルスの腕の中、小さなアメリアは気持ち良さそうに肩に顎を乗せ、くぷくぷ言っている。


 彼女はクルスの片割れだが、まだ赤子の為、直接会話が出来ない。

 ただ伝わってくる。

 小さなアメリアの気持ち良さ、嬉しさ。



 先ほどエルヴィンに種ブレスを噴出した時だって怒っていなかった。

 いたずらのつもり。

 小さなアメリアはエルフの森の誰も嫌っていない。

 みんな等しく、愛している。

 

 彼女のお母さんのように、森を、そこに生きる命を、すべて愛している。



 クルスはアメリアを思い出す。腕の中の小さなアメリアではなく、その母を。

 森を守って育ててくれた、偉大な飛竜を。


 思い出し、微笑む表情で仔竜へ囁く。



「帰ろう、家の近くで遊んでよう」



 小さなアメリアは答えない。

 ただ、顔を上げた。


 風が吹く。

 森がざわめく。

 木々が揺れる。

 森が生き物のように大きく揺れ、歌う――歌う。


 それを、小さなアメリアは大きな目で追っている。


 クルスは片割れの顔に己の顔を寄せる。



「母さんの子守唄に聞こえるのかな」



 小さなアメリアは母を知らない。

 だからきっと森たちが歌って聞かせているのだ。

 己たちを育て、慈しんだ竜の心を。

 自分たちを守ってくれた飛竜の事を。

 小さなアメリアの、大きな母の事を。


「アメリア」


 名を呼ぶ。


「みんな、お前が大好きなんだよ」



 小さなアメリアが鳴いた。

 分かってる、と言わんばかりに目を細めて。


 クルスは小さなアメリアをしっかりと抱き上げる。

 肩に掛かった小さな顎の感触を感じながら、ゆっくりと歩き出す。


 森はまだ歌っている。



 小さなアメリアはその中で目を閉じた。



               終



 

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