とある風竜乗りの受難 5章


【5】




 ドラゴンランスを持つ右手。

 自由な左手を繰り、指先だけで印を結ぶ。エルフが得意とする魔法を行う。

 精霊の召還。

 風の精霊ともうひとつ精霊を呼び出す準備を行う。現れる小さな竜巻を合図に、フルルも風の声で吼えた。

 再度、風を纏う。


 精霊へと命令を飛ばす。

 それが実行されたのを確認し、雷竜との距離を測る。


 ベネッタたちは距離を置いている。

 どうやら見物する気らしい。

 遠く、教授の声が聞こえた気がした。

 心配ではなく応援の声。


 教授らしい。



 メルビンを見る。



 雷竜。

 

 最強の飛竜と言われる竜だ。

 そして謎の多い飛竜でもある。


 これだけ竜の研究が進んだ今でさえ、雷竜の生息区域は殆ど分からない。特に野生の雷竜が何処で子育てをしているのかはまったくもって謎だ。


 雷竜乗りの騎士も大陸で10人強ぐらいだろう。

 調査するにしても数が少ない。

 特に戦闘データなど、取るのも難しい。


 ゆえに、戦い方と言っても対策は殆ど無い。


 ブレスの能力は全飛竜中最強。

 攻撃力は火竜には僅かに劣るが、それでもかなり強い。

 防御力も緑竜並みにはある。

 そして、速度さえも風竜に次ぐ。


 弱点らしい弱点が無い飛竜。


 戦うなんて正気の沙汰じゃない。


 分かっているが、逃げる気は無かった。

 


 風の精霊への命令が終わる。

 

 竜巻が解け、空中に消えた。

 それを横目に、アルベルトは手綱を操る。


 直線ではなく横へと動いた。ブレスを避けられる動き。雷竜の攻撃でもっとも早いのはブレス。その他の攻撃ならば避けられる。


 メルビンの背で、アルファが何だか口元を歪めた。

 肉食の獣が牙を剥くような表情だったが、笑ったのが分かった。

 面白い、と思われたらしい。


 動く。


 メルビンは正面から突撃してきた。

 そりゃそうだ。向こうは風竜の牙など恐れていない。

 若い火竜とは違う。フルルの纏う風でも鱗を裂けない可能性もある。

 

 ある、が。

 やはりフルルは向かっていった。

 

 メルビンの前足は風を突き抜けた。

 爪は一本ぐらい持っていけたようだが、それでも防ぎきれない。フルルが身を捻る。雷竜の爪が鱗ぎりぎりを掠った。


 やはり重い。

 人間の金属鎧も一撃で破壊するような爪の一撃だ。

 革鎧しか着ていないアルベルトがもし喰らえば――まぁ、愉快な事にはならない。


 距離を取り――体勢を。


 と思う間も無く、メルビンが追って来る。

 今度はブレスでも爪でもなく、背のアルファの武器による攻撃。狙いはアルベルト。

 ドラゴンランスで弾き返す。

 腕が痺れるほどの攻撃。


 フルルにもメルビンの攻撃が繰り返されていた。風竜は二対の翼の代わりに前足を持たない。メルビンの攻撃を受け止められない。身体を捻り、風を当て、ブレスを叩き付ける。それでも強靭な身体を誇る雷竜相手ならば、せいぜい怯ませるぐらいしか出来ないが。



「――おい」


 武器が打ち合わされる。

 その隙間、アルファからの問い。



「お前も片割れも風使いなんてやらせておくのは惜しい奴らだな」

「俺はともかく、片割れはよくそう思います、よっ!」


 会話の最後を気合の声代わりに、押し返す。

 伸ばした武器でアルファの眼帯に隠された側を狙う。

 それさえもおかしいと言う様にアルファが笑った。


「いや、お前も面白い」


 死角を狙った筈なのにあっさりと返された。

 眼帯の後ろにちゃんと目があるのでは、と考える。


 武器は弾かれた。両手は自由。右手にドラゴンランス。左手で、印。

 姿を消していた風の精霊へ、最後の命令を飛ばす。


「――……?!」


 アルファが軽く戸惑いの表情を見せた。

 口が開く。

 が、それは言葉にならない。


 アルベルトはフルルの手綱を操った。

 離れる事を命じる。


 メルビンはこちらを追おうとして片割れの異変に気付いたようだ。

 動きを止める。

 雷が鳴るような――それでも少しばかり弱い声が向けられていた。




 ――何を?


 フルルからの問い。


「風の精霊に命じてアルファの周囲の空気の流れを止めてる」


 ……????


「えーと、つまり、窒息させようとしている」


 死ぬ? 死ぬ?


「わくわくしない。――まぁ、死ぬ前に気絶する」



 そしてメルビンは片割れが意識を失えば戦いを止める。片割れの安全を優先する。これで戦いは終了。



 と、なる筈なのだけど。



 アルファが笑った。

 呼吸が出来ない筈なのに、手綱を握ったのが分かった。

 メルビンが吼える。


 そのの口の中に雷が見える。

 ブレスの準備。

 

 近過ぎる。

 避けるには少々難しい。



「やっぱりそうかぁ」


 おとなしく降参とか気絶は考えてなかった。

 ヤツの性格なら、呼吸が続く限り戦うだろう。



 だから、もうひとつ。



 左手で最後の印を描く。



 現れるのは闇の塊。

 闇の精霊。

 彼らはすべての力を食らう。

 魔力や武器による攻撃を吸収する。


 そのすべての中に――ブレスも含まれる。



 ブレスが見えた。



 精霊にのみ伝わる言語で叫ぶ。

 音にはならない、高い、声。

 闇の精霊がその身を広げる。

 雷のブレスに対して。



 これだけ動いたのだ。アルファの意識はもう持たない。

 片割れが止まればメルビンも止まる。

 それまで持たせられれば――



 雷のブレスと闇の精霊。

 アルベルトが呼び出せる一番上位の精霊だ。



 ――大丈夫?


 フルルからの問い掛け。


「前に一度実験した。100歳強の火竜のブレスは完全に耐え切った。なら幾ら雷竜だって――」



 その精霊に罅が入る。



 雷竜のブレス能力は、すべての飛竜の中で最強とは言え。



 冗談じゃない。



「――フルル!」


 逃げろの代わりに名を呼んだ。

 フルルが身を捻る。

 闇の精霊が吸収出来る力の量を、雷竜のブレスの量が超えた。


 罅が増す。

 金の雷が、闇の上で踊る。



 精霊が、砕けた。


 闇がブレスとぶつかり合い、砕けるまで一瞬。

 逃げるには少し、短過ぎる距離。


 喰らう――っ!!







「――そろそろ時間になりますので」



 場違いなぐらい温厚な声が聞こえた。


 思わず閉じていた目を開けば、先ほどとまったく別の位置にいた。

 メルビンはいる。

 だが、距離が離れていた。

 遠くに見える、その背のアルファはぐったりしていた。ようやくと言う様子で身体を起こす。


「おや、風の精霊の呪縛を自力で解いたようです。さすが丈夫なだけが取り得の雷竜の片割れ」


 しゃべっているのがティキ=ティカだと悟った。


 いつの間に移動したのだ。

 ティキ=ティカと、背のベネッタを見る。



「アルベルト、悪いんだけど、そろそろ取引先との時間なんだよね。荷物、貰うから」

「あ」


 呪文を解かないと。

 固定の呪文を掛けたままだ。


 そう思ったのだが、ベネッタが指先ひとつで招いただけで荷物はティキ=ティカの背に移動した。


「ちょっとバランス悪いから、教授はそっちに渡すねぇ」


 ベネッタは笑いながら教授の首根っこを掴み。



 そのまま放り投げてきた。



 フルルが身体を動かす。

 背に、落ちてきた教授を受け止める。細い小柄な老人だ。大した事は無いと思ったら異様に重い。どうやらリュックが重いようだ。


「大丈夫ですか、教授」

「今何があったのかね?!」


 放り投げられた事はどうでもいいらしい。

 アルベルトに掴みかかってきた。


「確かに雷竜のブレスの前に君らはいた筈なんだよ。なのに何故無事なんだ、おお、おお、おお!!」


 興奮状態であちこち叩かれた。


「教授、痛いです、痛いですから」


 何とか宥める。


「ティキ=ティカが助けてくれたんですよ」

「左様です、教授」


 風竜は穏やかに笑った。

 瞳はいまだアルファに向けている。


「遊ぶのは結構。アルベルト殿たちにも良い喜びとなりますでしょう。――が、死ぬのは頂けない」

「そうそう、アルベルトには私の婿になって貰う予定だからねぇ」

「絶対にお断りします」

「嫌よ嫌よも好きのうち、ってねぇ」

「俺の嫌は本気の嫌だ」


 教授はティキ=ティカを見ている。

 皺の間の目が好奇心で輝いていた。


「どうやって助けたのかね、ティキ=ティカ君!」

「ならば、もう一度お見せしましょう」


 離れていて下さい。



 その言葉と同時にベネッタが叫んだ。


「さぁ、アルファ! 追いかけっこしようよ。追いついたらさぁ、あんたの前からのお願い、叶えてあげてもいいよ」

「どんな手段を使っても大丈夫かっ?!」


 先ほどまで窒息しかけていたとは思えぬ人間の声量。

 それに、何だか凄い興奮している。喜びの色が見える表情。


 ベネッタが笑う。


「ブレスで打ち落としても、爪で切り裂いても、何でもありさ」

「分かった!」


 行くぞの声も無かった。

 メルビンが空中を走る。

 凄まじい速度。先ほどよりもずっと早い。


 ティキ=ティカが笑った。


「では――参りましょう」


 翼が動く。

 風竜は接近する雷竜の攻撃を掻い潜り、ゆるやかにさえ見える動きで飛び出した。




「教授。――多分、面白いものが見えますよ」


 アルベルトの言葉は教授に届かない。


 教授はぺしぺしとフルルの身体を叩いていた。


「フルル、もっと接近してくれ! よく見えなかったら大事だよ!!」

「……フルル」


 アルベルトの願いにフルルは少し嬉しそうに飛び始めた。

 逃げるティキ=ティカと追うメルビン。

 

 メルビンの身体に雷が走る。

 ブレス。

 力を溜めた、巨大なブレス。



 空気の振動が伝わるほどのそれが、いったん動きを止めたメルビンのブレスが、直線の動きで空を走る。

 ブレスは基本、扇形で広がるものだ。

 この距離ならば、ティキ=ティカに到着する頃、ブレスはかなり広がっている。

 

 避けきれない。



 ティキ=ティカの身体が一瞬霞んだ。

 そして、雷のブレスに飲み込まれる。

 耳が壊れるかと思うほどの爆音の後、残されるのはいまだ続く空気の振動と――無事に空を飛び続けるティキ=ティカ。



「……アルベルト君」

「はい」

「これは、何が起きてるんだね?」


 ブレスは続く。

 ティキ=ティカは避けようとしない。ブレスの直線状にいる。なのにブレスを喰らわない。


「ティキは飛んでるだけですよ」


 ただ、と付け加える。


「ただその飛ぶ場所が……この世界以外の場所を飛んでいる」

「……?」

「ほんの短い距離ではありますが、別の世界を飛んでいるんです。ティキの翼はこの世界以外の場所を飛べるんです」


 それがもたらすのは、現実世界から見れば瞬間移動にも似た結果。

 ティキ=ティカは翼によって空間さえも渡る。


「魔法とは違うのかね」

「魔法じゃなくて本当にただの飛行なんです。魔法が禁じられている場所でも同じ事が出来ますよ」


 既に遠くなりつつある風竜の姿を見、教授が呟くような声で言った。



「昔話では、六枚翼の風竜が存在すると言う。それは、翼で時間さえも飛び越えると聞いた」

「ティキはそれに近い事が出来ます。さっき俺たちを助けてくれたのもそれですよ。異なる世界を飛んで、俺たちを安全な場所に放り投げる。……それがさっきあった事です」

「う――おおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 教授の叫び。

 フルルの最高速度で追っているのに、ティキ=ティカにもメルビンにも追いつけない。



「ティキ=ティカ君!! 後でもう一度話を聞かせてくれぇええええっ!!」



 凄い声量。

 雷のブレスの合間でさえも届いただろう。

 ティキ=ティカが軽く振り返って笑ったように見えた。



 メルビンとの距離はどんどん開いていく。

 ティキ=ティカの翼は緩やかな動きに見えた。

 だが、誰も追いつけない。

 異なる世界を飛ぶ飛竜に、誰が追い付けると言うのか。



「フルル」


 呼び掛けに片割れが風を纏った。


「速度を上げましょう。……まぁ、ティキには追いつけませんが」


 教授はアルベルトの話を聞いていない。目を輝かせて遠くになっていくティキ=ティカを見ていた。

 

 速度を上げる。

 まだメルビンは諦めない。

 凄まじい速度で空を飛び続ける。


 ……もしかして、ティキ=ティカはともかく、メルビンも休みなしで目的地まで飛び続ける気か。

 どういう体力してるんだか。



 思わず片割れを見る。

 こっちも凄まじい体力の持ち主である、片割れを。


 嫌な予感がした。



 

 結局、一度小休止を取ったものの、真昼間の砂漠を飛ぶ羽目になった。


 アルベルト以外の皆は本当に元気だったのが癪だった。

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