とある風竜乗りの受難 4章


【4】




 ネルと名乗った少女との攻防。

 数度目の攻撃を避けてから、アルベルトは顔を顰めた。


「……まずいなぁ」


 呟く。

 フルルも微かに戸惑っている。



 この火竜と少女。


 はっきり言うと、かなり弱い。



 恐らく戦闘慣れしていない。攻撃が大振りの真っ向勝負ばかり。フェイントらしいものを二度ばかり仕掛けてきたが、視線が完全に次の攻撃側を見ている。相手の視線の動きを見るのは戦いの基本なのだが、それさえも出来ていない。


 ためしにこちらが誘いの隙を見せてやれば、あっさりと乗ってきた。フルルの攻撃範囲にまで入り、思わず少女を狙いそうになって慌ててドラゴンランスの方向を変えた。


 少女に怪我させないように戦おうと思ったが、それも難しいほど、この少女と火竜は弱い。

 アルベルトが攻撃を止めているのに、向こうも動きを止めている。

 戦いと言うほど長い時間ではないのに、既に少女たちは息が上がり始めていた。


 全力で動き過ぎ。


 ……何と言うか、呆れてしまう。



「どれだけ手を抜けば怪我させずに済むと思う?」


 フルルからの言葉は無い。

 彼も相手のあまりの弱さにやる気を失っていた。


 しばしの沈黙の後、返って来た答え。


「帰ろうか、って、帰れるなら俺も帰りたい」


 ちらりと視線と雷竜対風竜に向ける。

 あっちは楽しそうだ。メルビン・アルファ組は戦闘慣れしているし。


 いやいや、楽しそうだなんて考えちゃ駄目だ。

 戦闘は楽しくない。楽しくない。


 己に言い聞かせ、いまだ呼吸を整えられない少女に向き直った。



「なぁ」


 声を強め、少女に声を掛ける。


「君たちよりも俺たちの方が強いって分かるだろう? 諦めて、退いてくれないか」

「……」


 少女は無言で首を左右に振る。

 何だか駄々っ子のように見えた。



「どうしようか」


 フルルは首を傾げている。

 傾げ――そして、彼は下を見た。


「……」


 下を見る。

 まだ山の中。木が茂る場所。頭の中で地図を広げる。この辺りはエルフの森ではない。

 ならば、落ちても死なないか。



「落としてしまおう」



 フルルが頷いた。

 頷き――鳴く。


 風竜独特の風の声。

 風を、呼ぶ声。




 飛竜の中には属性を操る能力を持つものがいる。

 その名の示すとおりの属性を自在に操る力。火竜あたりは炎を操る力を半ば失いかけているが、反して、風竜はその殆どが風を操る力を身に付けている。


 風の祝福なんて呼ばれる能力。

 まぁ、名前なんてどうでもいい。


 必要なのは、フルルの声に合わせて風が呼び起こされるその事実。

 その身体に風がまとわり付く。

 現れた時点で風はフルル好みにアレンジされていた。

 本来ならば速度を上げる為の風なのだが――


「行くぞ」


 ドラゴンランスを構える。

 片手は手綱。脚を締める。

 フルルはそれを確認するかのように一呼吸置いて、動き出した。

 少女へと、真っ直ぐに飛ぶ。

 

 火竜は愚かにも真っ向勝負を選んだ。

 

 息が上がっている火竜にブレスは無理。残されたのは、鋭い爪。

 フルルが纏う風を突き破り、攻撃するための前足。



 風に前足が突っ込むと同時に、風に血が混じった。

 一瞬にして火竜の前足がずたずたになる。


「ティアラっ!」


 少女の悲鳴。

 今まで一番強い声。


 その声を耳に、アルベルトは攻撃を止めなかった。


 攻撃と言うまでもない。


 フルルが好む風。接近戦を挑んだものを傷つける、風の刃。

 肉弾戦など行わない筈の風竜のくせに、彼はこれを好む。

 

 その刃を纏って、フルルはただ火竜の横を通り過ぎた。

 アルベルトがした事はただひとつ。

 火竜の片翼の付け根に、一度、ランスの尻を叩き込んだ。

 翼の位置がずれる。

 風の直撃を受けずに済む位置へと、変わる。



 それでも、風の刃は火竜の片翼を傷付けた。


 翼の動きが止まる。

 

 火竜はそのまま落下していった。




 見送る彼らの目の前で、木々をへし折り、大きな音を立てて地上に落下した一対が見えた。



 上から、まだ見る。


 動かない。



「………まさか、死んだ、か?」


 殺害マークひとつ、追加?


「勝手に追加するな!」


 前に殺した敵の数を翼に刺青している飛竜を見た。

 あれいいな。もし死んでたら同じのが欲しい。


「駄目!! そんな悪趣味は絶対に禁止!! ――確認しに行くぞ!」


 フルルの手綱を操り、森の中へ急降下。

 フルルが大きく息を吸った。


 ブレス。


 地上にはあの一対がいる。


「馬鹿っ!!!」


 馬鹿じゃない。

 

 フルルが笑う。


 ちゃんと手加減してる。木をちょっと折っただけ。

 これで降りやすい。


 フルルの言葉通り、火竜が作った空間へと簡単に降り立てた。

 

 ネルは片割れの前足を両腕で抱きしめていた。

 血塗れの腕。

 出血は多いが、神経や筋肉には傷を付けていない筈だ。少し戦闘に慣れていればそれぐらい簡単に判断出来る。

 どうやら怪我にも慣れていないようだ。


 降り立ったこちらを見上げるネルの顔は完全に怯えていた。



「大丈夫。もう傷付ける気は無いから」

「……」


 フルルの背から降り立つ。その巨体にドラゴンランスを立てかけた。


 近付けば、ネルは更に警戒の様子を見せる。

 大丈夫、と手を上げて示した。


「何もする気は無い。見せて。手当て出来ると思うから」

「……ほんとう……?」

「あぁ」


 少女の言葉に頷く。


「ただし、もう俺たちを追って来ないで欲しい。仕事中なんだ。復讐したいんだったら、後でたっぷりともう一匹の風竜とその片割れ相手にやって欲しい。――ただし、あの人たち、俺の五万倍は強い」

「……しない」

「それが懸命」



 火竜の前足を見る。

 大きな裂傷が幾つかあるが、やはり神経まで至ってない。

 

「何か布地ある?」

「……」


 少女は無言で自分のスカートを裂いた。

 まぁスカートの下にスパッツを身に着けているからいいものの、一瞬どきりとしてしまった。


 貰ったそれを火竜の前足に巻いてやる。


 翼を見る。

 こちらはさほど酷くない。

 わざわざランスで突いて大怪我になるのを避けたのだから、大きく傷付けられては困る。


 早くは飛べないだろうが、ゆっくりなら充分飛べるだろう。


「低めの位置をゆっくり飛んで家に帰る事。それから治療士を呼ぶか、薬か何かで癒してやるといい。竜の回復能力なら一週間もあれば元通りだ」

「こんなに血が出てるのに?」

「大怪我じゃない。――竜の怪我に対する知識は?」


 無言。


 アルベルトはちょっとだけ息を吐いた。


「竜騎士ならもっと飛竜について学ぶべき。怪我も、戦い方も。――竜騎士になって何年か知らないけど……」

「三日」

「…………」

「今日で、三日目」

「御免、まさかそこまで初心者だと思わなかった」


 竜騎士になって三日なんて。

 そりゃあ戦い慣れもしてないだろう。


 少女は軽く俯いている。

 その背後――足元で何かが揺れていた。


 思わず少女の背後を覗き込む。


 紅い鱗に覆われた、尾。


「……契約の証?」

「そう」


 尾が契約の証なんて聞いた事も無かった。

 地に届くほどの長さ。太さも立派なもの。

 揺れるたびに軽く地面を撫でている。


 知的好奇心。


 どうなっているか見てみたい気もしたが、どうやら尾てい骨辺りから生えているらしい。

 すっかり短くなったスカートでその辺りを器用に覆い隠していて、具体的には見えない。


 見えたとしても、そんな所を見たら完全に変態だ。

 現段階でも、少女の尻をじっと見ている変態に間違いない。


「……ん」


 ネルは少し困ったように身じろぎした。

 慌てる。


「ご、御免」

「……ん」


 首を左右に振る。


 アルベルトは慌てたまま言葉を続けた。


「ええと、その、俺は風竜乗りだから火竜乗りの常識とかよく分からないけど、飛竜や竜騎士についてはそれなりに詳しいから、何か知りたい事があったら聞きに来て。普段はゴルティアの国立大学にいるから。背中に竜の翼ある人間は、って聞けば、きっと分かると思うから」

「ん」


 フルルに跨る。


「そ、それじゃあ」

「ん」


 ネルはこっくりと頷いた。


 彼女の片割れの火竜はじっとアルベルトとフルルを見ている。

 特に警戒の色は見えなかった。


 飛び上がる。

 少女と火竜はこちらをずっと見上げていて。



 アル、と、フルルが言った。


「何?」


 発情期?


「ぶっ。――ば、馬鹿何を言ってんだっ!!」


 拳どころかドラゴンランスで殴った。

 フルルは身を捻って笑う。


「もう変な事を言うな! さっさと行くぞ!!」




 空中に上がると同時に、まだ戦い続けている風竜と雷竜を見た。



「……そーっと抜けよう」


 そーっと、そーっと。



 メルビンと視線が合った。

 鋭い牙の間に雷がたっぷり溜まったメルビンと。


「うわぁ」


 とりあえず誤魔化すように笑ってみた。




 が、真正面からブレスを貰った。



 逃げろと命じたアルベルトの手綱を無視し、フルルは雷に向かって飛んだ。僅かにずれた姿勢。頭のすぐ横を雷のブレスが抜けていくのが見えた。


 当たったら間違いなく黒こげだ。


「フルル! 俺を殺す気か!」


 返って来た答えは笑い。

 笑い声のまま、行くぞ、と言う。

 戦う気満々。


「――やっと来たぁ」


 ベネッタが笑う。


「ほらほら、遊んであげなよ、このオッサンと」

「雷竜は丈夫で困ります。何度切り裂いても平然と立ち向かってくる」


 ティキ=ティカの言葉通り、メルビンは全身傷だらけだ。

 出血で紫の身体が赤く染まっている箇所もある。

 が。戦闘意欲はまったく損なわれていない。

 大したものだ。


 

「ふん」



 アルファがドラゴンランスを振るう。

 それはまだ綺麗なまま。彼は一撃もベネッタたちに与えられていない。


 だからこそ、ベネッタたちは生きている。

 雷竜とその片割れの攻撃を食らえば、風竜の一対など一撃で終わる。

 手数勝負と一発勝負。

 何ともまぁ、嫌な戦いだ。


 どう考えても風竜が不利。


 不利なのだが。



「ベネッタの秘蔵っ子か。――なんだ、まだそこにいたのか」


 そこ、と言うのはベネッタの会社の中、と言う意味だろうか。

 それとも、荷物を運ばずに此処にいる、と言う意味だろうか。


 アルベルトはよく分からない。




 雷竜対風竜。

 どう考えても風竜が不利。

 唯一ある勝ち目とすれば、全力で逃げる事。



 なのに。



 何で、ドラゴンランスを構え、メルビンたちに向き合っているのだろうか。




 ――それがお前の本質。



 フルルの声か、ベネッタの声か、それともティキ=ティカの声か。

 分からないけど誰かが笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る