とある風竜乗りの受難 2章


【2】



 すっかりティキ=ティカが気に入ってしまった教授はそちらに任せて、アルベルトは自宅に帰った。


 表通りを一本下がった、冒険者向けの店が並ぶ一角にアルベルトの自宅はある。


「――ただいま」


 幾らゴルティアと言え、この辺りの住民は決して裕福ではない。二階建ての家はさほど広くは無い。家族三人で住むには丁度良い広さではあるが。


 玄関から入ってすぐの扉を覗き込む。

 キッチン。

 母の姿が見えた。


「母さん、俺、夜出かけるから」

「え?」


 不思議そうな声を上げて振り返った母は、料理の手を止めてアルベルトに近寄ってきた。

 手をエプロンで拭きつつ、小首を傾げる。


「夜遊び?」

「違うって」


 苦笑。


「ベネッタさんの所に手伝ってくれって言われた。夜に荷物運んでくる」

「そう、分かった」


 母がまるで少女のように笑った。


 表情だけでなく、外見もまるで少女のようだ。どう見てもアルベルトの母親には見えない。せいぜい姉だ。

 その理由は分かっている。

 母親の耳は微かに尖っていた。


 ハーフエルフ。

 人とエルフの間に生まれた種族だ。

 

 アルベルト自身、あまり年齢が顔に出ないのは母親の血だと思っている。クォーターとは言え、どちらかと言えばエルフに近いのだろう。

 出来うるなら、人間と同じように年老いて行きたいものだが、母親の外見を見ているとそれは無理かもしれない。


「アルベルト、フルル有り難うね。公園に預けてきたけど大丈夫かしら」

「うん、平気」


 答えながら、アルベルトはキッチンの隣の部屋に入る。

 食糧倉庫兼物置。

 しかし、目的のものが見つからない。



「母さん、俺のドラゴンランスって何処に置いてあったっけ?」

「お父さんが店に飾ってなかった?」

「人の武器を勝手に」


 ぶつぶつ文句を言いつつ、物置から出る。


「アル、ご飯は食べていくでしょう?」

「9時には家を出るから……軽くだけ」

「しっかり食べていきなさい。お弁当も用意する?」

「戦闘あるかもしれないから、しっかり食べると逆に辛い」

「あら、それは大変ねぇ」


 息子が戦闘に参加すると聞いても母親はあまり驚かない。

 冒険者上がりの両親。

 普通の親とは少し違う。


 と、大人になってから気付いた。


「ご迷惑にならないようにしなさい。アル、最近、魔法の練習サボリ気味でしょ? こういう事もあるんだから、学校の勉強もいいけど、魔法や戦いに必要な知識もちゃんと学ばなきゃ」

「普通の親は学校の勉強優先にしろ、って言うんじゃない?」

「学校の勉強が何の役に立つの。お母さんは学校なんて行ったこと無いわよ」

「そりゃあ、エルフには学校ないものなぁ」

「必要な事は森が教えてくれるもの」


 母は笑う。


 アルベルトはその母に笑い返す。


「じゃあ、今度森に教えに貰いに行ってくる」

「えぇ、行きなさい。精霊との会話は大切よ」

「了解」


 軽く、手を振った。


「店に行ってくる」

「はい、行ってらっしゃい」


 その声を背に、玄関へ向かった。


 玄関を出て通りを真っ直ぐ進む。

 冒険者たちがよく立ち寄る酒場――母親の勤務先だったりする――のすぐ横、一軒の武器屋がある。


 アルベルトは店の扉を開いた。

 ドアに付けられた鈴が鳴る。


「はい、いらっしゃいませ」

「俺」

「なんだ、アルベルトか」


 カウンターで剣を磨いていた眼鏡の男が顔を上げる。

 木製の、丈夫なカウンターが小さく見えるほどの大男だ。眼鏡が酷く似合わない。


 若い頃はそこそこ名の知れた剣士だったらしいが、寄る年波に勝てず引退。今は武器屋の親父に納まっている。


 アルベルトは店の中を見回した。

 さほど広く無い店内に、様々な武具が置いてある。新品のものよりも中古品が多いが、すべて父の手によって整えられている筈だ。状態は悪くない。

 幼い頃は此処を遊び場に育った。

 非売品の札がぶら下がった幾つかの武器は、父親が現役時代に手に入れた魔法の武器だ。

 最近来てなかった為だろう。酷く懐かしい気持ちになってくる。


 そして、騎馬用のランスや、ロングスピアに混じるように、アルベルトのドラゴンランスが展示されていた。


「俺のドラゴンランスを売る気かよ、親父」

「非売品の札は付けてる。――武器を倉庫に入れっぱなしなんて、可哀想な事をするな」

「はいはい」


 腕を伸ばし、持ち上げる。

 ずっしりとした慣れた重みに少しだけ安堵した。


「折角の良い武器なんだ。ちゃんと使ってやれ」


 父親の言葉を背に聞く。


 手の中のドラゴンランスを見た。

 普通のドラゴンランスとは形状が異なる。厳密にはランスとは言えない。どちらかと言えばスピアだ。細く、鋭い刃が付いている。

 ウィングと呼ばれる羽状の飾りも、普通はランスには付かない。


 素材は魔法銀。

 ミスリルとも言われる高級素材だ。


 精霊たちが金属を好まない事を理由に、祖父であるエルフが用意してくれた魔法金属で作成した一品物。

 飾りに埋め込まれた緑の宝石も魔法石。これも祖父からの贈り物だ。


 

「錆びる事が無い魔法金属とは言えなぁ、武器なんだぞ。ちゃんと扱ってやらないと――」

「思うんだけど、普通の学生の俺が何で武器を頻繁に振り回す機会に恵まれなきゃならないんだよ?」

「研究者とかになるよりも、冒険者や騎士の方がずっと良いと思うぞ、父さんは」

「いいんだよ。俺は古竜学の研究者として身を立てるから」


 やれやれ、と父親がため息を付いた。


「まぁお前の人生だ。父さんが幾らお勧めしたって、結局選ぶのはお前だからなぁ」

「そうそう」


 ドラゴンランスを持って、父を見る。


「今夜、出かけてくる」

「遅くなるんじゃないぞ」

「遅くなる。ベネッタさんの依頼でエオレまで行く」

「それはそれは」


 危険だと分かっている筈なのに嬉しそうに笑う。


「父さんが若かったらご一緒したいぐらいだなぁ」

「竜騎士でもない人間連れて行くのは嫌だ」

「……父さんも飛竜が欲しいなぁ……」

「はいはい」


 本気で言っているのだろう。



「夕食食べたら出かけるから」

「あぁ。死なない程度に無茶して来い」

「無茶するな、って言えよなぁ……」


 まぁこの父親に期待してないが。







 夕食を終えて近所の公園へ。

 メインの入り口横の守衛小屋に立ち寄り、夕食を差し入れる。独り身の老人は笑顔で受け取ってくれた。

 笑顔のまま、フルルはいつもの場所だと教えてくれる。


 それに礼を言っていつもの場所へと向かう。


 本来なら竜舎を作って傍に置いてやるべきなのだろうが、家にそんな余裕は無い。

 

 単純な解決方法はある。

 何処かの竜騎士団に入れば良いのだ。

 ゴルティアも、今は人員を増やす為に風竜乗りの加入も認めているらしい。ゴルティアが無理でも、ウィンダム辺りならばきっと大丈夫だ。


 だけど、どうも国に仕える、と言うのがピンと来ない。

 アルベルトはゴルティアで生まれた。

 故郷であるこの国は嫌いではない。

 それでも……国に仕えると言う意識が、薄い。


 そういう人間が国に仕えても仕方ない。



 そんな事を考えている間に、フルルの居場所に着いた。

 寝転ぶのに丁度良さそうな芝生が生えた一角。

 そこに、アルベルトの片割れは巨体をのんびり伸ばしていた。

 

 寝ている。



 いや、寝たふりをしている。

 四枚の翼がぴくぴく動いている。

 アルベルトが考え事をしていたのが分かっているらしい。名を呼ばれるのを待っている。



「フルル」



 呼び掛け。

 途端、飛び起きた。

 むしろ飛び上がった。

 少しの距離を翼で移動。

 巻き上がる風に、ドラゴンランスを持った身体が揺らぎそうになる。

 

 目の前に降り立った片割れの身体に触れつつ、苦笑。


「話は……」


 何処へ? の問い掛けが第一声。


「ベネッタさんの仕事依頼。エオレまで。特殊火薬を運ぶ。敵は野生の飛竜と、メルビンとアルファ」


 顔を寄せていたフルルが笑ったように見えた。

 充分、と、満足そうだ。


 アルベルトは片割れを見上げた。


 大きい。


 他の風竜よりも全体的に大きく見える。

 筋肉質だ。

 風竜の命である速度を殺してまで、身体を鍛える事を選んだ風竜の結果が此処にある。

 非常識と言われるなら勿論そう。


 しかし、幾ら片割れとは言え、身体を鍛えようとする飛竜を止める必要は無い。

 それに、こんなにマッチョになるとは夢にも思ってなかった。



「そろそろ時間だから――」



 言葉が終わるより先にフルルは地面に寝そべった。

 野良飛竜と間違われないように、フルルは常に鞍と手綱を付けている。あとは乗るだけ。


 アルベルトは気が急いている片割れに笑いつつ、鞍に跨った。



 同時に翼が動く。

 まだ手綱を握ってない。


「フルル、そんなに急がなくとも――」


 言葉は無視。

 アルベルトを待たずにフルルの巨体が空に浮いた。

 もう諦めて手綱を握る。

 

「まずはベネッタさんの所に行く。真っ直ぐ向かって」


 公園の上で一度旋回。

 それからフルルはアルベルトの指示通り飛び出した。

 片割れの身体に触れてみれば、まるではしゃぐ心臓の音が聞こえそうだ。


 風竜とは思えないなぁ。

 アルベルトは内心苦笑する。



 同時に、自分の中に尋ねてみる。

 この危険な仕事を楽しむ自分がいるのだろうか、と。


 答えは得られなかった。







 バイトしていた時と同じように、竜舎間際に降り立つ。

 通常なら営業は終了している時間だが、竜舎の前で淡い緑の身体を伸ばしているのはティキ=ティカだ。


 彼はアルベルトとフルルの姿を認め、軽く身体を起こした。


 その横に降り立ったフルルに、ティキ=ティカの声が投げかけられる。優しい調子の風の声は、恐らく再会の挨拶だろうと推測する。


 竜語での会話を終え、ティキ=ティカはアルベルトに向き直った。


「お疲れ様です、アルベルト殿」

「ティキ=ティカもお疲れ様。教授にずっと質問攻めだったんだろう? ――教授は?」

「今はベネッタとお話されています」


 ティキ=ティカはゆっくりと身体を動かした。


「いいよ、ティキ。横になっていても。これから長距離飛行だし」

「いえ、お客様がいらっしゃっているのに横たわるのは失礼でしょう」


 アルベルトの背後でフルルが身を起こすのが分かった。

 どうやら既に休憩モードに入っていたらしい。


「気にしない」


 二匹に向けての台詞。

 もう一度横たわったフルルの腹に背を預け、座り込む。


「俺も座るから」

「では失礼をして」


 ティキ=ティカが目を細める。

 ゆっくりと地面に身体を付けた。


「――フルルは随分と大きくなられましたね」

「大きくって言うか……また、筋肉付いた」


 片割れの腹を軽く拳で叩く。


「俺が授業受けている間に、空を飛びまわったり、身体鍛えてるらしい」

「良い事ではありませんか」

「良い事かなぁ」

「高みを目指すのは良い事です」

「いや、風竜でマッチョ目指すって、凄い変だと思う」


 ティキ=ティカは何も言わずに笑った。


「いやいや。良い事です。他の風竜たちが考えなかった場所に至ろうとするのは素晴らしい事です」

「そうかなぁ」

「若い風竜らしい、自由な考えです。……もう、私の年齢では行動に起こせない事です」


 その台詞に疑問が沸いた。


「ティキって、何歳?」

「当年取って238歳になります」

「あれ、思ったより若い」

「ベネッタに出会ってから年齢を数え始めましたので」

「…………………ええと、ベネッタさんに会ってから」

「はい、238年になります」


 頭を抱える事にした。


 とりあえずベネッタは人間ではないようだ。

 それに関してはうっすら気付いていたが、此処まできっちり確定されるとは思ってなかったが。


 フルルが軽く突いてきた。


「ん? ……え。俺も238年生きるかって? ……さぁ、分からない」

「アルベルト殿はエルフの血を強く引いてらっしゃいますし、人よりは長生きされるでしょう。喜ばしい事です」

「俺がもしそんなに長生きしたら、凄い事になってるティキを見られるかな」

「大陸最高齢の飛竜となりますでしょう」


 満更でもない声だ。

 ……ベネッタならあと200年強、長生きしそうだなぁ、とアルベルトは心から思った。



「……」


 ティキ=ティカを目を閉じる。

 何か考えているような表情だ。


「アルベルト殿、恐れ入りますが――」

「何?」

「先ほど教授にお伺いしたのですが、アルベルト殿は飛竜についての学問を学ばれていると」

「まぁ、まだ四年しかやってなくて、入り口辺りでうろうろしている感じだけど」

「では――」


 ティキ=ティカの瞳が妙に真剣に見えた。

 声は柔らかいのに、瞳の裏側に真剣な色が覗いている。


「竜人と言う言葉はご存知でしょうか?」

「……聞き覚えあるな。ええと……そうだ。コウ国で竜騎士の事を竜人って呼ぶ。あとは、バーンホーンに住む少数民族もそう呼ばれる」

「それ以外は?」

「え?」


 言われて再び脳内の倉庫をひっくり返す。


 探しても――出てこなかった。


「……悪い。それしか知らない」

「古い言葉ですからなかなか記録に残っておりません。謝る事はありません。こちらの方こそ失礼を致しました」

「今度、調べてみる」

「何、神の残骸です。調べる事もございません。――ただ、世の飛竜の研究者たちは何処まで調べるに至っているのか……興味を持っただけでございます」


 その言葉に引っかかる。

 尋ねようとするより先に、ティキ=ティカは目を細める。


「もうひとつ、伺っても宜しいでしょうか?」

「あ、あぁ――」

「完全なる座、はご存知ですか?」

「……それは……」


 思い出す。


「ええと、古い書物に何度か名前が出ている。完全なる座に竜が至る、と言う言葉が幾つか。ただ、完全なる座が具体的に何処なのか……そしてそこに至った飛竜がどうなるか、何も分からない」

「完全なる座は場所ではございません。例えて言うのなら……魂の在り処、でございます」

「魂の在り処?」

「竜と竜騎士の一対が気付かぬ、違和感に与えられる在り処です」

「…………?」

「何、戯言とお思い下さい」


 本当に知りたいのならアルベルトにではなく教授に尋ねるだろう。

 それを敢えてアルベルトに尋ねた理由は――



 本当に戯言、と。

 そういう事なのだろうか。


 思考するアルベルトの前でティキ=ティカが小さく呟く。


「完全なる座に至る方法を思い出せれば、片割れを失う苦痛などもうどの一対も味わう事無く済むのですが」

「ティキは知っているのか? その、方法」

「さて、どうでしょう。最近記憶に自信が無くなって参りまして」

「嘘だ」


 笑う。


「竜人と、完全なる座は繋がるものなのか?」

「……」

「ヒントぐらいくれよ」

「では、一言だけ。『はい』です」

「竜人は竜騎士と繋がりはあるのか?」

「『はい』であって『いいえ』です」

「…………?」

「猫と獅子ほどの違いはありますでしょう」


 どちらが猫でどちらが獅子なのだろうか。


「質問は此処までにしましょう」

「……何だかティキが知らない飛竜に見える」

「はて?」

「俺の知らない事ばかり言うから」

「それは失礼を致しました。悪気はございません。どうかお許しを」


 静かに首を左右に振って、それから寄り掛かるフルルに触れた。

 片割れは既に寝ている。


 ティキ=ティカが目を細める。


「弟にもよく言われました。こちらが知らない事ばかり格好つけて話す、と」

「弟?」

「えぇ、同じ父母から生まれた弟が、一匹。――もう200年ほど前に人に狩られて殺されましたが」

「……」

「そのような哀しい顔はしないで下さいませ。私はちっとも哀しんでおりません。――元々、風竜は家族の結び付きが弱い飛竜でございますし」


 弟と、兄と呼び合っていた二匹の結び付きが弱いとは思えない。


 アルベルトの考えは顔に出ていたのだろう。

 ティキ=ティカは目を細める。


「それに――片割れが泣いてくれました。私の分も、私の魂は嘆いてくれました。ならば肉体である竜が嘆く必要は無いのです」


 嘆くベネッタが正直想像付かなかった。


「嘆き……ベネッタは弟と共に生きる許可を私にくれました。だから、良いのです」

「共に生きる許可?」

「弟の名を受け継ぎました」


 ティキ=ティカの顔を見る。

 似たような音を重ねた変わった名前だと思っていた。

 それが、二匹の飛竜の名ならば。


 アルベルトはティキ=ティカの瞳を見る。


 笑った。


「それがティキの死者の悼み方なんだ」

「さて、よく分かりません。大体、飛竜に死者を悼む気持ちがあるのかどうか」

「ある。――ほら、コーネリアの話は有名だろう? 片割れの死を嘆いて腕を喰いちぎったって言う」

「あぁ……」


 ティキ=ティカは少しだけ表情を変えた。

 飛竜の表情は分かり難い。

 目を細める角度が少し変わっただけ。


 何故か、不快の表情に見えた。


「哀れな女王とは……私は少々違います。それこそ、猫と獅子ほどに」

「哀れな女王?」

「これも戯言でございます」


 ただ、と。


「女王が腕を喰いちぎったのは哀悼の念ではなく――己に対する断罪だったのかもしれないと、私は思うのです」


 ティキ=ティカは身体を起こした。


「さて、時間のようです。アルベルト殿、参りましょうか」


 見れば、ベネッタと教授の姿。

 すっかり長々と話し込んでいたようだ。


 ティキ=ティカは目を柔らかく細めている。

 もう何も話す気は無いようだ。

 聞いても何も答えてはくれないだろう。


 それに仕事の時間だ。

 


 アルベルトはいまだ寝ている片割れを叩いて起こし、自分も立ち上がった。

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