幽霊退治 5章


【5】





 適当に進んで幾つか角を曲がった所でシズハに言う。


「俺たちの力だけで解決しねぇとラーギィが何て言うか分からねぇよ」

「俺の力を借りた時点で何か言われると思うけど」

「友達は別」

「……友達って便利な言葉だよなぁ……」



 シズハのため息。

 そんなシズハの腕を引っ張って歩くバダは、ふと自分の左側に目をやった。


 窓。



 女が張り付いている。






 端正な顔の女。

 白いドレスの、女。



 女が笑った。


 その口がぱっくりと耳まで裂ける。

 乱喰い歯が覗いた。

 よく分からない、紅い色で濡れた歯。


 ぐ、と喉奥に塊。

 それが悲鳴だと気付き、声になる寸前。



 凄まじい勢いでシズハがバダの首を捻った。




「うおおおおおおおっ?!」


 違う意味で悲鳴。


「見なければ無い」

「フォローになってねぇよぉおっ!!」


 いつの間にこんな乱暴な技を覚えたんだ、こいつ。


 凄い角度で捻じ曲げられた首をぎぎぎぎと戻す。手を使って戻す羽目になった。意外と腕力あるなぁ、とか間抜けな事を考えていたおかげで恐怖は消えた。


 窓を見る。

 女の姿は無い。



「……消えた?」



 シズハは指を伸ばしてバダの後ろを示す。


「後ろ」

「……俺は絶対振り返らないぞ」

「その方がいい」


 頷く。


「近いし……その、凄い」

「………」


 ぼたぼた、と何かが垂れる音。


「うん、振り返らない方が良いと思う。物凄い事になってる」

「……………」


 ぎしぎぎぐ、ばき、と何かが軋み、折れる音。


「へぇ……幽霊って凄いなぁ……」

「……俺、平然としてるシズハが一番怖いです」


 この男……どれだけ図太いんだ。

 少し怖くなってきた。



「シズハ、なんでもいいから、呪文! この幽霊を殺しちまえよ!」

「幽霊は殺せない」

「言葉のアヤだ! 退治、退治!!」

「……うーん……」


 迷う声。

 シズハが動いた。

 一歩、幽霊側に踏み出す。


「変だ」


 幽霊が変とはなんだ?

 問いかけようとする間もシズハは動く。


「触らせて欲しい」


 シズハは既にバダの背後。

 幽霊の間際にいる筈だ。

 なので、触らせて欲しいと言うのは幽霊への願い。


「触れさせて貰えるなら、貴方の事が分かると思う」

「お、おい、シズハっ!」


 何幽霊口説いてんだよ!


 そう突っ込みいれようと振り返ったバダは。



 幽霊を真正面から目撃する事になる。

 図太いシズハが『凄い』と表現した、幽霊の姿を。



 すとん、と腰の力が抜けた。


 人間、あまりにも怖いと悲鳴も失神も出来ないのだと初めて知った。




 目の前でシズハがバダを見ている。慌てたように手を差し伸べてくる。

 幽霊に無防備に背中を向けて。


 既に人の形も取ってない幽霊が動く。通常の腕よりも数倍長い骨を繋ぎ合わせたような腕を、上段に振り上げる。


 このままではシズハが殴られる。

 

 言う事の聞かない足に力を入れた。

 立ち上がれる。

 立ち上がれば、後は転ぶように前に移動。

 肩から幽霊にぶつかる。


 幽霊が、吹っ飛んだ。



「………あれ?」



 幽霊が――霊体が、飛ぶ?





 吹っ飛ばされた幽霊はすぐに立ち上がった。

 立ち上がり、窓へ素早く寄る。

 そして窓を開けて飛び降りた。

 此処は二階。下は土。

 何とかなる。


「行くぞ!」


 窓を勢い良く開き、バダは遠慮なく飛び降りる。

 シズハがバダを叫ぶように呼んでいるが気にしていられない。


 降り立った場所は中庭。

 昼間ならば美しい花々が咲き乱れる場所なのだが、今は月光に照らされて酷く不気味だ。


 幽霊が蹲るようにバダを見ている。

 グロテスクな顔に一瞬怯む。


 だ、大丈夫だ。

 

 己に言い聞かせる。

 これは実体があった。

 幽霊じゃない。

 幽霊じゃない。



 だけど、殴れる幽霊とかいたらどうしよう?



 睨み合う、暫し。



 幽霊が動いた。

 その背が大きく広がり、弾ける。巨大な鳥の翼が現れる。


「……へ?」


 驚くバダの目の前で幽霊は変化していった。


 背中に一対の翼を持ち、山羊に獅子に竜の頭を持つ、魔物――キメラに。



「バダ!」


 ようやく追いついてきたシズハの呼び声を背中に聞いた。

 目の前でキメラがゆっくりと降り立つ。

 威嚇するように高く鳴いた。


「……キメラ……?」



 シズハの声は驚きに満ちていた。



 だが、バダは嬉しかった。



「――よーし」


 思わず笑みも浮かぶ。

 キメラ。

 魔物だ。

 古代の魔術師が作り上げたと言われる、複数の動物を組み合わせた魔物。

 

 そう、魔物なのだ。

 幽霊ではない。


 ならば、ちっとも怖くない。



 しかも、幸い、此処は外。



 手を、上げる。



「――来い、ガドルア!!」

「え?」



 バダの呼び声に翼の音が響く。

 中庭に火竜が降り立つ。

 

 昼の間に「城の上で待機しておいてくれ」と頼んでおいた片割れが、降り立つ。


 降り立った片割れにバダは素早く飛び乗る。

 ガドルアは上機嫌だ。

 当たり前だ。

 こんな大きな敵が目の前にいる。

 嬉しくて仕方ない。

 キメラなんて大物、暫く見ていない。



「ゆ――幽霊退治にガドルアを待機させていたのか!」

「用心用心! シズハ、避けてろよ! ちょっと大暴れするからさ!」


 キメラはドン引きしている。

 まさか火竜が現れるとは思ってなかったのだろう。

 その怯える様子にお返ししてやった気分になった。


「よっし行くぜぇ、覚悟しやがれ、キメラっ!!」


 叫び、ガドルアの首に手を当てた。

 片割れが、バダの意思を読み取り、動き出す。





「――ま、待って下さいっ!!!!」






 悲鳴に近い声が割って入った。





 二階の窓から手を出して叫んでいるのは先ほどの神聖騎士だ。クレスト。

 彼は下を見、何事かを呟く。それから飛び降りた。呪文を用いたのだろう。速度は緩やかなもの。

 地面に降りると同時に彼はキメラに向かって駆け寄り、腕を広げ叫ぶ。



「スノウベル! もう止めろ、いい子だから止めるんだ!!」


 ……スノウベル?

 これまた随分と可愛い名前のキメラだ。



 じゃなくて。



 なんでこの男がキメラの名前を知っているんだ?




 キメラはあからさまに戸惑っている。

 クレストが腕を振って叫び続ける様を、困惑の様子で眺めていた。


 ちらり、とバダとガドルアを見て。



 ゆっくりと男に寄った。

 

 キメラの輪郭が溶けて行く。

 現れたのは先ほどの幽霊ではなく、緩やかに流れる白い色――霧。


 そして霧に包まれる白色の身体。ほっそりとした華奢な身体付きは、頼りない。


 飛竜とは思えぬほど、華奢で淡い身体付きだ。



「――白竜だ」



 シズハが言う。



「白竜?」

「幻を見せる飛竜だ」


 スノウベルと呼ばれた飛竜はクレストの腕に顔を寄せている。クレストは軽く白竜の頭を拳で殴った。


「どうしてこうもやんちゃばかりするんだ。お願いだからこれ以上私を困らせないでくれ、スノウベル」


 クレストの顔に己の顔を摺り寄せ、白竜は瞳を細める。

 笑っている。



「――変だ、と思ったんだ」


 シズハの声。

 ガドルアの上からシズハを見る。


「巧く誤魔化してあるんだけど、竜の気配が微かにしたから、さっきの幽霊」

「だから触らせろ、って?」

「そう」


 触れれば片割れで無い飛竜の事も少しは分かる。

 



「――ご迷惑、お掛けしました」



 アリアの声。


 ガドルアのすぐ後ろにアリアが立っている。



「あの白竜は――」

「クレストの片割れです」

「……神聖騎士団なのに?」

「白竜は竜騎士団には加入できません。なので、実家に置いてきています」


 白竜を見て目を細める。


「ただクレストがいないのが恋しくて、遊びに来てしまいます」

「おい?」


 まさか。


「最初は素直に帰っていたのですが、だんだん、やんちゃになってきて」

「……幽霊の幻を出して人を驚かして……遊んでいた?」

「はい。――止めようと思いまして探してました。スノウベル、姿を隠す呪文や体格を変える呪文も覚えているので、何処に隠れているのか分からなくて」


 バダは無言でガドルアの背に突っ伏した。

 もう嫌だ。

 もう絶対に嫌だ。


 心配そうに鳴く片割れだけが信頼出来るものだ。



「あ、あのぉ」


 クレストの恐る恐るの声。



「んだよ」

「大変失礼致しました」

「失礼も失礼だっての。あー、もう、嫌だ。本気で嫌だ」


 泣きたくなって来た。

 シズハが笑ってる。

 スノウベルに近付いた。


「綺麗な白竜だ。――おいで、スノウベル」

「あ、この子は――」


 クレストが何か言いかけると同時に、スノウベルがすぃっとシズハに顔を寄せる。

 頬を寄せて挨拶。

 シズハはくすぐったそうに笑った。


「驚いた。スノウベルがアリア以外の他人に触れさせるなんて」

「竜騎士は違うのでしょう、やっぱり」


 バダはまだガドルアの上。

 すっかりシズハを気に入ったスノウベルを黙って見てる。

 明日イルノリアに告げ口してやろう。

 楽しげなシズハへちょっとした復讐。


「しかしその白竜も酷ェな。竜舎の前にまで現れるなんて酷くねぇか? あの血塗れのガキ」


 スノウベルが顔を上げた。

 首を傾げている。


 嫌な予感。


 スノウベルが小さく鳴いた。

 クレストがその顔を見る。



「あの、竜舎の前には行った事が無いと言ってます」

「嫌だ、もう俺本気で嫌だ。絶対聞きたくない、聞きたくない」


 両手で耳を塞ぐ。


「その白竜が適当言ってんじゃね――」


 言いかけたバダはスノウベルを見る。

 スノウベルに擦り寄られているシズハを、見る。


 シズハの後ろにぺったりと、いつか見た少女が張り付いていた。

 

 笑顔。


 それが、瞬時に血に塗れる。




「……もう嫌だ」



 もう何だか何もかも面倒になって。



 とりあえず、ガドルアの上だし、と失神する事にした。



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