機械仕掛けの飛竜 7章(終)


【7】




 それから、また何年か。


 いや、何十年か。


 あまり不死の民に時は関係ない。


 毒の沼地の向こう側、人の世が幾ら変わろうともさほど興味は無い。



 無い、筈だった。




 訪ねて来たバールが怒って帰ったのは数日前の事。


 竜騎士団の退団願いは受理された。


 どうやら、ラルフの心は決まったようだ。



 付き合わねばなるない。


 それが片割れの生き方だ。



 最近、屋敷の中が妙に静かだ。


 ラルフが考え事をしていてあまり竜舎に来ないのもあるし、ミカが工房の方に泊まり込みでなかなか此処に帰ってこないのもある。



 そしてフォンハード自身も自然、静かになっていた。


 考える事が多くなった。


 スカーレットが傍らにいる。


 ぴったりと寄り添う姿はまるで縋りつくようにも見えた。



「――なぁ、スカーレット」



 呼び掛けに瞳が上がる。


 フォンハードの顔を見る。


 なぁに、といつも通りの声は帰ってこなかった。


 スカーレットの瞳には不安の色。



「少し、出かけてくる」


「何処に?」


「外だ」


「森? 森へ行くの? なら私も行く」


「いや、森より向こうだ」



 スカーレットの翼が動く。


 揺らめく炎。



 その炎さえも迷っているように見えた。



「――戦争に行くの?」



 ようやく聞き取れるような小さな声でスカーレットが問うた。


 フォンハードはゆっくりと頷いた。



 外で戦争が始まっている。


 冥王とか言う輩が国をひとつ滅ぼし、人間たちに宣戦布告を行った。すべての人間を滅ぼすと、そう言っているらしい。


 その宣戦布告はデュラハに対しても行われた。



 だが、デュラハ国王が選んだ行動は「関わるな」。


 国内に踏み入ってきた時に初めて戦いを許可する、とそういう訳だ。


 竜騎士団を中心に反対意見も出たが、国王は絶対。意見はやがて飲み込まれる。




 それでも納得しきれない者がいる。




 例えば、ラルフだ。




「ラルフは戦馬鹿だからな。戦争が行われていると言うのに自分が参加出来ないのが悔しいらしい」


「……それって、変」


「あぁ、変だ」



 フォンハードは笑う。



「だが、ラルフが生きているのを実感出来る場所は戦場だけだ。命を奪い、命を奪われ――そういう場所でなければ、あいつは己の存在を認識出来ない」


「お父さんの話、難しいよ……。どうして生きているのを実感しなきゃならないの? 生きてるよ、ラルフ……」


「不死の民に生は無い。存在しているだけだ」




 不死の民は人型をしているものの、人間とは大きく異なる。


 例えば、人間よりも優れた身体能力、魔力を持つ事。


 例えば、血液を摂取せねば力を失う事。


 例えば、陽光を浴びれば火傷を負う事。


 例えば、ほぼ不老不死である事。




 生まれ落ちた時既に死んでいると言われている不死の民。だからこそ不老不死なのだと言われる。既に死んでいるからこそその命は永遠であり、二度目の死を迎えれば、魂も残らずに消滅すると。



 呪いと祝福。表裏一体。




 そして彼らは例外なく、奇妙な強迫観念を持っている。



 己を巧く実感出来ない。


 そして、その実感を求めるのだ。



 死者が世に出来る事は無い。


 それが分かっているだろうに。


 彼らは、自分が死者で無いと言うように、己の存在を証明したがる。




 ラルフとミカの両親は二人を生み出す事に命を賭けた。


 それが彼らの存在の実感。


 ミカが武器を生み出す事に拘るのもおそらくそれだ。


 己の存在した証明。



 そしてラルフ――

「他者の命を奪い、そして自分の命を奪われるような場所でなければ、ラルフは己を実感出来ない。自分と言う存在の危機を感じ、初めてラルフは存在している己を実感する。――己が危うければ危ういほど、しっかりと、己の認識出来る」



 フォンハードは笑った。



「そうは思えないだろう? あの馬鹿男。――あれでも必死に自制しているんだ。片割れと言う俺を見、存在を認識している」



 だが、戦いよりはその認識は弱い。


 優しい、安らぐだけの認識は、ラルフを満たすものではない。



「俺はラルフと共に行く」


「……」



 お父さん、と、小さな声がフォンハードを呼んだ。



「――もう、私を守ってくれないの? 守るって約束してくれたのに、もう守ってくれないの?」


「……スカーレット」


「私に翼が出来たから? 私が人の言葉を話せるようになったから? 私が戦えるようになったから?」



 スカーレットは真っ直ぐにフォンハードを見ている。



 一人で生き抜く力を得られるまで、この小さな火竜を守ると誓った。



 今目の前にいる火竜。


 普通の飛竜よりは随分と細身だ。


 だが空も飛べる。狩りも出来る。魔術だって使える。戦いだって――可能だ。



 フォンハードはスカーレットの顔に己の顔を寄せた。


 軽く、摺り寄せる。



 飛竜の愛情表現。



 スカーレットはいやいやと頭を振った。



「そうなら要らない。翼なんて要らない。言葉も要らない。戦いなんてもう絶対にしない」


「スカーレット。良い子だ。――だから、泣かないでくれ」


「私、違うもの。良い子じゃない。悪い子だもの。――良い子のふりをしてないとお父さんにまで捨てられちゃうって、ずっと……我慢して、頑張って……」



 フォンハードを見る瞳。


 火竜が泣くのを生まれて初めて見た。



「良い子にしてても捨てられちゃうなら、もう、悪い子になる。良い子の真似なんてしない」



 スカーレットは顔を寄せる。


 首を絡めるように縋り付く。



「お父さん……行かないで、傍にいて」



 精一杯の我侭にフォンハードは笑う。



「お前を捨てたりなどしない」


「だって、遠くに行っちゃうんでしょう?」


「少し、と言っただろう」



 口付けるように涙の流れる顔に、骨の顔を寄せる。



「必ず帰ってくる。――だから、俺たちが帰ってくるまで、この屋敷を守って欲しい」


「……」


「使い魔を生み出す魔法は教えただろう? あれでこの屋敷を綺麗にしておいてくれ。……ミカに任せていたら、三日で廃墟になる。帰るべき場所が廃墟なんて寂し過ぎる」



 スカーレットは何度も瞬きをしている。


 必死に考えているのだ。


 フォンハードの言葉の真実を。


 それを、信じていいのかと、ただ。



 だが、やはり素直なこの火竜は甘い声で頼りなく言った。



「……帰ってくる?」


「必ず」


「死んじゃったり……しない……?」


「死竜は既に死を超えている。死など無い」


「私を……捨てたり……しない? お母さんみたいに、どっかに行っちゃわない……?」



 フォンハードは微かに笑う。


 出来うる限り優しい声で囁いた。



「信じてくれ、スカーレット。お前は俺のたった一人の娘だ。例え血の繋がりはなくとも、その気持ちは変わらない。愛しい、娘だ」


「……」



 スカーレットが顔を寄せてくる。



「……待ってるね」


「あぁ」


「まだ巧く使い魔操れないけど……頑張るから。毎日、ぴかぴかにして待ってるね」



 スカーレットはまた泣いた。


 ぽろぽろと大粒に涙が零れる。



「もっと……良い子になるから、ちゃんと……帰って来てね」



 身体を寄せ、人間で言えば抱きしめる動きをしても、スカーレットはずっと泣いていた。


 フォンハードはその彼女の気が済むまで、傍にいて、その名を呼び続けた。


 


 お父さんとあまりにも切ない声が呼ぶので、こちらまで、涙を零しそうだった。









 ――その後、ラルフことラファエル・ドラクロアスとその片割れ、フォンハードの名はラキスで語られる事は殆ど無かった。



 代わりに外、人の世で彼らの名は広く知れ渡る。




 冥王に従う、人の敵、死竜乗りの竜騎士として。




 彼らが何故冥王に従う事になったのか。


 それを知る者はいない。


 分かっている事は、ラファエル・ドラクロアスは冥王の忠実な部下だったと言う事実だ。



 冥王の為ならばどのような困難な戦にも恐れず挑んだ。


 まるで命の危機を求めるように、どのような戦場へも、立った。



 多くの死を齎した。



 己に挑んだ竜騎士と飛竜をアンデッドに変え、部下とし、幾多の戦場を駆けた。多くの竜騎士団がこの一対の為に壊滅に近いまでの被害を受けた。



 『最強の竜騎士は誰か?』と言う話題になる際、――人の敵ではあるが、と注釈付きとなるが――必ずと言って良いほどラファエル・ドラクロアスの名前が出る。



 それほどまでに多くの人々に記憶に焼きついた一対であった。




 その彼らも、ゴルティア、シルスティンの竜騎士団の連合軍により敗北。


 ラファエル・ドラクロアス、フォンハードとも戦死。その亡骸は二度と復活せぬように魔術によって処理されたと聞く。






 ただ、その話を聞いても、ラキスの屋敷にいる真紅の飛竜は笑ったと言う。



 大丈夫、と、機械仕掛けの翼の炎を揺らめかせ、柔らかく微笑んだ。



 帰ってくる。


 帰ってくるよ。


 お父さんは必ず約束を守るもの。


 大丈夫、大丈夫。


 帰ってくるよ。



 大丈夫、と、何の疑いも無いように、そのメスの火竜は微笑んだ。








 いまだ、彼女は待っている。


 父と呼ぶ一匹の死竜の帰還を。




             終


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