機械仕掛けの飛竜 5章
【5】
フォンハードは空を飛ぶ。
夜空。
しかし朝が近い。あと数時間で朝を迎える。不死の民と共に生きる死竜なら外出などしない時間だ。
ただ、森に行き、果物を幾つか採って戻ってくる。
それぐらいなら十分な時間である。
「――付いて来なくとも良かったんだぞ」
手綱を装着している為に少々人語は話し難い。それでも十分に意思疎通は可能だ。
特に、それが片割れとなれば、本来ならば言葉など不要なぐらいだ。
フォンハードの背に乗るのはラルフ。
これが私服なのかと思うような正統派ヴァンパイアルックに腰に剣。ひとつ間抜けなのは前に抱えているカゴだ。
果物を入れる為にフォンハードが骸骨に用意させていたもの。
果物が食べたい、と言っていたスカーレットの為に果物を採りに行こうと考えたのは先ほど。
眠っているスカーレットを起こさぬように身を起こし、こそこそとカゴを抱えた骸骨を背に竜舎を出ようとした所でラルフに見つかった。
こいつ、竜舎に監視用の魔法アイテム仕込んでいるのでは、と思ってしまう。幾ら隣り合わせとは言え、なぜそこまでこちらの行動を逐一読んだような行動をするのか。
骸骨にスカーレットへの伝言を預けている間に、物凄い得意げにカゴを抱えているラルフを見ながら思った。
「なぁ、ラルフ。――急ぐつもりだが、かなり朝に近い時間になってしまうぞ」
「大丈夫だ」
「大丈夫だって……お前は陽光を浴びたらダメージを受けるぞ」
「少しぐらいなら滅びはしない」
「……本当、付いてこなくて良かったんだぞ」
「骸骨を片割れの背に乗せられるか!」
「…………」
「ふー、お前が背に乗せていいのは私だけだ! 片割れである私だけだろうが! それがどうして骸骨など……! あれを見た瞬間、私がどれだけ苦痛を味わったか……!」
「永遠に味わってろ」
「……ふー……」
しょんぼりしている。
何となく物凄く疲れながら、眼下の景色を眺める。
毒の沼地。こぽこぽと紫色の水が揺れ、怪しげな気体を吐き出す。死竜以外は生息不可能な地域だ。
「果物を採ったらすぐ帰る。朝日の前には家に戻れる」
「しかし……ふー、果物ならば店屋に頼めば――」
「不死の民向けのものばかりだろう。血が滴るような果実など、スカーレットに食べさせられるか。――あの子は今頑張っているんだ。自分の身体と、必死に戦っている。その応援をしないとならんだろう。こちらも精一杯、な」
ラルフが軽く沈黙した。
やがて、背の上の片割れは口を開く。
「………ふー」
「ん?」
「万が一、私が病に倒れでもしたら……看病してくれるか?」
「骸骨にさせる」
「…………そ、添い寝とかは」
「絶対にしない」
「……………スカーレットと私では対応に差が在り過ぎないか?」
「日ごろの行いの結果だ。胸に手を当てて考えろ」
沈黙の時間。
本当に胸に手を当てて考えているようだ。
「常日ごろから私の行動はふーに対する愛が満ち溢れている」
「その愛がうざい」
背の上で激しくへこまれた。
あぁ、本当にうざい。
第一不死の民が病気になるか。人間が掛かるような病気など、血を摂取している限り恐れる事は無い不死の民が。
とりあえずラルフは森に到着するまでへこんでいた。
森へたどり着く。
ラルフの手綱が操るに任せた。
果物が生っている場所など決まっている。
しかしラルフから声が掛かった。
「ふー……悪いが少しだけ時間が欲しい」
「何だ?」
「銀竜が死んでいた場所を確認しておきたい」
「そうか」
どうやらラルフの目的はそちらが主のようだ。
地図で既に確認してきたのだろう。
迷い無く動き、森の中、少々開けた場所に行き着く。思えばスカーレットと出会った湖の近くだ。
あの水竜はまだ元気なのだろうか。
ふと、そんな事を考えた。
地面に降り立ち、ラルフは屈みこむ。
手を地に付ける。
なぞる手指の先、地面の色が変わっているのが分かった。
此処で解体が行われたのだ。
フォンハードは黙ってラルフの姿を見ている。
表情は殆ど無い。
ただ地面を撫でている。
不死の民は死者に贈る祈りを持たない。
彼らにとって死は終わり。人間のように死後の世界など存在しない。死んでしまえばそれで終わり。滅ぶだけだ。
祈る言葉など何の意味も無い。受け取るべき相手は既に消え去っているのだから。
故に、死を迎えた銀竜に対し、祈る言葉は無い。
死を確認するように、血を吸った大地を撫でるだけだ。
時間はさほど無い。
だがフォンハードはそのラルフをじっと見ている。
好きにさせてやろうと思った。
思えばラルフを見ていた。
ラルフ以外の事に意識を殆ど向けていなかった。
そして、それに気付くのが遅れた。
かすかな音。
フォンハードはそちらの方に向き直る。
捻った身に、翼を貫き、前足に何かが突き刺さった。
骨が砕ける嫌な音が響く。
「フォンハードっ?!」
立ち上がったラルフが叫ぶ。
同時に彼は剣を抜いている。
「……大丈夫だ」
答え、前足を見る。
右の前足に太い矢が突き刺さっていた。矢が刺さった箇所から蜘蛛の巣状に皹が入っている。
向こう側から鏃が飛び出しているのを確認してから牙で噛み、矢を砕いた。
何とか矢は外れた。
やれやれ、と内心ため息。
これでは前足が使えない。使えば砕けてしまう。
「誰だ!」
ラルフが叫んだ。
フォンハードを庇うように、矢の放たれた方向に立つ。
茂みが揺れ、数人の人間が姿を現した。
巨大なボウガンを構えていた男が、慌てたように駆け寄ってきた。
「すまんすまん! 竜騎士付きの飛竜だったか!」
男は自分の背後を示した。
「そっちから見るとあんたの姿が見えなくてな。てっきり野生の死竜だと思って狙ってしまった。悪い事をした。大丈夫か?」
「……」
ラルフは答えない。
茂みから出てきた人間たちをゆっくりと眺める。
真似るようにフォンハードも視線を動かした。
人間の数は五。
それぞれ変わった武器を持っている。
間近にいる男は巨大なボウガン。対人間用のものではない。同じようなボウガンを持っているのがもう一人。他の男も大きな刃の剣を持っていた。大型の槍を持っているのも一人。最後の一人は手ぶらだ。纏っている防具からして魔術系だろう。
「ラルフ」
フォンハードは片割れを呼んだ。
人間たちが驚いたようにフォンハードを見上げる。人語を話す飛竜は初めてなのだろう。
「こいつらが、そうだろう」
「そうか」
ラルフの背だけが見える。
顔は見えない。
だが、ボウガンを持っていた男が一歩、引いた。
ラルフの視線を受けて、怯えの表情を見せる。
「貴様らが竜狩りの輩か?」
地面を、剣を持っていない手で示す。
「此処で銀竜を殺したのは貴様らか?」
問い掛けに答えない。
人間たちは互い、顔を見合わせる。
怯えの色。
「答えろっ!」
ラルフが怒鳴る。
「あ、あぁ――あぁ」
ボウガンを持っていた男が何度も頷いた。
「――本来ならば」
ラルフが言う。
手に持った剣の刃を、もう片方の手でなぞる。
声に僅かに喜びの色が滲む。
「お前たちを殺す許可は下りていない――が、特別だと許可を頂けるだろう」
なんせ。
「私の片割れを殺そうとしたのだからな。竜騎士の命を奪われそうになったからと言えば、何、問題にはされない」
「そ、それは謝っただろう! それにあんたの竜は元気だ! 俺たちが退治したのは銀竜だけで――」
「無抵抗の銀竜を?」
「……」
ボウガンを持った男が沈黙。
やがて、言った。
「野生の飛竜を殺して何が悪い」
「その考え方自体が既に最悪だ」
フォンハードは構える。
別の男からボウガンの矢が飛んできた。
空中に毒のブレスを叩き付け、迎撃する。毒の粘液をまとわり付かせ、人間たちとこちらの間に矢が落ちた。
ボウガンの男が下がる。
仲間たちと並ぶ。
ラルフは特に背後を警戒した様子も見せずにフォンハードに向き直る。
「行くぞ、フォンハード」
「あぁ」
頷き、翼を落とす。
低く伏せた姿勢にラルフが乗った気配を感じる。
フォンハードは人間たちを睨みつけたまま唸った。
ボウガンの男が何やら弾を込めている。
構えを解き、身体を起こした。
翼を広げる。
空中から毒のブレスで一撃。
それで終わる筈だが、森で広範囲に毒のブレスを使うのは憚られる。他の生き物にまで被害が及ぶ。
ならば、爪と牙で片付ける。
羽ばたく。
身体が浮いた。
空中へと。
ボウガンの矢が空中を走る。
連射は出来ない。横に避けて、そのまま地上へ降下した。無事な左前足で狙う。
ボウガンが構えられる。
真っ向から。
この距離ならば牙で防ぐ。
そのつもりで、降下する。
ボウガンから弾が放たれる。
鼻先で弾がはじけた。
凄まじい光。
「――くっ」
悲鳴が漏れる。
目潰しの弾丸。高密度の光の魔法を詰め込んだ弾丸だ。
死竜は毒など効かない。殆どの魔法にも強い。
ただ光には弱い。その炎の瞳は強い光をぶつけられると長時間視力を失う。
この人間たちは死竜だと分かって攻撃を仕掛けてきた。
ならば対死竜用の装備を持っていてもおかしくはない。
目潰しの弾丸は対死竜用の基本装備だ。
目が見えない。
混乱する。
今自分が地上へ向かっているのか、空中へ逃げているのかも分からなくなった。
手綱が引かれた。
「――大丈夫だ、フォンハード、私がいる」
ラルフ。
「行くぞ」
あぁ。
そうか、お前がいる。
なら、大丈夫だ。
頷き、手綱の操るのに身を任せる。
鞍に掛けられる重み、胴に触れる脚の感触で動く。
視界が無い。
だが、大丈夫。
操られるまま左の前足を振った。
何かが引っかかる。
人間の身体か。
浅い。
まだ殺していない。血のにおいが僅かに漂う。
手綱の命じるままに身体を捻る。すぐ横に何かがかする。
大剣の刃か。
地上に脚が降りた。
吼え、牙を前に向ける。
唸る声に人間の声が重なった。
悲鳴に近い。
「逃げろっ!」
誰かが叫ぶ。
「逃がすか!」
ラルフが叫んだ。
叫びにあわせて翼を広げる。
人間の匂い。それを求めて飛び立つ。
フォンハードの羽ばたきの音に、もうひとつ、翼の音が重なった。
ほぼ同じ大きさの翼の音。
「こっちにも飛竜かっ?!」
人間の叫び。
それに竜の吼えるのが重なる。
巨大な声。
怒りに塗れた、飛竜の声だ。
「――フォンハード、金竜だ。かなり大きい」
「……ラルフ」
金竜の吼える声が聞こえる。
竜語での叫び。
「……妻と、子供を何処にやったと、叫んでいる」
「ふん」
ラルフが鼻で笑う。
「自業自得だな」
まだ何も見えない。
光が見えない。
だが竜の叫びが聞こえる。
怒りの、そして、嘆きの声。
「金竜が父親とはな。――最悪の相手を選んだものだ」
金竜は群れを作る。そして群れを守る。特に家族を大切にする。
その金竜から家族を奪ったのだ。
殺されても文句は言えない。
「帰るぞ、フォンハード」
「あぁ」
後は金竜が葬り去ってくれる。
「果物は今度にしよう。今夜の森は騒がしい」
「分かった」
この目では果物も探せない。
スカーレットには悪いが明日以降にしよう。
戦いの音を背後にフォンハードは翼を広げる。
音。
新たな、羽ばたきの音。
随分と軽い。
背の上で、ラルフが硬直したのが分かった。
「――スカーレット?」
まさか。
まだ見えない目で気配を辿る。
羽ばたきの音に混じる金属の音。独特の羽ばたき。
そして、何より。
「――お父さん」
呼ぶ、甘える声。
「な――」
「伝言聞いたの。だから、来ちゃった。――危ない森に、何で来たの?」
「それはこっちの台詞だ! 何を考えてるんだ!」
「だって……心配だったから。もう少しで朝が来るし……。朝が来ちゃ、大変でしょう?」
毒の沼地を越えられる体力ではない。
本当に何を考えているんだ。
そう怒鳴ろうとしたフォンハードの手綱が強く引かれる。
ラルフの手の動きのまま、身体を動かした。
脇腹に大きく一撃を貰う。
人間の武器ではない。
竜の爪だ。
「――金竜」
唸る声が間近。
唸りの合間に声が聞こえる。
金竜の声。
竜の屍体のにおいがする。
殺したのはお前たちか。
お前たちか。
問い掛け。
竜の屍体?
死竜のにおいか?
そこまで考えて至る。
スカーレット。
彼女の翼は飛竜の骨を用いている。
――待て、金竜!
竜語で叫ぶ。
――これは俺の娘だ。お前には何の関係も無い!
フォンハードの叫びは届かない。
金竜の爪の連撃。
骨が削られる。
一瞬それが止んだかと思うと同時に、潰れた瞳に再度、凄まじい量の光が叩き付けられる。
ブレスを貰った。
咄嗟に背のラルフを翼で庇う。死竜よりも不死の民の方が光に弱い。金竜の魔力を持った光のブレスなら、更に。
ほぼ直撃。
庇った翼をへし折る勢いのブレスに身体が飛んだ。
空中では身体を止められない。翼も片方言う事を効かない。
かなりの距離を飛ばされ、横腹が大きく何かにぶつかった。
折れる音。
大木にぶち当てられたのだ。
地面に落ちる。
落下の衝撃に息が詰まる。
背の上でラルフが呻いた。
「ラルフっ!」
「……大丈夫だ」
僅かに苦しげな声。
頭を振って地面に手を付ける。
右前足は完全に折れていた。
身体が揺れる。
スカーレット。
あの子は、どうした?
羽ばたきの音が間近に。
「お父さん!」
「逃げろ」
「でも、お父さん――」
スカーレットの声に竜の声が重なる。
金竜が来る。
まだ視界が効かない。
「お父さん、目――」
「いいから逃げろ!」
ラルフの命令が来ない。
「ラルフ! 指示を!」
手綱に力が込められる。
まだ頼りない動きを必死に辿り、動く。
身体に衝撃が来た。
爪の一撃。空中からの一撃だ。また何処か、骨が折れたのが分かる。
乱暴に振った左前足は空を切る。
金竜の気配は感じるのだが、それに追いつけない。
視力はまだ戻らない。
スカーレットを庇う位置に立つ。
爪と牙の攻撃に骨が削られ続けている。
内臓まで至れば――大変な事になる。
「お父さん……」
頼りない声。
だが、それに続く声は強かった。
――許せない。
竜語を交え、スカーレットが唸った。
羽ばたき。
逃げる方向ではない。
金竜の気配へ向かう。
「スカーレットっ!」
叫んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます