機械仕掛けの飛竜 2章



【2】






 ラルフの事は嫌いでは無い。


 ラキスの名門、ドラクロアス家の当主。容姿、知性、才能、すべてにおいて最高の当主として評価されている。



 ドラクロアスは騎士の家系。


 先祖は将軍と呼ばれた男だと言う。


 長い長い戦場での生活。敵と味方と問わず、様々な人間の血を浴び続け、その果てに不死の民になったと言う男が始祖となる。



 故に、ドラクロアスの家系は常に騎士や竜騎士、将軍を輩出し続けてきた。


 


 ラルフもそうだ。


 ラキス一の竜騎士と呼ばれる。



 与えられる賞賛も、ドラクロアス家の者ならば当たり前のものだとしかラルフは思っていないだろう。


 



 ……まぁ、と水に頭まで潜りながらフォンハードは思う。



 世の中には例外もいる。


 ちらり、と、ラルフの妹を思い出しながら考えた。





 ラルフには嘘を吐いた。


 水浴びならばやはり水深のある湖。


 すぐ横に野生の水竜が泳いで行った。何度か顔を合わせているものだからお互い気にしない。


 目もあわせずに泳ぎ去っていく。



 あの水竜はここでよく見る。


 片割れはいないのだろう。




 片割れ、と思い出して、もう一度ラルフに考えが至る。




 ラルフの事は嫌いでは無い。


 片割れ。


 唯一の、片割れだ。


 傍らにいるのは心地良い。


 その願いならば何でも叶えてやろうと思う。出来うる限り傍にいて、長い時を過ごしたいとも思う。



 ただ、フォンハードの顔を見るたびに「美しい」だの「可愛い」だの「愛らしい」だのは止めて欲しい。本当に止めて欲しい。


 


 不死の民の美的感覚が疑われる。


 念の為に言うが、不死の民の美醜の感覚から行っても、死竜は美しいとは思えない。


 骨だ。


 基本骨だ。


 以上、終了。



 フォンハードを美しいと言うのはラルフだけだ。




「――仕方ない」



 人語で呟く。


 あの男が片割れだったのだ。


 諦めよう。


 そういう運命なのだ、俺は。



 


 己に言い聞かせ、自ら顔を上げる。


 すぐ目の前に岸。


 顎をそこに乗せて身体を伸ばした。


 骨の間を水が伝っていく。熱かった内臓も水が冷やしていく。


 心地良い。


 他の飛竜たちは味わえないだろう、内臓まで水で清められる感覚にほっと息を吐く。



 瞳を閉じてしばし夢見心地。




 


「――……」



 フォンハードはふと瞳を開く。


 蒼い炎が揺らめき、目の前の風景を映した。




 飛竜の子供が座っていた。


 不思議そうにフォンハードを見ている。


 真っ赤な体躯は火竜だ。


 小さな身体を思えば、恐らく10年程度しか生きていないだろう。


 小さな、子供だ。



 まだ親が守っている年齢。


 しかし親の気配は感じない。


 火竜のメスは気が荒い。これだけ近距離に他の飛竜がいると分かれば、凄い剣幕で駆け寄ってくるだろう。



 だが、それを感じない。



 子供を置いて離れた?

 まさか。


 それは考えられない。


 余程の事情が無い限り。




 火竜の赤子は小さく鳴いた。


 高い音。




 竜の言葉だ。



 分かりやすいように人語に直すと、一言。




 『ママ』だ。





「……待て」




 幾ら相手が子供でもツッコミの血が疼く。


 フォンハードは岸に顎を乗せたまま、言った。




「幾つか言わせてくれ。――まずお前の母親はこんな骨顔か。それと俺は子供なんて持った事無いし、最後に付け加えるなら俺はオスだ」



 火竜は首を傾げている。


 人語は分からないらしい。



 竜の言葉に直し、もう一度呼びかける。


 ラルフたちとの生活が長いと、竜語をつい忘れてしまう。片割れがいる飛竜たちならば人語を理解している者が当たり前なのだが。



 火竜はまだ首を傾げている。




 ――母親はどうした?

 フォンハードは問いかける。


 火竜は背後を見た。


 フォンハードに背を向ける姿勢となる。




 あぁ、と思わず納得の声が出た。




 火竜の赤子。


 背中にあるべき一対の翼の片方が、完全に萎縮している。


 これでは飛べない。



 恐らく、親に捨てられたのだ。



 野生の生き物ならばよくある。


 育てても一人で生きていけないと判断した子供を捨てるのだ。


 愛情が無いとは言えない。これは野生のルール。


 それでも飛竜は知能が高い。


 可能性に掛けて、この子を少しは育てたのだ。


 だが翼は育たない。この年齢なら空を飛べる筈がいまだ飛べない。


 


 親は、ついに子を見放した。




「………」



 フォンハードはゆっくり水から上がる。





 恐らく、とは思うものの、万が一の事はある。


 竜語で子供に呼びかける。




 ――ママを探してやる。




 仔竜はフォンハードを見上げ、嬉しそうに高く鳴いた。








 半日掛けて森をうろつき、結論、仔竜の親は見つからなかった。









 火竜の子供を連れて帰った。あのままでは夜には他の飛竜の餌になってしまう。



 飛べないものだから背に乗せた。幸いに手足はしっかりしているらしく、骨にしがみ付けば落ちる事は無かった。




「――可愛い!!」




 そして恐る恐るラルフを呼んでみると、一緒について来たラルフの妹――ミカの第一声はそれだった。



 まだ小さい火竜。大きな犬程度の大きさだ。


 ミカの両腕で抱きしめる事も可能なぐらい。


 火竜はきょとんとした顔で自分を抱きしめる不死の民を見ている。




 反して、ラルフは難しい顔をしている。




「……」


「ラルフ、あの、なぁ。そういう訳で拾ってしまったんだ」



 森での出会いについて話した。


 半日親を探した事も、このままではこの仔竜は死ぬだけだと言う話もした。




 ラルフは難しい顔で腕を組んでいる。片手で身体を抱くように、もう片方の手は顎に当てていた。


 思案顔。



 やがて、ラルフは言った。



「処分しよう」


「……ぁーぅ」



 そう来たか。



「野生で生き抜く事は不可能と判断された飛竜を、此処に置いてやる理由は無い」



 ドラクロアス家は騎士の家系。


 戦う能力の無い者には冷たい。


 特にラルフはその傾向が強い。


 


 この仔竜の翼が無事ならばラルフも受け入れたかもしれない。


 だが、飛べない飛竜など何の力にもならない。


 無駄と判断する。




「――兄さん酷い」




 ミカがふくれた顔で言った。




「処分するにしてもこんな小さいんじゃまだ何の素材にも使えないよ」


「……まだ変な工房に遊びに行ってるのか?」


「………」



 無言で横を向くミカ。


 腕の中で仔竜はきょとんとしている。



 ミカがこそこそと武器や防具を専門とする工房に遊びに行っているのは知っていた。それをラルフは『ドラクロアス家に相応しくない趣味』と禁じている。


 禁じられて黙るような妹ではない。


 こそこそと行っている。


 どうやら少しは造る側の手伝いもさせて貰っている様だ。


 



「ミカ――」




 仔竜の事は終わりと言わんばかりに妹への説教を始めようとするラルフ。


 フォンハードはラルフを呼んだ。



「なぁ、ラルフ。この通りだ。この仔竜を此処に置くのを許してやってくれないか」


「……役に立たないぞ」


「役に立つ立たないではなくて……何と言うか」



 フォンハードが視線をやれば、ミカの腕の中で仔竜は高く鳴く。


 甘えている。


 フォンハードを保護者と認識しているらしい。



「……哀れだろう?」


「同情でこの仔竜の面倒を見られるのか? 飛べない飛竜の面倒を永遠に? ――言わずとも知っていると思うが、飛竜は永遠に生きるんだぞ? 特にふー、お前は死竜。私も不死の民。寿命は長い。その長い寿命の間、この飛竜を傍らに置く気か?」


「まぁ、一度決まったらその覚悟だ」


「……私は反対だ」



 ラルフは冷たく言った。




 ミカがそんなラルフの顔を見て口を開いた。




「兄さん、フォンハードをこの子に盗られるのが怖いの?」


「………」



 頼むから視線を逸らして沈黙しないでくれ、ラルフ。




「……おい」


「……………」


「散々かっこつけておいて、結論それか? 嫉妬か? 嫉妬でいたいけな幼子を殺す気だったのか?」


「い、いや……そういう訳では」


「見損なったぞ」


「ふー!」



 竜語で仔竜を呼ぶ。


 仔竜はミカの腕から身を捻って逃れ、こちらに駆け寄ってきた。四足はしっかりとしている。


 乗れ、と促すと背に乗ってきた。



 顔を上げてラルフを見下ろす。




「出て行く」


「ふ、フォンハード……」


「戦の時は呼べ。最後の情けだ。それぐらいは翼を貸してやる」


「待ってくれ、ふー!」




 ――もぅ、と息を零したのはミカだ。





「兄さん、フォンハードに御免なさいは?」


「………すまん、フォンハード」


「フォンハード、兄さんが御免って」


「………」



 沈黙。


 ミカの手がぽんぽん、とフォンハードの前足を叩く。




「兄さん、嘘は言って無いと思うよ。そりゃあフォンハードを独占したいって気持ちはあると思うけど、生き抜く力の無い子を育てたって可哀想なだけだってのも確か」


「………」


「フォンハードが永遠にその子を守ってあげられればいいけど、兄さんもフォンハードも戦う側でしょ? 万が一の事があったら、誰もこの子を守ってあげられない。――念のため、言っておくけど、私も無理だよ? 飛竜を守るような力なんてないもの」



 ねぇ、とミカの紅い瞳がフォンハードを見る。




「この子が一人で生き抜く力を得られるまで、フォンハードが守り続けるってちゃんと誓える? 戦いに行ったってちゃーんと戻ってきて守れるって、誓える? ――それが出来なきゃ、今、バイバイするべきだと思うよ」



 フォンハードはラルフを見る。




「誓おう」


「……」


「俺の心臓にかけて誓おう」



 力の源を示して言う。


 もっとも強き約束の言葉。



 ラルフが小さく頷いた。



「――分かった。ならば、私も力を貸す」


「……有り難う、ラルフ」


「だ、だから、ふー、頼む」


「出て行くとは言わない。――此処にいた方が子供は育てやすい」



 背から仔竜をおろす。


 滑り落ち、はしゃぐ仔竜の声が可愛かった。








 そして、眠りの時間。


 夜。


 不死の民はこれからが活動の時間だが、今日は昼間動き過ぎた。


 眠い。



 火竜も眠いらしい。


 フォンハードの真横でうつらうつら舟を漕いでいる。


 無意識に鼻面をフォンハードに押し付けていた。


 母親の身体に擦り寄っているつもりなのだろう。



 少しだけ、骨の我が身が恨めしかった。


 せめて翼を広げ、その下に仔竜を包む。翼ならばまだ翼膜が大半残っていた。骨よりは柔らかいだろう。


 仔竜はフォンハードの骨に鼻面を突っ込んだまま、寝息を立て始めた。





 眠りに落ちてしばし。


 気配に気付いて瞳を開く。



 ラルフが立っていた。



 フォンハードの視線に気付くと少々気まずそうな顔を見せる。



「起こしてしまったか」


「……いいや」



 身体を動かさず、互い、低い声での会話。



 ラルフは軽く咳払いし、瞳を逸らしたまま言う。



「……ミカの知り合いの工房に頼んだ。機械仕掛けの翼の製作を」


「機械?」



 古代には金属で作られた命があったらしい。


 中には歯車やよく分からない小さな部品が沢山。それを調べ、現代に蘇らせようとしている者がいた。



「魔法と組み合わせるなら、ある程度飛べるようになるだろうと言う話だ」


「そうか」


「……余計だったか?」


「いや、飛べない飛竜は哀れだ。――有り難う、ラルフ」




 礼の言葉に驚いたように見えた。



「……その、フォンハードは、先ほどは――」


「俺も悪かった。お前が嫉妬心のみでそんな事を言う男ではないのは十分分かっている。頭に血が上った。……すまん」


「………」


「お前にも事情があるものな。不死の民は死竜以外の飛竜を好まない。古参の民ならば、お前が火竜を住まわせていると知れば、良い顔をしない」


「フォンハードが守ると決めた命だ。ならば、私も守る」


「……有り難う」



 笑う。


 ラルフが一歩、寄った。



 素直に首を伸ばし、顔を寄せた。


 傍らで眠る仔竜を起こさぬように、それでも精一杯、片割れに身を寄せた。



 ラルフが微かに笑い、顔を撫でてくる。





 かちん、と、小さな音がした。





「………?」



 そちらを見る。


 



 小さな水晶が落ちていた。




 魔力で映像を記録する水晶だ。


 何故、こんなものが?


「…………」



 ラルフの顔を見る。




 焦っている。




「……何をする気だった?」


「そ、その……仔竜とふーと言う組み合わせは珍しいな……と」


「…………」


「まるで親子のようかもしれないと思ったら、居ても立ってもいられなくなって……その」


「……映像を撮りに来たのか」


「え、永久保存版として」


「出て行け」


「ふ、ふー」


「すぐに出て行け。二度と来るな」


「しかし――ふー、一映像だけ!」


「……本気で怒るぞ」


「……すまん」


「分かったなら出て行け」




 起きてしまったらしい仔竜を鼻面で突く。



「あぁ……起きてしまったか。安心しろ、五月蝿い変態男はすぐに出て行くからな。大丈夫だ」


「………」



 物凄くしょんぼりしながらラルフは竜舎から出て行った。



 その後姿を見送り、ヤツのファンを名乗る女どもにあの姿を見せてやりたいと心から思った。


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