竜と猫・外伝
やんばるくいな日向
機械仕掛けの飛竜 1章
【1】
デュラハの名前を聞いた事のある者も多いだろう。
広大な毒の沼地の向こう。永遠の夜に包まれる不死の民の都。吸血鬼以外のすべての民は、吸血鬼の奴隷として扱われ、血を吸われる為だけに生かされている。都は血の紅で彩られている。
……だの、そういう、噂。
せいぜい合っているのは毒の沼地の向こう、と言うぐらいだ。
ちなみに毒の沼地と人間たちの領土の間には、広大な森がある。この森は飛竜の生存区域で、珍しい銀竜や雷竜も時たま目撃されるぐらいだ。
森の主は――誰も見たことは無いが――巨大な緑竜とされる。その緑竜が毒を浄化し、それ以上沼地が広がるのを防いでいるとされる。
毒の沼地は本当にある。その向こうにデュラハがあるのも、事実。
それ以外は、人間の噂なんて適当だ。
永遠の夜なんて無い。明けない夜など無いのだ。
ちゃんと朝も昼もある。
ただ、一年の殆どは霧で包まれる。太陽の光は届かない。街の中には魔法の灯りがいくつも灯っている。
不死の民の殆どは昼間は家から出ないものだから、昼に働いているのは人間たちだ。
彼らも奴隷と言う訳ではない。
まぁ不死の民よりも低い身分として見られるが、ちゃんと自由はある。不死の民の家で働いている事もあるが、契約の上で給料を貰っている。
血は確かに不死の民に必要なもの。
だけど、勝手に人間から奪えば罰される。懲罰部隊と呼ばれる城仕えの騎士が殺しに来る。
なので、不死の民の多くは人造の体液もどきを摂取していた。美味しく無いらしいが、仕方ない。
そんなに悪い場所じゃない。
それはこのラキスも同じだ。
デュラハの隣国。
小さな、だが、武器の開発国としてなら恐らく大陸一の小国。
街を上空から見下ろせば、幾つもの小さな工場が見える。彼らはそれぞれ優れた武器を、防具を、道具を作り上げている。
職人の中には不死の民も、人間も、中にはドワーフやらエルフさえいる。
腕さえあれば気にしない。
それがラキスだ。
デュラハは不死の民が多いから少し上品な気がするが、逆にラキスは活気のある良い国だ。
真昼間でも賑やかな声がするなんてデュラハでは信じられない。
それでも民に活気があるのは良い事だ。
ただ、賑やかな声が少々、寝苦しい。
「――……」
竜舎の中でフォンハードは何度目かの寝返りを打った。
すぐ近くに新しい工場が出来た。
それが真昼間からカンカンコンコンドンドンコノヤローとやっているもので非常に五月蝿い。
しかも季節は夏。
寝苦しい。
身体を起こす。
ぐぅ、と背筋を丸め、それから伸ばす。
死竜。
全身が骨で構成され、その骨の中には息づく内臓が見える飛竜の一種。
随分と風通しの良い身体ではあるが、暑いものは暑い。
骨や内臓には魔力による防御力はある。だが熱や火への耐性は無い。
暑い。
蒼い炎の瞳で周囲を見回す。
普通の死竜の瞳は紅い炎だが、フォンハードは例外的に蒼い炎を瞳に宿していた。
違うといえば、その体躯も他の死竜たちは異なる。
同年齢の死竜と比べても一回り以上小さく、尾も短い。それを補うように翼は大きいものの、どうもバランスは悪い。
多分、自分は奇形なのだとフォンハードは思っていた。
幸いにも数は揃っているし、何の不自由も無いが、生まれた時点から少々他者と違っているのだと、そう考えていた。
そのままその場に座る。
腰を落とし、行儀良く。
軽く翼を広げ、動かした。
風を送る。
生暖かい風が動くだけだ。
暑い。
「……決めた」
少し、外に行って来よう。
そうだ、森に行こう。毒の沼地を抜けて森へ。
森ならば涼しいし、あの辺りは川も湖もあった。
水浴びをする。
そうと決めたなら早速。
フォンハードは蒼い炎の瞳で自分の横を見る。
一体の骸骨が控えている。
だいぶ昔に自分がアンデットにした人間の骨だ。こうやって傍において、細かい作業をさせるのに使っている。
例えば竜舎の扉を開くなど、そういう作業。
骸骨が動き出す。
骨が軋む音。
早く、と内心促す。
ヤツが来てしまう。
背後から微かな足音。
住居と竜舎を繋ぐ扉が開いたのだ。
「――フォンハード?」
呼びかけにフォンハードは酷く面倒そうに息を吐いた。
肩越し、振り返る。
若い男が一人、こちらへ大股歩み寄ってくる。
伸ばしたままの灰色の髪は長い。女のように腰辺りまで伸ばされている。手入れなどろくにしてないのは知っているが、本当に女のように綺麗な髪だ。
女のような長い髪ではあるが、その体型に女性的なものはない。細身ではあるものの、骨格はがっしりとしている。今は不死の民によく見られる典型的な『吸血鬼っぽい』服装を身に纏っているので分からないが、それなりに筋肉もある。長身の身体に相応しく、手足も長い。
そして、顔立ち。
……男の美醜などフォンハードには興味が無いが。
この男のファンの女性たちから言わせれば、『これ以上美しい男性は見た事が無い』だそうだ。
目がふたつある。色は真紅。鼻はひとつ。唇は薄いのがひとつ。これが青白い顔の中に納まっている。
それぐらいしか判断しない。
右のこめかみから目じりを通り、頬に掛けて薄く紅い傷跡が見える。
それが『凄みが付いて美しさに磨きが掛かった』と言われた時は女と言う生き物に本気で恐怖した。
百歩譲って美形だと認めよう。
認めても、とある女の発言は理解出来ない。
『あの方に笑いかけて貰えるのなら、私はこの心臓を陽光に晒しても構わない』と言っていた不死の民もいた。
幾らだって見せてやる。
フォンハードの目の前で、両腕を広げて嬉しそうに笑っている片割れの姿を半眼で見つつ、そう考えた。
言い寄ってくる女には冷たい一瞥しかくれないくせに、この男はフォンハードには満面の笑みを向ける。
そして聞きたくも無い言葉をくれるのだ。
「――フォンハード……どうした?」
「……何でもない」
広げられた腕。
どうやら飛竜の愛情表現を求めているらしい。顔を摺り寄せる動き。
申し訳ないが却下させて貰おう。
離して貰えなくなる。
「……ふー?」
「………」
略称が少しだけ寂しげな声で呼ばれる。
あぁもう仕方ない。
フォンハードは片割れの腕の中に頭を落とした。
軽く、突く程度の動きを示す。擦り寄ると言うほど擦り寄って無い。
がっちりと抱きしめられた。
「ふー、お前は本当に可愛らしいな」
やめてくれ。
肌があったら全身鳥肌確定だ。
片割れはフォンハードの心の悲鳴なんて聞こえない。
抱きしめる腕を緩め、その瞳を覗き込んでくる。
思わず半眼のままのフォンハードの瞳。
「それにとても美しい」
「………………いや、別に死竜の平均値だと思うぞ」
「片割れの私が言うのだ。間違いない。お前ほど美しい死竜など過去は勿論、未来にも存在しない」
「……あぁ、そうですか」
顔を振って片割れの抱擁から逃れる。
「出かけてくる」
「何処へだ? 私も行こう」
「水浴び」
「………」
「勿論、川」
不死の民は流れる水を嫌う。
生理的嫌悪。近寄る事さえ出来ない。
「……せめて湖にしないか」
「嫌だ、今日は川の気分」
「……ふー」
「それに真昼間だ。森にまで行く。――たまには一人にさせてくれ、ラルフ」
片割れの名を呼んだ。
扉が開いた。
霧が流れ込む。
「さぁ、ラルフ、日が入ってくるぞ」
「……」
寂しげな目で見られた。
本当に、こいつのファンの女たちに見せてやりたい。
それともこんな表情も『切なげで素敵』と言うのか?
フォンハードはもう一度、軽く頭を寄せた。
今度は愛情表現に近い擦り寄り方。
ラルフが笑った。
その彼に、思わずフォンハードも笑いながら言う。
「大丈夫だ。そんなに遅くならず戻る」
「……あぁ、気を付けて」
軽く、鼻面に口付けられる。
やれやれ、ともう一度苦笑。
ラルフが離れた。
ゆっくりと動き出す。
外に出て、翼を広げる。
死竜は陽光など恐れない。
フォンハードは大きく羽ばたき、空へ舞った。
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